幕間

幕間

 所変わって、舞台は警視庁内の取調室に移る。

 芳樹と夜子が月下で語らっていたのと時を同じくして、湯谷俊は捕らえた男たちから話を聞いていた。


 対象は三人。

 うち一人、最後に残ったのは眼鏡をかけた男だ。


「湯谷俊だ。これから聴取させてもらうんけだが…まずは一発だ、殴らせろ」


 刑事という立場にありながら、俊は唐突にそんなことを言い出した。


「僕は被害者ですよ。お金も取られましたし、脅され捕らえられもしました」


「随分な言い草だ。あれが被害だってんなら、お前の心拍数が聊かも上がってねぇのは可笑しな話だよな」


「訳も分からない内に色々やられてしまって、そんな感覚も覚えなかったんですよ」


「よく言う」


 俊は苛立ちながらも微笑んだ。

 男の言い分は、あるいは最もなものだった。

 しかしそれは、男が真に被害者である場合に限った話だ。


 遅くなってでも後に分かろうものだか、湯谷俊には無意味だった。


「なら聞こう。ノータイムで答えろ。まず一つ、お前は傷を負ったか?」


「いいえ」


「縄で括られた腕は傷んだか?」


「ええ」


「最後だ。財布はどこだ?」


「取られました」


 俊は疑いようのない自身の仮説が、真実であると確信した。

 これでもかというほど見てきた凄惨な現場。完全な解決こそしなかったけれど、あの事件を収束に向かわせた者の一人として、今回の件は決して看過できるものではない。

 夜子が同じ職につく前のことだから夜子は知らないけれど、それでよかった。

 知っていれば恐らく――


 想像した限りでも、どうなるかは目に見えている。


「答え合わせだ。傷を負っていないなら、裾に血がついてるのはおかしいよな。酷いもんだったぞ、熱傷も裂傷も」


 一言目、男の目から余裕の色が消えた。


「索条痕と言ってな、腕が痛むほど絞められていたなら、それが消えてないはずだ」


 二言目、男の口元が強張った。


「あの二人だがな、財布は持ってなかったぞ。捨ててきたと証言したが、現場のどこにもそれはなかった」


 三言目、男は不敵に微笑んだ。


「なぁんだ。分かってたんですか」


 一変してぬるりと纏わり付くような口調。

 手足をだらしなく垂らし、


「あれは救済ですよ」


 なんてボヤいた。


 俊の怒りは既に限界を超えていたが、後々のことを考えるとまだ自制範囲だった。

 しかし完全に制しきれないのも事実。身を乗り出し、男の胸元を掴んだ。


「ドラマなんかでよく見ますけど、こういうのって上が五月蝿いんじゃないんですか?」


「知らねえな。生憎と部長なもんで」


「それは怖い。私欲で動いていいとは思えませんが」


「そう思われがちだがよ、警察だって人間だ。ニュースで最近多いだろ、痴漢とか何かで捕まるやつら。あれは行き過ぎだが、何も欲がないってわけじゃねえんだよ」


 極端な話ではあったが、事実だ。

 ある意味、無欲な人間には捜査も検査もままならないとも言える。

 何としても探そうとか、俺が先に見つけてやろうとか、そういう気概を持つものが残り、結果を残し、出世もする可能性がある。

 私欲とは少し違うニュアンスだが、欲があることに変わりはないのだ。


 そこで、いやらしく笑う男と絡み合いを続けていた俊に、横で控えていた女性刑事が声を上げた。

 つい数時間前、夜子に存在だけ教えて紹介はしなかった新人部下だ。


「やめましょう部長、また謹慎を食らってしまいますよ」


「知るか。こんなアホを前にして冷静でいられる程、俺は人間出来ちゃいねぇよ」

「それでも、立場があります…!」


「んなもんお前にでもくれてやる」


「部長…!」


 そんなやりとりを傍から見ていた男が「そうそう何にもならないですよ」と相槌を打ったことで、理性の蓋が弾け飛んだ。

 男の頬を捉えた一撃。

 ただ一撃、しかし力の限り振るわれたそれは、男を椅子から吹き飛ばすほどの威力を持っていた。


 男はよろりと立ち上がると、何のこともなかったようにまた笑う。

 いよいよもって顔にも怒りが出始めたが、これでは何度殴っても意味がないと悟ると、


「山下、後の処理しとけ」


「ちょ、部長…!?」


 新人の肩に手をやって、ドアの方へと歩いていく。

