歓迎
事務所に戻った俺を待っていたのは、温かくて柔らかくて安心する夜子さんの素晴らしい抱擁――ではなく、熱くて暑くて、固くてごつごつしていて、冗談を成しにして死を覚悟しかけた岩山さんの、抱擁ならぬ崩擁だった。
よくやった。そう言って褒めてくれるのは素直に嬉しいところではあるのだけれど、何かこう、思っていたのと違うな、と。
夜子さんはというと、俺より早く、その背後でちんまく行儀よく立っている美緒に目を引かれていた。
そして慌てて駆け寄り、そちらを先に抱擁したのだ。
「貴女が美緒ちゃんね?」
「は、はい…」
「そう。お疲れ様、大変だったわね」
柔らかく、そんな言葉を丁寧にかけてあげる様子を目の当たりにしてしまっては、そこは俺の席――なんて馬鹿なことを考えていた自分を殴りたくなった。
先ずは歓迎します、といつの間にか紅茶を淹れていた穂坂さんがそれを差し出し、足りないからと奥から持ってきた椅子に座らせ、一息をつかせる。
筋肉ゴリラ――基い、岩山さんの崩擁を俺が受けた瞬間には「ひゃっ!」と声を上げて驚いていたが、夜子さんの一言だけで、安心したのか身の危険だけは感じなかったのか、疑う様子もなくその紅茶を口に含んだ。
別に何も入ってはいないのだけれど。
一口飲み終えると、美緒は紅茶のカップを卓上に置き、
「あ、改めまして、氷山美桜です……波場さん、でしたか。が、電話で伝えておられたとおりの経緯で、えっと……に、二十三歳です…!」
……………………。
ジーザス。
あれは、あの状態になってしまった故の勘違いや記憶違いではなかったというのか。
何なのだろう、この感覚は。
「あら。それでは、やっぱり芳樹くんが一番年下ですのね?」
「言わないでください夜子さん。何というか、もう立ち直れない……」
「んなこと気にすんなよ芳樹」
「安心してください。私、先輩って呼びますから!」
「大丈夫、それでも私はあんたが好きよ!」
どさくさに紛れて何を言っているんだか。
「いや、本当に何言ってんの穂坂さん…! その節は、こちらの方々は知らな――」
「え? あっ…! ちょ、今のなし…! ゴリラこっち見んな!」
耳まで顔を赤くして両手をぶん回す穂坂さん。
それでも、岩山さんにだけはしっかりとした殺意の表情を向ける徹底ぶり。流石です。
不意の衝撃告白に、夜子さんは両手をぺちぺちと叩いて無言の祝福をし、波場さんは怪しい笑みを浮かべながら眼鏡を直す。岩山さんはゴリラ呼ばわりされたことにいつも通りの反論をし、三浦さんは不敵に口の端を釣り上げた。
変わらない、いつも通りの日常風景。
何気ないそんなやりとりが、何と居心地のいいことか。
そんな様子を傍から見ていたのは、すっかり目を点にしてしまっている美緒だ。
「ここが俺たちの――っていうか、夜子さんのだけど、組織だ。俺たちや美緒のような能力者を保護して、共同する仲。半ば無理やり連れて来ちゃったけど、着いていけそうか?」
不安が無かったと言えば嘘になる。
両親に直接了解を貰い、本人も元気よく行ってきますと口にしていたが、あまりに個性の強すぎるこの中で、巧くやっていけるのかどうか。
そんな心配は、杞憂だった。
「ぷっ…ふふ、あははは」
美緒は盛大に吹き出して笑った。
それは偽りではない、悪意に染まったものでもない、心からの、本当の笑い声。
こんなにも気持ちよく笑える場所なら――何も心配はいらなそうだ。
夜子さんを始めとし、既に面識だけはある俺、穂坂さん、波場さんを交えて、改めて一人ずつ自己紹介を丁寧にしていく。
途中、「自分の組織みたいに紹介しやがってー」「頭はお嬢ですよ」「まだ芳樹も新人だよー」と、口々に放たれる愚痴が聞こえた気がしたが――気のせいか。
「早速と言いますか、こちらが本題なのですが――大まかな話は聞きましたが、貴女はネクロマンサーである。この認識に相違はありますか?」
「ありません」
美緒はきっぱりはっきりと答えた。
「自分を中心とした周囲数メートル以内の土地に眠る死者と交信し、その声を聞くことが出来るのが私の能力です」
「そうですか。正しくは使えますか?」
「え? えっと…」
「あ、すいません、嫌味ではないのです。もしまだ少し不安定なら、あるいは自覚が不完全であるなら、発現したての芳樹くんと同じ立場ということになりまして、そうであるなら、今後は新人同士、ツーマンセルといった形でペアを組んでいただけたらと」
「そういうことですか。なら、答えは「ノー」です。自覚をしたのは今回の一件が片付き、自身を取り戻した後ですし、それだけに正しく使えるという自信も今は全くありません」
「なるほど。正直に話してくれてありがとうございます。芳樹さん」
「は、はい」
夜子さんは今度は一瞬穂坂さんに目をやってから俺の方を向いて、
「美緒ちゃん、一任はしませんが、あなたに任せますね」
組織の頭から直接頼み事をされたことに浮かれて「はい!」と元気よく返事をしたら――。
穂坂さんが膨れて顔を逸らしてしまった。
夜子さんめ、視線を一度送ったのはそういうことか。
突然のあの告白シーンを受けて、まさか当の本人をこれ以上弄って笑みを零そうとは。生粋の――
「ドエス、などと思いましたね?」
刹那、がらりと変わった声音で夜子さんが言った。
本日二度目だ。ジーザス。
嵌められたのは俺の方。
お手洗い、風呂の掃除を言い渡されてしまった。
―――
といった経緯をがあって、俺は今、風呂場と呼んではお粗末な程に広い、事務所隣の施設である”屋内温泉”でスポンジをひたすら走らせているのだが――
これは一体、どういうことだろう。
利用者が組織のメンバーだけであるからと、温泉が一つしかないことには目を瞑ろう。今が男湯であるか女湯であるか、混浴として機能している訳ではないここには、時間の割り振りなんかはないのだから。
しかし、だからといってここまで自由にしていいものなのだろうか。
「こーら、仕事の邪魔しないの…!」
「先輩とお話がしたいだけですー」
二人でお話がしたいと真剣な面持ちで入って来た美緒。それだけならまだ良かったのだが、どういう訳か、俺がいると知っていながら入って来た穂坂さんは、あろうことか大判のバスタオルをその身に巻いただけのスタイルで、美緒を止めに来たのだと言う。
あんな大胆な公開告白の後とあって、麻痺しているのかお構いなしといった様子で、俺と目があっても恥じる素振りを見せない。
「お話というのはですね、先輩」
「って、こら、勝手に話を進めないの…!」
必死になって美緒のことを制する穂坂さんの両手は意にも介さず、美緒が口にしたこと。
「私と……あと、パパとママのことについて、改めてお礼が言いたくて」
わいわいと大声を上げる穂坂さんの耳にもその台詞は届いたようで、一瞬にしてその両手を収めて美緒の言葉に耳を傾けた。
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