40 共に歩む者

「――すまなかった」


 最奥の間を出てすぐ、深淵に浮かぶ一本の橋の手前で誰からともなく座り込んでいた一行。

 なだれ込むように全員で扉を抜け、そして即座に、叩きつけるように扉を閉ざした後。

 皆の呼吸が落ち着いた辺りで、ヤーヒムが深々と頭を下げた。


 コアとの対面は望んだ結果にはならなかった。

 かつての強力なヴァンパイア、ヴァルトルの末路をまのあたりにした。若干の気になる情報はあるものの、ヴァンチュラのまま色鮮やかに生きられる方法は未だ分からないままだ。


 けれど、目の前には自分にはもったいないほどの素晴らしい仲間達がいる。

 戻ると言った時間を守らなかった自分が、その結果として彼らを危険に晒してまで情報を求めてしまった自分が、どうにもやりきれない思いで一杯だったのだ。


 そして、致死性の危険な呪いに囲まれた皆を見た時の、あの狂おしいまでの感情――ヤーヒムは無言でただただ頭を下げ続けた。


「……まあ、結果として全員無事にここにいる訳だからな。ヤーヒムもあの動き見りゃ一人でちゃんと戻ってこれる場所だったってことだし、俺たちの方こそ余計なことしちまったわ。悪かったな」

「…………」

「いやだからそんな顔すんなって。ああもう、この話は終わりっ」


 座り込んだ地面の後ろをその馬体の尻尾でバンバンと叩き、フーゴは強引に話題を変えた。


「それよりもさ、召喚が止まったってことは、やっぱりコアを討伐したってことか?」

「……ああ」

「おおっ、この短期間にふたつかよ! アマーリエの姫さんもびっくりのペースだわ。なあ?」


 胸に強く手を押し当て無言で俯いていたリーディアがびくりと顔を上げ、殊更はしゃいだ顔で同意を求めるフーゴに曖昧に頷きを返した。


「え、あ、そうね。……でもヤーヒム、貴方を信じてあげられなくてごめんなさい。それとその……助けてくれてありがとう」


 つい、と視線を逸らしたまま、蚊の鳴くような声で話を戻すリーディア。

 一瞬また空気が固くなりかけたが、フーゴが「仕方ねえか」と肩をすくめてヤーヒムに向き直った。


「まあその、なんだ。姫さんは言わなかったけど、お前さんが約束の時間を過ぎても戻ってこなくて、扉の前でもの凄え顔で心配してたんだぜ。それとまあ、ヤーヒムが姫さんを颯爽と助けたのも歴とした事実なんだからよ。だからさ、もうそれでお互いに礼を言って許し合って話を進めようぜ」

「……ああ、そうだな。我こそすまなかったな、リーディア。そして、ありがとう。フーゴも、ダーシャも、リーディアも」

「――っ!」


 これまでとはどこか違う、明らかに一歩距離が縮まったようなヤーヒムの声。

 皆が自分のことを心配してくれたという事実が、彼の胸に沁みわたって温かく満たしたのだ。


 氷のようなアイスブルーの瞳に浮かぶ確かなぬくもりに、息を呑んだリーディアの手が再び強く胸に押し当てられた。生気に満ちた紫水晶の瞳は挙動不審なほどに狼狽え、すぐさま俯いたその可憐な顔を黄金色のしなやかな髪がふわりと隠して――


「ぷっ、ちょっと刺激が強すぎたか? くく、まあその辺で許してやってくれヤーヒム。で、ええと何だったけ。そうそう、コアは持ち帰ってこれたのか?」

「ああ。……見るか?」


 そう言ってヤーヒムはフーゴに向き直り、何も持っていない両手を目の前に突き出した。

 それはひょっとしたら危険なことかもしれない――これまでのヤーヒムならば、見せるのに躊躇いがあったかもしれない。だが少なくとも彼らには、もう隠しごとなどしたくなかった。人によっては悪用し放題の、使い方によっては危険極まりない、このラビリンスで新たに獲得した能力。


