二章
魔剣の使い手
イギリスはロンドン、ドッグズランにて建造中の巨大人工島にそれはある。メルカード財団が経営する治癒魔法研究所(WizMedicLabo)である。
治癒魔法は魂の幻想魔法、魂幻の下位魔法とされ、未だ解明部分は少なく目下研究中とされている。この研究所はその治癒魔法を専門とする研究所である。
研究所のベッドで、東洋人の少年が一人、昏々と眠り続ける。
その横で、金髪翠眼の小柄な少女が椅子に座る。その背には一対の純白の翼が生えている。
少女はミスロジカル魔導学院の制服である群青のブレザーとグレーのスカートを着用していた。
膝の上では携帯電話を握りしめている。着信記録では直前に『bro.Seiji』とあった。
ドアが開かれる。
少女は腰を浮かせるが、入ってきたのはスーツの上に白衣を着る女性。見るからにガッカリして着席する。
「失礼だぞ、ラフィル・エル」
少女、ラフィル・エル・ヒザキは「すみません」と女性に謝る。
女性は少年の傍らに立ち、持ってきた紙の束に目を通す。
「外傷はすべて治癒済だが、やはり精神がここにはない」
「脳死のようなものでしょうか?」
「精神の死亡か。それとも違うな。脳死が確認された場合、マインド系は一切かけることさえ出来なくなるが・・・・・・」
この少年には作用する。
「それと・・・・・・いや、これはセイジ君が到着してから話すか。担当も遅れているしな」
そう言って、女性は隣のベッドに視線を移す。そこには少年の所持品が置いてある。数は少なく、身元を確認する物は、唯一、赤黒く変色した天宮学園の制服のみである。学生証はなかった。
(しかしこの少年。似ているな)
かつて出会ったある男によく似ている。年頃としては息子かとも思えるが・・・・・・。
「ラフィル・エル。君がこの少年を外傷完治させるのにかけた時間は?」
「そうですね・・・・・・、半日でしょうか。治りが異常に早かった気がします」
「治療には聖歌を?」
「それが私の治療方法ですから」
にしても早すぎる、と女性は思う。
服の切り刻まれ具合に出血量。死んでいてもおかしくはない。
ラフィル・エルの使用する聖歌は対象の自然治癒能力を数倍速にする。瀕死であれば基本、死の瀬戸際を防衛するようなものである。
(それが短時間で完治にまで行くのは、よほど相性がいいとういことだが、天使であるラフィル・エルと相性がいいとなるとやはり・・・・・・あの男の、奴らの関係者なのか?)
少年は外傷が治癒した後も眠り続け、既に一週間経とうとしていた。その間、衰弱する様子は見られない。
「セイジ君からの連絡は?」
「昨日一度。その時点ではまだ神聖メシーカにいるとのことでした」
ふむ、と女性が一考しようとした時、窓ガラスがビリビリと震え、ゴーッと外で風が吹き荒れるのを聞く。建物がやや揺れた。
「軍の飛竜か?」
イギリス国防軍で使用される幻獣を予想するが、女性はかぶりを振った。ここらを飛行するには財団の許可を必要とし、今のところそういう話は聞いていない。
何者かが無断で通ったのだろうか。
「何にしても神聖メシーカからはキオーンを使っても三日はかかる。君は少し眠りなさい」
告げて、女性は部屋を出る。
一方その頃、人工島の地下を縦横に走る地下道にセイジ=アステール・ヒザキはいた。
超高速の移動手段を神聖メシーカで確保し、ミスロジカル魔導学院には寄らず、まっすぐにこの人工島へと来たのである。かかった時間は僅か半日。ラフィル・エルへの連絡はまだしていない。止められていたからだ。
セイジは一人ではない。
白衣の下に緑のジャージでサンダルを履く。無精ひげは生やしっぱなしで黒縁眼鏡をかけた見るからに冴えない青年が共にいた。ボサボサの赤毛を申し訳程度に輪ゴムでまとめ、青い目は眠そうに細められている。
二人が向かうのは人工島の地下格納庫の一つ。通称、宝物庫と呼ばれている区画である。
