36 新たな目的地
「どうダーシャ、もうちょっと食べる? そっちのお肉も美味しそうよ?」
「ううん、もうお腹いっぱい……」
午後も半ばを過ぎ、無事に目を醒ましたダーシャはヤーヒム達三人と食卓を囲んでいた。
心配されていた腕はすっかり人と同じ見た目となっており、本人に違和感もなく動作も問題ないようだ。ダーシャが空腹を訴えたこともあり、とりあえずのお祝いを兼ねてリーディアが宿に料理を依頼したのだが。
「……味はどうだ? 以前と比べて満足感が薄かったりはしないか?」
豪華な料理を前にしたヤーヒムとリーディアが必要以上にダーシャを構っているのは、人間の料理に対するダーシャの反応と、そのヴァンパイア化の深さがどうしても気になってしまっているからだ。
ヤーヒムの感覚では、眷属を通り越して一気に独立したヴァンパイア――それもかなり強力な個体――になったように感じているのだが、どうもそれだけではない気配があった。まずは人間の食事をどう感じるか、味覚に違和感はあるのか、やはり血でなければ食事たりえないのか、その辺りを同様に気にかけているらしいリーディアと阿吽の呼吸で、さり気なく確かめようとしているのだが――
「――こらお前さんたち、病み上がりの嬢ちゃんに食わせ過ぎだ。お祝いなんだからそれぞれのペースで楽しく食おうぜ、なあ嬢ちゃん?」
「うん……こんなにおいしい料理がたくさん食べられるのは嬉しいけど……」
そこでハッと自分の過ちに気付き、頭を振りながらダーシャに謝るリーディア。
「そうね、ごめんねダーシャ、フーゴの言うとおりね。言い訳をするとちょっと気になっちゃったの、その、ダーシャが普通の料理で喜ぶかどうか」
「あ……」
ダーシャにもリーディアが言わんとしていることが伝わったのだろう、チラリとヤーヒムを盗み見て、慌てて視線を逸らせた。そして、しょんぼりと俯いて気まずそうにリーディアに報告する。
「あの、どれも本当においしかったというか、もうお腹いっぱいでしばらく何も食べなくて充分というか……あの、もしかして私、ヴァンパイアになれなかった、とか……?」
がっくりと肩を落として口ごもるダーシャに、ヤーヒムが「それはない」といつになくきっぱりと断言した。
「同族であり、親である我には分かる。ダーシャは高位のヴァンパイアだ」
よく似たアイスブルーの瞳をまっすぐに見合わせ、強い口調で宣言するヤーヒム。
ダーシャはほっとしたように肩の力を抜き、小さく溜息を吐いた。
「……ただどうも普通とは異なる気配があるのだ。普通とは違うやり方でヴァンパイアになったのだから当然ともいえるが、どこが違うか観察するような眼差しになってしまった。――すまない」
「あ、いや、そんな……」
そこで会話が途切れ、妙な方向に行きそうになった空気をフーゴが新たな話題で追い払った。
卓に残った肉料理をひと切れ、豪快に口に運びながら気楽な口調でヤーヒムに尋ねる。
「それはそうと、ダーシャが高位のヴァンパイアってんなら、ちなみにひょっとしてお前さんもそうだったり?」
「……ああ。我の親は
「ぬおっ! まさかの直系かよ! なななな、とんでもねえ話だぞそりゃ! け、敬語とか使った方がいいか!?」
泡を喰って肉を放り出し、慌てて立ち上がろうとするフーゴ。が、長大な馬体が料理の並んだ卓を激しく揺らし、更に混乱に拍車をかけている。
リーディアやダーシャも目を丸くしてヤーヒムを見詰めている。種族の祖に連なる存在など、彼らの感覚では王族ですら足元にも及ばない存在なのだ。自らの種族の祖を神の眷属として崇めている亜人族も多い。その直接の子など――
「――寿命のないヴァンパイアは人族と事情が違う。敬語など全くもって不要だ。これまでどおりで頼む。真祖当人ならまだしも、ヴァンパイアに身分などはない」
