Tale of P.E.N.C.I.L

バチカ

光と影の兄弟

 冷たい岩盤に囲まれながら、僕達は息を殺して身を潜める。身に纏う黒革のジャケットが濡れているのは、岩の割れ目から水が染みているかららしい。


 隣には、いつも一緒にいる兄弟。金髪の映える端正な横顔が、薄闇の中で微かに見える。眼前を見据える炯眼けいがんは、僕よりも鋭い。


 後ろには、救出対象である五人の鉱員。屈強であろう肉体が作業着の中に押し込まれているにも関わらず、彼らの雰囲気は何とも頼りない。


 足元には僕が展開した魔方陣。奇怪な紋様が描かれた円は鉱員や兄弟を全員収めるには十分すぎるほど巨大で、足元をわずかに照らすほどの明かりを仄かに放っている。


 目の前に迫りくるは、虫の大群。いや、実は奴らは虫じゃない。魔物。虫のような見た目をした、この世に非ざるべき存在だ。


 坑道のランプの明かりが、奴らの全貌を仄かに照らす。蒼い外骨格の煌きは、まさに見る者全てを魅了させる宝石のよう。だが、奴らには真っ赤に閃く無数の眼と、人肉など容易く食い破る鋭い口器があった。そして何より、奴らは大型犬並みに巨大だった。


 後ろから「ひっ!」という声がした。恐怖のあまり、虫嫌いの誰かが発してしまったんだろう。僕が展開している魔方陣は、中にいる者全ての姿と音を隠す。一方の奴らは音に敏感だ。もしこれが無かったら、鉱員の声に反応した群れに襲われて、僕達は瞬く間に骨だけと化していただろう。


 依頼で僕達は、このミサハ鉱山にやって来た。内容は、落盤事故で行方不明となった鉱員の捜索と救出だ。単なる落盤事故なら国の救助隊に任せりゃいいじゃねえか。と言いたいとこなんだが、発生した現場が現場なだけに、僕達、魔物ハンターが対処することになった。


 ミサハ鉱山では、魔鉱石と呼ばれる鉱物が採れる。云わば、ルビーやダイヤのような宝石の類だ。単に高級な宝飾品として用いられるほか、魔法士が魔法を扱うのにも重宝される。そのため、市場ではかなりの高値で取引されており、一獲千金のロマンを求めて魔鉱石を狙う人は少なくない。


 だが、魔鉱石が採れる場所ってのは、たいてい凶悪な魔物が巣食っている。例の虫――輝石虫ジェムバグが好例だ。奴らは魔鉱石になりすまし、本物と間違えて近づいた鉱員に牙を剥く。てか、あんな虫ならまだ可愛い方で、他にもヤバい魔物は沢山生息している。そのおかげで、魔鉱石を採ろうとして魔物に襲われたというケースは枚挙に暇がない。


 だから、魔鉱石の鉱山で事故が発生した際は、魔物の襲撃という二次被害を抑えるために魔物ハンターが対策するようになっている。救助隊には、対魔物のノウハウが無いからね。


 虫たちによる死の河川が目の前を通り過ぎる。


 正直な話、輝石虫ジェムバグの群れなど、僕と兄弟の力を以ってすれば一掃することなど造作もない。けれども、今は状況が違う。


 だってそうだろ? ここは落盤事故が起きたほど岩盤が脆い。下手に強力な魔法をぶっ放して被害が拡大したらどうする? 僕は生き埋めになんかなりたくない。何より、これは救助依頼だ。虫の殺戮ばかりに気を取られて過ぎて、鉱員が奴らに食い殺されてしまっては本末転倒だ。なら、どうするか――。


 輝石虫ジェムバグ達はどこへ向かっているのか。実は、奴らの向かっている先にもう一つ、僕が作った魔方陣がある。録音した鉱員の足音や声がたんまり詰め込まれた代物だ。つまり、音を頼りに獲物を探すしか能がない奴らは今、僕の作ったデコイに騙されている真っ最中なのだ。


 どれくらい経っただろうか。目の前を通り過ぎる魔物がいなくなった。索敵サーチを用いてみると、僕がデコイを仕掛けた場所に夥しい数の反応が見られる。なんて効果だ。虫が苦手な人には見せられない光景だな。


