愛しの太ももサンタちゃん
市來 茉莉
前編 ★ 我慢しろ。社長命令だ。
琉花(ルカ)は、今年もひとりクリスマス。
少し前にカレシができた。
一週間前に『もう会わない』のメールが届いて破局した。
たった一ヶ月のつきあい。えっちもしなかった。
いいの、いいの。
冬のイベント前に、独りでいたくない者同士、友人と友人の紹介でなんとなくくっついただけだから。
違和感だらけで、ノリも悪くて、会話も続かない。
ぜんぜんドキドキしなかった。
ムリにクリスマスイブを過ごして、なんとなくえっちをしたって、25日になったら、もう用はないんだよ。
何ヶ月も前からあんなにどきどきして待っていたケーキも、甘酸っぱい苺も、変な味になっていくし。
だから、食べる前に食べられなくなって良かったじゃん。良かったじゃん……。
なかなか思うような男性に出会えない。
好きな人はいたんだけど……。
だいぶ前にあきらめた。
気になって好きになって、会う度にときめいているだけなのが苦しくて。あきらめた。
その人は仕事ばかりで、『恋』なんて見向きもしないから。
よし。そうなったらとことん働こう。
クリスマスは稼ぎ時! そして働き時、ルカの場合は。
地下鉄にJR、JRタワー。数々の百貨店がひしめき合う北の都市。
駅の地下街にはたくさんのショップがずらっと整列する。
その中の一店舗、ベーカリーショップ。
ルカはパン屋の売り子。ホールスタッフ。
老舗パン屋。郊外に古い本店があって、市内に五店舗。
社長の念願かなって、駅地下に店舗を出すことができた。
昼時になると、ビジネスマンにOLさんに、ショッピングにきた主婦で店内はごったがえす。レジにも長蛇の列ができる。
店内には小さなイートスペースも設置してるので、そこでパンをドリンクと一緒に買って食べていく客も多く、とにかくいちばん忙しいとき。
でも、こんな忙しさは慣れた日常にすぎない。
いま本当に忙しいのは『クリスマス商戦』!
十二月に入ってから、地下街は人人人で溢れる。冬休みになると可愛らしい高校生が出歩くようになり、また人が増える。
ルカのベーカリーショップも大繁盛だった。
昼のピークが過ぎ、チーフが追加で焼き上げたパンを、次の夕方の来客に会わせて店頭にそろえているときだった。
「お疲れさん」
黒いハーフコートに、スーツ姿の男性が店に現れる。
本店営業部の池上航太。五歳年上の先輩。
いつもそう、眉間にしわをよせて、きつい目つきでやってくる。
でも。ルカが新人の頃からしばらくは、恋焦がれた人だった。
☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆
彼は市内五店舗の見回り担当で、週に三回ほど、この店もチェックしにやってくる。
店の雰囲気、スタッフの動き、客の様子や、商品の売れ行きなどなど。細かに観察して本部に報告している。
だがルカは彼の顔を見るなり逃げたくなった。のに、目があってしまう!