「財団の幹部でさえここへの侵入は制限されてるんだけど、君ら、内定済の十三期生は総帥のお気に入りだからさ。ここへもこうして将が一緒なら入れるのさ」
「その分、よく働け、だろ?」
「まあね。さあ着いた」
そこは壁。壁に二十センチほどのパネルが備え付けられているのみ。
青年はパネルに掌を当てる。
【DEATH-ヴィクトル・ライコフ様の魔力を認識致しました】
【入室を許可します】
目の前の壁が一瞬歪んだ。
「はい、ご苦労さん」
青年、ヴィクトル・ライコフは歪んだ壁の向こうへ向かって歩き出す。セイジはその後をついていく。
到着する。そこは僅か三メートル四方の石室。最初に気がつくのはガチャガチャという金属音。
奥に干からびたミイラが倒れ伏し、ミイラは奇妙な両手剣を握りしめていた。
全長1.5メートルほどで水晶の埋め込まれた黄金の柄を持ち、赤黒い鞘に収められていて、剣は振動しガチャガチャと鞘を鳴らし続けていた。
セイジは剣の魔力を確認してみるが、すぐに顔を背けた。一目で気持ち悪くなったからだ。
「これは?」
「大戦以降、ありとあらゆる組織が躍起になって、アーティファクトやら伝承上の物品やらを収集している。まあ今更な歴史のお勉強みたいなもんになってしまったけど、メルカードは大戦以前からそれをしていてな。こいつはその成果だ」
「華美な柄だな。聖剣か? 魔力は異常だが」
セイジの問いに、ヴィクトルはフッと笑った。
「そのミイラはね。こいつの外見に騙されて握った後、自分の家族も友人も何もかもを斬り殺しこの石棺に逃げ込んで果てた古代人さ。正体は分かるだろ? そう、魔剣さ。
確保出来たのはいいけど、怖くて誰も抜けなくてね。ずっと放置プレイ・・・・・・じゃなくて、管理してたんだよね」
「魔剣、ね。で、別に俺に抜けというわけではないんだろう?」
「うん。僕が総帥から言われているのは違うね」
そう言って、ヴィクトルはポケットからクシャクシャになった紙を取り出して、セイジに寄越す。
汚いと思いながらも目を通し、「これは」と片眉を上げた。
「この剣はさ、もう一週間ほど、歌い続けてるんだ。雛鳥が餌を求めるようにね。
だからもう、管理部はね、餌がキター! って大騒ぎでね」
「餌って」
ヴィクトルは咳払いで誤魔化す。
「まあまあ、確保してずっと反応がなかったものが反応したとなれば、そりゃテンションも上がるよ。
んで、テンションを上げた餌を寄越した君を呼びつけたわけだ。学院に戻るのを後回しにしてもらっちゃってごめんね。なんか怪我もしてるみたいだし、手早く終わらせようか」
セイジの左腕を見てそう言った。左腕はずっと力なく垂れたままである。
腕など気にせずに、セイジは紙を見つめる。そこには、ラフィルに預けた少年が人工島に入った瞬間から、今から三十分前にかけて観測された魔剣のデータであった。
一週間前、神州東京の末広町において、セイジはあの少年と出会ったことを思い出す。
瓦礫に埋もれた町でロート・ラヴィーネの調査に来たセイジは、澄を確保した場所からそう離れていない場所である現場に遭遇した。
木造の家屋は焼け崩れ、その前には十数名の小さな焼死体。傍らに日本刀を握ったまま焼け崩れた人の残骸。虐殺者達の行為の痕だ。
そして、そこで焼け崩れ人の形をしていないナニカを抱きしめた血塗れの少年を発見する。ナニカは手らしきもので炭化した竹刀を握っていた。
その少年を今まさに斬首しようと刀を振り上げる黒装束がいた。
考えるまでもない。すぐさま駆けつけ、振り下ろされた刀を、出現させたガントレットで防ぐ。甲高い金属音。刀を受けている間に、右に長剣を構成し左肩口を斬り裂いた。
背後で音を聞く。
左に小剣を構成し、今斬った相手を右で牽制しながら、振り向かずに肩越しに左を構えて背後からの一撃を受けた。弧を描いて左右をいなして両側の相手を斜め前へと持ってくる。ともに同じ黒装束。
(NINJA?)
