味噌には味噌を

 ここは、とても静かだ。

 家屋が風にカタカタと音をたて、遠くから鳥の鳴き声がする。

 これまで聞き慣れたエンジン音や近所の生活音、デジタル音はまったくといっていいほど聞こえなかった。


(あんなに朝起きるの苦手だったのにな……)


 左腕をかばいながらなんとか身体を起こすと、見計らったかのように障子の向こうから声が聞こえた。


「真吾くん。朝ごはんの時間だぁよ」


 こののんびりとした声は駒子さんか。

 一階から呼びかけているようだが、吹き抜けのおかげか、雑音がないからか、二階にいてもよく聞こえた。

 一人暮らしをしていた約四年の間、ギリギリまで寝ていて朝食は抜くという生活をしていた。だが、駒子さんの言葉に反応して、腹が鳴った。


「はい。行きます」


 頭がしゃっきりとしているので、すぐに行動した。服を脱ぐのに多少手間取ったものの、なんとか着替えを終えると、部屋を出た。

 ここで生活していく上での決まりは、昨日のうちに聞いていた。

 みことさんの住む『万屋界外』は、三階建ての大きな茅葺きのお屋敷で、当初僕は一階の和室にお世話になっていた。手伝いの身となった今は、二階の西側の部屋を使わせてもらっている。

 あてがわれた部屋は、最初の部屋に較べると少々狭いが、つい先日まで暮らしていたワンルームの部屋よりも広い。

 田んぼで散乱していたという荷物も全て持ってきてくれたようで、濡れた服も乾かしてくれていた。ただ、スマホはバキバキに割れていたし、その状態で雪に埋もれていたため、水没してしまっていた。

 家に連絡しなきゃなぁ……なんてことが頭をよぎったけれど、余計な心配をかけそうで、止めた。元々、短期間で帰るつもりはなかったのだ。


「おう、生きてるな」


 部屋を出て内廊下を歩いていると、東側の廊下から声をかけられた。


「あ、おはようございます」


 建物は南側にある玄関と土間、そして居間が三階まで吹き抜けになっており、奥の北側に階段がある。そして、吹き抜けをコの字で囲むように内廊下があり、各部屋は全て建物の窓側にあった。

 一階は食事や商いに使うスペースで、住居スペースは二階からだった。その二階には、僕を助けてくれた太郎さんと次郎さん、そして僕がいる。

 三階には、みことさんと駒子さん、武子さんだ。

 僕に声をかけてきたのは、太郎さんだった。

 赤ら顔でがっしりとした体形の、所謂マッチョな太郎さんは、見た目の通り体育会系のようで、行動も話し方も豪快だ。

 挨拶をして北側の階段を下りようとすると、後ろで障子が開く音がした。


「あ、次郎さん。おはようございます」

「ああ、おはよう。良く眠れたかい」

「はい」


 穏やかな口調で話す次郎さんは、色白で背がひょろりと高く、細身だ。まったく印象が違うこのふたりが、なんと双子だと言うから、驚きだ。

 同じ双子でも、駒子さんと武子さんのように瓜二つというのは理解できるが、いくら二卵性でもこんなに違う双子に、僕は初めてお目にかかる。

 それにしても……。

 僕を追い越し、軽やかに階段を下る次郎さんの背中を見ながら、不思議に思った。


(僕は、どうして太郎さんと次郎さんを鬼と見間違えてしまったんだろう?)


「おい。なにぼうっとしてる? 飯の時間だ。行くぞ」

「あ、はい」


 太郎さんにも追い抜かれ、僕は一旦考えることを止めて、一階に降りた。

 食事は決まった時間に全員で。

 朝は六時、昼は十二時、夜は五時。これを守れなかった場合は、食事抜きなのだ。

 さすがに晩御飯が五時というのには驚いた。だが、村の殆どの人が農家や酪農家である亜野村では、それが普通なのだそうだ。


「この時期、五時はもう夜だ。外は暗くなり、空気も一気に冷たくなる」

「夏はまだ明るいと思うけど……」


 みことさんの言葉に思わず反応すると、隣から太郎さんに小突かれた。左側から小突くのは止めて欲しい。


「明るいから長く働いていいということではないだろうが」

「まあ、確かにソウデスネ」

「それに、お天道様が明るいからといっても、暑さは体力を奪う。思った以上に身体は疲れているものだ。疲れを残すのが、一番いけない」


 七時に仕事を始め、九時に休憩。十二時に昼食をとり、二時まで休む。そして、五時前までまた働く。

 なんとものんびりとした生活だ。

 僕が春から働く予定だった会社と同業者の先輩は、残業があるのは普通だし、休日出勤も珍しくないと言っていた。せかせかして働き、時にはエナジードリンクで昼食を済ませる。プライベートなんてほぼ無いとも話していた。


