(6)些細な疑念
その日も夕食の席で、店での話を披露した千尋だったが、一通り聞き覚えた理恵は無言で顔を引き攣らせ、聡美は興味津々で尋ねた。
「お姉ちゃん、その男の人ってそんなに格好良いの?」
「うん。スマホに一緒に写った画像があるから、ご飯を食べ終わったら見てみる?」
「見たい!」
「ぼくね、きょうもねこさんみたい!」
ウキウキと言い出した健人に、千尋は笑いながら頷く。
「今日はいつも以上に、やる気の無いクロが撮れたわよ? 道路のど真ん中でベローンと寝そべっていたり、バケツの中で丸まっている写真もあるから、後から見せてあげる」
「やったー!」
「笑えそう。それも見せてね!」
「良いわよ。でもその前に、きちんとご飯を食べようね?」
「は~い!」
「うん!」
さり気なく千尋が好き嫌いせずに食べようと促し、少しでも早く猫の画像が見たかったのか、健人が皿の隅に寄せていたピーマンを勢い良く食べ始める。兄弟三人で和やかに会話しながら食べ進めるのを、理恵は微笑ましく眺めていたが、それと同時に密かに安堵していた。
(今夜も、あの人の帰りが遅くて助かったわ。千尋さんが嬉しそうに男の人の話をしているのを聞いたりしたら、下手したらあの人)
「戻ったぞ」
「はひゃいぃっ!?」
自分の考えに浸っていた最中にその本人が音も無く帰宅し、いきなり至近距離から声をかけてきた為、理恵は激しく驚いて意味不明な叫びを上げた。当然それは、家族全員から怪訝な視線を集める。
「……どうした」
「え?」
「お母さん?」
「ママ?」
「ああああのっ! あなた、お帰りなさい! 今日は随分早かったのね!」
慌てて勢い良く椅子から立ち上がった理恵に、義継は益々訝しげに問いを重ねた。
「ああ。仕事が思ったより早く片付いてな。……何かあったのか?」
「いいえ、別に何も。待っていて、今すぐにご飯を出すから」
そこで理恵が動き出すと同時に、子供達が次々に食べ終わる。
「御馳走様でした」
「ごちそうさま」
「ぼくもたべおわった!」
「それじゃあ一緒に食器を片付けて、私の部屋でさっきの話の続きをしようか?」
「うん!」
「いこう!」
そして義継に挨拶してから、千尋達は連れ立ってダイニングキッチンを出て行った。彼はそれを見送ってから、自分の前に夕食を並べている妻に、何気無く尋ねる。
「子供達は、何をあんなに盛り上がっているんだ?」
「ほ、ほらっ! 千尋さんのお店の猫の話よ。今日も色々大活躍だったみたいで、写真も撮ってきたそうだし」
「……そうか」
焦りながら理恵が弁解し、それを聞いた義継は少し片眉を上げたが、それ以上突っ込んで聞いてくる事は無く、黙々と食べ始めた。
(何だか、微妙に疑っている気がするけど……。別に、聡美と健人に、口止めまでしなくても大丈夫よね?)
それを見て密かに胸を撫で下ろした理恵だったが、一抹の不安を抱える事となった。
※※※
次の日曜日、千尋は予定していた通り、母親の見舞いに出かけた。
「お母さん、具合はどう?」
「取り敢えず元気よ。ごめんなさいね、店の事を任せた上に、色々届けて貰って」
「毎日来ているわけじゃないし。伯母さんとかも来ているんでしょう?」
「一人で何不自由なく生活していたけど、こういう事があると本当に考えちゃうわ」
「そうよね。大崎さんも、お母さんの事を随分心配してくれてたし」
そこで千尋がしみじみとした口調で言い出した事について、尚子は不思議そうに尋ね返した。
「大崎さん? そんなご近所さんは居ないけど、誰の事?」
「この前の金曜日にお店に来た、タウン誌と契約しているフリーライターさんよ。味のある店構えだから、ちょっと話を聞かせて貰えないかって言われて話し込んだの。お母さんは知らないよね?」
「ええ、いらした事は無いし、会った事は無いわね」
素直に頷いた尚子に、千尋は苦笑いしながら補足説明をした。
「尤もお母さんの代理で、先週からやり始めたばかりだし、大して話す事も無くて。逆に大崎さんから、付近のイベントとかを色々教えて貰っちゃったわ」
「そうだったの」
「あ、そういえば、あの店がある一角って、今年の春頃に再開発の話が持ち上がったんですって?」
「ええ。その話、その大崎さんから聞いたの? 耳が早いのね」
「曜日ごとに地域を分けて回って、住人から色々情報を仕入れているらしいわ。それでその事も記憶にあったみたいで、話題に出たのよ」
「なるほど、そう言う事ね」
感心したように尚子が頷くと、千尋も深く頷きながら、真顔で話を続ける。
「一人暮らしのお母さんが入院して、その代わりで店を開けていると説明したら、『それは大変でしたね。娘としては心配でしょう』って凄く同情してくれて。『怪我ですと、リハビリとかも大変ですよね? 住居部分は二階みたいですし、階段も危ないかもしれません。マンション建設に伴う、地権者提供用の部屋での暮らしになるなら、これからお年を重ねても色々便利だとは思いますが』って心配してくれたの」
「確かに、そうかもしれないけど……」
そこで言葉を濁した尚子に、千尋は踏み込んで聞いてみた。
「どうしてマンション建設の話が進まなかったの?」
「地権者である住民の多くが、拒否したからよ」
「お母さんも?」
「ええ。だって住む所は用意して貰えるでしょうけど、駄菓子屋を併設って無理ですものね」
そこで千尋は思わず口を挟んだ。
「そう? 一階に店舗とか設置してあるマンションって多くない?」
「そういう所はコンビニとかでしょう? 駄菓子屋が入っているマンションって、想像できる?」
「……できない」
「そうよね」
難しい顔で答えた娘に、尚子は笑った。それを見た千尋は、憮然としながら問いかける。
「どうしてそんなに、あのお店にこだわるのよ?」
「まあ……、色々あってね」
「本当に、わけが分からないわね」
完全に呆れ顔になった千尋に、肝心な事は語らないまま、尚子は笑みを深めた。
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