収束

 夜子さんが拷問……もとい、尋問をしたところ、男の目的は「追い剥ぎ」だということが分かった。

 ここは、自殺までは行かずとも、家出なんかをして寝床無くなった人たちがよく来るのだとか。

 そこを横から突っつき、金目のものを奪う。

 そういう集団らしい。


 夜子さんの言った『人の弱みに付け込む悪』とは、つまりはそういうこと。苦しんでいる人、どうしようもない人をほじくる悪。

 心を壊すのではなく、利用する者のことだ。


 男は笑って「てめぇらさえ居なければ」と喚くが、夜子さんは今度はそれを無視し、次の行動を考え始めた。


「事態が事態ですが、皆を危険に晒す訳にはいかないことに変わりはありません。能力も、恐らくはあまり意味を成さないでしょう」


「どうしますか?」


 夜子さんはしばし思考する。

 程なくして顎に当てていた手を離すと、


「茜さんを追加して、三人で対象と接触しましょう」


「ほ、保坂さんを…!?」


「不満ですか?」


「い、いえ…おさらくは俺より段違いに強い方だと――て、そうではなく」


 半ば駄々をこねる子どものように声を大にして抗議する俺の肩を、保坂さんは優しく叩いて言う。


「大丈夫よ芳樹」


「しかし…!」


「心配してくれてるのよね、ありがと。でも、それは夜子さんも同じじゃないの?」


 指摘され、言葉に詰まる。


 頭を回して大胆に行動し、ことも無げに事態を収束していく湯谷夜子という女を、俺は既にどこかで、別の次元の人間だと思っていたのかもしれない。

 しかし、言われてみればそうだ。彼女も――と形容するだけに、やはり一人のか弱い女性なのだ。腕っ節はどうあれ、油断もすればすぐに折れて消えてしまう。


 子どもにだって分かる差。

 しかしだ。


「いやまぁ、そうは言ってやるな。初仕事なんだ。とはいえ、さっきは助けられたけどな!」


 岩山さんがフォローに入る。

 次いで、保坂さん羽場さんも「よくやった」と褒め称えるが、実感はない。


 女性でも、こと湯谷夜子という人物に於いては、やはり普通とは思えないからだ。


 俺たちが到着してから男が距離を詰めるのに要した時間は、およそ二分。

 そのうちで策を弄したのも凄いことだが、問題なのはその中身の周到さだ。

 あれだけの腕だ、向かい合っても単独で捕らえることなど造作もなかろうが、相手は得物持ちだった。あるいは傷をおってでも、と夜子さんなら考えかねない気もするが、周囲には『家族』とまで呼ぶ仲間がいた。