「こんな世界もあるんだなぁ……」

「なにがだ」

「いえ。なんでもないです」

「ふぅん。では、膳を水屋みずやに運ぶのを手伝ってくれ」

水屋みずや……?」


 また聞き慣れない言葉だ。


「いいから。着いてきな」

「あ、はい」


 武子さんは僕を急かすと、それぞれの前に置かれた膳をテキパキと片付け始めた。

 重ねた食器をカゴにまとめると、「よいっしょ」と立ち上がる。

 僕は重なった膳を腰で支えながら片手で持ち、武子さんの後を追った。

 水屋みずやとは、台所のことだった。


「あとはいいよ。駒子がやってくれるからね。あんたは、外に行きな。あ、靴下は脱ぐんだよ」

「? はい」


 靴下を脱げ……? 一体何事だろう。

 履いたばかりの靴下を脱ぎ、サンダルを拝借して外に出た。途端に冷たい風がむき出しの足を撫で、背中がぶるりと震えた。


「う~、寒い寒い」

「おう。こっちだ!」


 太郎さんに呼ばれて行ったのは、母屋に寄り添うように建てられた茅葺きの小屋だった。両開きの扉は大きく開けられ、中では既に何人かの人々が動いている。


「お、おはようございます……。あの、僕は藤野ふじの――」

「皆、昨日から万屋の手伝いになった真吾しんごだ。色々教えてやってくれ。真吾、皆のことを一気に覚えるのは大変だろう。その都度紹介する」


 僕が入っていくと、皆の注目がこちらに集まり、緊張で言葉がつっかえてしまった。みことさんのフォローがなかったら、もっとまごついていたかもしれない。

 集まっていたのは村の女性たちだと言う。高齢化問題は都会の比ではないのだろう。殆どが高齢の女性だった。中には、手ぬぐいを被り背中を丸めた皺だらけの小柄なおばあちゃんもいる。


「では、味噌作りを始める。真吾、外の融雪池ゆうせつちで足を清めから、これを履くんだ」

融雪池ゆうせつち?」


 次郎さんに連れられてまた外に出ると、チュープから水がチョロチョロと流れる池があった。


(池、というよりは、大きな甕を地中に埋めたような形だな……)


「山からの雪解け水、湧き水を各家に引いているんだ。これで足を清める」

「はあ。って、冷たっっ!」


 柄杓で水をばっしゃばっしゃとかけられ、危うく飛び上がりそうになる。


「こらこら。ちゃんと指の間までしっかりと洗うんだよ」

「山からの水で足を洗うのが、なぜ味噌作りに必要なんですか!?」

「この水は山神様からいただいているものだからね。さあ、これを履いて」


 渡されたのは、くるぶしまで隠れる藁靴だった。


「ええええ?」



 *



 そして僕は今、大きなタライの中を歩き回っている。


「おい。すり足で踏むな。ちゃんと足を上げてもっと均等にだ」

「はい~……」


 タライの中には、煮た大豆が入っている。そこに布を被せ、僕はその上で豆を潰していた。

 少しすると、足元の感触が変わり、音もペチャペチャとしてきた。そのタイミングで、横に新たなタライが用意される。大きな鍋で煮られた大豆が、湯気をたててタライに開けられた。


「さあ、今度はこっちのタライだ。潰せ」

「……はい」


 潰された豆は、塩と米麹を混ぜて木樽に詰め込まれていく。それを何度か繰り返すと、大きな木樽も八分目になった。


「よし、いいだろう」

「まだ入りそうだけど」

「内蓋をして、漬物石を乗せるからな。よし、それでいい」


 太郎さんが「よいしょ」と漬物石を乗せると、次郎さんが外蓋を乗せた。


「よし、いいな。豊婆とよばぁ、頼んだぞ」


 豊婆と呼ばれて出てきたのは、背中を丸め、手ぬぐいを頭に被った例のおばあちゃんだった。

 腕も顔も皺だらけで、今日の最高齢と思わしきおばあちゃんだが、思ったよりしっかりした足取りでやって来る。そして木樽の中心部と上部にある縄に、縄紐を引っかけると、なんとしゃがみこんで背負おうとした。


(それは無理だろう!!)


 中には何十キロという煮豆が入っている。それを背負うなんて、できるはずがない。

 僕はなんとか止めようと、豊婆に近づいた。それが、ちょうど豊婆が立ち上がろうとしたタイミングで、僕は腹にまともに頭突きをくらう形になってしまった。


「うぐっ……!」


 尻もちをついた僕を、次郎さんが助け起こす。

 それを横目に、豊婆は軽々と木樽を背負い、小屋の奥へと運んで行った。


「なにしてる。豊婆の邪魔をしたらダメだろう」

「…………」


 僕は茫然と自分のお腹を擦った。

 僕のお腹に当たったのは、豊婆の頭だったはずだ。

 でも、ような感触があったのだ。

 頭突きの衝撃でか、ふんわりと頭に乗っていた豊婆の手ぬぐいは、ツンと何か尖った物がふたつ、浮き出ているように見える。


「豊婆。手ぬぐいが乱れた。うちの手伝いがすまんな」


 みことさんが手早く豊婆の手ぬぐいを直す。手ぬぐいは元通り、ふんわりと豊婆の頭を覆った。


「ありゃ、みこと様。すまねえです。では今度はこっちですかね」

「うむ。そうだ」


 みことさんが頷くと、横にあった木樽にまた縄紐を引っかけ、軽々を持ち上げる。そして広い場所まで持ってくると、ズシンと重そうな音を鳴らして下におろした。

 最初に運んだ木樽よりもむっちりと膨張し、色も濃い茶色へと変色している。


「……あれは?」

「去年仕込んだ味噌だ。樽の木が水分を吸って、膨張している。割れないように木樽には縄をかけてあるが、なかなか良い膨らみ方だ」

「これをどうするんですか?」

「これは来年から食べる分だ。今日の手伝いの代償に、皆に配る」

「ええっ? 古い味噌が代償って……」

「味噌は一年寝かせて完成する。二年寝かせた物を好む者もいる程だ」


(……知らなかった……)


 聞けば、二年物の方が濃く塩味が強いのだと言う。

 酒飲みはこっちを好む人が多いらしい。

 現に、豊婆がまた別の木樽を運んで来ると、そっちも欲しいと皆が口にした。

 

 参加者がそれぞれ持参した樽に味噌を取り分け、味噌作りを終えると、外はすっかり暗くなっていた。

 部屋に戻り、味噌の臭いがついた服を脱ぐ。すると、臍を中心にして左右にひとつずつ、なにか鋭いものが当たったような赤い点が残っていた。


「これ……なんだろう?」




 



 

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