見た目からそう連想する。
忍者Aは斬られた肩を押さえ、忍者BはAを護るように刀を構え、間合いを計る。
遠くからピー! となにやら笛の音が聞こえたかと思うと、忍者二人は迷わず刀を収めて姿を消した。周囲を窺うが、それらしい気配も音もない。剣を収めて少年へと駆け寄った。
「生きてるか?」
「あり・・・・・・が」
少年はそのまま意識を失い前のめりに倒れた。少年が抱くナニカはその反動で崩れ、炭化しかかった竹刀が地に落ちた。
セイジはしばたく少年を見下ろしてから、竹刀とともに少年を担いでその場を立ち去った。
(あの時のNINJAはなんだったんだ? 烈士隊のようなものなのか?)
九曜頂の癖に神州の事情に詳しくないセイジは首をかしげる。
(そもそも、何故あの少年を襲ったんだ?)
謎は多い。とはいえ、とヴィクトルに答える。
「あんた達のモルモットにするために、あいつを治癒させたわけじゃない」
思い出は一瞬。
「そうは言うけどね。彼はすごいよ? 君の妹弟子のあの子、アリシア・ロードウェル。彼女同様、彼もまた剣に選ばれるタイプの使い手って奴」
「ソードマスター?」
「それだね。その資料にもある通り、彼を求めたのはこの魔剣だけじゃない。宝物庫に収められる剣の内、神剣以外のすべてが反応した。これは異常だね?
今のところ、この魔剣以外が鳴いていないところを見ると、コレの貪欲っぷりに他の剣がドン引きしたと見ているんだよね」
(魔剣が反応し、NINJAにも襲われるか。魔剣というかNINJAの方はうちの父にでも相談した方が良さそうだな)
「メルカードとしては、あの少年に魔剣を抜かせてみたいわけか」
「本題を言ってしまうと、その通り。君が連れてきたらしいからね。君の許可がほしいんだ」
「俺が許可しなくても、本人を目覚めさせて直接許可を取ればいいのでは? 目覚めさせたいから、ここへ行くよう指示したんだからな」
「案外お堅いね」
「魔剣に取り殺された奴がいることを聞いて、はいそうですかと渡せるわけがない」
「これは失念」
失念などと言ってはいるが、セイジの答は予想していたらしく、ヴィクトルはさして心外な表情はしていなかった。
セイジがその部屋に入ると、そこには総じて三人の人物がいた。
ベッドで、あの少年が眠っている。
ベッドの傍らにラフィル・エルが座って、コックリコックリ船を漕いでいる。
ベッドの傍らでビジネススーツの男性がタイムズ(英国新聞)を広げている。
「父さん?」
「う?」
ビジネススーツの男性はセイジの呼び声に振り返る。神州において、髪と眼が黒かった時のセイジを老けさせたような感じを受ける男性だった。老けていると言っても三十後半にしか見えないのだが。
「やあ、星司君。おかえり」
父・日崎司は新聞を畳んで隣のベッドに置いた。
その前で、ハッと目を覚ましたラフィルが右を左を見てから、入口のセイジを見て腰を浮かす。顔は輝いている。
「兄様、おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。ラフィル。妙な頼み事で授業に穴を空けさせて悪かったな」
「いいえ、兄様のお頼みであれば、父様を殴り倒してでも駆けつけます!」
「えちょ、ひどくない?」
司、涙目。
「ところで父さん」
「璃央君との交際は」
「そうじゃなくて」
「なんだ違うのか(ホッ)」
「何故、安堵を?」
「え? い、いやいや、べ、別に璃々君が怖いんじゃないんだよ? 本当だよ?」
司は前から異様に璃央の母親を怖がる。
屋敷にいなかったが、会わなかったことは正解だったかもしれない。
「いや、本当にそうじゃなくて」
「じゃあ、なんだい?」
「この少年を助けた時、少年はNINJAに襲われていた。あれは、烈士隊とは違うのか?」
「忍者? ひょっとして、短い刀じゃなくてこんくらいの刀使ってた?」
両手をグッと伸ばして長さを伝えてくる。それは確かに忍者が持っていた刀と同じくらいの長さだ。