 僕は魔方陣から出る。そして、魔物たちが向かって行った方の通路に、魔方陣を展開した。分厚い障壁魔法だ。これで、奴らはもう僕達の所へ戻っては来れまい。


「準備完了。脱出するよ」


 僕は、兄弟と鉱員達に指示をした。


「兄弟、先導して。僕は後ろを守るから」


「ああ、分かったぜ、兄弟」


 かくして、僕達は出口へと進む。一番厄介だった虫の群れはやり過ごしたんだ。後は、皆でここから出るだけなんだが。


 刹那、先頭から光が迸った。


 兄弟だ。右手に、長剣を形作ったを握っている。


「どうした⁉」


「群れから出遅れた奴が何体かいたみたいだ。全部、斬ってやったぜ」


 鉱員の近くを見てみると、なるほど、輝石虫ジェムバグが散らばっている。流石は、兄弟の光剣ライトセイバーだ。光の魔剣に切れぬ物はない。けど、


「敵はまだいたのか。マズいな。なら、早めに出よう。ここにいるのは、あの虫だけじゃないんだからね」


 僕の返答に、悲痛な声を上げた鉱員が約一名。怖いのか? 分かるよ。こんな所にいつまでもいちゃ気が狂うよな。任せてくれ。すぐに外に出してやるから。


 しばらく歩くと、目の前から強い光。あれはランプ程度のぬるい灯りではない。陽の光だ!


「出口だ……」


 鉱員の一人から、歓喜の声が漏れた。


 あそこは僕達が現場に潜入するのに使った出入り口だ。幸いにも落盤事故の影響をあまり受けていなかったらしい。これで全員が外に出れば、僕達の依頼も完了となる。


 だが、こういう時こそ、注意が必要だ。さっきも言ったが、近くにいる魔物は輝石虫ジェムバグだけじゃないんだ――。


 僕は察知した。


 近くの岸壁。その奥から、何かがこちらに向かっている。そのまま来れば、僕達の列に真横から突っ込むことになる。そうなれば、守るべき鉱員達が餌食になる。


 僕が地を蹴ったのと、先頭の兄弟がそれに気付いたのと、『そいつ』が洞窟の岩盤を突き破って現れたのは、ほぼ同時だった。


 前面に魔法障壁を展開。奴はそこに勢いよくぶつかってきた。障壁越しに伝わる強い衝撃。けれども、今ここで押し止めなければ、鉱員達に危険が及ぶ。僕は兄弟の方へと振り向いて叫んだ。


「兄弟! 今は鉱員達を守るほうが先だ。先に彼らを安全な場所へ避難させてくれ! 僕はこいつを止める!」


「兄弟……⁉ 分かった。こいつらを外に出したら、すぐに合流してやる。待ってろ! ――ほら、お前ら走れ!!」


 僕の指示に、兄弟は鉱員達を纏めて外に出るよう促した。魔物の姿に腰を抜かしている鉱員がいたが、兄弟が無理矢理立たせていた。


 鉱員達がある程度離れたのを気配で確認した僕は、障壁を緩めた。反動で後方へと押し飛ばされるが、上手く着地出来たから問題なし。そして、僕は見る。そいつの全貌を。


 巨大なサソリだった。


 様々な濃淡の紫水晶アメジストが凝集したような外骨格は、奴が輝石虫ジェムバグの仲間であることを容易に想像させてくれる。だが、そいつは体高だけでも僕の身長を超え、長い尻尾の先には騎兵槍ランスを彷彿とさせる鋭い棘が生えていた。僕が知る限りでは、あそこには人どころか象すら即死せしめる猛毒が仕込んであるんだよね。


 最も目を引いたのが、前足部分に当たる巨大なハサミだ。本来は獲物を捕まえるための器官なはずだが、岩盤を掘りやすくする機能を追加したかったのか、ショベルカーのバケットのように肥大化している。そんな特徴的な外見をしているためか、こいつは僕達魔物ハンターの間ではこう呼ばれていた。


 『大籠鋏バケットシザース』と。


 振り上げられた二本の前足と、扁平な顔の側面についた二対の単眼。窪みに嵌められた黄玉トパーズの珠から、僕は視線のようなものを感じた。どうやら、僕に狙いを定めてくれたようだね。


 僕は応えなければならない。四肢に奇怪な魔法の術式を巻き付け、腰を落として構える。さあ、来い。


 大籠鋏バケットシザースのハサミが襲い掛かる。だが、ハサミは空を掴んだ。僕がスウェーで回避したからだ。


 次々と襲い掛かるハサミの応酬。右から、左から、上から、巨体に似合わぬ速さで迫る。奴の握力を以ってすれば、僕を圧死や切断せしめるなど余裕だろう。それならまだいい方で、もし捕まったら、尻に生えた毒針で刺殺されるか、顔にある鋭い顎脚で身を引きちぎられながら捕食される未来が待っている。そんなのは御免だね。