「ま、まあ、そういうことなら……。ねえヤーヒム、あなた何歳なの? ダーシャも知りたいでしょう?」
控え目ながらも紛れもない好奇心をその新しいアイスブルーの瞳に宿し、ダーシャもこくりと頷いた。
ハイエルフの血を引く華やかなリーディアと、ヴァンパイアとなり夜の姫君のような容姿になったダーシャ。先程はリーディアのささやかな行き過ぎもあったが、対称的な容貌の二人は姉妹のように仲が良い。間に揺るぎない信頼関係があるのだろう。そんな二人に見詰められたヤーヒムは仄かな羨望の念を感じつつ、正直に己の年齢を口にした。
「……二百と少々、といった辺りであろう。アンブロシュが未だ王国として存在していた時代、そこで生を受けた。だが、ヴァンパイアとしては未だ駆け出し者にすぎぬ」
「そ、そうなんだ。でもそれなら……」
少し放心したような顔でダーシャと顔を見合わせ、誤魔化すように卓の上の惨状を片付け始めるリーディア。
彼女のシェダ一族はハイエルフの血を引く一族であり、血が濃く出た者は二百歳程度まで長生きする場合も多い。そういった意味ではヤーヒムの年齢はまだリーディアの理解に収まる、それが救いであった。
「アンブロシュって言えば、じゃあお前さんのアンブロシュ剣術はそこで身に付けた訳だ。何度か見せてくれた複雑な敬礼もそういうことか?」
「ああ。当時は正派などというものはなく、騎士団に属するものは全員が同じ剣術を使っていた。敬礼もそう、いや、あれは上級騎士限定だったか」
ヤーヒムは懐かしそうに目を細め、遥か昔に感じる当時に思いを馳せた。
あのまま人間でいれば、近衛騎士だったのか――。
――だが、人間でなくなったからこそ、今この場でこの面々と過ごしている。悪いことばかりではない。
とりとめもなくそんなことを想うヤーヒムの知覚に、ひとつの不審な気配が侵入してきた。
位置は部屋の外の廊下。警戒を怠らず使用を続けていた【ゾーン】の空間把握の認識範囲に、不自然な違和感を放つマジックポーチがひとつ、宿の廊下をヤーヒム達が宿泊する続き部屋の扉へと近付いてきたのだ。
無言で立ち上がり、壁際に立てかけていた剣を手に音もなく扉へとにじり寄るヤーヒム。その行動の意味を察したフーゴも自分のハルバードを手繰り寄せ、リーディアは人差し指を口に当ててダーシャに注意を促している。
マジックポーチは内部に独自の空間を内包するため、【ゾーン】の空間認識上では非常に目立つ。
そしてそれなりに高価な品物のため、常時持ち歩くのは裕福な者か、行商人のように商売上の理由がある者、そうでなければ予備の武器や回復薬などを常備しようと考える、戦いを生業にした者に限られる。それは当然かなりの腕利きの部類だ。
今、廊下にいるのは宿の従業員という可能性もあるが、彼らはマジックポーチなど持たない。ヤーヒム達に来客の予定もない。となれば最もありそうなのは執拗に迫ってくるヤーヒムの追手。
裏社会のゼフトなり、王家のトゥマ・ルカなり、そのあたりの構成員ならほぼ間違いなくマジックポーチを肌身離さず持っているだろう。
「…………」
唐突に訪れた沈黙の中、廊下を移動するマジックポーチはヤーヒムが剣を構える扉の向こう側で止まった。
「…………」
汗ばむような静けさが続き、やがて扉の向こうのマジックポーチは階段の方へと戻っていった。
「……とりあえずは大丈夫だ。帰っていった。扉に何かされたかもしれぬが」
「ちらっと言ってた追手ってやつか? のんびりもしてらんねえってことか」
「……すまない」
「姫さん、盗み聞きを遮断する魔法って使えるか? 扉は後で確かめるとして、ちょっとこの後どうするか相談しようぜ」
フーゴの言葉にリーディアが小さく頷き、数秒後には見えない風の膜が彼らを包んだ。
◆ ◆ ◆
「それにしてもしつこい奴らだな」
居間に移動して額を寄せる四人。眉間に皺を寄せて鼻息を荒くしているのはフーゴだ。