 そこを加味して考えたのが、皆を利用したあの策なのだ。


 電気を点けさせたのは、車内に人がいることを知らせるためと、警戒心を持たせて歩く速度を調整するため。そして確実にバンに近付けさせるため。

 わざわざ岩山さんに『豪腕』の能力を使わせたのは、敢えて大きな音を立てることでそれ以外の音に気付かせない為 ため。

 そして一瞬怯んだ隙に、背後から遠慮なく走り寄り、自身で――と。


 少し頭を捻れば誰でも思いつく策。だが、夜子さんはこの土壇場で、それも短い時間の中で考え、見事に実行してみせた。

 岩山さんらの活躍もさることながら、冷や汗一つかかずに、平然と涼しい顔でやってのける夜子さんの肝の据わりよう。


 どれだけ時間を弄しても、とても追いつける気がしない。


 自身の不甲斐なさに肩を落としたところで、無様に寝転がる男が声をあげた。


「あんたら何もんだ。一般人って言うには場慣れし過ぎている」


 男の問いに、皆が笑みを浮かべる。

 その中心でふわりと優雅に振り返る夜子さん。

 そうですねぇ、と前置きをすると、


「『変わり者の集まり』です」


 困り顔で笑って言い放った。


 訳がわからないといった様子で困惑する男をよそに、今度は別の方から声が上がった。

 耳につけた無線機、そしてすぐ近くから聞こえる同じ台詞。

 別行動をしていたはずの三浦さんが、二人の男を連れて歩いてきていたのだ。


「俺を忘れるな」


 言いながら、力なくおぶさっている覆面の男を無造作に放り投げ、もう一人の眼鏡の男を夜子さんの元へと歩かせる。

 その状況に、流石の夜子さんも声を上げた。


「お見事です倫也さん。一人で片付けてしまうとは、関心しました」


「そろそろ政権交代かもなぁ、お嬢」


 自慢げに自らの働きを誇る三浦さんに、しかし夜子さんは微笑むばかりだ。

 三浦さんにはその笑みの意味が分かっているようで、余裕に誇ってみせていた表情もすぐに固くなる。


「ま、お嬢一人なら、もっと速く、上手くやれたんだろうがな。あぁ新人、悪口じゃねえぞ。お嬢が異常過ぎるんだ」


「はぁ…」


「買い被りすぎですよ、倫也さん」


「フォローの一つも入れないでよく言うよ」


 三浦さんは肩を竦めてみせる。

 もういい加減、湯谷夜子という人物の化け物さは理解しつつあるのだが、人質にもされかねないであろう先の状況を、一人で解決出来ようとは。

 誰の目にも疑いの色がないのが、恐ろしい。


 夜子さんは眼鏡の男に向き直る。

 優しく見下ろす瑠璃色の瞳は、男を自ら白状させるには十分なものだった。


「借金だ……かなりの額。付け馬から逃げて、逃げて、ついに限界が来たんだ」


 付け馬、という言葉は初耳だった。

 はてなを浮かべる俺の眼前で、夜子さんは頷き、唐突に言い放つ。


「ご趣味は麻雀ですか?」


 和やかな日常会話を楽しんでいる場合では。早とちり、そう突っ込みかけたところで、男の表情が少し変わっていることに気がついた。

 益々のはてなを浮かべる俺に、後ろから肩を引く岩本さんが説明を始める。


 付け馬。それはすなわち取り立て屋のことだ。

 こと遊興費を払わず逃げた者から未払い分を払ってもらう為に、本人と共に家まで行く――ドラマとかでよくあるやつだ、と最後は大雑把に括った。

 いわゆるそういう人たちに目をつけられてしまって、命からがらというわけだ。


 借金するに至った答えを得た俺は、どうにも自業自得という気がしてならなかったのだが、夜子さんはそのまま、叱るでもなく、飽きれるでもなく、何も言わずに踵を返した。


「ちょ、夜子さん…?」


「倫也さんも合流したことですし、帰りますよ」


「え、でも、この男たちは…?」


「放っておけばいいでしょう」


 急に、無責任なことを言い出すのだった。


「放ってって――ちょっと待ってください、どういうことですか?」


「言葉のままの意味ですよ」


「このまま野放しにするって言うんですか?」


 意味も分からず畳みかける俺に、穂坂さんが言う。


「なーに言ってんの、芳樹?」


「何って――いや、夜子さんが…!」


「だから、任せておけばいいじゃん」


「何に!」


「警察」


「は……?」


 と素っ頓狂な声を上げたところで、穂坂さんの更に後ろからスーツの男が現れた。

 俺と目が合うや、内ポケットから警察手帳を出して、近寄って来る。


 本当に、警察――?


 男は俺の横を通り過ぎると、そのまま真っすぐ夜子さん目掛けて進んでいく。


「今日は随分とお早い到着ですね、部長」


「呼び方に気をつけろ夜子。これでも別件が多いんだ。あと、ついでと言っちゃなんだが、お前が言ってた新入りってのも気になったからな」


「はぁ。時間にルーズなところは変わりませんね、『兄さん』」


 その一言で、何かが俺の中で繋がった。


 夜子さんの使う逮捕術。あるいは動画なんかを見て研究して見様見真似で、ということもあろうが、あれは完全に型にはまっているものだ。冷静さも加えて、男の言葉を借りると『場慣れ』している。