 ヤーヒムは突き出した両手に力を集中していく。そして――


 ん?と首を傾げるケンタウロスをよそに、ヤーヒムの体から転移スフィアに似た青く静謐な光が滲み出てきた。


 次の瞬間。

 綺麗に分断された無色透明なコアが、ヤーヒムの両手の上にそれぞれ忽然と出現していた。


「え!? 何だよ今何がどうなって――」

「……まだ我も上手く使いこなせぬ。新たに得た力だ。使い方によっては色々なことが出来よう。……ともあれ、これがここのラビリンスのコアだ。我はもう要らぬ故、処遇は三人で考えればいい」


 ヤーヒムが行ったのは、新たに得た亜空間創造の力の本来に近い使い方だ。

 そう、最奥の間でアイランドスライムに突貫する前、咄嗟に作った巾着袋ほどの亜空間へ実験を兼ねてコアを放り込んでおいたのだ。


 自らが作った亜空間なら再び呼び出して繋げられる。直感的にそれが分かっていたが故に、難敵アイランドスライムに突貫する直前に両手を塞ぐ邪魔なコアをそこに突っ込んでおいたヤーヒム。


 ここまで苦もなく取り出せるとは思っていなかったが、これならば小ぶりのマジックポーチ的な使い方も可能かもしれない――ヤーヒムは新たな能力の使い道にちらりと考えを巡らす。禁制品の密輸や武器の持ち込みなどなど、マジックポーチが厳重にチェックされるような場面も素知らぬ顔で素通りできるのだ。使いようによって途方もない強みとなるのは間違いない。


 けれど、そもそもマジックポーチは空間属性持ちの魔獣、大食漢で有名なアベスカというリス型魔獣の頬袋で出来ているものである。

 空間を司ると言われるほどのヴラヌスの成体ヴルタを二つもその身に取り込んだ今のヤーヒムにとって、出来ても不思議ではない能力、そう言えるのかもしれなかった。


「はあ……。じゃあヤーヒムはコアの能力を少しずつ奪い取っているってことか」


 簡単にあらましを説明されたフーゴが疲れたような顔で首を振った。


「コアをどうするかは置いといて、まあ、ブシェクの時もそう言えば突然霧になれるようになってたしなあ。で、このキレイなコアが出来上がるって訳ね。分かった。分かんねえけど分かったぜ」


 フーゴはヤーヒムが霧化を覚えた際に熱心に検証に付き合っていたリーディアをチラリと見て――さっきの動揺から未だ完全に立ち直っていなかった――、くくっとフーゴらしい磊落な笑みを浮かべ、ヤーヒムに改めて尋ねた。


「んー、じゃあこの後どうする? ここから出るのはどのみち上の階層から誰もいなくなる夜まで待たなきゃいけねえし、ここでちょっとその練習でもして時間潰すか?」

「ああ、それはそれで有り難いが――」


 ヤーヒムは全員の顔を見渡し、そして、それまで大人しく話を聞いていたダーシャに目を止めた。


 ヴァンパイアになり、過酷な移動を乗り越え、今は初めてのラビリンスで凶悪な最奥の間までも経験させてしまった。言いたいこともあっただろうに、ここまでダーシャはヤーヒムに何ひとつ求めることはなかった。


 ヤーヒムの心を温めてくれるのはフーゴやリーディアだけではない。この控え目なダーシャもいつしか彼の中でかけがいのない存在となっており、大切な相手なのだ。ちょうどよい機会だ、頭にそんな考えが浮かぶ。


