万屋界外の奇妙な日常

雪夏 ミエル

赤い鬼 青い鬼

 ボスン、と間抜けな音を最後に、車が止まった。

 僕は一瞬、なにが起こったのかわからなくて、何度もアクセルを踏む。だが、足元から聞こえるのはキュルキュルキュルと空回りする音だった。


「……嘘だろ」


 窓の外は真っ白だ。

 エンジンを切り、軽快な音楽も止まってしまった今、聞こえるのは身も凍えるような吹雪の音だった。

 とりあえず、今の状況を確認しなくてはならない。

 ゆっくりとドアを開けるが、少し開いたところで風にあおられ、指から簡単に外れると一気に開いた。キィッと甲高い音がして、限界まで開いたドアがようやく止まる。


「あっぶね!」


 これが都会だったら、通行人や後続車とトラブルになっているところだ。幸いにも、周囲には後続車どころか、通行人もいない。

 冷たい空気が一気に車内に入り込んで、ぶるりと震えた。

 ダウンジャケットのフードを被り、身を縮こまらせながら外に出るが、既に耳は千切れそうに痛い。


「うわぁぁぁ……。最悪じゃん……」


 愛車の黒い車体は、前が完全に雪に埋もれている。道路脇に積もった吹き溜まりにそのまま突っ込み、停止したのだ。

 車内に戻り、再びエンジンをかける。ギアをバックに入れて思い切りアクセルを踏むが、やはりタイヤはキュルキュルと空回りするだけだった。


『百メートル先、右折です』


「わかってる。わかってるよ。でもさ、この状況でどうしろって言うんだ!」


 親切に案内してくれるカーナビを怒鳴っても仕方がないのだが、気持ちは焦るばかりだ。

 何度かバックを試みるも、結果は同じ。


「百メートル先、右折か……。そこに行けば、とりあえず民家はあるはずだ。大体、まだ十一月だっていうのに、なんなんだこの天気は!」


 出発前、『冬並みの寒波が日本列島を覆うでしょう』なんてことを笑顔で言うお天気キャスターの言葉を信じ、タイヤは交換した。だけど、まさかここまで荒れるとは思わなかった。

 百メートル先――目を凝らすが、見えるのは横殴りの雪。もはや道路と空の区別もつかない。だが、それは前方だけではない。僕は、四方を白い闇に囲まれていた。

 こんなにも勇気が要る一歩が、今まであっただろうか。だが、このままここに留まっていても、誰かが見つけてくれるという希望は薄い。なにしろ、車が止まってから今まで、誰ひとり車一台、通らないのだ。


「だ、大丈夫だ。車が向いていた方向が前に違いないんだから」


 そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと歩を進める。だいぶ積雪もあり、足はふくらはぎまで雪に埋もれた。


「なんなんだよ。なんでこんなところに来ちゃったんだろう」


 嘆いても、後の祭りだ。今はとにかく、民家を目指すしかない。

 なんとか気持ちを奮い立たせて歩き続ける。

 もうすぐ百メートルだろうか……そう思って踏み出した一歩が、ズブズブと雪の中に入り込んでいく。あ、と思った時には既に遅く、僕の身体は雪の坂を転げ落ちていた。

 どれ位落ちたのか分からない。

 仰向けに倒れ、空を見上げる恰好なのに、相変わらず視界は真っ白だった。

 

(荷物……どこいったんだろう)


 左腕を動かそうとして、激痛が走る。

 なんとか動く右手で荷物を引き寄せ、スマホを探る。すると、小さな冷たいモノが指に触れた。


 チリン――――


 真っ白な世界に、鈴の音が響いた。


「なんだ? 今の……。くそっ、スマホどこだよ……」


 左腕の激痛と寒さに、意識が朦朧とする。

 こんなところで死ぬのは嫌だ。助けを呼ばなくては……! 気持ちばかりが焦り、荷物をぶちまけた。だが、スマホは見当たらない。


「――くそっ……」


 ゴロリと仰向けになり、目を閉じる。顔の上にどんどん雪が降る。


「勘弁してくれ。このまま冷凍されんのかよ……。誰か、助けてくれ」

「なんだ。お前、人間か」


 くぐもった声に気づき、ハッと目を開けると、目の前に大きな目がぎょろりと四つ、僕を見下ろしていた。


「な、……え!?」


 僕を見下ろしていたのは、赤鬼と青鬼だった。


「ゆ、夢か? 僕はもう死んだのか?」

「お前、人間か」


 鬼は再び僕に問う。

 カクカクと小刻みに頷くが、もはや寒さで震えているのか、恐怖で震えているのかわからない。


「向こうにあった車、お前のか」

「そうだ。あ……あの車をやるから、頼むから僕を助けてくれ……!」


 果たして鬼に車なんて必要なのかはわからないけれど、僕はとにかく必死だった。

 

 寒い。

 怖い。

 痛い。


「死にたくない……!」


 どんどんぼやけていく視界の中で、赤鬼と青鬼は顔を見合わせた。


 

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