「ブシェクのラビリンスを出た時に囲んできた奴らだろ。あの時はヤーヒムの機転で姿を見られる前に囲みを抜けてったけど、さすがにもう俺たちとヤーヒムの繋がりがバレてると思った方がいいな」
「……すまない」
「いいのよ気にしないで。街道の目立つところで私たちがヤーヒムに助けを求めたんだし。そうね、急いでザヴジェルに入ればそうそう手出しもできなくなると思うんだけど」
リーディアがダーシャの頭を優しく撫でつつ、フーゴにその紫水晶の瞳を向けた。
「ううーん、このしつこさだと向こうでも見境なく仕掛けてくる気がしないでもないんだよなあ。例のブラディポーション絡みの奴らだろ?」
腕組みをして口をへの字に曲げるフーゴ。
「……そうだ、まっすぐザヴジェルには行かないで、ちょっと寄り道して追手を撒いてかねえか?」
ポンと手を叩くと同時にブンとその馬体の尻尾を振ったフーゴが、頭に浮かんだアイデアを勢いよく説明し始めた。
フーゴが言うには、このままドウベク街道を素直に北上するのではなく、ここパイエルの街から東に逸れてみてはどうかとのこと。
東に行くと馬車で五日ほどのところに霊峰チェカルがそびえ立っている。目的はその麓にある古代迷宮群だ。さすがにまだコアが生きているものは少ないが、資源はまだまだ産出されており、ブシェクに近い賑わいがあるという。
「そこに紛れて撒いちまうのさ。あそこにはブシェクと違って小規模のラビリンスがゴマンとある。うまくやりゃどこに入ったのかは隠せるし、そうなりゃ探しようもねえ。どこに入ったか分からない上にどこにも入ってない可能性もあるとくりゃ、奴らも頭を抱えるってもんだ」
そうして姿をくらませて、そのままこっそり更に東の海を目指す。そこから船を乗り継いで海路でザヴジェルへ向かえばいい、という。
それに、とフーゴはにやりと笑う。
「そこの古代迷宮群にはちょっと気になってる新しいラビリンスがあるんだわ。今まで行く機会がなかったんだけど、発見されたのはたかだか三十年前って話だ。当然コアも生きてるぞ? 階層も三つしかないっていうし、行ってみたくねえか、なあヤーヒム?」
「生きているコア、か」
ヤーヒムには悪くない提案に思えた。ブシェクで追手に追いつかれたのは、ひとつしかないラビリンスの出口で待っていれば良いだけだったからだ。フーゴの言うとおり多くのラビリンスがあればそれだけで相手も途方に暮れることだろう。
それに、新たなラビリンスコアを取り込めば自身の強化に繋がる。ダーシャという守るべき存在を得た彼としては是非とも達成しておきたい案件だ。
問題はその新しいラビリンスに潜っている間、ダーシャをどうするかだ。本人は戦闘もこなす傭兵になりたがっているようだが――
「あ、あのっ! そのラビリンス、私も入りたい、です! わ、若いラビリンスならそんなに魔獣も多くないっていうし、私、強くなって、その……だ、駄目だよね……」
案の定、ダーシャがそんな事を言い出した。ヤーヒムの目には妙な焦りがあるようにすら感じられる。周囲のリーディアやフーゴも同様のことを感じているようだ。
「うーん、嬢ちゃんにはまだラビリンスは早いかなあ――あ、でも噂が本当ならちょうどいいのか。百枚の金貨も一本の弓矢からって言うしな。うんうん、初めはちょっと怖いかもしれねえけど、三層しかないラビリンスってのはあそこだけだ。よし、いっちょ挑戦してみるか」
「――ちょっとフーゴ、勝手に決めないでよ!」
慎重に考えるべき育成問題を独断で決め、満足そうに頷くフーゴにリーディアが大声を上げた。ヤーヒムも全く同じ気持ちだ。リーディアが言っていなければヤーヒムが止めに入っていたに違いない。
「まあまあ、話を聞けって。噂じゃそこはちょいと変わったいわく付きのラビリンスでな。なんでも三十年前、当時のヴァンパイア狩りに追われたヴァンパイアの親分が――」