「じゃあ、それはおそらく、直毘衆だね」
「ナオビシュウ?」
「うん。彼らは本来、天照の転生者に仕える実戦部隊なんだけどね。大戦以降はもっぱら神祇院に従っているはず。
お仕事は、諜報、伝令そして暗殺。黒々としてるけど、まあ、忍者だしね」
「さすがに詳しい」
「そりゃ、まあ、お父さんも彼らに狙われたことあるしね!」
何やったんだ、この人。二人の子供が親にそんな感想を抱く。
「しかし、そっか、朱翠君を消しにきたかー」
「しゅすい……というのがこの方のお名前ですか?」
「ああ、なに? ラフィルもーこの子、気になる?」
いきなり父が娘に絡んだ。
「そりゃ、まあ、その、不完全な治癒をしてしまった方ですから」
「そういうことにしておこうかな。うん。
この子は榊朱翠。星司君も榊朱禅には会ったことあるでしょ? ロウと一緒に」
榊朱禅。その名前には覚えがある。
セイジが師や妹弟子共々旅をしている時に会った相手である。師の友人。
「ヴァチカンの裏使徒、アポクリファ所属の剣聖」
「当たり。ついでに言うと、ラフィルの姉妹、柚樹君の養父でもある」
ラフィルの姉妹と聞いて、セイジは義妹の羽に目が行く。
ラフィルには他に三人姉妹がいる。それぞれが異なる養父に預けられているが、この少年の父親がその一人らしい。そしてラフィルはこの司を養父としていた。
「ではこの方は、ユズのお兄さん?」
「んー、年一緒だから、どっちがとは分からないなー。
榊さんは柚樹君に剣を教え、朱翠君は榊さんに教わった剣でお母さんの翠さんを護っていたらしいんだけど、その翠さんも去年亡くなって、その後は翠さんのお兄さんの家で暮らしていた」
詳しいな、とセイジは思う。
これは何かある。
「本当は翠さんのお葬式の時に引き取るはずだったんだけどね」
「そうきたか」
「うん、そうきたよ。
榊さんからの依頼だったし朱翠君もOKしてたんだけど、ね。ミスロジカル入り。
翠廉さん……翠さんのお兄さんが無理に引き取ったんだ。で、一家惨殺に繋がったというわけさ」
「父さんは彼が狙われた理由を?」
「いや、僕は、君から直毘衆のことを聞いてやっと合点がいったくらいだね。榊さんは九割方の確率でそうなるくらいの予想はしていたっぽい」
セイジが榊朱翠を助けたのは偶然だが、奇妙な縁はあったらしい。
「まあとりあえず、彼を起こそうか」
「だから起こせないから困ってるんじゃないか」
「空気を読めといったところですね、父様」
日崎家は親へのツッコミが容赦ない。ここにセイジの双子の妹が加わるともっと酷い。
「誰に似たのやら」
まったくである。
セイジは隣のベッドに顔を向ける。朱翠の所持品を眺める。
制服、折れた携帯、財布、炭化して短くなった竹刀。
試しに魔力を視て「ん?」と気づく。竹刀に魔力が宿っている。司に言ってみる。
「し、竹刀セイバーか!?」
「絶対違うと思います」
「やれやれ」
「いつにもましてお父さんに厳しくない?」
空気を読まないからだ。
「このバンブーソードに彼の精神でも宿っているんだろうか?」
「そうなのかなあ? 他にありそうな場所もないしねえ」
「魔剣……とか」
「は? 魔剣って地下の? ひょっとして反応しちゃってる?」
「反応すること自体には驚かないんだな」
「そりゃ、まあ、彼が目を覚ましてから、そこは話すよ。
よっし、じゃあ、ラフィル!」
いきなり名を呼ばれて「はい?!」と飛び上がった。羽がパタパタ動いて落下は遅い。
「朱翠君を起こすには体細胞の活性化は不可欠だからね。万全を期すために、今の内にご飯を食べてきなさい」
「は、はい!」
パタタと飛んで部屋を出て行く。
「で、星司君。竹刀の魔力は何個かな?」
「数か」
竹刀を持って見つめる。血のようにドロッとしたものと清廉な光の二つの力が存在する。若干、混じっているようにも見える。
「二個だ。少し混ざってるな」
「じゃあ潜って引っ張ってきて」