 ヤーヒムはダーシャに正面から向き直り、じっとその目を見詰めた。


「――傭兵として学ぶのも良いが、ヴァンパイアとしての戦い方も覚えておくか?」


 ヤーヒムに良く似たダーシャのアイスブルーの瞳が驚きに染まる。そしてそれはみるみるうちに喜びへと変わっていく。


「うんっ」


 真祖直系であるヤーヒムの子、紛うことなき貴種ヴァンパイアである夜の姫君は、咲き誇る白百合のような笑顔で大きく頷いた。


 ……よかった。間違ってはいないようだ。


 こうして一歩一歩距離を縮めていこう、ヤーヒムは自らの内に沁みあがるぬくもりを噛みしめつつ、そう心に決めた。




  ◆  ◆  ◆




「……ダーシャ、やってみるか?」

「うんっ」


 翌日の早朝、霊峰チェカルの山の中。

 前日深夜に無事<呪いの迷宮>を脱出してきたヤーヒム達一行は、馬たちがいる宿営地に戻って休息を取っていた。リーディアのスレイプニルもヤーヒムの軍馬も問題なく石壁の囲みの中で草を食んでおり、魔獣避けの香が充分な役割を果たしたのだろう。


 昨日の午後いっぱいかけて最奥の間の扉の前でヤーヒムにヴァンパイアとしての手解きを受けたダーシャだが、そのヴァンパイアとしての素質は凄まじいものがあった。

 ヴァンパイアとしての呼吸法や身体への力の流し方を少しヤーヒムが解説するだけであっという間に己の物とし、爪を伸ばすことはまだ覚束ないものの、素の爪でのヴァンパイアネイルの発動まで出来るようになっている。


 本人もよほど嬉しかったのだろうか、<呪いの迷宮>から出て一晩が経った今朝も早くから起き出し、ヤーヒムから教わったことの復習に余念がない。

 こっそりそれを見守っていたヤーヒムが野生の魔獣の接近に気付き、未だ眠っているフーゴとリーディアの朝食として狩ろうと動き出したのだが――


「やあっ!」


 ダーシャが見事な体捌きでその山羊型の魔獣の突進を去なし、すれ違いざまに首筋に鋭い蒼光を走らせた。

 拙いながらも本物のヴァンパイアネイルだ。高位ヴァンパイアの代名詞ともいえるダーシャのそれは、一本一本の長さこそ短いものの鮮やかな五本二対の軌跡を残し、魔獣の首から鮮血を噴き出させている。


「まだまだ!」


 致命傷でない事が悔しいのか、ダーシャは猛然と追撃をしていく。早朝の凛とした空気に次々と描かれる蒼光の軌跡。

 覚えたてでここまで連続した攻撃を維持できるのは、ヤーヒムがラドミーラに教わった頃には出来なかったことだ。間もなく哀れな獲物はどうっと音を立てて倒れ込み、ダーシャが荒い息を吐いてヤーヒムを振り返った。


「……よくやった。ダーシャは覚えがいい」

「本当? や、やった」


 良く似たアイスブルーの瞳で控えめに微笑み合うヤーヒムとダーシャ。急速に縮まった二人の距離感は、知らぬ者が見たら血の繋がった親子にしか見えないだろう。

 ヴァンパイアとしては確かに血の系譜が繋がっており、親と子と言っても間違いではないのだが。


「……血を飲んでみるか?」


 斃れた魔獣に歩み寄ったヤーヒムが躊躇いがちに尋ねると、ダーシャは困ったように首を振った。


「ううん、私は血より普通に料理したお肉の方がおいしいから……」


 そこでダーシャはハッと顔を上げた。


「で、でも、あの……と、父さんの血なら飲みたい。初めに飲んだあれ、すごくおいしかったし……だ、駄目だよね」


 恥ずかしそうに、だがどこか物欲しそうな上目遣いでヤーヒムを見上げ、そして目を伏せるダーシャ。

 ヤーヒムは自分が正面から父と呼ばれたことで波立つ心を強いて隠しながら、未だ牙の発達していないダーシャのため、左手首を己のヴァンパイアネイルで軽く切り裂いて無言で差し出した。