ガタリ。
ヤーヒムが椅子を倒して立ち上がった。
「――ああすまんヤーヒム、かなり眉唾モンの噂話なんで座って続きを聞いてくれ。最後まで聞けば鼻で笑いたくなる話だ」
「……すまない。続きを頼む」
沸き立つ胸中を深呼吸で抑え、ゆっくりと腰掛け直すヤーヒム。
「ああ、それでな、追い詰められたそのヴァンパイアが霊峰チェカルに祈りを捧げた瞬間、ピカリ!て雷が落ちてその場にいた全員が消えちまったんだと。ただひとつ残ったのがそのラビリンス、<呪いの迷宮>て訳だ」
「…………」
「ラビリンスの誕生話はいろいろあるけど、これはなあ。そもそもその頃はもう巷のヴァンパイアなんて噂もなかったって言うし、ヴァンパイア狩りの連中だって表立って残ってるのは皆無だったらしいからな。ま、怖い怖いヴァンパイアと謎だらけのラビリンスとを無理やり結びつけただけのおとぎ話さ」
フーゴはさもおかしそうに語るが、ヤーヒムはそれどころではない。ヴァンパイアこそラビリンスの幼生だと知っているのだ。
もしかしたらこの話の元となった出来事が実際に――そうだとしたら少なくとも三十年前まではヴァンパイアがこの世に残って――
「でな、そういう事があってその<呪いの迷宮>には強い魔獣は出ない。なんでも、霊峰チェカルがそのヴァンパイアに力を貸してラビリンスにしたんだから、霊峰チェカルの山麓に実在する弱めの魔獣しか呼べないんだと。聞いた話じゃ地元の駆け出しディガー――迷宮採掘者が練習に潜ってるらしい」
「それならまあ、ダーシャにもちょうどいいのかな。でも<呪いの迷宮>なんて、なんだかおっかない通称ね……」
激しく動揺し、内心で様々な可能性の吟味を続けるヤーヒムをよそに、リーディアとフーゴは着々と話を進めて行っている。
「ああ、おとぎ話じゃそのヴァンパイアの呪いって言ってるけど、中のいかにもな雰囲気がその名前の本当の理由らしいぞ? ま、コアがまだ討伐されてないから最奥の間はさすがに難関なんだろうけど、そこさえ入らなければダーシャのいい練習になりそうなんだよな。せっかくだから俺だけでもコアには挑戦してみてえけどよ」
「まったく、これだから男の傭兵は……」
「――我もそのコアに挑戦する」
「え、ちょっとヤーヒムまで!?」
「お、さすがヤーヒム、浪漫が分かる」
二者二様の反応と、今ひとつ話が理解しきれていないダーシャを前に、ヤーヒムはそのアイスブルーの瞳に強い渇望を浮かべて立ち上がった。
ブシェクのコアとは会話が可能だった。もしフーゴの言う「おとぎ話」が真実ならば、つい三十年前まで生き残っていたヴァンパイアの話を聞くまたとない機会ではないか。
「すまないがこれは譲れぬ。リーディア、最奥の間の前までは四人で行こう。そこでダーシャと待っていてくれぬか? 頼む」
「ま、まあ地元のディガーの練習台になるような場所なら私一人でダーシャと待っていられるけど……ヤーヒムがそこまで言うなら、まあ……その代わり無理そうだったらすぐに戻ってくるのよ? それが条件」
「なんだよ姫さん、俺の時と随分対応が違うじゃねえか。ほー、そーいうことかー」
「ちょ、ちょっとフーゴうるさい!」
「くかか、こりゃ失礼。ま、なんだかみんな乗り気みてえだけど、この後は東に動いて霊峰チェカルで追手を撒く。そういう方針でいいか?」
力強く頷くヤーヒム、大きな紫水晶の瞳でフーゴを睨みつけているが反対はしないリーディア、そしてそれを見ておずおずと賛意を示すダーシャ。
「よおし、じゃそこまでせいぜい派手に移動して、盛大に追手を引き連れていってやろうぜ。出発は明日の朝だ!」
―次話『霊峰チェカル』―
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