第20話:自信がなかった

 朝霧は深い眠りに落ちていた。

 まるで、死のような。深くて、ドロドロで、真っ暗で、もがくことすらできないような眠りだ。

 小さな体から汗が流れだす。熱はまだ高い。息こそ整ってはいるが、苦しいのは変わらない。


 カタンと戸が開く音がして、彼女の眠るベッドに影が忍び寄る。

 真っ暗なままの部屋。電気をつけて起こすような真似はしない。


 ――本当は。

 眠っている君を乱暴に組み敷いて、そのまま、壊してしまいたい。

 拒絶されても、泣かれても、それすらきっと愛おしいと思ってしまうだろう。

 そんな劣情は嫌というほど脳裏をかすめ、そのたびにかき消してきた。


 槇はふう、と息をついてベッドの傍にある椅子に腰を掛け、両手で顔を覆うようにしてうなだれた。


 そうしない自信がなかった。だから離れて暮らすことにした。

 それは人を拒絶し、人を愛さないと心に誓った朝霧にとっても利害が一致したらしく、彼女は二つ返事で別の家に住むことを快諾した。

 僕は決して朝霧には愛されないだろう。そして僕も、一生朝霧のやわい肌に触れることはない。

 それは心に決めている。この気持ちを伝えることは、死ぬまでない。

 ……きっと、朝霧が死ぬまで。だ。

 傍にいるだけでいい。彼女も誰も、選ばない。一生。


「……ま、き……」

 眉毛を寄せて、少し顔を歪めた朝霧がぽつりと言った。

 暗い部屋の外、その声をかき消すかのように救急車か消防車のサイレンが通り過ぎていく。

「……此処にいるよ」

 寝言に答える。縁起が悪そうな行為だが、縁起なんて、最初から呪われている自分たちには、あまりに縁のないものだ。

 けれど、少しくらい浮かれたっていいだろう。

 だって、彼女の心には誰も住むはずがないと思っていたのに。彼女は無意識に自分の名前を呼んだのだ。


 槇は椅子から腰を浮かせ、朝霧の額に自分の額を当てた。

 熱は少しだけ下がっているように思う。

 少しだけ安心した槇は、彼女の額に触れるか触れないかのキスをして、再び深く椅子に腰掛けた。

 そしてぼおっとカーテンを閉め切った窓を見やった。


 まだなにかのサイレンは鳴り響いていた。

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