月下

 学院地下闘技場は、今、派手に飾り付けられ、全校生徒、全教員が集まっていた。

「超鬼ごっこの終了により、ミスロジカル魔導学院は前半期の正規授業を終了とし、明日から二週間後の夏休みまで補習帰還する。補習を必要としない生徒は夏休みに片足突っ込むことになるが、本格的な帰省はまだしないように」

 乾杯と言おうとして、またマイクを握る。

「言い忘れておった。

 本学院が夏休みに入る頃、夏期講習を受けるために遠く神州から、短期留学生が十名ほど来ることになった。興味のある生徒は力比べしてみるのも良かろう。

 ということで、乾杯」


「かんぱ~~~い」


 大宴会が始まった。

 長いテーブルの隅に朱翠が座り、その隣にラフィルが座っている。

 朱翠はまだマスクを着けている。

「取らないと食べられないよ?」

 朱翠は秋の姿を探し、教員のテーブルにおいて、桃華を貸した老教官の前で正座させられているのを確認してマスクを外す。

 そんな朱翠の周りに学年関係なしで生徒達が集まる。

 お前凄いな、と。

「膂力の剣士が技巧の土俵に降りてきた故の結果だ。先輩の憂慮に感謝」

 ようするに、慣れない得物で自分のレベルに合わせた梧桐先輩に感謝する、という意味だ。

 朱翠は棄権したものの、最上級生相手にほぼ互角の戦闘を行ったとして、健闘賞とやらをもらっていた。

 朱翠は渡された目録を見て、首をかしげ、ラフィルに渡す。

「どういう意味」

「えと、クロケット工房で試作品のテスター権を与える?

 あ、これは兄様も同じもの持ってるよ」

 第十三期生レンメル・クロケットが、学院から預かる工房で発明する魔構具をテストする代わりに、優先して専用装備を与えられる権利を与えると書いてあるのだ。

「レンメル先輩は兄様の幼なじみなの。

 しかも、魔構企業クロケット社の若社長でもあって、試作品を学院で研究・開発しているんだよ」

 ここで声を潜める。

「魔剣を抜いて注目を集めるより、レンメル先輩に予備の武器を作ってもらえって、兄様が言ってたよ」

 セイジの伝言を聞き、朱翠は頷いた。

「星司さんはどこに?」

 聞かれ、ラフィルは周囲を見回す。そういえば姿がない。

 十三期生ハイエンドの生徒が集まる机にはセツナしかいないし、ロウエンドでは琴葉しかいない。そこでもう一人いない人物に気がつく。

 天宮璃摩の姿がなかった。



 中庭の噴水横のベンチで璃摩は月を眺めていた。

 髪をポニーテールにし、ブレザーを腰に巻き、ワイシャツの袖を捲る。髪は姉同様に濡烏色。璃央とそっくりではあるが、姉に比べて、より女性的な身体をしている。

 月下で銀の燐光を纏い、気持ちよさ気に月光浴をする。

「ボクに何か用です?」

 璃摩は暗がりを見ずに言葉を紡ぐ。

 外見だけでなく、声もよく似ている。違うのは、印象。

 記憶の覚醒前はおとなしげ、しかし記憶の覚醒後は凛として聞く者の心を惹きつける姉。

 悪戯っぽい口調で聞く者をからかって遊ぶような感じでありながら、どこか突き放しているような冷たさ。それが妹。

 月下に、セイジは璃摩へと近づく。

「人にあらず、亜神にあらず、そしてリンカーにあらず」

 その言葉に璃摩は、声の主を視界に収めんと顔を向け、確認。

「さりとてライナーにもあらず」

 セイジは歩きながらシフトを行う。

「月読、貴様、何をした? ここにいる理由はなんだ?」

 璃摩はセイジの雰囲気が変わったのを見て、その魔力をセイジ同様に視て、蠱惑的に笑みを作った。

「ああ、甕星さん。幾星霜ぶりと言ったところですか?」

「問いに答えろ」

 甕星は右拳を握りしめる。歩みは止めない。

「時を経て、ふさわしい器を得て、完全復活ですね」

「答えろと」

 ドスッと音を立て、右拳が璃摩の腹にめり込んだ。

「かはっ」

「言っている」

 璃摩は噴水に落ちた。腹を押さえて上半身を起こす。

 髪が銀に染まり、水滴が、髪を流れる。

 璃摩は青い目で、ただ甕星を見上げる。その頬がやや赤い。

「ボクはただ、甕星さんと再会するために、そのためだけに人の子として生まれただけです。人の腹を経てね」

「何故だ?」

「あなたが好きですから。あの時もそう言いましたよ?」

 あの時というのを思い出す。

 天津神相手に反乱を行い、力を封じられる少し前のことだ。

 吐息。

「貴様、男だろう?」

 言われ、璃摩は自分を見下ろして、アハハと笑った。

「ボク、男に見えますか?

 あなたが愛したヒルメの姿をしているでしょう?」

 甕星の頬が引き攣っていく。

「ボクはね。甕星さんや姉さんと違って、神話の時代ってやつからずっと生きてきたんだ。あなたがまた生まれるまで、ずっと待って生きてきた。

 日崎の血統が天津甕星の再誕を目的にしていたのは知っていました。だから、監視することは簡単でした。

 まあ、ここまでかかるとも思っていませんでしたが」

(ずっと生きてきただと? どういうことだ?)

 話し方も表情も、すべて昔のまま。

「なにをしたと聞かれて答えられることと言えば、再誕をやっただけかな?

