トランス・ペアレント

孤児郎

第一話 俺が女子高生になったワケ

 辺りは濃密な湯気で隙間なく満たされている。温かい飛沫がシャワーヘッドの小さな穴から吹き出し、体に当たって弾かれながら緩いカーブを描く乳房や腹、太腿に沿って流れ落ち、排水口に右回りの渦を巻いて吸い込まれていく。

 狭いバスルームの中でシャワーに身体を打たせたまま、曇った鏡にボンヤリと映る裸体を見つめていた。


 これはみそぎだ。

 背中まで垂れた黒髪を手早く洗い、トリートメントを済ませる。身体は柔らかいボディーブラシで慎重に洗い清める。これから会う男のためではない。これは自分のためなのだ。


「のえる。いつまで入ってるの? もう寝るからガス止めておきなさいね」


「わかった。大丈夫だから……」


 母親にぞんざいに返事を返す。

 足音を殺して階段を上り、自分の部屋に戻るとドライヤーで髪を乾かした。


『髪は濡れたままにしておくと痛むのよ』


 以前、彼女が口にした言葉を思い出す。ドライヤーのファンの音に包まれていると、どうしてだかふいに悲しみが込み上げてきて、食いしばった歯の間から勝手に嗚咽が漏れ出てしまう。

 涙はとうに枯れてしまったと思っていたのに、あれから一ケ月以上経った今でも、不意討ちのように突然やってくる。感情のコントロールがとても難しい。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 部屋の鏡に全身を映してみる。この身体が高校生女子の平均に比べてどうなのかはよくわからない。雑誌で見かけるセクシーアイドルのグラビアと比べると細くてボリュームに欠けるが、どこまでも白くてキメの細かい肌は繊細な陶器のように美しかった。


 この体の持ち主は、立花たちばな のえる。俺……佐々木ささき 雄一ゆういちの彼女だ。いや、彼女だった。過去形である。どうしてかと言えば、のえるはもうこの世にはいないからだ。

 俺は、ベッドの上に出してあったグレイストライプの下着を履く。鏡の中でのえるも同じ柄の下着を履いた。

 俺は仁王立ちになって、今はもう自分のものとなって久しい細っそりとしたのえるの裸体を再び眺める。


 すべてはあの夜の事件が引き金だったのだ。

 その瞬間、なんだかとてもとても強い衝撃を受けて自分が自分ではなくなってしまうような、そんな不思議な体験をした。きっと立花 のえるもそうだったのだろう。

 どういう理屈だかまるでわからないが、俺たちの身体から意識だけが、まるでメモリーカードに入ったデータのように入れ替わってしまったのだ。その過程を認識することはなかったから、おそらくは一瞬で入れ替わったのだろう。


 その時のことを正確に思い出すことはできない。気がつくと、俺は緑が丘公園のベンチに腰掛けていた。辺りは暗くなっていて、街灯がベンチの周囲を浮かび上がらせている。公園の反対側、五十メートルほど離れた向かい側のベンチにも学生服姿の男が座っていて、そいつは俺に気づくと急に立ち上がってこっちに向かって走ってきた。

 そして俺は信じられないものを見る。驚くことに駆け寄ってきた奴は俺にそっくりだったんだ。顔だけじゃない、髪型も制服も靴も。そしてそいつは俺の目の前に立ち、奇妙に歪めた顔で俺を見下ろした。

 ドッペルゲンガー?

 気味が悪くなった俺は、そいつから一秒でも早く離れたくて慌ててベンチをまたごうとした。そこで俺の目は再びおかしなものを見る。白い脚が視界に入る。小さな革靴と白のソックスを履いた剥き出しの脚だ。

 そして俺の視線は太腿を辿って根元に移る。まるで女の子のように細くて白い脚は、ひだの付いた紺色のスカートから伸びていて、それを履いているのは間違いなく俺自身だった。

