偽りのお茶会
つい先ほどトラウマを抱えそうになった、屋敷の頂上にある一室。
ふらりと現れた春子が、もうあと五分程で睡眠薬の効果が切れると言い残したのが十分前。既に美緒は活動を再開している頃合いだ。
おそらくは、現状を確認した後で自室に戻っている筈。
話しをしようにも、まずはどうにか誤魔化さなければならなかった。
が、そこにも策は一つだけあった。
閉ざされた扉をノックし、中からの反応を待つ。
さて開口一番怒鳴られるか、殴られるか、パパママに連れ去られるか、殺されるか。
結果は俺の出方次第。
出来るだけ上手く、巧く美緒の心の隙間に入り込む。
騙しているようで忍びないけれど、今はそれも許してほしい。
元々、勘違いをしているのは美緒の方――とは言え、その原因を作った者の存在があることが明白である以上、主張は出来ない。
俺たちは美緒の被害者だけれど、同時に美緒自身も被害者だったのだ。
そこを無視して目的を果たそうとは、出来ようはずもない。
『ちょっと、それはさっきダメって言ったでしょう!?』
舞台はつい数分前。
方法を述べた俺に、穂坂さんが全力でノーサインを出した。
『最後まで聞いてください。目的は、美緒と話をすることです、本質は変わりません。犠牲になるつもりも毛頭ありません』
『でも、それじゃあまたモルモットに――』
『なりません。何割か賭けの要素を孕んでいることは謝りますが、それが一番効率的だ』
『それじゃあ…!』
『心配してくださっていることに礼は言います。謝りもします。ですが、改めて俺たちの仕事が”保護”だと理解した今、それを成すにはやはり、美緒の心に触れるのは不可欠です』
安心してください、と親指を立ててみせたけれど、不安は残る。
それでも、やらなきゃいけないんだ。
春子に頼まれたからという理由を抜いても、自殺こそ志願していないけれど相手が能力者である以上、これは既に俺たちの仕事の範疇なのだ。苦しんでいるのなら尚更に。
正気ではいられない過去を経験し、背負い、しかしその吐き場がないというのは、なんて辛いことなのか――俺たちがそれを理解しないでどうする。
綺麗ごとではない。
人として、当然のことなのだ。
「なんて、穂坂さんがいなければ、俺もどうなっていたか……後で改めて、礼を言っておかないとな」
あの部屋でのやり取りの中で、もしあのまま俺の作戦に賛同でもされていれば、俺は今頃取り返しのつかない未来に遭遇していたことだろう。
本当に、頼りになる人たちだ。
流石に、覚悟を決めなければ。
しかし、それはそれとして、穂坂さんが心中を告白するとは意外も意外。
俺が俺に点けた評価は『路傍の石ころ』だというのに。
何も変わったことなどない石のひと欠片に好意を持つなんて、変わった人だ。
こんな時だというのに、つい気持ちが緩みそうになる。
それを嬉しく思う俺も、どうかしている。
同時に、やはり俺ではあの人に釣り合わないと自覚もしよう。
あれだけ人のことを考え、何が最善かを説ける人間を、俺なんかが自分のものにしていいはずがない。
「阿呆か俺は……今は仕事だ、仕事」
それに対する返事は、この仕事が終わってから――願わくば、穂坂さんの方から返事をせがまないで欲しいものだ。
さて。
「だぁれ?」
扉の向こうから耳に届いて来たのは、春子に見せられたビジョンの中で響いていたものと同じ声質の返事。最愛の弟を奪って悦んだ男達に向けた、憎悪に塗れた声だ。
あの時――俺は確かに、怖いと思った。恐ろしいと思った。
視界に映る全てを跡形もなく潰していく”緋い姫”に、ただただ恐怖を覚えた。
だが、今は違う。
そうなった理由を、そうした者たちの存在を再確認した今では、この声を聞いただけでただ悲しい。初仕事の折、既に息絶えた子供の亡骸を抱く夜子さんの姿と重なって。
夜子さんと美緒における差は、感情のベクトルだけなのだ。
守らんとした者の死に対し、悲しんだか、殺した相手を憎んだかの違い。
ただ、それだけだったのだ。
それが分かってしまったから、薄く開いた扉からこちらに向けられる殺意の目が、どうしても愛おしい。
だから俺は、美緒を力の限り抱き寄せたのだ。
「お兄ちゃん……?」
瞬間、美緒の肩から力が抜けた。
すぐに意識が戻ると俺の背中を両手で叩きに叩くのだが、痛くはない。
「ただいま、お姉ちゃん。お買い物に時間がかかって」
「おに……三留…? お買い物に行っていたの…?」
「うん。ちょっと遠くだったから、時間がかかっちゃったんだ」
「……そう」
この声。
この声だ。
弟と接する時に零れていた、この優しい声。
こちらの出方次第で、まだこの声を出すことが出来たのだ。
まずはこの結果だけで十分だ。
殴られなくなった辺りで俺は美緒を離し、ある提案をした。
「おやつの時間だよ。下でパパとママも待ってる、行こう?」
出来るだけ自然に、俺は美緒に手を差し出した。
それを何の疑いもなく「えぇ」と言って取ってくれたことは幸いだった。
基本的に敵対していない幽霊たちに頼んで、穂坂さんを屋敷から出して買い物に行かせた。払いは俺が持つからと、とにかく豪華なおやつを買ってきてくれと頼んだのだ。
