Skies Heart
みやびなや
第1話プロローグ1/3(プロローグ/幼き夢)
◇◇
草原を焼き尽くす、大波の如き炎の壁。
橙の景色に、無造作に突き出した右腕で相対する。
「グ―――――ぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
想像を絶する苦痛で、自覚も無く叫んでいた。
外側は処理しきれない熱で削られ、内側は人の身で業火を凌ぐ不敬を責めるように軋きしみを上げる。
今にも体が砕け散りそうだ。
刻一刻と、意識は凄い勢いで限界に迫り、あと数秒でそれすら突破する。
だが、それがどうした……!
焼ききれそうな意識を、意地だけで繋ぎ止める。
そうだ、ここで死ぬわけにはいかない……!
視線を炎から切る余裕もないが、背後には確かに、守らなければならない奴の存在を感じている。
ならば、こんな炎になんて絶対に負けてやるわけにはいかない……!
突き出した右手に力を籠める。
大気ごと焼き尽くす灼熱と、身よ砕けよと体内を奔流する魔力。
ぱんっ、と。
体内で何かが弾けるような
それらに、力尽くで蓋をして。
限界ごと、その炎の海を
◇◇
もう8年も前の話になるが、俺はひとりぼっちになった。
その被害者が、俺の両親だったからからだ――。
その地獄のような惨状は、今でも思い出せる。
砕け散ったテーブル、裂けたフローリング。
月光に照らされた、目を覆いたくなるような破壊痕。
電気も消え去った薄暗い部屋は、鮮血でべったりと彩られている。
その中に、胴体と頭だけになった、お父さんとお母さんだったものが転がっていた。
「―――――」
言葉が出ない。
物音ひとつしない、静かな闇の中にいる。
この場所についさっきまで温かい団欒があったなんて信じられない程、ここは冷たい空気に満ちていた。
――悪い夢を見ている、と思った。
子供ながらに一生懸命取り組んだ手伝いを褒めてくれた両親。
つい2時間前に目をしょぼしょぼさせて寝室に向かう自分を、おやすみと笑顔で見送ってくれた両親は、今では手足を失った、物言わぬ肉塊と化していた。
目の前の景色が、普段の温かな団欒とかけ離れ過ぎていたからか。
ここはまるで屠殺場で、加工された肉だけが持ち去られ、食べられないところだけ破棄された、なんてバカげた考えが浮かんでしまった。
現実感がない。
きっと悪夢を見ているのだ。
怪談の似合う夏の熱い夜。
寝苦しさにこんな酷い夢を見たのだとしても納得がいく。
――これは現実だという確信がある。
けど、だとすれば。
この、蛇の怪物の胃袋の中に捕らわれたような、言いようのない不安と悪寒の正体は一体なんだというのか。
口内がカラカラに乾く。
こみ上げる吐き気を我慢できない。
この惨状を引き起こした元凶が、今にも闇の中から滲みだしてくるような、そんな叫びだしたくなるような妄想に頭の中が揺さぶられる。
「ヒッ――――」
玄関へと走り、靴を履く間もなく扉を蹴破り外へと飛び出す。
8年の間自分を見守ってくれた両親と家を両方ともあっさりと見捨て、恐怖に急かされるように走る。
それは恐ろしい夏の夜。
俺が全てを失い、ある意味で生まれ変わった、
◇◇
ひたすらに走り続けた。
生きるためには、止まることなど許されない。
振り返れば死が口を空けている。
むろん妄想だ。
そんなもの、実際にはありはしない。
歩を止めて振り返れば、そこには帰るべき平穏な日常が待っている筈だ。
けれど、近しい者の死が、脳内にべっとりとこびりついた残虐な光景が。
あの夜に全身を貫いた冷たい闇が、この足を止める事を良しとしなかった。
全てを見捨てて駆けだしておきながら、今更何に帰れと言うのか。
吐き気に耐え、疲れから足を止めたい衝動をこらえ、走り続ける。
その姿を誰にも咎められなかったのは、不幸だったのか、あるいは幸運だったのか。
鬼気迫る表情で走る8歳の子供、汗まみれで昼も夜も無く走り続ける自分を不審に思う人たちは居ても、通報には至らなかったらしい。
学生の世間は夏休みのこの時期、走り回る小学生など珍しいものではなく。
故に、少しばかり様子がおかしい少年の一人、取り立てて心配する大人たちはいなかった。
結果としてその逃走は止まることなく。
限界に近づいていく体は着実に壊れていく。
人間に無限に走り続ける能力はない。
爆発するような勢いで鳴り響く心臓。
体は
疲れ切って倒れ込む体はどうしようもない。
仕方がないので、疲れ果てた時はせめて
そうして僅かな休息で回復で体力を回復し、再びふらふらと走り出す。
今思えば、誰かに助けを求めるという考えすら欠落する程に余裕がなかったのか。
自壊は4日で極まった。
運ぶ酸素すらなくなった血液。
棒のようになった足は今にも折れそうだ。
