第5章 最期を知る者 4


 オプルテスは、ラウロの言葉通り、奴隷部屋にいた。

 奴隷部屋はアトリウムを囲む一室だが、日当たりが最悪で、床もテラコッタ製の無地のタイルが敷いてあるのみ。部屋の中にある家具は、オプルテスが座って書き物をしている小さな机と背もたれのない椅子、それと床の半分以上を占める藁布団わらぶとんだけだった。


 藁布団の上には畳まれた毛布が何枚か置かれており、壁に幾つか打った釘には、どれも同じような生成りのテュニカが掛けられていた。

 主人家族には、一人一人に立派な居室があるが、何人もいる奴隷達に与えられた部屋は、ここ一つきりだ。夜になれば、奴隷達は藁布団の上で折り重なるように眠り、あぶれた奴は、調理場や廊下で寝る羽目になる。俺も、今夜は護衛を兼ねて、アマリアの部屋の扉の前で寝るつもりだ。


「オプルテス。手を止めて済まないが、ウィリウス様のことで、少し話を聞かせてくれないか?」

 俺が声を掛けると、オプルテスは屈み込んでいた書字板から、のっそりと上半身を起こした。俺に向けた顔には、胡散臭げな表情が浮かんでいる。


 オプルテスを正面から一目ちらと見た瞬間に、俺はこいつとは気が合わなさそうだと直感した。

 年齢は四十手前だろう。東方出身らしく、黒い髪と目をしている。よく瞬きする小さい目には、上の者には媚びる卑屈さと、新しくやってきた俺に対する警戒心が、露骨に浮かんでいた。


 心の中の失望を押し隠して、勉めて親しげな笑みを浮かべる。

 こいつが奴隷頭を務めている理由は、字が書けて、計算ができる一点に尽きる。頭の回転の速さなら、絶対にラウロに軍配が上がるはずだ。

 だが、相手がオプルテスであろうと情報を聞き出すのが俺の使命だ。


「お嬢様が、ウィリウス様を偲ぶよすがに、奴隷達の話を聞いてこいって俺に命じられてね。奴隷頭のあんたが、一番頼りになりそうだと考えたんだよ」

 おべっかを言うと、案の定、オプルテスは小鼻を膨らませて、得意げな顔をした。


「お嬢様のお頼みならば、仕方がないな。大切な帳簿をつけていたんだが」

 オプルテスは恩着せがましく言うと、右手に持っていた鉄筆てっぴつを机に置いた。

「じゃあ、早速、聞きたいんだが、二週間前、ウィリウス様の事故死を知らせに、官邸から奴隷が来ただろう。そいつは、ついでに書類を持って帰ったそうだが、いったい、何の書類を持って帰ったんだ?」


 期待を込めた俺の質問に、オプルテスはあっさりと、かぶりを振った。

「さあな。わたしは知らない」


「知らないってわけはないだろう! あんたが応対をしたはずだ」

 思わず声を荒げると、オプルテスはむっとしたように唇を曲げた。


「そうだ。確かに、わたしが相手をした。しかし、わたしは奴隷が持って帰った書類の中身を見ていない。だから、どんな書類だったのかは、知らない。見た目は、何の変哲もない書字板と、巻物だった」


「中身を見ていないって? じゃあ、奴隷は、どうやってお目当ての書類を見つけたんだ? まさか、やって来た奴隷は、失せ物探しの名人で、不思議な呪文を唱えたら、巻物が飛び出してきたってわけじゃないんだろ?」


 俺は、ウィリウスの部屋で、幾つもの書字板や巻物を見ている。俺のふざけた言葉に、オプルテスは大真面目に頷いた。


「勿論だ。随分と時間を掛けて、書類を探していた」

「その間、あんたは何をしてたんだ?」

 尋ねると、オプルテスは馬鹿にしたような眼差しを俺に注いだ。

「いくら官邸から来たとはいえ、ウィリウス様の部屋に、見知らぬ奴隷を一人で置いておけるわけがないだろう。もし、盗難が起こったら、どうする? わたしが、目を光らせて見張っていた」