 だから回避する。スウェー、バック宙、横っ飛び、持ち前の俊敏さを生かして、回避、回避、回避、回避……そして、無理そうなやつは、こうする。


 ガンッ! という音が響いた。僕の上段蹴りハイキックが、大籠鋏バケットシザースのハサミを弾いたのだ。魔力で強化されたキックは、魔物の膂力にすら打ち勝つ。次いで、流れるように繰り出す僕の後ろ回し蹴りが、片方からのハサミも弾き返した。


 回避、弾き返し、回避、弾き返しの応酬。やがて、大籠鋏バケットシザースは両腕で自分の顔を覆う動作をし始めた。防御の構え。僕はそこへ、助走をつけた横蹴りを叩き込んだ。魔力だけじゃなく、勢いまで十分に付与された伸びやかな蹴り――防御した上からまともに食らい、サソリの巨体が大きく後退した。


 だが、ここで奴の動きに変化が。距離を取ったまま、すぐにこちらへ接近して来ないのだ。代わりにその場で両腕を上げ、ハサミをカチカチと鳴らし始めた。察するに、これは警告音。翻訳するならば「獲物のくせに生意気だ」だろうか。ならばと僕はそれに応える。「来いよ」と片手だけ動かして。


 大籠鋏バケットシザースが突進した。急発進したトラックのごとく僕に肉薄。そのまま、両手のハサミで僕目掛け掴みかかった。勢い余ってハサミが地面に衝突し、砕けた地盤が舞い上がる。


 だが、そいつに手応えは無かった。そんな大籠鋏バケットシザースの真上に描かれる魔方陣。そこから飛び出したのは、瞬間移動で回避していた僕だ。しかも、片足を大きく振り上げた状態で。


 僕は叫ぶ。


「『魔法士の踵落としメイガス・ネリョチャギ』ィッ』


 必殺の一撃を、そいつの背中目掛けて振り下ろした。魔力によって極限にまで筋力も強度も威力も速度も高められた踵落としは、尻尾の部分も巻き込み、大籠鋏バケットシザースの堅牢な外殻に亀裂を入れた。――いや、それだけじゃ済まさない。足先に詰め込んだ魔力を、僕はその亀裂から注ぎ込んでやった。不安定で規格外な量の魔力が、サソリの巨体の中で炸裂したらどうなるか。


 その結果がもたらしたものの中央に、僕は立っている。ハンマーの一振りでは砕けぬ大籠鋏バケットシザースの外殻とて、体内で爆ぜる魔力など防ぎようがなく、その巨体は真っ二つとなった。辺りに散らばる輝石は奴の欠片。黄色い液体は奴の体液だ。


 大籠鋏バケットシザースを砕いた僕だが、安心することは出来ない。まず、砕かれた奴の肉体に変化がない。ということは、奴はまだ……だ。そして何より――。


 地震のような揺れが発生した。どうやら、あいつの突進と僕の踵落としネリョチャギが、鉱山に致命傷を与えてしまったようだ。このままでは崩壊してしまう。悪いが、僕は奴と心中する気は毛頭ない。踵を返し、出口めがけて走る。


 刹那、僕は背後から、悍ましい殺気を感じた。


 反射的に、走りながらお辞儀のようなポーズをした。そんな僕の背中の上を、何かが高速で通り抜ける。サソリの尻尾だった。


 振り向いて理解した。再生した大籠鋏バケットシザースが、僕を追い掛けていたのだ。


 真っ二つになれば死ぬ。そんな常識は生物にのみ通用する話であり、魔物には関係ない。奴等は、悪の魔力の凝集体。身体を構築するための魔力が枯渇しない限り、何度でも体組織を再構築させることが出来る。その再生力は魔物の持つ魔力が高ければ高いほど強力で、高位にでもなれば脳味噌を吹っ飛ばされてもすぐに再生出来てしまう。奴等にとって脳を破壊されることは死ぬことではない。重要な器官を再構築するための魔力が消費されてしまう程度の話に過ぎないのだ。


 尻尾は、目の前に落下した岩石を粉砕した。おいおい。あの岩石は、掘削機ドリルを使わないといけないくらい硬いんだぞ。ただでさえ猛毒が仕込んであるっていうのに、なんという鋭さだ。