「い、池上さん。おはようございます」
「お疲れさん。売り上げも上々のようでなにより。まあ、この地下街で売れなくちゃ問題だけれどな」
いつもニコリともしない怖い顔。
シビアなことしかいわなくて、時たま、ひとこと余計な人だったりする。
「今年も頼むな」
そんな彼が、こんな時だけにっこり笑ってくれ、ルカの肩をたたいた。
こんな笑顔の時は、なにか魂胆があるとき。
そしてルカも『今年も頼む』のひとことで顔色を変える。
「えー、イヤです! まだあれをやるんですか」
「おう。やるぞ。さあ、こっちへこい」
腕も掴まれ、彼にぐいぐいと店舗奥の小さなスタッフルームへと連れ去られる。
厨房からは、チーフとパートさん達が苦笑いを見せながら『ルカちゃん、頑張れ』と声援を……。
「もうー。去年、知り合いが店の前を通って恥ずかしかったんですから。池上さんだって見ていたでしょう」
「俺だって、恥ずかしいんだからな。社長命令だ。やるぞ」
「えー、また池上さんも一緒なんですかー」
強引に腕を引っ張る彼が振り返る。
「悪かったな。俺で」
眉間にしわを寄せて、上からぐっと睨まれる。ただでさえ強面で恐ろしいのに、さらに恐ろしい男の顔にルカは黙り込む。
そんなに怯えてしまったルカに気がついたのか、ふっと彼の顔がゆるむ。
「あ、悪かった。俺もむかついているんだよ、ほんとにもう」
首もとのネクタイをゆるめながら、彼がスタッフルームのドアを開ける。
地下街の小さな店舗、スタッフがひとまず身支度ができる部屋。
そこに今年もどーんと用意されていた。
営業の池上さんだって不機嫌になるそれが。
彼がそれを指さしてルカに問う。
「今年はどうする。去年は俺がサンタ。皆川がトナカイ」
「どっちもイヤです」
きっぱり言い返すと、また彼が眉間にしわを寄せる。
「やるんだ、今年も、やるんだ。着ぐるみの客寄せサンタ&トナカイを。やるんだ、やるんだ!」
思った。彼もすごくイヤなんだなと。
自分に言い聞かせるのに精一杯で、ほかのスタッフの『イヤ』に手間をかけるのも『イヤ』なんだろうなと。
「……こ、今年も、トナカイ、で」
「よし。決まった。夕方の16時からこれを着て店頭にでる」
「はい」
彼がふうっとひといきついて、スタッフルームの小さな椅子に腰をかけた。
とても疲れた顔に変貌した。どの店舗も繁忙期に追われている。そのサポートに数少ない営業が走り回ってると聞かされている。
一時、ものも言わず彼がうなだれていた。
ルカもなにかコーヒーでも一杯と思ったけれど――。
「昼飯も食ってない。店で食べていく。イートスペースに座らせてもらうぞ」
「そんな。ここでゆっくり食べられたらいいのに」
それでも彼はルカの言うことなど聞き入れる様子もなく、再び、背筋を凛とさせて店頭へとでていった。
☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆
お店で食べる――は、彼のやり方だった。
客と同じようにトレイとトングを持って、商品を眺めて気になったパンを買う。
店の片隅にあるテーブルに腰をかけ、そこでゆっくりと食べながらも、彼の目線は入ってきた客の動向を気にしている。
そして時々、スタッフの動きも。ルカの動きも。ロボットのような表情もない、平坦なまなざしで見ている。気になって時々、レジから横目で彼を見てしまうと、目が合ってびっくりする。
集中してやれよ。そのまま客に愛想良く接客しろよとたしなめられているような気になったルカの背筋も伸びる。
食べ終わった彼がレジ横に立ってルカにささやいた。
「メロンパン、動き悪いな」
メロンパンは、このベーカリーを有名にした代表商品だった。それがなかなか売れていないことに営業の彼が気がついた。
「あの、郊外の本店とここでは買われるお客様のニーズが少し違う気がします」
ルカも子供の頃からここのメロンパンは大好きだった。まだ若かった社長がローカルの情報番組やCMでアピールしていたことは印象深く、この街ではメロンパンと言えばこのパン屋なのに。この駅地下では動きが悪いことは肌で感じていた。
「毎日ここの客が買っていくものを見ていて、皆川はどう思ってんの」
「大きくて食べにくい、です。メロンパンはぽろぽろパン屑になって落ちやすいので、ここで手っとり早くランチをとりたいビジネスマンにOLさんには求められていません。郊外でお持ち帰りが多い他店舗とはそこが違うと思います」
好き勝手に言ってしまいルカは我に返ったが、気がつくと彼は隣で手帳にメモをしていた。
「なるほどね。では、皆川はどうすれば売れると思う?」
「え、そんなことを私に聞いちゃうんですか」
「たとえばだよ。ここにやってくるOLさん達と同世代だろう。なんでもいいから、なにかあったら教えて」
それなら。と、ルカは続ける。
「小さくすればいいと思います。ぱくっと食べられて終わる。真ん中に生クリームなんか挟まっていたら、間違いなく午後の休憩タイムのおやつにこっそり買っちゃうかも――という話はチーフとしたことがあります」
そこで彼がにんまりと笑った。なにか魂胆があるときの微笑み。
「サンクス。チーフとも話してくる」
厨房にいるパン職人のチーフのところへ彼が行ってしまった。
☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆
16時になる。
トナカイの時間です。
「さあ、やるぞ」
白髭をつけ、真っ赤なサンタクロースになってしまった彼の空元気。
ルカもついに、ずんぐりむっくりのトナカイの着ぐるみで店頭に出た。
店の入り口に設置したテーブルに、ブッシュドノエルの箱を並べる。
当店特製のブッシュドノエルですー!