 すれ違いざま、強く噛まれた唇に血が滲んでいるのを見ると、新人にはもう止めることは出来なかった。


「ちょっと、どこへ行くんですか刑事さん?」


 男の呼びかけに、瞬間足を止めて振り返る。

 溢れんばかりの憎悪を込めて、


「さっきのは夜子の分だ。今度クソなこと言いやがったら、次は俺の分だ。分かったら黙って真実だけ吐いてろ」


 そんな物言いにも、男の笑みは崩れない。

 怒りの無意味さを再認識すると、俊はそのまま部屋を出た。


 ―――


 一服している間も、あの男の顔と、例の事件のことが頭をチラついて離れなかった。

 当時、夜子は私がその時そこに居ればと、口癖のように言っていた。力はないけれど、何か出来ることはあったのではないか、と。

 しかしそれは、実際現場に立ち会った俊こそ強く感じていることだった。

 過ぎていく事柄に対して『たられば』なんて何の意味もないのは分かっているけれど、無残に殺され無造作に放り投げられていた子ども達の気持ちを考えるとーー。


 深い溜息が漏れた。

 咥えていたタバコが気付かぬ内に小さくなり始めていた頃、部下が喫煙室のガラス戸を叩いた。

 満足に一服も出来なかったが、仕方なくタバコを棄ててガムを口に含むと、喫煙室を出て、部下を連れ立って屋上へと向かった。


「あの、部長…」


「何だ?」


 応じてもなかなか口を開かない新人。

 先の苛立ちもあって、癖の貧乏ゆすりがどんどん加速していく。

 声をかけたはいいが、それを見ると更に次の言葉が出し辛くなる。

 しかし報告しなければならないことに変わりはなく、意を決してまずは頭を下げた。


 その行動の意味がいまいちよく分からず、俊は無意識の内に足を止め、新人の方を向いて固まった。


「すいませんでした部長! あの事件を知らない訳ではないというのに、あんな無意識なこと…」


「あ? ああいや、別にいい。俺の方こそ悪かったよ。あんなやつ相手に感情剥き出しにするとか、まだまだ自制が効かねえ。お前のがよっぽど正しかった」


 上司の素直な謝罪に、新人はどう返したらいいか分からず口をぱくぱくさせてしまっている。


 今振り返ると、もっと上手いこと言葉を尽くして居れば、あるいは夜子のようにーーなどと考えてしまう。

 自分より何もかも浅いというのに、決して勝てないのは夜子の口のうまさだ。


「とりあえず報告してくれ」


「……よろしいんですか?」


「構わん、今は冷静だ」


 少し躊躇いつつも、新人はやがて「分かりました」と手帳を開いた。


「まず聞いたのは『なぜあそこにいたのか』です。答えは至極短く、ただ『あいつが分かったから』だと言いました。何が言いたかったのかは少し分かりかねますが…」


 おそらくは奴自身も能力者で、それが夜子と似たようなものだろうとは容易に予想がついた。


「いい。続けろ」


「あ、はい…次に動機を尋ねたのですが…」


「何かまずいのか?」


「少し…更にこれ以上、部長の機嫌を損ねる答えかと」


「いい、話せ」


 ここでもまた躊躇いが見られた。

 今度は意見が変わることのないようで、ついには俊がその手帳を取り上げる形で情報共有が成された。


 そこに綴られていたのは、途中から乱雑な文字に変わっていく『せっかく俺と同じ珍しい人間なんだ、日の光を浴びねぇで死んでいくのは可哀想だろ。じゃあ一人で勝手に死のうとしてる奴がどうやったら注目されるか。世に能力者って存在を知らしめて露見させるには、殺してやるのが一番いいのさ』という文面。


 そんなことの為に、一人辛さを抱えている子ども殺そうとは、どこまで腐った連中なのか。

 収まりつつあった怒りが、さらに沸騰して嫌な汗をかかせる。

 しかし。

 しかしそれよりも、それを綴った新人部下のことが気になった。

 先、冷静にまずは事を成せと先輩である俊を諭したエリートが、こうもすぐに態度を変えようとは。


「山下」


「は、はい…!」


 何と言えばいいのだろう。

 少なくとも、俊と夜子、そこに所属するメンバーたち、何より散った魂が救われているようで…。


「ありがとな」


 そんな単純なことしか言えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る