「ああ……なんだって?」
返事しておいて、耳を疑う。
「大丈夫。今ならラフィルいないから多少の無理も止められないよ」
こういうことを見越して義妹を追い出したらしい。ラフィルは食事が遅いから時間はたっぷりある。
「サルベージ、使えるんでしょ? アウレアはしっかり刻んだって言ってたよ?」
「うん、まあ、刻まれたけどな」
璃央の時は魔力で生成した手を入れたが、潜れということは精神そのものを入れろということだろう。
「サルベージは本来潜るものではないけど、触診じゃどっちがどっちって見分けることが出来ないからね。まあ、せっちゃんは見分けるようだけど」
「ヴィオとは誰も比べちゃいかんだろ」
天才は伊達じゃない。
「しかし精神ね。まあ、やってみるか」
竹刀を額に当て集中する。まだ少し苦手がある。
やがて、竹刀に引き込まれていき、その大地に立つ。それは奇妙な幻想。
木造の家屋。壁に武本道場と書かれた板が打ち付けられ、中から「一、二、一、二」と幼いかけ声が聞こえてくる。
空は青空で、周囲に他の家屋はない。ただ、武本道場だけが存在している。
外に気配はなく、セイジは道場へと踏み込む。そこで、さすがのセイジも口を押さえて息を飲む。
焼けただれた幼い子供と焼けすぎて人の輪郭を保っていないが天宮学園の女子の制服を着たナニカが、榊朱翠と呼ばれる少年を組伏して、赤黒く腐臭を放つ塊と化していた。
少年は藻掻いて出ようとしているが、手をついた先から道場の床が崩れては生え崩れては生えと、無限の地獄のようになっていた。
かけ声は道場のそこら中から聞こえ、あの塊から発せられるものではない。塊から発せられるのはただ「熱い、熱いよ。兄ちゃん、熱いよ」「俊、痛い助けて、置いてかないで」と呻いている。
「やめろ、やめてくれ。もう、やめてくれ」
少年はしきりにそう呟き嗚咽を漏らしながらも、ただ藻掻く。
【これはひどい】
父の声が頭に響く。
「それ一体なんて魔法?」
【今、即興で作った。名付けるとすれば、そうだな。あなたの夢に超介入、ドリーム☆イン】
「絶対に学会で言うな」
【いやいやいや、正確には】
「視界はどうなってるんだ?」
【んー、星司君の視界を借りてる形だね。だから、星司君がおにゃのこの胸元とか見てると成長したなと思ってしまうわけで】
父の戯れ言を無視した。見ていないから。
【しかしこれは、直毘になんかされたねえ。獏でも埋め込まれたかな?】
「ドリームイーターか。となると、それを探して撃破だな」
【ご名答。武器は持ち込めてないから、素手でどうにかしちゃってね】
「もとよりそのつもりだ」
道場内を一周して、首をかしげる。それらしき姿がない。中央のアレが異常すぎて気にならないのだろうか。
【というより、あれがそうかな?】
「あれを素手でか」
両の手を見下ろす。
「左手が動く?」
【精神が傷ついてるわけじゃないからねえ。あれ、なんか光ってるね?】
父の指摘通り、左上でが緋色に光っている。やや暖かい。
思い至るのは璃央による痛み止めくらいだ。
「ふむ。アマテラスの本質は成長と浄化。いけるか」
というか、武器になりそうなのはこれしかない。
左手に右手を添え、この光を、宿る魔力を剣型へと変化させ右に握る。剣が一番しっくりくる。そして、異形の塊に向けて踏み出す。
敵意を向けた瞬間、子供の腕を繋げたような形状の触手が数十本と伸びてきた。
切り払い近づく道を模索する。
人や幻獣が相手であれば、相手の関節の裏に回れば隙は生じる。だが、この触手は人体の腕が連結しているように見えて、関節の裏にも鞭のように攻撃してくる。その際、骨の砕ける音と塊からの悲鳴で不快な気持ちにさせられる。
切り払えば、緋色の炎に焼かれてボロボロと崩れるのだが、次々に触手は追加される。これではトカゲの尻尾切りでしかない。
「もう一振りあればな」
【お父さんがイイ物をあげよう!】
左手になんか生えた。