 それに、兄さんとは。警察である身内からそれを教わっただけか、あるいは――


「ちっと待つことは出来ねえのかよ」


「待てば死人が出ますよ」


 さらりと言い放つ夜子さんの態度に、夜子さんの兄なる人物は頭を掻いて溜息を吐いた。


「まあそりゃそうなんだが。先にお前が絡むと、聴取とかの際に面倒なんだよな」


「それは加味しない約束ではありませんか。兄さんの腕を見込んで、なのですよ?」


「猫っかぶりも相変わらずだな、見下しやがって。おい新入り」


 ふと、夜子さんの兄は俺の方に目をやった。


「は、はい…!」


「中身は真っ黒だ。手焼くだろうが、まあよろしくたのむな。間違っても惚れんじゃねーぞ。なまじ顔『だけは』いいから」


「え、は、はい…!」


 怒っているのか貶しているのか褒めているのか、どれか一つにしてほしい。

 処理しきれていない情報も多いだけに、頭が追い付かない。


「警視庁警部のしゅんだ。分かってると思うが、姓は湯谷な。よろしく」


「よろしくお願いします…」


 差し伸べられた手を取り握手。

 相手が警部とあり変に緊張してしまって握る力が強くなると、俊さんは笑って「そう固くなるな」と優しく言ってくれた。


 手を離すと、俊さんは顔色を変えて、横たわる男二人の元へ。

 しゃがみ込み、一瞥すると、


「夜子」


「何でしょう?」


「また肩やったろ」


 夜子さんは正直に頷いた。口ぶりから察するに、割と稀なことではないらしい。

 俊さんは頭を掻きながら先ほどより大きな溜息を吐き、夜子さんが尋問した男の腕と肩に両手を当てると、整体師のように鮮やかな手つきでその肩をはめた。


 骨が噛み合う瞬間、男の顔が痛みに歪むことはなかった。


 誰が聞くより早く、俊さんが「かばって力んでりゃ分かる」と。そのスキル、一瞬見ただけで何が起こっているか見抜く洞察力、この人も、妹に負けないくらい化け物だ。

 少なくとも、俺には分からないだろう。


「もっぺん言っとくぞ、夜子。お前は警察関係者ではないからそう裁かれることもないが、物事には限度ってものがある。ガキじゃねえんだ、いい加減聞き分けろ」


「……分かっております」


 やや膨れ気味に反省して答える子どものようなその時の夜子さんにだけは、何だか勝てそうな気がした。

 兄妹という関係の絶対感。

 今更ながら、少し羨ましく思える。


 とは言え、俺の妹は生まれながらにしての障害持ちだったわけであるから、そんな仮定や空想には何の意味もないのだが。


「まああれだ。やり過ぎんなってこった。状況を見るに、こいつらもこれが初だってわけでもなさそうだしな」


 睨みをきかせる警部に、男たちは縮こまる態度でそれを示す。

 俊さんはそこで腕時計に目をやり、そろそろかと呟いた。


「部下が来る。まだ新米だからこれは見せられん。諸々の詳細は後日語ってやるから、今日のところはもう帰れ。いいな?」


 俊さんの言葉に、前から親交があったらしい他のメンバーは「はい」と元気よく返事をして、各々バンへと乗り込んでいく。

 少し遅れて俺と夜子さんが乗り込み、車が動き始める。


 人気ひとけのある公道に出て少ししたところで、他の警察車両とすれ違った。

 おそらくはあれが、俊さんの言っていた部下なのだろう。


 落ち着いたところで、俺は誰ともなしに尋ねた。


「夜子さんにお兄さんがいたことも意外だったし、人が警部の立場だってことにも驚きましたが――どうしてあんなに、と言うか、協力関係みたいになってるんですか?」


 答えたのは助手席に座る波場さんだった。

 いつものように眼鏡をくいと直し、後部座席の俺に顔だけで振り返る。


「そういえば言っていませんでしたね、肝心なことを」


「肝心なこと…?」


「ええ。疑問に思いませんでしたか? 仕事の不定期性とゲリラ性。それに、その仕事に充てられる給金の出どころ」


「そういえば。何となくで入り何となく日々を過ごしていましたから、どうしてかなーと初めに抱いた疑問をすっかり忘れていました」


 正直な感想に、穂坂さんが笑って応える。


「まぁ今日以外、芳樹はずっと事務所で雑用やってたわけだからね」


「ええ。具体的には何をやるところなんだろうって、ずっと思ってました」


「では遅ればせながら答えましょう。率直に言って、ここ自保は警察関係の裏組織です」


「裏……?」