 崩壊する坑道を走る。まっすぐな道をひた走る。


 上からは落石。背後からは追跡してくる巨大サソリの毒針。僕は走りながらひたすら回避する。なに、距離はそんなにないんだ――。


 次の瞬間、落石が目の前を塞いだ。いっそのこと砕いてやろうと思った。しかし、ここで背後からも気配。一瞬の判断だった。振り向いた僕は、障壁を前面に展開した。すぐ目の前に、大籠鋏バケットシザースの凶悪な毒針が迫っていた。危なかった。あと一歩遅ければ、「先っちょだけだから大丈夫」が遺言になっていた。


 だが、僕の障壁は毒針が刺さるのを防げても、毒針を突き出す勢いまで防ぎきることは出来ない。刺突の勢いは僕の身体を容易く吹っ飛ばし、そのまま背後の岩盤を砕いてしまった。


 兄弟と鉱員達は、外のすぐ近くにある掘削施設の近くにいた。彼等はさぞ驚いたことだろう。塞がってしまったと思った鉱山の入り口が突如として砕かれ、そこから毒針で突き飛ばされた僕が飛び出してきたのだから。


「兄弟! おい! 大丈夫か!!」


「……あ、ああ、大丈夫だよ。障壁も展開しているし、ジャケットにも魔導被膜が施されているから、この通りピンピンしてる」


 僕を心配してくれた兄弟に僕が大丈夫アピールをするのと、一旦坑道の中へ引っ込んだ毒針の持ち主が鉱山の出入り口から姿を現したのは同時だった。


 鉱員達から悲鳴。そりゃそうだ。魔物ハンターじゃない彼らにとって、大籠鋏バケットシザースのような怪物なんて日常の範囲外の存在だ。慣れてる態度を取られる方が逆に不自然だよ。


 一方の兄弟は、無事な僕を見て安堵の笑みを浮かべていた。


「なんともないのか。それはよかったぜ、兄弟」


「ああ。でも、一回あいつの身体を真っ二つにしちゃった。だから、奴の魔力はだいぶ減ってると思う。あと何回か致命傷を与えれば、例の亡骸になるはずさ」


「マジかよ。まあでも、俺の分まで残してくれて感謝するぜ」


 陽の光に照らされて、大籠鋏バケットシザースの外殻が、紫水晶アメジストの色に輝いている。そしてそれ以上に閃いていたのは、奴の眼だ。初めて遭った時は黄玉トパーズだった単眼が、今では烈火の如き紅玉ルビーの色に染まっていた。要は、めちゃくちゃ怒ってる。まあ、身体を砕いちゃったんだから当然よね。


 僕達は鉱員達に、依頼主や他の鉱員と同様、構内から避難するように指示をする。激怒した魔物ってのは、歴戦の魔物ハンターすら想像だにしないことをしてくるからね。さて、鉱員の皆様は遠くへ逃げてくれたことだし、第二ラウンドを始めるとするか!


 先に仕掛けたのは向こう。いや、ハサミをカチカチ鳴らしていた時点で気付いていた。


 突撃。その巨体とは思えぬ速さで急加速した大籠鋏バケットシザースが、兄弟目掛けて襲い掛かる。兄弟の反応は早かった。奴のハサミが兄弟を捉えたと思った時には、兄弟はすでにその場にいなかった。飛び込み前転で回避していたからだ。


 大籠鋏バケットシザースが急に方向転換。速度を全く変えないまま、今度は僕に向かってきた。突進の勢いも乗せたハサミの一撃を間一髪で回避した僕だったが、代わりに背後にあった給水塔があっけなく倒れた。大籠鋏バケットシザースは勢い余って、塔の裏にある砂利の山に真正面から激突する。舞い上がる砂埃。給水塔の頭が衝撃で壊れ、溜まっていた水が盛大にぶちまけられる。それが砂埃を強引に晴らしたのと、砂利の山から何事もなかったかのように大籠鋏バケットシザースが姿を現したのは同時だった。


 大籠鋏バケットシザースは兄弟へと突撃する。間一髪回避したものの、背後にあった施設が、ハサミの一撃で大破した。避けた先で、兄弟は大籠鋏バケットシザースに向かって掌を翳す。白く眩く魔方陣を展開させながら。