「ありがとう父さんっ!」


 乳飲み子が母親の乳に吸いつくように自然な動作で、ダーシャはヤーヒムの手首にその優美な口を沿わせた。


 右の手指をヤーヒムの左手のそれと絡めるように繋ぎ、ヤーヒムの血をこくりこくりと嚥下するにつれて艶めかしく上下するダーシャの唇。

 ヤーヒムは空いている右手で理由もなくダーシャの素直な黒絹の髪を撫でた。己が血を初々しく求めるダーシャ、その存在が途方もなく大切に感じられたからだ。


 ……ヴァンパイア、か。


 ヤーヒムの脳裏に、昨日自分の手で屠ったヴルタ、かつての同朋ヴァルトルのなれの果ての姿が甦る。

 結局、望んだ情報は得られなかった。手にした情報も、今ひとつ意味がはっきりしないものばかりだ。ヤーヒムが特別に創られた存在だとか、それが系譜を壊すだとか……そして、遥か以前に滅んだはずのラドミーラと同格の真祖、ジガの名前も出てきた。


 そして、久しぶりにその感情を露わにした左手の甲に同化するラドミーラの紅玉のことも気になっていた。


 あれからまた緩やかな睡眠状態に戻ってしまっている。ここ半月という短い間に、ヤーヒムを取り巻く環境は大きく変わった。少なくとも二つの勢力から追われ、けれど信頼できる仲間も出来た。

 昨日のヴァルトルが漏らした言葉を聞いてから、自分は間違っていないだろうか、このまま進んでいって良いのだろうか――そんな不安に近い何かがじわじわと心の底でうごめいている。


 例えばこの眼前のダーシャ。


 ヴァンパイアにされたことを恨みもせず、積極的にヤーヒムに向き合ってくれている。

 素直で、控え目で、ヴァンパイアの子として乳飲み子のように己が血を求めてくる。自分のことばかりでなく、ヴァンパイアの先達として親として、このダーシャも笑って生を送れるよう導いていってやりたい――ヤーヒムはダーシャの髪を撫でながら、そんな自分の想いを改めて噛み締める。


 そしてそれはなぜか、けして負担に感じるものではなかった。

 それどころか、ヤーヒムの心に温かい新たな力をもたらしてくれている。不思議な体験だった。


「――んん……ごちそうさまです。えへへ、うまく言えないけど、やっぱり父さんの血は素敵。あのパウエルの宿以来だけど、体の奥の方がものすごく満たされた感じ」


 鮮血に染まった口をどこからか取り出した手巾で淑やかに拭いながら、ダーシャはあどけなく笑う。その白く細い首筋からダーシャ自身の清澄な血の香りがふわりと漂い……その甘美な誘惑をヤーヒムは即座に振り払った。ダーシャの髪を最後にもうひと撫でして、ゆっくりと手を離す。

 何か言葉を掛けようとして――



「おー、いねえと思ったら二人して外か。おはようさん」 



 ――宿営地の石壁の脇からフーゴの声がした。リーディアと並んで、伸びをしながら歩いてきていた。


 ヤーヒムはリーディアと昨夜、遅くまで二人で語り合っている。ヤーヒムの過去のあれこれをすべて打ち明けたのだ。

 どうしてそんな流れになったのかは良く分からないが、ヤーヒムとしてはリーディアには一度話しておきたいと思っていたことだ。そんな話をリーディアは嫌な顔ひとつせずに聞いてくれ、最後には少し距離が縮まった気がしたものだったのだが。


 それから一夜が明けた。


 ヤーヒムは話し過ぎたか、という今更ながらの強烈な後悔と共に視界に入ってきたリーディアを見遣ったが、そのハイエルフの血を引く可憐な顔には普段どおりの柔らかな微笑みが浮かんでいる。むしろ、より溌剌として生気が増したというか、はち切れんばかりの弾むような何かがその足取りに加わっている。