 転生の準備段階にあった姉の神魂を盗み、母の胎内に共に入り、同じ容姿、同じ性別の双子として生まれました。

 しかも璃央と違って、こんなにも、ちゃんと成長している。ヒルメとして完成しているでしょう?」

 ここで璃央を引き合いに出す。

「ええ、ボクはあなたが璃央に会ったことを知っています。姉の神魂が動き出したのが証拠ですしね」

「どういうことだ?」

「簡単な話です。

 神祇院が姉を封じる時に細工を施しました。

 天津甕星から魔法をかけられた瞬間に、ヒルメの人格が蘇るように、ね。

 天津甕星が、天照と会って、何もしないなんて考えられないから」

 噴水に踏み込み、璃摩の胸ぐらを掴む。

「貴様、それが原因でリオが記憶に飲まれる羽目になったことを知らんのか」

「それは違うなあ。

 ヒルメの人格こそが、璃央を記憶の奔流から護る防壁になったはず。

 それが、天宮璃々の胎内にいる時に、姉からされたお願いという奴ですからね」

 璃摩は胸ぐらを掴まれたまま、甕星のネクタイを掴んで引き寄せる。顔が、近い。

「だから、ですね?」

 囁くように。

 甕星は間近で璃摩の顔を見て硬直。

 髪の色以外のすべてが、璃摩の言う通り、天津甕星としての記憶の中のヒルメに一致する。不覚にも見惚れた。その気の迷いは一瞬。その一瞬の隙に、口を吸われた。

 時間が、止まる。

 バッと璃摩から身体を離す。止まっていた時間はきっかり一分。

「お、おお、お前、な、なんてことをするんだ?! し、しかも舐められた?!」

 驚きのあまりシフトが解けたらしい。顔が真っ赤にして、震えている。

「あれ? その反応――やった、甕星さんの新人生の初吸いGET」

 ガッツポーズを決める璃摩。

 セイジ、涙目。

「結果的に姉を助けることをしたんですから、これくらいのご褒美があってもいいんじゃないかと」

 璃摩は噴水から出る。

 自分の衣服をトンと指で叩くと、それだけではじめから濡れていなかったかのように、水分が消え、皺だけが残る。かぶりを振って、髪を黒に戻した。

「お前、本当に、何をしにここへ来たんだ?」

 セイジはかなりムッとした顔で問う。

「実を言えば、西の果てがとても面白くなる、と占いに出たものですから来たんですよね。あと、世界最先端の魔法とやらも興味合ったし。

 あなたと逢えたのは本当に偶然ですよ」

「お前がリオのそばを離れなければ、少なくとも、彼女が護衛を必要とすることに巻き込まれることはなかった」

「でも、必要としたから姉と出会えたのでしょう?」

「それは……そうだが」

 言葉を濁す。

 結果は間違っていないが、納得も出来ない。そんな感じである。

「でも七年前、ボクは姉の近くにいたけど、誘拐は発生。結果はあなたも知ってる通り」

(やはり、あの時の矢はツクヨミか)

 セイジは盛大に溜息を吐いた。

「ああ、お前の落ち度を言ってもしょうがない。

 あの時、俺も周りを押しのけて、天津神どもを敵に回してでも彼女のそばに残っていれば。そう思うことはあった。終わったことだ、もう言ってもしょうがない」

 璃摩が一歩、セイジに近づいた。セイジは一歩、後ろに下がる。

 さらに、一歩ずつ。

 璃摩が「えー」と漏らす。

「乙女ですか」

「やかましい。近寄らすと何するか分からん奴、警戒する方が普通だ」

 吐息。璃摩は肩をすくめた。

「ちゃんと問いには答えましたけど、別の意味で警戒させてしまったようで、残念です。

 ボクは先輩になら、腹パン入れられても全然構わないですけどね」

 唐突に声色を変える。

「頬を染めて言うことか!?」

「腹パン入れられて惚れた、でどうです?

 ボク、先輩相手ならいつでもどこでも、フルオープンでいけますよ?」

「何が言いたいのかよく分からん」

 そもそも、天照のそばにいない月読に腹立てて接触したようなものだが、軽率すぎたと反省するセイジ。

(こいつの魔力が普通ではないことを確認した時点で、もっと慎重にやるべきだったか)

「問いの結果、答自体が納得出来ない場合はどうすればいいか知ってるか?」

「終わった結果がどうしようもないものなら、諦める。それが長く生きて発狂しないためのコツ。

 まあ、未練を残すのは自由だけど」

 セイジは璃摩から二歩離れる。

「なら俺は未練残さずここを離れることにする」

「今は見逃しますけど、あとで覚えておいてくださいね。腹パン」

「そこかよ」

 舌打ち。

 悪いのは完全にセイジである。

 セイジが立ち去り地下へと降りるのを眺めながら、璃摩は微かな痛みとともに熱を帯びる腹に手を当てて、うっとりとする。

 たとえ痛みであっても、そこは触れられた場所には違いない。

「本当に、まさかこんな地の果てで逢えるとは思わなかった……カガト」

(今日までにここで見た現代の超越者達。

 庭の護り手、北欧の魔法神、騎士の王、東の龍王、風の天使、それに、無銘と甕星)

「ああ、梧桐先輩を止めた彼もいた」

 楽しげに笑って月光浴を再開する。

 ここなら姉の対などという立場とは無縁。

 ここなら自分を隠して日陰になることもない。

「でもね、甕星さん。あなたも皆も覚えていない。姉でさえ忘れてしまった。

 姉とボクは父の右目と左目から生まれ落ちたモノ。似て非なる存在。

 司るものは非ず、でも似ているが故に、弟、ではないんですよ?」

 吐息。

「あぁ、でも。

 一番覚えていてほしい人が……、ていうのはやっぱりちょっと、つらいなぁ」

 誰が聞くでもない庭で、璃摩は寂しげに、そう呟いて、目元をゴシゴシとこすった。

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