 思考が停止する。


 人間は同時に二つのトラブルに対処できないものらしい。緊急停止している俺の目の前で、通常運転らしい俺がゆっくりと口を開いた。


「大丈夫? 佐々木君」


「俺……」 言いかけてあわてて口をつぐむ。


 俺の声が、喉から出た瞬間に耳慣れない高い声音に変化する。


「なんだこれ? どうなってるんだ!」


 パニックに陥って叫んだものの、その声もやっぱり俺の声ではない。まるで自分の耳がおかしくなってしまったようだ。

「佐々木君、あたしは立花 のえるって言います。いい? 落ち着いてよく聞いて! あたしの体と佐々木君の体が入れ替わっちゃったの」

 俺にそっくりの顔で、俺の声で、そしてびっくりするくらい自然なオネエ言葉でそいつは言った。

 こいつ、どこかおかしいんじゃないのか? そう思ったら、目の前の俺が不気味に見えてきた。自分の分身……ドッペルゲンガーを見て死を予感し、本当に死んでしまった作家がいたはずだ。


「信じられないかもしれないけど、実際にこうして入れ替わってるんだよ。佐々木君の心は今、あたしの体に入ってるの」


 目の前の俺はそう言うと、俺のすぐ近くに置かれていた紺色の学生バッグを開けて、取り出した二つ折りの手鏡を開いて俺に見せた。

 鏡の中に聖華女子高等学校の制服を着た少女がいた。彼女は驚いた顔でこちらを覗き込んでいる。

 俺は手鏡をひったくると手品のタネを暴こうとするように何度も裏返してみる。


「それが今のあなたの姿なの」


 目の前の俺が言う。


「一体どうして……」 こんなことになったんだ?


 自分の喉から発せられる高い声の違和感に言葉が続かない。

 俺の体に入ったと言う立花 のえるは、首を横に振る。コイツにもわからないということか。

 それにしても……。再び手鏡で自分の顔を見る。本当に女の子だ。急に肌寒さを感じて両腕で身体を抱き締める。それはとても柔らかで儚い感触だった。


 俺はしばらくの間、ベンチに中途半端な姿勢のまま座っていた。まだ頭は回転を始めていない。

 それでも気力を振り絞って顔を上げた。そして男の顔を……俺の顔を見た。彼は……のえるは黙って俺の顔を……のえるの顔を見つめていた。

 端からは見つめ合う高校生のカップルに見えたかもしれない。でも俺たちの中身は入れ替わっているのだ。理由もわからず、どうすればいいのかもわからない。

 しばらくすると、のえるが口を開いた。


「佐々木君。大丈夫?」


 心配そうな目で俺の顔を覗き込む。


「こんなことになって驚いたでしょう。でも、安心して。元に戻る方法はすぐに見つかるから」


 のえるの言葉に俺が初めて反応する。


「もどれる……のか?」


「当たり前よ。入れ替わったんだから、元に戻れるに決まってるでしょ」


 俺の顔をしたのえるが、何でもないような表情で言い切った。


「それでね、元に戻れる方法が見つかるまで、しばらくあたしの代わりをしていて欲しいの」


 立花 のえるが言う。

 ちょっと待て。それは変だろう。コイツはこんな状況にまったく動揺していないのか。こんな時はまずアレだろう? ええと……医者とか何かの研究機関とかに相談すべきなんじゃないか? 何もなかったフリをして家に帰るだなんておかしいだろう? それともこの状況って、家族にも隠さなければならない事なのだろうか。


「こんなこと、親にも友達にも話せないわ。信じてくれるわけがないでしょ? 頭がおかしくなったと思われて余計に面倒なことになるわよ」


 う~ん。そう言われると確かにそんな気もしてきた。でも、俺が彼女の家に帰って、親の前で娘のフリをするなんて無謀なことに思える。


「学校はどうするんだ?」


 俺は問いかける。


「大丈夫。お嬢様学校だけどレベルは低いから。適当にしてればへーきだよぉ」


 その理屈は俺にはまるでわかんないから。

 しかし、のえるは自信たっぷりに微笑む。俺の顔で……。


 それから彼女の門限ギリギリまで、家や学校、よく遊びに行く場所から家族構成、友達の情報などを交換し合った。

 のえるの家は高台の新興住宅地に建つ新しい一戸建てだった。玄関には明かりが灯り、すぐ横のカーポートには国産高級セダンが停まっている。

 玄関を開けるとリビングのソファーに女性が座っているのが見えた。のえるの母親だろう。

 ここでバレたら大変だ。もちろん、今の俺の外見はのえるそのものなのだから、ちょっとくらい違和感を感じても偽者だと思われることはないだろう。しかし、俺は自分が偽者だという事実を知っているから、つい挙動不審になってしまう。