 距離を置かれることはないようだ――ヤーヒムはほっと安堵の息を漏らし、そんなリーディアに「……おはよう」と声をかけた。


「おはようヤーヒム! おはようダーシャ――あら、練習を見てもらってたの? うふふ、良かったわね」

「うんっ。……あ、おはようリーナ姉さん、おはようフーゴさん」

「おう、おはようさん。てか、こりゃ朝っぱらからヘイズルーンじゃねえか。嬢ちゃんが倒したのか? こいつの乳は蜜酒になってて旨いんだぜ。でかした」


 んふふふ、と急に上機嫌になったフーゴが横たわる山羊の魔獣に覆いかぶさり、馬腹に下げていたフラスコのひとつを受け皿にして乳を絞り始めた。


「この乳は倒してすぐじゃねえと採れなくてなあ、ヘイズルーンの乳酒といえばひと口で金貨一枚はするんだ。おおお、いい匂いがぷんぷんとー!」

「ちょっとフーゴ、倒したダーシャにもちゃんと飲ませてあげるのよ? ヤーヒムにもだからね。というか、何でさり気なく自分のフラスコに全部入れてるの!」

「がはは、バレたか。もちろん嬢ちゃんが一番に飲んでいいからな。ほれ」


 ダーシャがなみなみと乳酒が溜まった一本目のフラスコを興味津々の眼差しで受け取り、匂いを嗅いで……顔をしかめた。


「ううう、私、これはちょっと苦手かも。リーナ姉さんに全部あげる」

「え、本当? すごく美味しいのに」

「うん、さっきもっと素敵なの飲んだから……あれの後だとどうしても比べちゃうのかも」

「おお? なんだよ、そいつ以上に素敵な酒だと? ちょっと聞き捨てならねえぞ嬢ちゃん!」

「え、お酒じゃないよ。でも、ある意味お酒みたいなものかも。これ以上は……秘密」


 うふふ、と楽しそうに笑うダーシャを、フーゴとリーディアが狐につままれたような顔で眺めている。


「さ、みんな朝ご飯の支度しよ? 今日は朝一番で追手の状況を確かめにファルタの街に行く、フーゴさんそう言ってなかったっけ」

「ま、まあ酒じゃないならいいか。よし、行動開始すっか。幸い今日は名物の霧も出てねえし、遠くからでもある程度は見極められそうだしな。ヤーヒム、悪りいけどこのヘイズルーンの血抜きを頼めるか? こいつは肉も極上だぞー」

「あら、そうしたらダーシャは私と火を熾して、スープでも作ってようか。美味しいの作ろうね! たしかパイエルで買い溜めした野菜もまだマジックポーチに――」


 ダーシャの魔獣討伐から始まった一行の朝は、和やかな笑い声と共に動き始めた。

 ヤーヒムは斃れた魔獣の血をひと舐めし――確かに芳醇な酒の風味があったが死獣の苦味は変わらなかった――、彼らのために近くの木にぶら下げて首を落としながら思う。


 囚われていた地下牢から脱出し、ヤーヒムを取り巻く環境は大きく変わった。

 ブシェクのラビリンスに逃げ込んだ時は、自分がこうして心を許せる仲間と共に旅をするなどということは予想だにしていなかった。けれど――


 磊落なケンタウロスのフーゴ。

 その明るさと心配りに何度ヤーヒムは救われたことか。


 あの地下牢で出会った忌み子のダーシャ。

 奇しくもヤーヒムのヴァンパイアの子となり、もはや捨て置くことなどできない大切な存在だ。


 そして、リーディア。

 いつしか妹のユーリア以上に大きな存在となっていた、紫水晶の瞳を持つ可憐なハイエルフの末裔。


 他にも同行はしていないが、辺境の姫将軍アマーリエやマクシム他の<ザヴジェルの刺剣>の騎士の面々、彼らも心を許せる大切な仲間だ。――全員が全員、自分の凍てついた心にあたたかな感情をもたらしてくれる、かけがえのない存在になっている。


 彼らと過ごすこのひと時。

 ヤーヒムにとってそれは眩いほど色鮮やかで、いつしか何にも替えがたい宝物となっている。


 この先もヴァンパイアである自分に向け、執拗に追手がつきまとう厳しい生活が続くだろう。

 他のヴァンパイアに巡り合うのは望み薄かもしれない。なにしろ強大なコミュニティを率いていたヴァルトルですら狩られて行き場をなくし、怨念に凝り固まったヴルタになっていたのだ。