「『破壊光線ハヴォック・レイ』!」


 一条の光線が、魔方陣の中心から放たれた。兄弟が最も得意とする、光の砲撃魔法だ。


 が、大籠鋏バケットシザースの方が速かった。瞬時に真横へスライドした巨体の脇を、光線は無情にも通り過ぎていく。砲撃は近くのホイールローダーに直撃し、車体を巨大な爆炎へと変えてしまった。照りつくような熱気はこちらにまで届き、僕は思わず顔をしかめた。


「でけえ上に、なんて素早さだ。おい兄弟! 本当にこいつを真っ二つに出来たのか⁉」


「ああ! 踵落としで思いっきり砕いてやったんだ。じゃなきゃ、こいつはこんなに怒ってな――」


 僕の言葉が途切れたのは、大籠鋏バケットシザースがいきなり僕の方へ尻尾の毒針で突いてきたから。間一髪、兄弟の近くに魔方陣を描いて、そこから僕は姿を現す。


「でも、まさか地表であんなにも俊敏に動けるとは予想外だった。僕が奴を砕けたのは、坑道の中っていう狭い空間の中だったからなのかもしれない」


 あそこは奴の行動が制限されていたから、僕の攻撃が当たりやすかっただけなのだろう。けど、また坑道に戻るのは不可能だ。出入り口が塞がってるからね。てか、崩壊の危険がある場所に戻ること自体リスキーだ。


 と、ここで兄弟が肩を叩いた。遠くの方を指さしている。


「なあ兄弟、あそこを見てみろ」


 兄弟が指示したのは、天高く伸びる屋外のベルトコンベアー。恐らく、ミサハ鉱山で採れた岩石あるいは不純物を運んで何かする施設なのだろう。


「ああいう高い所なら、あいつの行動範囲を逆に狭めてやれるんじゃねえか? それに、あそこまで誘い込んで落っことしてやれば、いくらあいつでもひとたまりもねえだろ」


 兄弟の提案に、僕はピンときた。流石は兄弟。いいアイデアを提供してくれる。


「いいね、それ! 兄弟、それで行こう!」


 同意し、僕達は互いに頷いた。大籠鋏バケットシザースが再び突撃してきたが、回避。目標へ誘き寄せるべく、撤退作戦を開始する。


「俺を見ろ! デカブツ!!」


 兄弟が叫んだ。大籠鋏バケットシザースへと手を翳し、手のひらから白い魔方陣を展開する。今回二発目の破壊光線ハヴォック・レイは、真正面から奴の巨躯に命中した。


 けれども、兄弟の光線は、大籠鋏バケットシザースのハサミを融解させただけだった。ハサミを振り回して無理やり冷ますと、大籠鋏バケットシザースは瞬く間に元の大きさまで再生させてしまう。兄弟の破壊光線ハヴォック・レイに耐え切るなんて、なんという堅牢さだ。


 けれども、には嵌まってくれた。自分を撃った不届き者目掛け、大籠鋏バケットシザースが突っ走る。一方、兄弟は目標に隣接する建物の中へと非難した。別の入り口から僕も内部へ潜入する。


 かなり大きな施設だ。大型の倉庫の中にベルトコンベアーといった巨大な機械が整然と配置されている。採取されたものをここで選別したりするのだろうか。でも今重要なのは、この建物の役割を知ることではない。


 走っている兄弟を僕が見つけたのと、壁を突き破って大籠鋏バケットシザースが姿を現したのは同時だった。僕は機械の陰に隠れながら、魔物に気付かれぬよう並走する。


 走る兄弟。キャスターのついた台車を退かし、道を塞ぐコンベアを飛び越え――華麗な体裁きで障害物という障害物を避けながら進む。対する大籠鋏バケットシザースは、そんなみみっちいことはしないとばかりに、巨体と膂力に任せて障害物を蹴散らしながら追いかける。


 大籠鋏バケットシザースの身体の一部が何かに引っかかった。火花が散ったと思いきや、施設の一部が崩れる。小さな崩壊の連鎖が続き、天井にぶら下がっていたキャットウォークが落下――兄弟のすぐ目の前に落ちてきた。兄弟の反応は早かった。床に素早く膝を付き、間一髪、落下するキャットウォークの真下をスライディング。あと一歩遅かったら、兄弟は下敷きになっていた。