「つまり、見張っていただけで、手伝ってやらなかったわけだ」

 俺は嫌味のつもりで言ったが、オプルテスには通じなかった。「そうだ」と胸を張って頷く。


「手伝いは不要だと、奴隷が言ったからな」

 もし、奴隷が手伝いを願い出ても、オプルテスなら手伝わなかったに違いない。


「すまないが、奴隷がどんなところを探していたが、教えてくれないか? 奴隷の動きをしっかり見張っていたんだろ?」

「お安い御用だ」

 オプルテスは、新米の兵士に訓示を垂れる百人隊長のように、偉そうに顎を上げると、話し出した。


「まず、奴隷は部屋の中央のテーブルに積んであった書字板を確認すると、そこから一枚、抜き出した。それから、長持の前に移動して……」

「ちょっと待った。ウィリウス様の部屋には、長持が三つある。どの長持だ? それと、一つ確認しておきたいんだが、ウィリウス様が亡くなられて以降、官邸の奴隷以外に、ウィリウス様の部屋の物をいじった奴はいるか?」


 説明の途中で遮られて、オプルテスは不愉快そうに眉をしかめた。が、質問には答える。

「いや、ウィリウス様の私物をいじった者はいない。もし、ローマからウィリウス様の御家族がいらして、遺品を整理なさった時に、余計な真似をしてお叱りを受けたくなかったからな。奴隷が開けた長持は、寝台の側の長持だ」

「テュニカやトーガが入ってる長持だな?」


「そうだ。何枚かテュニカを捲って、どこからともなく、鍵を取り出した」

 オプルテスの口調は淡々としていたが、俺は驚きのあまり、息が詰まった。もし、ラウロの時のように葡萄酒を飲んでいたら、せていたところだ。


「本当か? 本当に奴隷は、迷うことなく鍵を見つけたんだな?」

 オプルテスの肩を掴んで揺さぶりたい気持ちをぐっと堪えて、質問する。オプルテスはこっくりと頷いた。

「そうだ。その鍵で、壁際に二つ並んだ長持の奥のほうを開けた」


「オプルテス。大切な要点を確認しておくぞ。この屋敷の奴隷の中で、ウィリウス様の鍵の隠し場所を知っている奴はいるか?」

「おそらく、いないだろうな。わたしですら、その時、初めて知った」


 俺は喉元まで出かかった罵倒を飲み込んだ。俺なら、奴隷を取っ捕まえて、尋問している。俺が主人なら、オプルテスをクビにしている間抜けさだ。

 しかし、残念ながら、俺にオプルテスの去就を決める権限はないし、過ぎ去った事態をどうこう言っても始まらない。俺は、質問を続けた。


「鍵付きの長持を開けた奴隷は、その後、どうした?」

「片端から巻物の中身を確認しては、また仕舞い、結局、四本の巻物を持って帰った」

 オプルテスは淡々と答える。


「で、あんたは巻物の中身を確認もせず、奴隷を帰したわけだ。もしかしたら、遺言書とか、人目をはばかる私信だとか、ウィリウス様の私的で大切な巻物だとか、疑いもせずに」


 俺は怒りを込めて低く呟いた。今度はオプルテスにも通じたらしい。自分の無思慮に気づいたオプルテスは、顔を引きつらせて言い訳を始めた。

「し、仕方がないだろう。わたしだって、ウィリウス様がお亡くなりになったと聞いて、動揺していたんだ。冷静な判断力が失われていた。それに、官邸の奴隷が、なぜ、嘘をつく必要がある?」


「それは、これから調べるさ。官邸の奴隷は、どんな奴だった? 名前は?」

 眼差しに冷たさを込めてオプルテスに尋ねると、オプルテスは情けなく顔を歪めた。

「名前は……聞いていない。確か、まだ若い奴隷だったが……」

 官邸には何人もの奴隷がいる。若いという特徴だけでは、探しようがない。

 俺は苛立たしい気持ちを隠さずに溜息をついた。


 やはり、こいつは、札付きの役立たずだ。後で、もう一度、ラウロの小部屋へ行こう。ラウロなら、奴隷の顔を覚えているに違いない。

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