第五章

第1話 前哨戦――魔王 vs「不潔な鴉」

 街に内緒で敷設した探知結界に、不穏な存在を感知したのが昨日の事。

 それからずっと追跡し、目的が何かを探り続けた。人数は十人。全員男。身なりは軽装。魔力はティルよりも下。武器は外見だけで判断すると短剣のみ。顔は布で隠れているため人相はわからない。夜がそれに拍車をかけていた。

 街の裏路地を無音かつ高速で移動しているため住民に気付く者は皆無。街を警邏している武士たちにも気付いている者はいないようだ。隠密性に関してはティルと並ぶようだ。……武士どもが無能というわけではないと信じたい。

 目的はいまだわからない。大巫女なのか、ティルなのか。俺やミルティナも十分に狙われる可能性がある。狙われないのは弟子とフレイくらいだろう。


「兄様、例の者達は?」

「街の中心へと移動している。おそらく情報収集していたのだろうが、俺達の情報は下層には届かない。早々に街での活動を切り上げてこちらに接近してくるだろう」

「大きな戦闘の前の肩慣らしになれば良いのですが……」


 ミルティナは隣に移動したかと思うと、こちらの肩に頭を乗せてきた。そのまま上目遣いでこちらを見ながら言葉を続ける。


「私は今、とても嬉しく思っています。兄様と共に、兄様のために、兄様の敵をこの手で屠ることが出来るのですから。これからは決して、兄様の元から離れません」

「……すまなかったな。あの時は助けてやれなくて」

「いえ、あれは私の力不足です。兄様が御気になさることではありません」

「いや、気にするさ。お前の封印をもっと前に解除してやれていれば、捕まることも、敵の駒になることもなかったはずだ」

「兄様のその御言葉だけで十分です」


 ミルティナはそれだけ言うと目を閉じ、こちらに体重を預けてきた。

 こんな兄を信じて付いて来てくれる健気な妹。今も秘密を語らない不誠実な兄を、それでも黙って待ち続けてくれる。俺には勿体無いほど出来た妹だよ、お前は。


 ミルティナに眠りの魔法をかけて部屋に運び込んでから、人気のない建物の中に移動した。この程度、妹の手を煩わせるまでもない。


「面倒事を次から次へと……本当に目障りな存在だ。穢れた存在に生きている価値はない。〈残る痕 その目に 耳に 鼻に 逃れる術はなし〉『闇朱の隻狼』」


 地面に魔法陣を投影すると、そこから隻眼巨躯の銀狼が現れた。体長は俺の二倍以上もある。毛並みには様々な色が混じっているのが特徴だ。赤、青、紫、白、緑、黒に銀色と、全体的に暗い色になってはいるが、珍しい体毛をしている。


『何用か、主よ』

「この国に穢れた者達が忍び込んだ。目印はしてある。狩り殺せ」

『……喰ろうてもよいのか?』

「死体は残すな……なんてのは不要か。お前がそんなヘマをするわけがない」

『わかった。一刻で終わらせる』

「任せたぞ。行け」


 言うが早いか、銀狼は影に融けて消えていった。

 銀狼の名はシン。俺が上級魔法十個分の魔力を使って召喚した、不死の魔狼だ。

 契約者は俺ただ一人。というか、今までに契約したのは俺だけらしい。それほどまでにアレは凶暴で、けれど忠実かつ強力な召喚獣だ。

 知的な雰囲気を醸し出していたが、実はそれほど賢くない。獲物と見るや即座に襲い掛かるくらい自制心がない。だが、それゆえに竜にも匹敵するほどに強いから、その点には目を瞑っている。


「ふむ……早速一人喰い殺したか。さて、何分もつかな?」 


※※※


 なんだアレはっ!! なんなんだよアレはっ!!!

 仲間が目の前でいきなり時、すぐには理解出来なかった。夢でも見たのかと一瞬思ってしまうほどに突然で、そして予想外の出来事だった。

 目の前を走っていた仲間が、突如狼に一噛みされて体が真っ二つになった。俺の目には、壁から頭が生えたようにしか見えなかった。

 そこからは恐慌状態だ。悲鳴こそ上げなかったが、仲間たちは一目散に逃げ出した。しかもバラバラに。今も仲間が襲われているかもしれない。今は俺が狙われているかもしれない。そんな恐怖心が、俺の心を蝕み、体の動きを阻害する。体が震えるなんてこと、初めて人を殺して以来なかった。暗殺を生業とする俺達が、今は化け物に追い立てられている。こんな笑えない皮肉があるものか。

 なんとしても生きてこの国を脱出し、国王に報告せねば!