 程なくして、キャットウォークだった鉄の塊は、大籠鋏バケットシザースの巨大なハサミによって押しつぶされ、真っ二つに引きちぎられる。


「なんなんだよあいつ、虫のくせに!」


 兄弟の吐き捨てるような声が聞こえた。が、並走している僕は見た。大籠鋏バケットシザースの尻尾の先が、兄弟の方を向いているのを。


 どうする? こうする! 走りながら、僕は手の平を天井へと向けた。黒い魔方陣を描き、魔法の弾丸――魔弾アモを放つ。魔弾アモは天井に命中すると爆ぜ、屋根の一部を破壊した。


 壊れて落下した天井が、大籠鋏バケットシザースの尻尾に直撃する。しかも、僕が落っことしたのは単なる天板じゃない。屋根を支える細かいフレームとか、水銀灯とそれに繋がる配線とか、雑多なもんが色々くっついた代物だ。そんなもんが、今まさに兄弟目掛けてぶち込まれんとする凶器にぶつかったらどうなる?  

 僕の目論見は的中した。尻尾の先には、天井を支える梁やら水銀灯の配線やらが絡みついていた。大籠鋏バケットシザースの力を以ってすればそんなもん引き千切るのは容易だろうが、軌道を狂わせるには十分だ。毒針は、兄弟がいる方向とは全く関係ない場所にある機械をスクラップに変えた。


 ここで、兄弟が真横へ方向転換した。大籠鋏バケットシザースも見逃すことなく、巨大車両よろしく周囲の機材を巻き込みながら方向転換する。


 だが、大籠鋏バケットシザースの目の前には、さっきまで追いかけていた獲物の姿はなかった。代わりに、自身を真っ二つにした不届き者――僕が立っていた。


 驚いた? 僕、知らない間に兄弟とバトンタッチしてたんだ。後退する瞬間、兄弟から「逃げ役とか勘弁してほしいぜ」という愚痴を聞いてしまったがな。


 早速、僕は大籠鋏バケットシザースの円らな宝玉もとい眼球目掛け、魔弾アモをぶっ放してやった。無情にも頑強なハサミの外殻に跳ね返されてしまったが、僕の意図は十分に伝わっただろう。さっきの妨害は、僕がでやったんだ。その気になれば、僕はまた君を真っ二つにしてやれる。嫌かい? なら、僕を捕まえて止めてみな!


 敵の反応は早かった。瞬時に襲い掛かってきたハサミの一撃を、僕はバック宙で回避する。踵を返した僕は、大籠鋏バケットシザースとの追いかけっこを再開した。


 魔弾アモをぶっ放して天井を落としたり、近くの機械やら資材やらを倒したり、妨害しながら逃げる僕。こういう施設は、逃亡に適したオブジェクトが多くて本当に助かる。ことごとく蹴散らされたけど、大丈夫だ。問題ない。


 走ることしばし。施設の外に出ると、目的の場所はすぐ目の前に現れた。二階建ての建物の途中から、まるで天へと通じる道のようにベルトコンベアーが伸びている。


 僕は脚に魔方陣を巻き付けると、足元の地面に魔方陣を展開した。魔方陣から強力な反発力を起こし、脚の魔方陣で姿勢を制御する。


 大跳躍ハイジャンプ。魔力による跳躍によって、僕は屋根の上に着地する。そこから牽制用の魔弾アモを何発か撃ち込むと、大籠鋏バケットシザースがよじ登ってきた。僕は屋根からベルトコンベアーの上に着地して、奴から逃げる。でも、ここで僕は確認したよ。兄弟が、こっそりと大籠鋏バケットシザースの後をつけていたことをね。


 僕は駆け上がる。ベルトコンベアーを駆け上がる。背後からのプレッシャーを感じつつ駆け上がる。そして僕は、てっぺんへ――


 危うく落ちる所だった。真下を見ると、給水塔の近くにあった砂利山のようなものが積み上げられている。恐らく、魔鉱石を生成するうえで不必要だった部分の成れの果てだろうか。あらかじめ鉱山の稼働停止を頼んでおいてよかった。万が一落下したとて、あの小石の山がクッションになってくれるとは期待できないからね。


 振り向くと、大籠鋏バケットシザースの巨体が迫っていた。巨大なハサミを振り上げ、カチカチと鳴らしている。突進の合図。さしずめ「迂闊な奴だ。まずは貴様から食らってやる。もう一人いる獲物も無事で済むと思うなよ」とでも言っているのだろうか。だが、残念ながら迂闊なのは君の方だ。