「ただいま……」


 消え入りそうな声で挨拶するが、リビングでテレビを観ていた母親はこちらを一瞥しただけで何も言わずに向こうを向いてしまった。ひょっとして俺の行動がおかしかったのか。女子高生の格好をして平気で他人の家に上がりこむ非常識な変質者だと思われてしまったのではないか。焦りが正常な判断力を奪っていく。

 落ち着け。バレたのなら大騒ぎになるハズだ。単に親子の仲が良くないだけかもしれない。

 俺は足音を忍ばせて二階の部屋に向かった。これ以上、注意を惹かない方が賢明だろう。のえるから教えられていた自分の部屋に入る。そして、彼女の指示通り内側から鍵をかけた。


 のえるの部屋は明るい花柄の壁紙が貼られた八畳程度の洋室で、アンティーク調の机と、それに合わせたデザインのベッド、洋服箪笥が配置された落ち着いた雰囲気の空間だった。

 2LDKのマンションの六畳間を兄弟で使っている俺の部屋に比べると格段に広い。のえるの部屋が羨ましく思えて、俺も一人っ子だったら良かったのに……と一瞬だけ考える。

 もう遅い時間になっているはずだけど、どこかで夕食を済ませたのか空腹感はなかった。


 しばらくすると階下から風呂に呼ばれた。

 脱衣所で衣服を脱いだ時、俺は今までの人生で感じたことのない強い衝撃を受けた。女性の裸を目の当たりにしたのだ。もちろん雑誌とかビデオとかネットとか、ヌードなんて世の中にいくらでも溢れている。しかし、そんな画像など実物を目の当たりにしてしまえば文字通り絵に描いた餅だ。

 その上、幼稚園時代に仲が良かったアヤちゃん以来、俺には女の子とお付き合いした経験がほとんどない。よく言えば硬派。有り体に言えば……童貞だ。そんな俺にとって、まず最初に立ちふさがった難関はブラの外し方だった。

 鏡に背中を映しながらホックの構造を確認して、布地をつまんで力を入れてみる。鏡に左右逆に映ったホックを外すのはとても難しかった。自分で外しにくい衣服などという代物がこの世に存在することを俺は初めて知った。近い将来、彼女のブラを外すときにモタモタしないように、ホックの留め外しを練習しておいたほうがいいだろう。

 さて、やっとご対面できた乳房に両手でそっと触れてみる。のえるの細くて白い指が丸くて柔らかい乳房をゆっくりと包み込む。乳房は想像していたよりもずっとずっと柔らかく、指の圧力を受け入れてどこまでも変形していく。それを間近に見るのはとてつもなくエロティックな体験だった。

 興味本位でいじっている分には良かったが、いざ風呂に入るとどこをどうやって洗えば良いのかわからない。股間以外はそれほど男と変わらないだろうと思っていたが、湯で温まってピンク色に染まった胸の先端を見ているとまるで腫れ物のようで、石鹸の泡をつけることさえ躊躇われた。

 苦労して髪と体を洗い終え、湯船に浸かる。

 のえるは俺の体を洗えているだろうか。彼女が男の下半身を恐る恐る洗っている姿を想像したらなんだかおかしくなって、体が入れ替わって以来初めて声を出して笑っていた。


 部屋に戻り、のえるのアイフォンを取り出して俺の携帯にメッセージを送る。すぐに返信がきた。残念ながら彼女はまだ風呂に入ってないらしい。

 のえるから身体の洗い方からヘアケア、スキンケアのノウハウまで事細かに指示された。文字数制限があるので何通にも分けて届く指示に、正直いうと途中でウンザリしてきた。女子というものは風呂に入るたびにこんな面倒なことをしているものなのか。