「ええ。公にはしていませんが、隠しているわけでもありません」


 重ねて疑問符を浮かべる。

 そこで、サードシートに座る夜子さんが割って入るようにして続け始めた。


「元々私、兄さんの部下として働いていたんですよ。三年経ったある日でしょうか、私のこの能力が隠せるレベルではなくなってきまして。あえなく退職したのです」


「夜子さんが元警部……なるほど。捕縛、逮捕術といったものは、そこで習得していたわけですか」

「そういうことです。それで、どうしようかとなった時に――少し長くなりますけど構いませんか?」

「お願いします」


 答えると、夜子さんは咳払いを一つ。


「場所は今と同じ。何でも屋さんみたいな感じで、今の元となる組織を立ち上げました。ライセンスこそ疑わしいですけれど」


 夜子さんは頬を掻いて笑った。


「ひと月くらい経ったころでしょうか。初めての未来視がありまして、それが安高さんだったんですね。本人の為にプライバシーを配慮して内容は語りませんが、諸々始末を終えた後、彼が自分変わった能力を持っていると告白したんです。世に溶け込みにくいことは私自身よく分かっていましたので、そこで彼を一旦事務所に置きました」


「波場さんが一人目だったんですか。自己紹介の順ですね」


「話しが早いのは嬉しいことです。では、次は――」


「穂坂さんですね」


 夜子さんは頷いた。

 ふと隣を見やると、穂坂さんも昔を懐かしむように、複雑な笑みを浮かべていた。

 目が合うと恥ずかしそうにはにかんだ。


 俺たちの動向を知っていてか図らずか、夜子さんが咳払いをすると、二人して少しびくっと身体を震わせて目を逸らした。


「こちらも一応詳細は隠しますが、事後、茜さんも能力を持っていることを知らされまして。そこからですね、諸々の準備が始まったのは」


「二人目――つまり、全部で能力者が三人」


 頷き、そこで顔色ががらりと変わった。


「ええ。実はと言いますか、昔、多く出た被害者が全て、変わった力を持っている人だった、それは凄惨な事件があったんですよ。私がそれまで見ていたビジョンがそれと酷似していると、そこで初めて知りました。そこから、未来を危惧して兄に相談したところ、では考えてやろうということで――」


「少しずつ話が見えてきました。つまりこの自保という組織の説明は、少しニュアンスが違っていた――夜子さんが見つけることに変わりはありませんが、立ち上げたのは夜子さん個人ではない、と」


「左様です」


 そこでふと差し込みで視界に入ってきた、波場さんのタブレット。そこには、刑事組織の者のみアクセスできるサイトの情報が表示されていた。


 見出しの表題は『特異小児連続殺人事件に関する詳細』。

 夜子さんが言っていた事件だ。

 受け取り、タップして中身を確認する。


『八年三月三日、碑影ひえい山岳にて八歳女児の遺体見つかる。同月二十日、一件目より三百メートル南で九歳男児の遺体見つかる。いずれも火傷痕、裂傷酷く、本件当事者による犯行と見て間違いない』


 その先三十件にも及ぶ、短い期間での小児殺害報告の数々。

 全て読むのは少し気が引けて、そのまま最後までスクロールしていく。

 すると一番下段に『秘匿ファイル』と名付けられた鍵のかかった頁が出てきた。

 俺がそこに辿り着いたことを後ろから確認していた夜子さんが、端的にパスワードだけ伝える。


 言われた並びで文字を打ち込み、エンターキーを押す。


 表示されたのは、短い一文。

 その先にまだいくつもリンクはあるが、確認するまでもない決定的な一文だった。


『本件男女児三十二名全員に共通する”特異”について記す』


 それはすなわち、世には出ていないが、こういった組織には”それ”が確実なものとして認識されているということに他ならない。

 であれば、これが刑事組織の一つであるという波場さんの説明も頷ける。

 なまじこれだけの被害が出ているだけに、公に出来ぬとはいえ容易く看過も出来ない。世にどれ程そんな人たちがいるか分からない以上、被害を抑えるには、誰かに集めさせて固ることが一番だ。

 つまり、自保の本来の姿は、ただ自殺者を減らすということでなく――


「分かったようですね。そう、ここ自保は、私ではなく刑事組織の者によって作られた『能力者保護施設』だということです」

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