目はとうの昔から焦点を定めていない。
呼吸器官は擦り切れているし、鼓動は弱弱しい。
その無様さが、「これが
死にたくなくて逃げ続けて、結果燃え尽きる命の火。
皮肉な話だ。
生存のための能力は、振るいすぎても命を削る。
人間にはリミッターがかかっていて、こと自分は持久力の面でそれを外し過ぎたのだ。
その負債は、今後何十年も続くはずだった
――でも、まぁいいや。
――大切な物を見捨てて逃げるような奴が、今後何のために生きればいい。
そう思いながらも、最後まで止まることはできず。
そうして、市内でも名の知れた神社に辿りついた。
人目を避けて逃げるには相応しくないが、少なくともここには水がある。
手水舎の水を枯れた体に押し込んで、逃走を再開する。
だが、それで得られた活力は僅かなもので、回復したと思われた体力はあっという間に底をついた。
もう体を支える事すら難しくて、鳥居に体をぶつけ、崩れるように倒れ込む。
足は動かない。
警報で止まらぬなら
出力を1割に落とした頭では、何を考える事も出来ず。
――生きる理由すら見いだせない癖に。
ただ、それでも死にたくないという思いだけは手放さなかった。
だから、それは。
きっと神様が願いを叶えに来てくれたのかもしれない。
「――うわ! 君、ずいぶんとボロボロだけど大丈夫? どうかしたのかい?」
落ち行く意識の中で、太陽の如き声を聞く。
朝の陽ざしを弾く、砂金のように淡い金髪。
宝石のような蒼い目、心配そうな表情を浮かべる人懐っこい童顔。
白衣を纏った優男は、ただ純粋にこちらを身を案じていて。
これが、あの夜の恐怖を振り払う、とある魔術師との出会いだった。
◇◇
白く眩しい世界で目を覚ました。
窓からさんさんと降り注ぐ、温かい陽光。
気が付くと、俺は柔らかで、清潔なベッドの上に寝かされていた。
「――?」
最初、自分は死んでしまったのかと思った。
何やら怖いモノから逃げていて、意識を失う前に、何か凄く安心するものに出会った事は覚えている。
だから、自分は死んでしまって、神様に天国ここへ連れて来られたのかと思ったのだ。
「あら、ルイ君。目が覚めたみたいね」
急に名前を呼ばれて、声のした方に振り向く。
そこにいたのは看護婦さんで、それでようやく、自分がいるのは病院なのだとなんとなく理解できた。
「よし、目が覚めたのならしっかりご飯を食べること! 栄養取ってしっかり休んで、そうすればちゃぁんと元気になるからね」
気やすい看護婦さんは、まるでお姉さんみたいな口調で言う。
なんでも、自分は極度の過労と栄養不足で入院することになったらしい。
他にも足が今にも折れそうだったとか、下手すれば筋肉がちぎれるところだったとか諸々あったのだが、なかでもその2つは命にかかわるレベルで不味かったのだという。
「じゃぁ、しっかり大人しくしている様に。あ、おはようございます」
「はい、おはようございます。お、ルイ君。実に二日間の眠り姫も、ようやくお目覚めだ。いや、姫じゃなくて、王子様かな?」
そして、立ち去ろうとする看護婦さんと入れ替わるように、白衣の男が病室に入ってきた。
薄金の髪を首まで伸ばし、日本人離れした白い肌と青い瞳。
絶世の美男子と言って差し支えない男の姿を見て、思わず息を呑んだほど、その男は輝かしく、それでいて親しみやすい軽さを備えていた。
「ボクはホフマン・レジテンド。ホープと呼んでくれ」
人懐っこい声で、そいつは名乗った。
自分より2回りくらい大きい大人が、こんなに幼い笑顔をできるのか驚いたことを覚えている。
「で、いきなり本題なんだけど、君は初めて会うお兄さんについてくる気ある?」
その男は、突然とんでもない事を言いだした。
小学生の知識では、こういうことを言ってくる大人など大体が不審者であるが、不思議とそういう邪念のような物は感じない。
「あぁ、違う違う! 要するに、君が望むなら、ボクが君を引き取ってもいいって話でさ」
考えなしに爆弾発言をした男は、ドン引きの視線を向ける自分に気が付いたのか慌てて訂正した。
なんでも、このホープと言う男こそ自分を病院に担ぎ込んでくれた恩人らしい。
で、その過程で俺の身の上を知ったという。
数日前に一組の夫婦が殺害されたこと。
その息子が行方不明であったこと。
今しがた助けた少年こそ、その男子であること。
駆けつけた警察によって事情を聞いた彼は、常識的に考えれば面倒の塊でしかないこの少年じぶんを、何を思ったか引き取ろうと考えたらしい。
あまりにも突然なその発想に「もしかして親戚なのか」と尋ねると、ホープは笑いながら「いいや、れっきとした赤の他人だよ」なんて答えた。
「でも、じゃぁなんで? お兄さんにそんなことをする理由なんて……」
ありはしない。