俺がここに残って美緒の相手をしなければいけない以上、残る二人の内どちらかをパシリにしなければいけなかったのだが、穂坂さんが自ら名乗りを上げてくれた。波場さんは”侵入”を使ってモニタリングし、最悪の事態に備えておかなければならないのだと、穂坂さんはさも消去法のように言ったが、それだけでないことも今なら何となく分かる。
美緒の手を引いて先導し、階段を降りていく。
面倒な移動は有栖の手でも借りたいところだったが、それをしようものなら美緒に怪しまれかねない。
三階。
二階。
そして一階に降り立つと、そのまま真っすぐ数日前に波場さんを引き留めた部屋の前へと向かった。
「さぁお姉ちゃん、一緒におやつの時間だよ」
そう言って扉を開けると、廊下や美緒の自室とは違う、黄色と白の明るい光が漏れた。予備で倉庫に置いてあった電球を幽霊たちに持ってこさせ、換えてもらっておいたのだ。
話をするには、やはり環境は大切だからな。
一つだけ作りの違う椅子が目に留まった。女の子用っぽいそれは、おそらく美緒のものなのだろう。歩み寄って椅子を引いてやると、当たり前のように腰かけた。
美緒の手を握っていた手を離すと、隣にある普通の椅子を引いて座る。
満足したのか、美緒は普通の女の子のような明るさで、嬉しそうに微笑んだ。
卓上には既に色とりどりのお菓子、おやつらが並んでいた。
クッキーにケーキ、大福や団子といった具合に和洋折衷。飲み物は四人お揃いの紅茶。レモンティーだ。
少し遅れて部屋にやってきた清と春子を対面に招いて、「いただきます」と一言。
偽りの茶会が始まった。
甘い物、好きな物を食べている間、美緒は普通の女の子だった。
一口含む度に頬を緩め、美味しい美味しいと言って次へ次へと。紅茶を飲めば温かくて美味しいと言って、もう一口含むか食べ物の方に移行するか。
父に笑顔を向け、母に笑顔を向け、あれやこれやと目移りしては楽しそうにはしゃいでいた。
茶会を終える辺りが頃合いだと予想していたのだが――これはある種、嬉しい誤算だった。
幽霊、骸骨たちが食器を下げ、手を合わせた折。
「ご馳走様でした――お兄ちゃん」
そう美緒が言ったのだ。
嬉しい誤算とはつまり、美緒が俺を三留でないと理解していること。
ともすれば更なる怒りに殺されている未来もあったろうが、そうならなかったのは、美緒に少なからず理性が残っていたから。
部屋に居た時、僅かに躊躇ったのはそういうことなのだろう。
と、思ったのも束の間。
「美味しかった。ありがとう」
「どういたしまして、と言ってもいいのかな」
そう返すと、
「うん。だから、もう逃がさない」
「へ…?」
ふと漏れた声すら置き去りにして、俺は急速な移動を開始させられていた。
閑話休題。
いや、さておかずに。
夢であって欲しかった。
まさか、またここに戻って来ようとは。
「何と申しますか……無様?」
「流石に怒る気力もないな、今回は。啖呵切って出て言って、むざむざ囚われてしまうとは……穂坂さんたちに何て言おう」
美緒がパパとママに命令して、俺を再び自室の牢に閉じ込めたのだ。
今は、そのまま美緒が戻らないことを確認して、春子と二人で話している。
清はというと、俺に二人の居場所を聞くなりそちらに飛んでいってしまった。
溜息を漏らす俺の傍で、春子がふと口を開いた。
「茜、ではなかったのですか?」
「は?」
俺に続いて、そう言った春子自身が首を捻る。
それは、つい数時間前の出来事。春子とのやり取りの時のことだ。
こちらの気も知らないでと、怒りに任せて叫んだあの時――俺は穂坂さんのことを、咄嗟に”茜”呼ばわりしてしまっていた。
何故か心に残っていたそれを思い出して、
「殺してくれ」
死にたくなった。
「いいじゃないですか、別に。茜さんは聞いていないのですし」
「ダメだダメだ、やめてくれ。あの人のことを俺が名前で呼んでいいわけないんだ」
「どうしてですか?」
「そりゃ……」
言いかけて、淀んだ。
今はそんな話をする場面ではないからだ。
切り替えて「それより」と話題を逸らす。
「見事に出鼻を挫かれましたね」
「言うな、凹む」
「それは失礼」
会話が成らない以上、次の――いや、他の手を考える必要が出てきてしまった。
まさか失敗しようとは。
美緒のあれは演技ではなさそうだったが、相当に厄介だ。
何とかして、美緒に関することを掴まなければ。
と、思考を巡らせた時。
「ぐっ……何だ、これ……頭が…!」
不意に訪れた頭痛。
脳をかき混ぜ、掴み、またかき混ぜられているような、そんな感覚が襲う。
あまりの気持ち悪さに嘔吐し、頭を抱える俺に、流石の春子も「どうしたのですか」と声をかける。
答えられない。自分でも分からないからだ。
ただ――
「何だこれ……ぼやっとした……!」
状況を整理するが早いか、脳裏に浮かんだのは、誰か人の中へと入っていく何者かの存在と、何かに入っていく何者かの姿。
まるで、穂坂さんと波場さんの能力を映像化したような、そんなビジョンだった。
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