今年の限定品です、いらっしゃいませ!
池上先輩と声を張り上げた。
ママ、サンタさんー。トナカイもいるよー。
通りがかりの小さな子供に見つけてもらうと、無条件に手を振ってしまう。
やーん、トナカイの着ぐるみ!
女の人が着ているじゃん~。
可愛い十代の女の子たちに指さされると、今年もどこかに逃げたくなる。
「気にするな」
池上さんがフォローしてくれる。
だけどサンタ姿になった彼を見て、ルカはますます悲しくなる。
「あの駅地下って。この都心でいちばんお洒落なスポットのはずなのに。どーして、こんな子供だましな販促をしなくちゃいけないんですか。池上さんがどんなに髭をつけたって、どーみたって若い男性にしか見えませんから」
毎年毎年! そもそも社長の考えが古くさい!
メロンパンだって定番商品だけれど、一歩間違えれば時代遅れ。
他の商品だってどこか田舎臭い。
それを一新させたのが、この地下街への進出だった。
社長が若手のパン職人に任せるようになったから。
若い営業マンを増やして、彼らのアンテナを頼るようになったから。
「なのに。お洒落なパン屋さんの店先で、着ぐるみなんて……」
一昨年なんてもっとひどかった。
ミニスカのサンタ女の子の格好をさせられた。それがお洒落だと社長は思ったらしい。
そんなにスタイルがいい方ではない。
太っているわけではないけど、細くもないルカは、太もも丸だしでミニスカサンタの衣装を着て店先に出た。
その時の、男性たちの好奇の視線がどれだけ恥ずかしかったか。
そのミニスカサンタの時に『女性軽視、下品』というクレームが来たとかで、ミニスカサンタは廃止され、ルカはホッとした。
それに比べたら、トナカイ着ぐるみなんてずうっとマシ、マシなはず。はずなんだけど――。
何年やらせるつもりなのだろう。
そして自分も。何年もカレシがいないクリスマスを、トナカイの着ぐるみで過ごすのだろう。
今年もトナカイ、じゃない、ピエロみたい。
着ぐるみを着て、いらっしゃいいらっしゃい、クリスマスの素敵なケーキはここだよおー! と、小躍りをして客を呼んでいる。
「ぬいぐるみで客寄せなんて、時代遅れです」
「我慢しろ。社長命令だ」
いつもの平坦で冷めた目に睨まれた。
ルカの隣にいるサンタは、シビアで冷徹なサンタ。
「はい、そうですね」
このサンタは、恋もプレゼントも持ってこない。
☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆*。。。*☆
やっぱり今年のイブも仕事で散々。
だから速まって、知り合いの知り合いの男性を即席カレシにしてしまった。
一時でもいい。このささくれだったイブの夜を、ひと晩でもいい。一緒にいてくれる人が欲しかっただけ。
でも、そんな自分は最低だった。
25日には味が落ちるケーキのように仕立て、相手の彼の存在を踏みにじっていたのかも。
断ってくれた彼は悪くない。
最低なのは、私。
トナカイのぬいぐるみを脱ぎ捨て、ルカはうなだれる。
いままでにない後味が悪いクリスマス。
帰って泣こう。
「お疲れ。今年もごくろさん」
サンタの衣装を脱ぎ、ワイシャツにネクタイを結んでいる池上さんがスタッフルームに戻ってきた。
その彼が唐突にいった。
「メシ、おごるよ。地下駐車場に車をとめているから、店閉めたら来いよ」
「え」
「待っている」
ぶっきらぼうに言い残し、彼が出ていった。
え、なんかいきなり誘われた?
ど、どうして?
こんなこと、初めて。
ヤケになって客寄せトナカイをやっているルカがよほど哀れに見えたらしい。
でも。ルカの頬がほんのり熱くなる。
ずうっと前、憧れていた人から、今更だけれど誘われた。
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