 俺の家の様子を聞こうと思ったけれど、のえると同じくウチも親兄弟の仲がそれほど良いわけじゃない。誰も俺に関心なんかないから、彼女が多少変な真似をしても正体がバレる心配はないだろう。おまけに、女子に見られて恥ずかしいものは部屋にはないから、何も気にすることもない。

 何だかとても眠くなったので、のえるのベッドに入る。彼女の匂いがした。健全な男子高校生としては興奮して目が冴えてしまうものなのかもしれない。そんなことをぼんやり考えているうちに、俺は自然に眠りに落ちていった。


 すぐ近くで地響きのような轟音が聞こえる。それはまるで怪獣の咆哮のように、寄せては返す波のように何度も繰り返されて、俺の意識を現実へとたぐり寄せる。

 意識レベルが上がるにつれて聞こえてくる轟音がより鮮明になってきた。イビキの音だ。それも聞き間違うはずもない弟の純次じゅんじのものだ。毎晩遊びまわって留守にしてるくせに、たまに帰ってくればこうして俺の睡眠の邪魔をする。

 ふざけやがって! 俺は立ち上がると大の字で転がっている純次の太腿を蹴飛ばした。奴は眉間にシワを寄せてうんうん唸りながら体を縮こませる。わははははは。馬鹿だコイツ。いやいや、寝てる間に蹴られた人間の反応としては極々一般的ではあるのだけど、怒りは人間の価値基準をも捻じ曲げてしまうものなのだ。人間は生まれながらにして重い十字架を背負った存在なのである。だから俺は寝転がった異端者の脇腹に蹴りを叩き込み続けるんだ。憎いから…。


 ここで俺は最も重要な事に気づいた。気がついてしまった。どうして今まで気がつかなかったのだろう。純次が隣で寝てるということは、つまりここは俺の部屋なのだ。正確に言うと俺たち兄弟の部屋であり、もっとわかりやすく言うとここは佐々木家なのである。と言うことは、いつのまにか元に戻れた……ということだ。

 そこで俺は急に心配になってきた。のえるはどうしているだろう。彼女も無事に自分の体に戻れたのだろうか。

 のえるはちょっと自分勝手なところもあるけど、可愛い顔と綺麗な体の持ち主だ。これを機に仲良くなったりするのも悪くない。

 いや、まてよ。もしかすると女の子と心と体が入れ替わってしまった……なんて漫画みたいな出来事そのものが悪い夢だったんじゃないだろうか? だいたい男女の心が入れ替わるだなんて、そんな非科学的な現象が起こる訳がない。おまけにちっとも驚かず周囲にバレる事ばかり気にする女の子なんか、どう考えても不自然だ。

 枕元に置いてあった携帯を開いて確認してみるが、女の子とメールした記録はどこにも残っていなかった。


 なんだ。入れ替わりどころか立花 のえるなんていう女子高生の存在までもがどうやら俺の妄想の産物だったようだ。丘の上の一戸建てに両親と住んでる一人娘で、聖華女子高等学校に通うなんちゃってお嬢様。携帯はアイフォン。なんだその細かい設定は。キモいよ俺。キモすぎて自分で自分に引いちまうくらいだ。

 薄明かりの中で自分の顔が赤くなるのを感じる。立花 のえるが実在しない少女であったのは残念だけど、夢で本当に良かった。照れ隠しにもう一度純次を蹴飛ばしながら叫んでやった。


「イビキがうるせーんだよ! バカじゅん……じ……」


 叫びは尻つぼみになって消えてしまった。俺の声はどういうわけか少女のように高くなっていた。まるで夢に出てきた立花のえるの声のように。

 純次がむくりと起き上がった。ゆっくりと周りを見回して俺を見つけると、じっと凝視する。


「んー? おんなぁ?」


 ふと視線を落とすと、なんと俺は服を着ていなかった。それどころか俺の胸には丸い立派な乳房が二つも突き出している。見慣れたのえるの胸だった。

 なんだコレ。夢じゃなかったのか。俺はガックリと肩を落とす。しかし、落胆しながらも心の何処かで、のえるとの縁がまだ繋がっていたことに安堵している自分を感じていた。

 すると、いきなり俺の両肩が掴まれた。


「オレ、ささきじゅんじれす!」


 そんなこと知ってるよ。


「きみ、ろーしてハラカなのー? アニキのともだち?」


 なに言ってんだ、こいつ。寝ぼけてるのか? 確かに今俺は裸だが、裸だとどうして俺の友達なんだ?

