旧姓、羽多野


 清、そして春子のいなくなった屋敷の一室で涙を流す美緒を横目に、俺は別の事を考えていた。

 厳密に言えば関連のある話題なのだが――有栖はどうなってしまったのだろう、と。


 羽多野有栖は死霊だ。であれば自然、間違った美緒の能力が正されたことにより、春子らのように消えてしまっていることだろう。

 二度の別れ際に見せた、あの切ない表情。

 あるいは、こうなることが分かっていた、予想がついていたのではないだろうか。


 しかし、氷山美桜という歯車が正しく回り始めたことで、いままでそこに”居た”筈の死霊がぱったりと消えてしまうとは、どうにも納得がいかない。

 それは確かに美緒の能力で呼び出されたもので、その本人も記憶を保持している以上、そう易々とあの美緒がこの場から消そうものだろうか。


 答えは否、だ――と、思う。


「参ったな」


 この数日間であらゆる要素に触れて、そこに情が湧いて――。

 勝手に消えようなんて、礼の一つも言わせてくれないなんて、そんな馬鹿な話があっていいものか。


「芳樹」


 またもネガティブな思考へと切り替わりつつあった俺の肩に手をやり、穂坂さんが小さく言った。

 振り返ると、遠くのとある扉――勝手に中継地点としていた部屋を、無言で指さしていた。


 美緒の悟られぬよう足音を殺し、穂坂さんと連れ立って行ったその部屋では、


「ありがとうございました」


 清と春子を始めとする、俺がこの屋敷に来て以来目を合わせた死霊の他、多数の存在が頭を下げ、深々と礼の言葉を述べた。

 しかしそんな中で、何事かと、どうしてここにいるのかと問いただしたい気持ちより早く、羽多野有栖の存在が無いことが何より気にかかった。


 彼女は自身の姿を”幼子”だと明かした。

 居るなら、足元にそんな存在の一つでもあっていいようなものなのに。あるいは、その直ぐ横にある鏡から、事態の収束を見届ける視線の一つでも――。


 一先ずは無理矢理意識を切り替えて春子たちに向き直り、


「美緒にはここを言わないでください」


「何となくはわかっていますけど…」


 煮え切らない返事をかえした。


 どうして戻った美緒に会わないのか。

 今更恥ずかしいのと、会っても話すことがないからだと言った。

 ネタがない、という意味ではない。二人はずっと、美緒に召喚されるより前からずっと、二人の子供を見守り続けていたのだから。


 春子が曰く、どう話したらいいのか分からない。

 話たいことは山ほどある。けれど、死霊としてここにいることは分かっていようとも、死して間もなくからずっと見守っていることを、美緒は知らないだろうから。

 どう切り出したらいいか、切り出したとてどう会話をすればいいのか。

 難しいのだと言う。


「何も考えなくていいのでは…? 愛する娘なんですから、思ったことをそのままぶつけても、怒りはしないと思いますけど…」


 そう提案する穂坂さんに、春子は首を横に振った。


「私は元より、ここにいる全ての者が、既に幽世の存在です。本来、こちらに居るべき存在ではない」

「でも…!」


「いいんです。ありがとう、茜さん」


 春子は優しく微笑んだ。

 そして一拍、一つ話しておかなければならないことがあったと、俺たち三人の注意を引いた。

 一斉に視線を注ぐ中、春子は訥々と語り始める。


「美緒の本来の能力――ネクロマンサーとは、”降霊”ではなく”交霊”なのです。死者を降ろすのではなく、顕現させるでもなく、その地に眠る声を聞くもの」


「それじゃあ、貴方たちは一体…?」


「私たちは――」


 春子は背中で控える皆に視線を送り、


「あの日の美緒を哀れに思い、護らんとした、とある人物の能力によって顕現した存在であります」


 とある人物とは。

 大方の察しはついていた。


 一つ、強大にも程がある能力者がいたではないか。

 思い描いた世界を作る、だなんて、チートにも限度というものがあろう。


「ある日の事件により命を絶たれた、羽多野有栖の意志――自身の能力によって鏡の世界に私たちを生み出し、氷山美緒という一人の少女を護らせたのです」


 と。


 事の初め、美緒の意識が切り替わった際に出現した死霊は、まずは脅威を取り除く為にと攻撃的な者だけを集め、送り込まれた存在たちだ。

 以降に生み出され続け、この屋敷を一つの城のように護らせ、また使わせたのも、羽多野有栖一人の仕業。