その外見はどう見てもハリセン。
「これでどうしろって言うんだ?!」
【あれ? まち……いけるいける!】
無責任なエールに口元を歪め、ハリセンを握りしめる。正直、父親の頭を張り倒したいセイジである。
襲い来る触手をハリセンでまとめていなして踏み込む。そして、左下から右上への一閃。塊を斜めに斬り裂いた。
一瞬、塊の動きが止まる。
ゴッと音立てて、斬り裂かれた一線から上、上半分が燃え上がり唐突に弾け飛んだ。続いて下半分が炭化して崩れ去る。
【まだだよ!】
「分かっている!」
まだ天宮学園女子の制服を着たアレが残っている。
そちらとの間合いを計って向き直り……セイジは剣とハリセンを下ろした。
少年がアレを抱きしめていた。
強く抱きしめ、アレ……梢の姿を模したそれはボロボロと崩れる。
「俺が知ってる梢は、人を害したりはしない。梢の姿をしてるお前にも、俺が、させない」
抱きしめて、少年はそれにトドメをさした。
「おはー」
最初に聞いたのは父の声。
かぶりを振って起き上がる。
「終わったのか?」
見れば、少年はまだ眠り続けている。
「うん。朱翠君に精神は戻ってるね。見てごらん」
言われて確認。確かに精神を司る魔力が正常に働いている。
「しかしあれはない」
「ええ? ちゃんと使えてたじゃないか」
司は朱翠の傍らでPDA(携帯情報端末)を操作しながら応える。
司のそれは大戦の頃から愛用する物で、中には多くの魔法知識が詰め込まれ、これを使って新しい魔法を構築したりしている。
「お、おまたせしました」
ラフィルが帰ってきた。
「おかえり。あ、精神見つけて戻し終わっちゃった」
「ええええー!?」
父の告白にラフィルはその場でorzの格好で項垂れた。
「まあまあ、精神戻しただけで肉体への再リンクは完全には終わってないから、そこはラフィルやっちゃってよ」
「ううう、がんばましゅ」
ラフィルは少年の傍らに立って、羽を大きく広げた。
「~♪ ――♪」
天使ではない司やセイジには認識出来ない歌を歌い出す。
羽が純白に輝き出し、やがて朱翠も光に包まれる。光は暖かく、歌は心を静める。
朱翠の瞼が微かに震える。
涙が、落ちた。
そして、その目が開かれる。
「てん……し?」
最初に映るのは聖歌歌う天使。光と暖かさと、一生懸命に歌う姿に目を奪われる。
その暖かさに落ち着き、吐息。
義妹が発するのは裂帛。同じ天使でもここまで違うのかと聞き入ってしまう。
歌が終わり、光が収まる。
朱翠は身を起こした。
「やあ、おはよう」
自分に挨拶をしてきた男を見てすぐに相手が誰なのか思い出す。
「母さんの葬式では、どうも」
両親の知り合いで、父に身元引き受けを頼まれた人だ。
「確か……日崎、さん? 九曜の」
「九曜の、はいらないよ。そっちはこっちの長男に押しつけたから。で、なにがあったか思い出せるかな?」
「はあ。それは……」
あの末広町の事件の日、目を覚ましたら既に町は燃えさかり、力も入らず満足にも動けなかったところを赤黒いコートの男に襲われ、自分をかばった従姉は燃やされ、従姉と一緒にいた幼なじみを逃がした。
その際、全身を切り刻まれたがトドメを刺されずに放置され、従姉の骸を抱いたところあたりから記憶が曖昧だという。
気を失う直前に白い誰かに助けられたことは覚えていた。
「あとは、夢でそちらに……」
「そっか。目を覚ましたというと寝てたのかな?」
「下校途中で新作玄米茶の試飲をした辺りからどうも体調が」
「ハハハ、どう考えても、それだねぇ」
何かしらの毒を盛られたらしい。下手をすれば、先程の化け物はそこから寄生したのかもしれない。
朱翠はセイジに頭を下げる。夢で助けられたことをよく覚えている。そして司から、神州からここへ送ったのもセイジと聞いて、また頭を下げた。
「治癒したのは、そこのラフィルだな」
「柚樹と同じ、天使?」
改めて、ラフィルという天使をマジマジと見つめたら、照れられた。