 まあ、純次からすれば、夜中に目が覚めたら枕元に全裸の美少女が! てな状況なんだろうな。それなんてエロゲ?

 しかし、こんな馬鹿な弟にのえるの裸を披露したくはない。俺は両手で体を隠しながら、羽織れるものがないか部屋の中を見回した。


「あ! わあったぁ! オレに会いにきらんれしょー!」


 そう言うと、腰に太い腕が回され、強い力で強引に抱き寄せられた。元々は俺の方がわずかだけど背が高かったのに、今、こいつの顔は見上げるほどの高さにある。純次の口元から酒臭い匂いが漂ってきた。この野郎、酔っ払ってやがる。ロレツが回ってないのはそのせいか。

 全裸で弟に抱きつかれている気持ち悪さに我慢できずなんとか引き剥がそうともがくが、純次の腕はビクともしない。当たり前のことだが今の俺は非力な女子高生なのだ。そう思うと背中に戦慄が走る。


「離せよバカ野郎ー!」


 女の声で罵声を浴びせながら弱い腕力で抗っているうちに、俺の細い手首は純次のでかい手に掴まれてしまった。片手で俺の両手首を頭上に引っぱり上げてそのまま壁に押し付けられる。両手を一緒に頭上で固定されてしまい、もう体を隠すことさえできなくなってしまった。そしてもう片方の手が伸びてきて、当たり前のように胸を鷲掴みにした。左の乳房に鈍痛が走る。俺の頭に一気に血が昇った。


「痛えなテメー! 掴むんじゃねぇよ、このオカマ野郎!」


 冷静に考えればこの場合、どちらかと言えば『オカマ野郎』は俺の方だ……なんて冗談を言ってる場合じゃない。このままでは実の弟に押し倒されてしまう。

 豆ランプの薄明かりの中で、純次の目がギラリと光った。

 俺は意を決して強硬手段に出た。純次との身長差を即座に計算し、狙い澄ました膝蹴りを急所に叩き込む。柔らかいものが潰れる感触が俺の膝に伝わってくる。

 膝蹴りはキレイに決まったはずだった。しかし、純次はニタっと笑ったまま俺を離そうとしない。効いていないのか。どうして? アルコールで痛覚が麻痺してるのか?

 そう思った瞬間、脚を払われて俺の身体が宙に浮いた。ヤバい。倒されて押さえつけられたらもう逃げることはできない。

 逃げられないということは、つまり……。

 俺は何も抵抗できないまま背中から布団の上にドスンと落ちた。一瞬息ができなくなる。間髪いれずに純次が襲いかかって来るだろう。固く握りしめた拳を胸の前でクロスさせて自分自身をガードする。

 まぶたを固く閉じたまま十数秒。しかし、何も起こらない。

 俺はゆっくりと目を開けると、そこはのえるの部屋だった。天井に貼られたイケメンアイドルグループのポスターがベッドから落ちた俺を見つめて微笑んでいる。その中の一人が弟の純次に妙に似ていた。コイツのせいで変な夢を見ちまったのか!


 アイフォンがヴーヴーと唸り声をあげている。のえるから電話だ。


「いつまで寝てるのよ! 遅刻しちゃうでしょぉ。髪をセットするんだから急いでよ」


 全身に嫌な汗をかいたまま、俺はのえるのレクチャーを聞いていた。いや、正確に言うなら受話器を耳に当てていただけだ。もちろん何も頭に入ってこない。


「ちょっとぉー! 聞いてるの?」


 電話の向こうでは、俺……佐々木雄一の声が妙に高いトーンの女言葉でまくし立てる。もう頭がどうにかなりそうだった。


 こうして俺の、立花のえるとしての生活二日目は幕を開けた。

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