 ではなぜ、美緒はあれ程までに狂い、堕ちたのか。


「あれだけは本当に、美緒の意志だった……三留が殺められたことによりネジが外れ、不安定な子供心ではあのような姿に――」


「待て、それじゃあ何か……美緒の、主の命令は絶対だって言っていたあれは…!?」


「もう隠すつもりはありません。フェイクです。いずれ訪れる、同じ境遇の者――現れるとも限りませんでしたが、ゼロでない可能性にかけ、美緒を騙していたのです」


「一体、何のために…?」


 春子は瞬間目を閉じ、ゆっくりと開き、


「ある程度まで引き上げないと、衝撃が効果を発揮しないからです」


 堂々と言い放った。

 親としてどうなのだろうと一瞬間考えるが、言い分はきっとこうだ。

 助けたいけれど、中途半端に壊れた美緒には何を言っても意味がない。同じ言葉でもより強い衝撃を与える為には、相応に堕ちなければいけないと。


 俺たちは、まんまと利用されたわけだ。

 死した自分たちでは解決できない事案を、最も効果的な結果で収束させるために。


 しかし、そうなると有栖の目的とは一致しない。


「有栖の目的は、美緒を助けることだったんだろ。助ける為に死霊を出して、護らせたんだろ?」


「相違ありません」


「それは、解決しなければいけないことだったのか? 確かに壊れた娘なんて見たくはないだろうし助けたいと思うのは当然なんだろうけど、それが有栖の思う――いや、違う。有栖はそもそも、どうして美緒を助けようと思ったんだ?」


 俺の問いに対する春子の答えは、至極単純だった。


「私の旧姓は羽多野――あの子は、この世に生まれて間もなく命を奪われた、私の姉なのです」


 すなわち、身内。

 姿かたちは知らずとも、妹の娘を助けたいと願う心に、間違いなどあろうはずもなかった。


「アリスさん――いえ、有栖の能力で創造された存在は、貴方も知っての通り、鏡を出ると現実で生きた最後の姿になります。私はこの姿、他の方々も――でも、有栖だけは違った。乳飲み子の頃に殺されたものですから、一度鏡を出れば、赤子に戻ってしまいます」


「待て、あいつは自分のことを”中立”だと言っていたぞ。それはどういう意味なんだ?」


「美緒を戻せる者が居るのなら居るで歓迎だけれど、居なくとも命あるだけで良かった。というのが、あの子の言い分です」


「そんな…」


 春子の淡々とした物言いに、穂坂さんが泣きそうな表情になる。

 しかし春子は穏やかに笑ってみせて、


「既に死した親である私に、娘を救うチャンスをくれたのです。結果はどうあれ、それはとても嬉しいことだったのです」


 春子がそう言うと、背後に控える他の者たちが次々に名乗り始めた。

 曾祖父にあたる者、その従弟、妻、友人と――美緒を護る為に寄越された死霊たちは全て、直接でなくとも、巡り巡った未来で関係している存在である者であった。


「自分ではどうすることも出来ないからと、動ける者たちを創造し、こちら側に送った。言ってみれば有栖の人形ですけれど、それで十分じゃないですか。だってそうでしょ、私は本当なら二度とこちら側にこれない存在なのですから」


 そう零す春子の表情は、有栖のものと重なって見えた。


「その結果、貴方たちが現れて、ものの見事にあの子を救って見せた――もう、これ以上ないくらいの幸せですよ」


「ちょっと待ってください…それじゃあ尚更、あの子に声をかけてあげてくださいよ…! 正気に戻った今、一番必要なのは…ご両親の……」


 尻すぼみに小さくなっていく声を上げているのは穂坂さん。

 次第に俯き、垂れた前髪が表情を隠す。


 その真剣な物言いに、思いやりのある言葉に、春子は瞬間目を見開くのだが、


「本当にいい子ですね、茜さんは。でも、やはり先ほど言った通り、私にはその資格が――」


 ない、と恐らく続けられるであっただろうマイナスの台詞は、突如開かれた扉の先から覗く小さな存在によって、遮られる形でかき消された。

 つい数分前までの涙はどこへやら、毅然とした態度でそこに立ち、真っ直ぐに春子を見つめる少女。

 氷山美桜は、怒りとも喜びとも、どちらでもない表情を浮かべて、


「おかえりなさい、ママ、パパ」


 ただ優しく、そう言い放った。

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