血のつながりによる義務とか、一度助けた者としての責任とか、そんな面倒なものあるはずがない。
彼は善意に従って自分を助けただけの一般人だ。
死にゆく命を拾い上げ、無事さえ確認すればあとのことは社会に任せて立ち去ればいいはずの他人。
そんな厄介を被る必要などない筈の男は
「だって、ボクには君を助ける力があって、君を助けたいと思う意志がある。だったら、やらない理由が無いでしょう?」
初めからそんな面倒なことは考えていないと、俺の不安を吹き飛ばす明るい笑みが向けられる。
その言葉に従い、俺はこの男についてくことを決めたのだ。
ルイ・レジテンド。
男と同じ姓になり、親と子として生きていく。
思えば、この時だ。
こんな、何もできない子供を引き取ってくれた男に。
あの夜の恐怖を払ってくれた、ホープと言う男に恩返しをして生きていこうと思ったのは。
◇◇
さて、そんなことを言いきって見せたホープだが。
確かに、彼には間違いなく自分を引き取るだけの余裕があった。
けど、あまりにもとっさの事で、受け入れの準備の方はまったくもって足りていなかった。
「あ、ありえない……」
4日後。
退院した自分を待っていたのは、ガランとした新居だった。
あの後、自分の返事を聞いたホープは大慌てで家を購入したらしい。
もともとホープは旅人だったらしく、日本に所有する土地も別荘も無かったもので、
「いやぁ、引き取るって話自体が突然の事だったからね。この国に僕の家はないんだから仕方ないでしょう? ほら、ネナシグサってやつ……違う?」
いや、確かに助ける力はあったのだろう。
実際にこの家を即席で準備するだけの金はあるわけだ。
ただ、劇的な環境の変化とか覚悟しつつ、ちょっとばかり期待していた身としては大分肩透かしを食らった気がする。
ほら、ホープって言うまでも無く外国人なわけで、彼に引き取られるってことは言葉の通じない土地で悪戦苦闘しなきゃいけないかなぁなんて思ってたんだけど、まさか人上市から離れる事すらないとは思わなかった。
というか、物理的にどうやって4日で家なんか準備できるというのか。
「予想外の事態だけど、まぁいいさ。日本の神話は実にボリューミーで調べ甲斐がある。これを機に拠点を構える事が出来たと考えるよ」
父代わりになった男は、そんな良く分からない事を言いながら笑いだす。
けれど、とにかく前向きなその男の笑顔に、これからの生活が楽しみになったことは覚えている。
◇◇
さて、そんなゼロから始まる新生活から一年がたち、自分の事はある程度自分でこなせるようになり出した頃、
「さて、ルイ。ボクは明日からちょっと海外に行くことになったから」
そんなことを言って、ホープは頻繁に家を空けるようになった。
ちょっとと言いつつ、短くても一カ月、長くて半年も家を空ける事もあった。
結果として、自分は家に1人でいる事が多くなる。
自分にとって、1番大事なことはホープの役に立つことだ。
命を救ってくれた親ホープに、恩返しがしたい。
一度そう言って、一緒に連れて行ってくれと頼んだことがある。
「うーん、ちょっと待っててほしいなぁ」
だが、彼から返ってきたのは、やんわりとした断りの言葉と、困ったような苦々しい顔だった。
こんな顔を見てしまった以上、自分が付いていくことでホープが迷惑することを察しないわけにはいかない。
だから、自分に出来る事をしようと思った。
恩返しの予定が先送りになったのは、自分に成長するための猶予が与えられたと考える事にした。
修業に余念はない。
今は、自分に出来る事を精一杯磨く時だと、いっそう身を入れて自らを鍛えていった。
ひとりぼっちで家に残る寂しさはない、と言えば嘘になる。
けれど、帰ってきたホープの土産話だとか、魔術の上達を褒めてもらえるだとか、そういった報酬があれば簡単に帳消しに出来たし、なによりホープのために成長できる充実感がたまらなく嬉しかったのだ。
あの夜の恐怖は月日が経つにつれて薄れていくが、変わらず俺の恩返しのための歩みは続いていく。
鳥居の前で、壊れかけた子供を優しく助け出してくれた者がいて。
ソイツの願いを叶える力になりたいと、もう一度ゼロから始まった自分がいる。
あの朝焼けの出会いに報いるためなら、いくらでも頑張れる。
まぁ、締まらない事を覚悟で付け加えると、あんな子供みたいな大人を放っておけないという思いも実はあったりする。
大胆かつ軽率、我慢はしないしやりたいことは全部やるが信条モットーのホープは見るからに危なっかしい生き方をしていて、こりゃ俺がしっかりしないといけないなぁなんて、子供ながらに思っていたから――。
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