9話  孤高の愚者と高嶺の花

 青春という文化は時に残酷である。


 選択を間違えた途端に天国は地獄へと変わる。それは些細なキッカケで関係は亀裂が走り、修復が追い付かないほどの最悪な黒歴史は過去を振り返る情けや未来に進む気力さえ根刮ぎ奪っていく。


 例に挙げるとしたら、告白に断られた男子生徒の図が適正なのかもしれない。

 それもリアルタイムで行われている事を。


「ここからだとバレバレなんだよな」


 お茶の紙パックをストローで飲む転校生、新藤弥彦は他人行儀で傍観していた。

 眩しい太陽の日差しが照り付ける。昼休みという時間帯の最中で。


 いつものように恋路部で昼食を取っていた弥彦。

 恋愛に迷える子羊達に手を差し伸ばすボランティア活動部。だが三日天下にしてただの文芸部と化してしまった。


 机に存在するノートパソコンと積み重ねた文庫本が事実を証明する。

 外の世界を切り離す自分だけの居場所。

 そこから見たガラス越しの先にある景色はいつも新鮮だ。


「協調性を欠ける粗末で自己中心な女子高生に、一体どの部分に惹かれたのやら」


 表情を変えずに鼻で笑う。

 見下した鋭い目付きは確実に相手の背筋を凍らせるように貫く。人生の無駄を過ごす彼らの哀れな群青劇の終始を見届けた弥彦は意図も簡単に切り捨てる。同情さえ妥協しない孤独な住人にとって、他人の失恋は狂気の沙汰ほど面白い。


 人間は正直だ。

 他人の不幸を笑い話にしてしまう。


 日の当たらない隅で他人を哄笑する噂好きの連中。モラルの欠けた上下関係のスクールカーストには愛想を尽かす。可愛いっ子振りをした女ほど皮肉を言う。自身の立場が悪いと手の平を返して相手に媚を売るという。それもグループという監獄が仲間の意見さえ柵に囚われてしまうのだから、ヒエラルキーの女王は恐ろしい。


 ランク外の立ち位置にいる転校生にはあまり関係のない話だが。


「明日になれば、嫌でも告白した話は知れ渡るだろうな。これぞまさに生き地獄」


 遅咲きの桜の木の下で落胆する男子。

 それとは裏腹に手を顎に触れては様子を眺めて頷いた弥彦。


 多分だが男子には死角で見えなかったと思うが、告白された女子の方は多少戸惑いながらも、きちんと謝ってその場から逃げるように立ち去った。


 ここまでは当然のシチュエーション。

 しかし問題なのはこの先である。


 立ち去る際に浮かべた女子の表情が、全くの別の人格が乗り移ったようにして強烈で凶暴な悪い笑みを必死に湛えていた事を。


 普通に怖い。

 たとえ外見がどんなに優れても性格が破綻していれば水の泡である。自分の着眼点が最低だと認めたとしても既に遅し。こういう歯止めが効かないヒス乙女はとことん相手を侮辱するため関わらない方がいい。


(とはいえ、信じられる人は限られるワケか……)


 下らない出来事で目の敵にされる人間関係。どうして意識高い系の学生は優劣を決めたがるのか弥彦には分からなかった。


 トップカーストは転落する。

 自分が上に立つ王様や女王だから、優順な僕が裏切るとは考えない。常に先頭で進む人気者だからこそ従者の信用が欠けてしまえば、彼らの存在意義が無くなる。つまりトップカーストでも身分は元々から学生に過ぎないのだ。


 要するにお飯事の上位交換。

 大人に似せた爪先の背伸びは何の意味を持たないというのに。


「この行動が吉と出るか凶が出るか。贅沢な見物だな」


 結局は他人の人生に過ぎず。加担することもなければ関わる運命も存在しない。単純な判断で断ち切れる安い関係を仲間とは呼ばないと知って。


 責任の一つを他人に押し付ける助け合いは、本当にとても胡散臭い。


 人間の醜い部分を見てしまえば信頼は無様に失う。永遠と呼ばない青春に期待を抱いても構わないのだろうか。けれど中身のない会話を聞いていれば、余計に気が滅入るのは、明らかに奴等が原因だ。