『もうやり残したことはないな?』


 心を凍てつかせる声が聞えた。心が凍り、体も段々動かなくなってきた。足は地面に縫い付けられたかのように動かない。本能が、死を受け入れてしまった。もはや何も考えられなかった。


『では、奪おう。貴様の明日を』


 その言葉が聞えた時には、俺の視界は闇で覆われていた―――


※※※


 一つ、また一つと目印が消えていく。アイツが残さず喰い殺している証拠だ。

 残るは二人。街の正反対の方向にいる。一人はこちらに接近中。もう一人は街から抜け出そうとしているようだ。


「シン。聞こえているな。一人街を抜け出そうとしている。そちらを先に殺せ」

『わかった』


 自分の影から返事が来る。影を移動するアイツだからこそできる連絡方法だ。

 さて、こちらに向けって来ているヤツはどうしようか……


――――――


「クソッ! なんだあの怪物はっ! 聞いていないぞっ!!」

「それはそうだ。アレは俺の所有物であって、この国のモノではないのだからな」

「っ!!?」

「お前が『ロット・クロウ』か?」

「貴様は……『魔王』だな?」

「なるほど。俺も暗殺対象ということか。それで、ここには何をしに来た?」

「決まっているだろう。暗殺だ」

「無駄なのにか?」

「無駄かどうかはやってみないとわからない。それに、ただ死を待つのは性に合わないんでなっ!!」


 男は一瞬でジャックまで肉薄し、逆手に握っていた短剣を一閃。

 ジャックはそれを余裕をもって回避し、後退した勢いそのままに距離を開けた。


「ただの魔法使いではなかったか」

「魔法しか取り柄が無いと思われるのは不愉快だ」

「時間が無い。今すぐに殺して――」

『時間をかけ過ぎたな』


 男は再びジャックを攻撃しようと前傾姿勢になった瞬間、自身の影から聞えてきた声に一瞬驚き、すぐに直感に従って地面を転がって影を避けた。

 影は獲物を仕留めそこなったが、出てきた勢いそのままに、その巨躯を晒した。


「コレが影を移動し我らを喰い殺さんと追い駆けていたのかっ!!」

『貴様も仲間の元へと送ってやろう――主よ、何をするつもりだ?』

「こいつは俺の手で殺す。手を――いや、牙を出すな」

『わかった。だが、主の命の危機となればその限りではない』

「それでいい。――さて、続けるぞ」

「舐められたものだ。魔法使いに後れを取るとでも?」

「……魔法使いをあまり舐めない方がいい」


 男は左手にも短剣を持ち、右手を地面スレスレまで下げた前傾姿勢で構えた。

 ジャックは聖剣を抜き、持っている右手を前にした半身の構えで相手を見据える。


「――っし!!」


 男が先手を取って駆け出す。地面スレスレの低い姿勢で素早くジャックの間合いまで詰めた。対してジャックは、焦ることなく敵をしっかりと捉えていた。

 先に攻撃したのはジャック。下から掬い上げるような軌道の斬撃は、地面に接触して止まってしまった。

 それを見た男は心の中でほくそ笑みながらも構わず突っ込んだ。


「もらった!」

「残念だ」


 ジャックの斬撃を避けた男の短剣がジャックに接触するかと思われたその時、男の足下の地面が隆起し、弾けた土砂が勢いよく男に襲い掛かった。


「なっ――ぐぅっ!!?」

「魔法使いと油断した報いだ」


 土砂を避けようと男は咄嗟に後退したが、左肩から右の腹部にかけて大きく斬り裂かれた傷が出来ていた。出血が多く、男は片膝をつき、息を荒げていた。


「な……何をした?なぜ、俺は斬られたんだ?」

「答える義理は無い」

「ふっ――それもそうだな。介錯は不要だ」


 男はジャックの言葉に脂汗を浮かべながら笑顔で返すと、目を閉じて持っていた短剣で自分の腹を割いて喉元を斬り裂いた。自決だ。


「潔い死に方だ。だが、理解は出来ない。シン、残らず喰え」

『残飯処理とは……』


 そう言いながらも自身の影を拡げて男の死体を飲み込んだ。


「そういえば、名を訊くのを忘れていたな。まあ、いいか。シン、戻っていいぞ」

『此度は少々楽しめた。また次の機会も楽しいものになることを願うとしよう』



 そう言い残してシンは影へと融けて消えた。その存在感も消え失せていた。

 その場にはジャックと、何かと戦ったらしい戦闘の痕跡だけがあった。しかし、その痕跡もジャックが魔法でしっかりと隠したため、後日この場であったことに気付いた者はいなかった。

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