司に顔を向け、本日何度目かの礼をするために頭を下げる。
「日崎……さんたちには助けてもらってばかりだ。その、本当に、礼……」
「いやいやいや、いいって礼なんて。
とりあえず、葬式の時と同じことを聞くけど――――うちくる?」
確かに同じことを聞かれた。
養子ではない。ホームステイのようなものだと言っていた。
神州を離れ、ミスロジカルで学び、鍛えろと父も言っていた。
自分ではどうしようもなかった状況を打破したのは、彼らで、彼らといることは自分にとってプラスにもなると判断出来る。
(それにもう、帰る場所はない)
伯父が榊の血ほしさに従姉の梢と付けようとしたことは理解しているし、それを責めようとは思わない。少なくとも、一年は本当に家族だった。だが、その家も人も既に亡い。
「俺でよければ」
「よっし、決まり。用事を終えたらさっさと我が家……ああ、いや、学院だねえ」
長期の休みでもないかぎり、マラザイアンの日崎家にはお掃除妖精、シルキーしかいない。父母はミスロジカルの研究施設で寝起きし、兄妹達も寮にいる。
「君の部屋は一年前から確保して、ずっとシルキーのお世話状態だからすぐ入れるよ。
服はとりあえず、学院の制服を用意させよう」
「ありがとうございます、日崎さん。
それで、以前話に出たアレは」
「アレね。もちろん渡すよ。
ってことで、地下格納庫へ行こうか」
地下格納庫と聞くと一つしか思い浮かばない。
「魔剣か?」
「星司君、ヴィクトル君と既に見てきたんでしょ? どうだった?」
「どうと言われてもな。いくらあれが彼に反応しているからといって、人を取り込む物のとこに連れてくのは、な」
「ソードマスターと聖剣魔剣の関係性は常人の及ぶところじゃないんだよねぇ。まあ、大丈夫だよ。そこはメルメルさんとも一致してるから平気かな」
「いつ聞いてもその愛称とあの魔女が合致しないのは何故だろう?」
メルメルさんとは、セイジの両親やその世代の知り合い達が、メルカードの魔女と呼ばれるメルカード財団の総帥を呼ぶ時に使う愛称である。
司は「詳細は行く道で」と三人を地下へと連れ出した。
「朱翠君が神州に狙われたのは、神州とヴァチカンとの政治状況の悪化が関係してるんだ。榊さんは悪化することを見越して、早い内に朱翠君を神州の国外に出そうとしたわけだね」
政治状況の悪化と聞いて、三人が考えるのは一ヶ月前に行われた、神州軍と大中連軍との戦闘である。場所は尖閣諸島。
両軍の戦闘に、大中連と戦時同盟を結んだヴァチカンから正十二使徒カノンが派遣された結果、神州軍が敗北している。
これにより、ヴァチカンへの怒りを燃やした神祇院が裏十二使徒・榊朱禅の息子が神州にいることを突き止め、報復としてこれを殺害しようとしたようだ。
「報復で敵の家族に手を出すなんて」
ひどいとラフィルは言うが、司は首を振る。
「指示したのは神祇院の上だろうね。榊さんの血が有する技能を考えれば、神祇院だってそれはほしいと考える。
でも、朱翠君は聖者とのハーフだけあって、その存在を上の神々が認めたくなかっただけでもあるね」
「聖者の血を引く者――メサイアンか」
セイジは呟いてラフィルを見る。ラフィルはパタパタ飛びながら朱翠を眺めていた。その目に映る感情は……セイジは首を振って顔を背ける。自分では理解出来ないという風に。
「榊の血とは?」
「うん。星司君はデータ見せてもらったでしょ?」
「剣の歌?」
「そう。榊さんの血統は剣に愛され、その力を限界まで引き出す力」
魔剣の石室に入る。
「そしてメサイアンとしての力が呪いに耐え抜く防壁となる。
さあ、朱翠君。これがメルメルさんが見つけ、榊さんが君に渡すことを約束させた、君を全力で呪う(愛する)魔剣だ」
司は呪うことを愛するという。
魔剣は所有者を愛し過ぎて、所有者に栄光を与えた結果、取り殺してしまうものなのだと。
「君、本当にそれを所有するつもりか? 父さんや魔女の戯れ言に付き合うことはないんだぞ?」