 必ず、そうに決まっている。





 通算にして十日目の放課後がやって来た。

 面白みの薄れた即出オチとして、実家のような安心感で定評のあるボランティア活動、恋路部で優雅に時間を過ごしていた新藤弥彦。


 ノートパソコンを操作する彼に対して、少し離れた所でとある客人はイヤホンを耳に当てて楽しそうに音楽を聴いていた。


「ふふふんふんふーん~♪」


 そっと両手で耳元を被せるように、軽やかなリズムに合わせて華奢な身体を揺らす相澤契。椅子に腰掛けており机に置かれた携帯端末から延びるコードは微かに引っ張られている。


 ……もはや優遇されている彼女は部員のように寛いでいた。


 恋愛相談一号にして同じクラスメイトの契。それを知るのに部室の顧問らしくない秦村先生の説明でなんとなく認知しておいた。けれども弥彦の中では認識が薄いので現時点で名字しか覚えていないという致命傷を負うハンデを背負っている。


 何せ生きる世界が至極違うからだ。

 ボブカットで大人しめの少女がトップカーストだとは普通思えないだろう。


「……変な奴」


 たまに視界に映る彼女に向けて具体的な疑問を呟く。

 今は音楽に夢中で耳に入らない様子の契では無反応。返って都合が良い弥彦は正直どうでもいい。部室に居ようが活動に支障は来さない。


 どうせ相談する人は限られており、大体なら来るハズがないからだ。

 怪しい部室と先生にどう信用を預けろと?


 それが妥当な反応だと思う。他人に恋愛を打ち明けるなど黒歴史を晒け出すものなのに。やって退けた契はただの天然か女神の加護を受けているのか。


 弥彦は区別が付かなかった。


「彦くん、どうしたの?」


 うっかり視線を向けていたら彼女の目が合う。契はイヤホンを外してみせては自然と訪ねてくる。怠らない微笑みは誰に対しても友好的だ。


 今時の喧しい女子高生の路線とは懸け外れた男子の理想とも言える契の女性像。派手よりも協調性に評価が高い現代では、人受けの良い性格ほど、他校からの告白が絶えないのは本当のようである。


 パパラッチ擬きのストーカー達の行進には流石に引いた。

 黄昏色の景色はハーメルンの笛吹きを連想しても可笑しくはないくらいに。


「一体どうしたらああいう勘違いを引き連れるようになるんだ?」

「うーん。それが、私もよく分からないの」

「は?」

「中学生の頃はなんとなく過ごしていたんだけど、高校に上がると急に声を掛けられるようになって。授業中に告白された事が一番覚えてるかなー」

「それはただの阿呆だろうが……」


 救いようのないエピソードに頭痛がしてならない。

 相手を選ぶよりも時と場所を考えた方がいいと知らない男子に推奨する。

 というか男馬鹿だな。


「それだけじゃないよ。屋上が14回で校舎の裏が8回だと思う。教室と図書館を合わせたら17回。そして正門前だと50回くらい?」

「何故俺に訪ねてくる必要があるんだ。絶対に覚えてないだろ最後の方」

「やっぱり200回くらいだったかも」

「適当過ぎるだろそれ……」


 呆れて幻滅する弥彦はノートパソコンを操作していた手が止まる。

 茹だるような倦怠感が襲い掛かってきて、遠い目をしては机に肘を付く。


 これと言った特徴がない地味な美少女が、どうして特別な待遇を受けているのだろう。単に性格ではないとしたらその容姿に一体何かしらの惹かれる要素があるというのか。


 生きる時空が違う時点で完膚なきまでに知る権利は多分ないけれど。

 孤高の愚者と高嶺の花は別物であると。

 そう、知った気がした。


 退屈な部長と訳ありの客人がもてなす時間潰しの談話。たとえ同じクラスメイトであっても、所詮はただの仲間に過ぎず。朧気に分かる彼女の名字だけが、弥彦の記憶に収まる。


 騒ぎが静まれば恋路部は静かになると、客観な理想を思っていた矢先に。

 戸を開ける新たな客人が顔を見せてきた。

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