 巨体に似合わぬ突進。瞬時に獲物を掴み、尻尾の毒針でとどめを――刺せなかった。なぜなら、お目当ての獲物が消えたからだ。


 僕は瞬間移動で回避していた。どこへ? そいつのだ。


 ベルトコンベアーの外に浮かぶ、虚空の魔方陣。そこから勢いよく飛び出した僕は、大籠鋏バケットシザースの脇腹に狙いを定めると、脚に魔力を込めて身を捻じった。


「『魔法士の跳び後ろ回し蹴りメイガス・ローリングソバット』ォ!」


 身を回転させることによる遠心力、伸びやかな脚の筋力、跳躍による体重、魔力によって倍加させた威力――すべてを片足に込めた渾身の跳び後ろ回し蹴りローリングソバットが、魔物の巨体に叩き込まれる。


 真横からの不意打ちは、流石の巨大サソリでも対処できなかった。脚部をすり抜けて腹部にダイレクトに当たった一撃は、大籠鋏バケットシザースの巨体を思いっきり吹っ飛ばした。


 ベルトコンベアーから落下していく大籠鋏バケットシザース。けれども、腹部にはヒビが入っているだけ。あれでは致命傷には至っていない。――だから、仕上げは兄弟に任せる。


 遅れて合流した兄弟が、光り輝く光剣ライトセイバーを生成させる。そして、あろうことかベルトコンベアーを蹴って天高くジャンプした。そんな彼の視線の先にあるのは、落下していく大籠鋏バケットシザースの腹。


 次の瞬間、僕は兄弟の姿が、天から降り注ぐ陽光のように見えた。


「『天光の裁剣サンライズ・パニッシャー』ッ!!」


 叫ぶ兄弟。魔力により閃光へと姿を変えた兄弟が、目標目掛けて急降下。その無防備な腹部に光速で剣を突き立てたのだ。落下する真っ最中の大籠鋏バケットシザースに攻撃を防ぐ手段はなく、直撃と同時に重力よりも早く地面に衝突する。


 轟音。落下地点を中心に衝撃が同心円状に広がっていく。近くの施設の窓ガラスは割れ、落下の衝撃はベルトコンベアーの頂点にいる僕にまで伝わった。鉄骨がきしみ、僕は振動で落下しそうになるのを必死でこらえる。


 兄弟は、大籠鋏バケットシザースの腹部に光の剣を刺したまま、その場にうずくまっていた。その姿は、伝説の剣を台座に戻す勇者にも、邪悪な竜にとどめを刺した神話の王のようで。


 大籠鋏バケットシザースの身体に変化が生じた。


 前にも言ったが、魔物は何度でも再生できる。でもそれは、体内に魔力が安定して供給されている場合での話だ。短時間のうちに何度も致命傷を食らって魔力を浪費させてしまうと、制御系統がパンクしてしまい再生どころか姿形の維持すら困難になってしまう。そうなると、どうなってしまうのか。


 兄弟の近くに、紫色の珠が落ちていた。大きさは、占い師が扱う水晶玉くらい。


 これが大籠鋏バケットシザースの亡骸だと言われて納得できない奴は、この世に住む者ではない。魔物としての姿が保てなくなると、奴らは魔力が凝縮しただけの塊になってしまうのだ。それは、一生を終えた恒星が、大爆発した後に小さな塊になってしまうのと似たようなもん。こいつは宝珠と呼ばれ、僕達が魔物を斃したことを証明してくれる。


「流石、兄弟。終わったね」


 兄弟の隣に瞬間移動した僕は、兄弟の肩を叩きながら言った。


「ああ。今回も大したことなかったな」


「大したことない、ねえ……」


 兄弟からの答えに、僕はボロボロになった周囲の施設を一瞥して頭をかいた。


「派手に……やっちゃったよね」


 ★★★


 依頼主は喜んでいた。なぜなら、本来の目的である鉱員の救出はしっかりと成し遂げられたからだ。


 それに、魔物との戦闘によって生じた損害の分は、ギルド総会がきっちり保証してくれる。僕達が壊した施設の弁償の為に、せっかくの報酬が相殺されちゃたまんないからね。


 僕達は今、メンダイン村長の邸宅にいる。メンダインはミサハ鉱山の麓にある村落で、魔鉱石が収入源の一つになっている。で、なんでそこにいるかっていうと、依頼主が村長だからだ。


