空色
1
「すぅぅっ…」
胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込んだ。
耳をすませば風がさーさーと静かな音を鳴らしている。つい昨日まで聞いていたせわしなく人の流れる音は、ここではもう聞こえないようだ。
「どうだ?
「いいところだね」
「そのうち、店が少ないだの交通の便が悪いだの言い出すんじゃないのか?」
父が私をからかうように言った。それを母は隣で聞いてくすくすと笑っている。
「そんなことないよっ」
今目の前にあるのは懐かしい景色だ。
白塗りの綺麗な家。
横一列に一戸建ての住居が立ち並び、その周囲をほとんど水田が占めている。
見上げれば、遮るものもなく一面に広がる空色。
雲一つない快晴らしい。
たしかにここは田舎だけど、離れていた間もずっと私の記憶に根付いて消えなかった大切な故郷だ。
私はここで生まれ、ここで幼少期を過ごした。
ここを最後に訪れたのは小学生の時以来だが、その時の記憶を高校2年生になった私は案外鮮明に覚えているようだった。
ようやくキミに会えるのかな。
ただただ膨らむばかりの期待感に、私は無意識にスクールバッグのストラップに手を振れた。
「そわそわしすぎよ愛華」
さっきからキョロキョロと辺りを見回したり深呼吸してみたり、とにかく落ち着きがなかった私を、母はくすくすと笑いながら指摘した。
緊張してる?と聞かれたが、そうじゃない。どちらかといえば、期待感の方が大きいのだから。
「だって楽しみなんだもん」
「5年ぶりだものね」
「
父がちらっと隣の家に視線を向けた。
私達の白塗りの家の隣に並ぶ、グレーの家。
そこからドタバタと足音が聞こえてきた。階段を駆け下りる音だ。
それから5秒もしない内に勢いよく開け放たれた扉が、外壁に当たってバンッと大きな音を出した。
「あぁっまたやってもた」
なまったイントネーション。
聞き覚えのない少し高めの男声。
屋内からひょっこりと顔を出したのは、180cmはありそうな高身長に広い肩幅の青年。
ただその体格からは想像し難い、かわいらしいくりくりした黒目が特徴のベビーフェイスは、見覚えのある懐かしい顔だ。
「ソラ、ちゃん?」
私の口からぼそっと発せられた小さな声。
その声を拾った彼は、私を見るなりぱぁっと目を輝かせて勢いよく地面を蹴った。
「あいかぁぁーーっ!」
「っわぁ!?」
突然体当たりの勢いで突進され、その衝撃でふらついた足を咄嗟に踏ん張ると、勢いの止まらない彼にそのまま抱きつかれる形になってしまった。
「ね、俺めっちゃ背伸びた!」
得意気に報告してくる彼は、この家に住んでいた頃いつも私の傍にいた幼馴染み、
あの日、私の東京への引っ越しを寂しがって泣いてくれた、優しくてかわいい親友だ。
「ただいまソラちゃん」
私の声に、彼は嬉しそうにおかえりおかえりと連呼しながら無邪気な笑顔を浮かべる。
まるで、尻尾をふぁさふぁさと振って喜びを表す仔犬みたいだ。
懐かしいな、この感じ。
「本当に、おっきくなったんだねぇ」
昔のように頭をなで回したかったが、残念ながら今のソラちゃんの身長は、私の手が届く隙を与えてはくれないらしい。
「私よりチビちゃんだったはずなのにね」
「今は愛華がチビやな」
「女子の中では高い方ですぅ。ソラちゃんがおっきすぎるんですぅ」
わざとらしく口を尖らす私を見て、ソラちゃんは「なんじゃそりゃ」と言って笑った。
5年経って雰囲気は変わってしまったものの、優しい口調や可愛らしい笑顔は、私がずっと会いたかったソラちゃんのまんまだ。
それが嬉しくて、ついさっきまで考えていた話題を全部忘れてしまった。話したいこと、沢山あったのに。
「望月さーん。この荷物どこにお運びしますー?」
威勢のいい声を出しながら、青い作業着を着た若い青年が、引っ越しトラックの荷台から大きな段ボール箱を運んできた。
確かそれは私の私物が大量に詰められているはずだけど、その青年は程よく黒く焼けた腕でその重そうな箱を軽々と持ち上げている。
「あ、それは2階の奥の部屋に_」
部屋まで案内しようした私は、すぐさま父によって制された。
「あとは父さん達がするから、2人はそろそろ学校に行きなさい」
父に促されるまま腕時計を確認すると、時刻は8時を指している。
4月6日 午前8時
今日は、私がこれから通うことになる高校の始業式の日だ。
今朝方こっちに到着した私は、高校2年生の新学期早々、転入生として登校することになっていた。
まだ通学路すら分からない私の案内はソラちゃんがしてくれるらしい。
「それじゃあ空斗くん、愛華のことよろしくね」
「はい!任してください」
母の目を見てハキハキと返事をし、ソラちゃんは家の前に駐輪してあったシルバーの自転車にまたがった。
「え?私自転車持ってない・・・」
「知ってるよ?」
さも当然のように言って、早く早くと手招きするソラちゃん。
私の肩からスクールバッグを取って自分のリュックサックと共に前かごへ放る。
どういうこと?と慌てて母を見ると、母は両手を顔の前で合わせわざとらしく舌を見せている。
「すまーん、自転車すっかり忘れてたー」
家の中から飛んできた声は、作業着の青年と一緒にダンボール箱を運んでいる最中の父のものだった。
心無しか面白がって笑っているような気が・・・
「乗って乗って」
「え、でも、私重い・・・」
「いーって」
手を引かれ、半ば強引にソラちゃんの後ろに座らされた。
自転車なんて久々だ、まして2人乗りなんて…
「え、ちょっこわ…」
「いやーん青春ねぇ」
第三者である母が一番楽しそうだ。
狼狽える私を気にもとめず、「ほーら行った行った」と手を振って追っ払っている。
「いってきまーす」
元気に答えたのはソラちゃんだった。
間も無くソラちゃんがぐっとペダルを踏み、軽く前進する車体。
「あわわっいってきます!」
慌ててソラちゃんに掴まり態勢を整えると、それを確認してか彼は更にぐぐっとペダルを踏んだ。
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