 けれど、そのヴァルトルから遥か以前に滅んだはずのラドミーラと同格の真祖、ジガの名前が出てきた。

 そして今ひとつ意味がはっきりしないものの、ヤーヒムが特別に創られた存在だとか、それが系譜を壊すだとか、何やら意味ありげな言葉もあった。


 それらは、ヤーヒムの遥かなる望み――冷たく無機質な結晶ヴルタにならなくとも、ヴァンチュラのまま色鮮やかに生きられる道を探していく――への、微かな手掛かりとなりそうなものだ。


 人間社会に追われるのは元より覚悟していたこと。

 ありがたいことに、今の自分にはリーディアやダーシャ、フーゴといった仲間がいる。そして、かつての自分には想像もできない程に色鮮やかな時間が流れてもいる。彼らに迷惑をかけることは絶対に避けたいが、それは自分を果てしなく強くしてくれるものなのだ。




「――おおーいヤーヒム、血抜きの処理が終わってんならこの後どうすっか軽く相談しようぜ」




 物思いに耽っていたヤーヒムの意識を、フーゴの明るい呼び声が現実へと引き戻した。


「ねえヤーヒム、このスープちょっと味見してくれない? ヤーヒムに飲んでもらいたいってダーシャが頑張ったのよ」

「リ、リーナ姉さんそれは内緒って――」


 視線を上げた先にあるのは、ヤーヒムが忘れていた、人間時代の父母と妹と過ごした家族の記憶を呼び覚ますようなあたたかい光景。


 今日この後は、追手の状況を確かめにファルタの街に行く予定だ。

 そして追手を躱しつつ最終的に目指すのは、ヤーヒムとダーシャを受け入れてくれる望みのある、辺境の新天地ザヴジェル。


 そうだ。

 ヤーヒムは小さく息を吐いた。


 ヴァンパイアとしての子であるダーシャはもちろんのこと、リーディアもフーゴもヤーヒムの中ではもはや家族なのだ。いつしか無条件で信頼し、彼らのためなら何を差し出しても惜しくない相手となっている。彼らと新天地で暮らしていければ、それはヤーヒムにとって――



 これからは彼らと共に歩んでいく。



 容易いことではないだろう。いくら実力主義の辺境の地とはいえ、自分も含めヴァンパイアとなったダーシャをどこまで寛容に受け入れてくれるかは未知数だ。追手の問題もあるし、自らの血に含まれるブラディポーションの秘密という爆弾もある。

 かの地で強い影響力を持つアマーリエという心強い存在もいるが、彼女は彼女の立場があることを忘れてはいけない。高名な一族であるリーディアについても同様だ。フーゴに対しても勿論、迷惑をかけることだけは避けなくてはいけない。


 ひょっとしたら、皆の厚意はありがたく受け取りつつも、どこかで道を違えざるを得ない将来もあるかもしれない。

 何より、全てが上手く行ったとしても、ダーシャを除けばそもそも寿命からして違うのだ。


 けれど、今、このひと時だけは。


 彼らと共に色鮮やかな生を送りながら、ヴルタにならず、ヴァンチュラのまま生きられる道を探していく。

 他のヴァンパイアも滅亡したと決まった訳ではなく、昨日の戦いでヴァルトルが漏らした真祖ジガの件もある。ザヴジェルに行くことで、その探索は少しだけ遠回りになるかもしれない。


 胸の奥底のどこか深い所では、これが近道だと遠く仄かに囁く声もある。

 何より、今のヤーヒムにとって――



「――今行く」



 ヤーヒムは力強く答え、新たな家族と思える仲間、自らの心に彩りと強さをもたらしてくれるかけがえのない人々の元へと歩き出した。


 誰かと共に生きるということ。

 それは厳しくも鮮やかな道のり。


 ヤーヒムの左手の甲、指ぬき手袋の下に隠れたラドミーラの紅玉が、ふわりと柔らかく脈打ったような気がした。

 それはまるで、懐かしきラドミーラの微笑みを思い出させるような、どこまでも優しい感触だった。






< 叛逆のヴァンパイア 第二部「Vampire & Throngs」・了 >


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