 魔物討伐の話が終わり、お金の話も終わった。報酬は僕達の口座に振り込まれたし、総会からも保証の件は了承済み。で、その後の雑談にて、僕達は興味深い話を知る。


「それにしても、こんなに強大な魔物が現れたとはな。わしは長年この村に住んではいるが、鉱山に魔物が出たという話は久方ぶりだ」


 恰幅の良い身体を柔らかなソファに委ねながら、村長はテーブルの上に置かれた大籠鋏バケットシザースの宝珠に目を落とす。そんな村長の一言に、兄弟が眉をひそめた。


「久方ぶり、だと? 魔鉱石には魔物が寄って来んのが普通だ。今までも当たり前のようにいたんじゃねえのか?」


 口悪いぞ、兄弟。でも、その指摘には僕も同意だ。魔鉱石が採れる場所には、大籠鋏バケットシザースに匹敵する魔物なんていくらでも生息している。ミサハ鉱山に限って例外だとでもいうのだろか?


「その話、気になります。もっと詳しい話をお聞かせ願えませんでしょうか?」


 僕がフォローすると、村長はゆっくりとした口調で答えてくれた。


「信じられない話かもしれんが、ミサハ鉱山では魔物の目撃例は極端に少ない。ここ数年で起きたものでも、小型の輝石虫ジェムバグが数体現れたのが何件かだけなのだ。それだけでも、鉱山全体がパニックになるほどの騒動になった」


「いつ頃からなんですか? その、魔物があまり現れなくなったってのは」


「詳しくは分からぬ。恐らく、ペンシル王が即位した辺りからだろう」


「マジかよ! それって、俺達が生まれる前からじゃねえか⁉」


 ペンシル王の即位ってのは、今から三十年くらい昔の話だ。そりゃ兄弟も驚くわ。


「そんな昔から魔物がいなかったのに、今になっていきなり現れたわけですか。それほどの変化が起きたとなると、何かしらの兆候が鉱山でも見られたはずです。何か、心当たりのある出来事とかありませんか?」


 僕がそう尋ねると、村長はしばし考えた後、再びゆっくりと口を開いた。


「一か月くらい前からだろうか。住民達から、東の山奥から奇怪な光が迸っているのを見た。という話が相次いで起きている。様々な色の光が、まるで花火のように明滅しているのだそうだ。また、村の周りで不気味な唸り声を聞いたという話も出ている。魔物騒ぎもその辺りからだ」


「東の山奥、ですか? ちょっと待ってくださいね」


 僕は宝珠を一旦隅に退かすと、テーブルの上に魔方陣を描いた。陣の中央に、この辺りの地図が映し出される。


 メンダインは、僕達が縄張りとしているグーボンブ地方の中でも東端に位置する村落である。で、そこから更に東ってなると、考えられる地域はおのずと絞られてくる。


「おいおい、この場所って、まさか」


「ポリシュド……『ギルドクラブ』の縄張りシマじゃねえか!」


 村長の言う謎の発光の出所は、僕達の商売敵が根城としている地域だった。よりによって『ギルドクラブ』の拠点か。こいつは面倒くさいことになりそうだ。でもだからこそ、その場所がどんなのか物凄く気になる。


「もしかして、調べてくれるのか? 我々が依頼を出していないのに?」


 村長が確認してきたので、僕は魔方陣を解除して答えた。


「ええ。ちょっと、興味が湧いたので行ってみようと思います。僕達、魔物ハンターは、魔物の脅威から人々を守るのが務め。村人の見たものが、この事件の遠因なら、調査するのは僕達の義務です。ましてそれが、あなた達を守るのに繋がるのなら、猶更ですよ」


 この時に村長が見せた表情を、僕はきっと忘れないだろう。


「おお、なんと頼もしい。この度の依頼、君達『クロスファミリー』に頼んで正解だった。『ゴールドユニオン』の衰退から一時はどうなるかと思っていたが、やはり優秀なギルドは他にもいるのだな。是非とも頼む。私達の暮らしを守るために」


「ああ。それに、そこにどんな強い魔物がいるのかも気になるからな。礼を言いたいのはむしろこっちだ。楽しい依頼と面白い情報、感謝するぜ」


 おいこら兄弟、本音を言うんじゃないよ。ま、依頼とは関係なくても、自主的に脅威となる魔物を倒して事件を解決すれば、国から感謝状として特別ボーナスがもらえるからな。実はそれも期待してるんだよね。


 やがて僕達はメンダインを後にする。これから本拠地に帰って、村長が言っていた情報を確かめるための準備をするんだ。


 でも、僕達はまだ知る由もなかった。この事件が、この国全土を巻き込む巨大な陰謀の、ほんの一部に過ぎなかったことを。

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