「心配ありがとうございます。でも、これは、母の葬式の時に決めてあったことなので」
「そうか」
四人が入り、ヴィクトルもいるので石室は窮屈だ。最大の窮屈原因は、ラフィルの羽なのだが。
ラフィルはハッと気づいて、いそいそと石室を出て入口から中を窺う。
ヒョッコリ頭を覗かせる養女を「かわいいなあ」と眺める養父がいた。
「通報する?」
「勘弁してやれよ。なんか変なことしだしたら、息子の俺が引導渡すから」
ヴィクトルとセイジの会話に、司は遠い目をした。
朱翠が魔剣の前に立つと、剣の振動が強くなりミイラが崩れ去った。
右手で柄を掴む。
「くっ」
剣が勝手に鞘から抜けようとする。これを許してはならない。許せば、支配される。
鞘からは、自分で抜かなければならない。
グッと左手で鞘を掴む。魔剣が大きく、身悶える。今度は抜かせまいと鞘に入ろうとする。
(大丈夫、大丈夫だ)
心で魔剣に語りかける。
グググ、と剣を抜き始める。その瞬間、鞘から赤黒い液体が飛び出し、朱翠の腕に絡みついた。それは先端を鋭くして皮膚に食らいつく。
(ああ、俺はお前の愛を受け入れる。もっと来い)
次々と液体は噴出し足下に血だまりを生み、朱翠を引き込もうとする。液体が外に出る量と反して、鞘から赤黒さが消えていく。
現れるのは、柄の黄金と相対する銀装飾の鞘。
(まだだろ? 俺のことは気にするな。もっと、もっと吐き出せ)
血だまりは身を起こし、朱翠の腹を貫いて潜り込む。腹が、熱い。
徐々に剣を抜いていく。今はまだ半ば。
セイジ達は朱翠の髪が赤く変質するのを見る。
腹が熱く、中で暴虐を尽くし痛みを振りまく呪いに、朱翠は口元を笑みに歪め、剣を抜く。残るは切っ先。
そして、鞘から抜ききって、剣を振り下ろした。
途端、腹の中で暴虐を尽くしていた痛みと熱が消えた。代わりに、目の色が血の色を帯びた。
朱翠は鞘を見る。
(俺にお前は華美過ぎる)
思えば、鞘はただの黒金へと変色する。
(洋剣。それもいいが、俺の使いやすい姿は……分かるだろう?)
剣は長さはそのままに大太刀へと姿を変える。
(さあ、お前の名前を教えてくれ)
魔剣が震える。
「ティルヴィング……嗚呼、良い名だ」
呟き、自らの指から血を与え、鞘に収めた。
髪と眼の色が、黒に戻っていった。
マラザイアンへの直通魔構列車の個室で、セイジとラフィルと朱翠は向かい合って座っていた。
司は人工島でまだやることがあるらしく、この列車には乗っていない。
「朱翠、でいいの?」
「構わない。ラフィル・エル?」
「ラフィル。家族なんだから、そう呼んで」
ラフィルの注意に朱翠は頷く。
「星司さんとあともう一人いると聞いた」
「刹那姉様だよ。姉様は、かっこいいの」
「かっこいい?」
「うん」
うれしそうにラフィルが頷くと羽がピクピク動く。感情に連動もしているようだ。見ているとなかなか面白い。
「朱翠、君の神州での名はなんというんだ?」
「名?」
朱翠は自分の身を見下ろす。
群青のブレザーにグレーのチノパン、ミスロジカル魔導学院の制服だ。天宮学園の制服を含めて所持品はすべて研究所で捨ててきた。
「俺はもう、榊朱翠以外の何者でもない」
「そうか……これからよろしく」
セイジの挨拶に頷く。
魔剣の呪いを受けた影響か、朱翠は少し無口になった。
魔剣を押さえた朱翠はその場でセイジに剣を捧げた。
大したことはしていないと言うセイジだったが、すべては明神裏で助けられてこそだと強情だった。武士道とは報恩に生きてこそだ、と。
どうやら、榊朱禅の教育らしい。
その場は結局、その申し出を受けた。家族として生活していれば、やがて変わるだろうという考えもあった。
「なんにしても、たった二週間で色々変わったもんだな」
セイジは駅弁の蓋を開けて、そう言った。
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