目が潰れそうなほど半透明な白の世界の隅で
#01
風が唸っている。
何も見えない、真っ暗な空間に、ただ風の音が聞こえる。
果てしなく真っ暗闇な世界に、僕はただひとりで立ち尽くしている。
ここは、どこだろう。
あてもなくさまよううちに、風の音に何かが混ざり始めた。
かすかな声。
すこしざらついていて、風と同化する、空気に消えていくようなこえ。
この声を僕は知っている。
でも誰なのかはわからない。
僕を呼んでいた。
待って、今そっちにいくから。そこで待っていて。
不確かな足取りで、声のする方へ歩んでいく。
やがてその声に抑揚がつき、メロディを持ちはじめた。
祈るように、悲しげな、うた。
ひどく懐かしい歌だ。確かこれは。
そうだ、思い出した。
このひとを、僕は知っている。
名前はわからない。でも、知っている。
いつもこのひとのうたう歌を聴いていた。
確かこのうたは、_____の__が_____、____ ____
………?
_____、__のために、__が_ _________ __ ____
………、あれ?
思い出せない。その部分だけ、ノイズが混じったような不協和音になる。
声の主が、こちらを向いている。
顔だけが闇に吸い込まれて、見えない。
_____ _、きみが、____、_____ __?
思い出せない。あとすこし、あとすこしなのに。
手を伸ばす。
届かない。
なんで、どうして。
___の体も、闇に溶けていく。
待って。どうして。なんで。
どうしていつもこうなんだ。
どうして、いつも肝心な時に———
「ッ……、……………」
目の前は、真っ白な世界だった。
いや、白銀、うっすらと透明の青が混じる、銀盤と言うべきか。
つまりここは、今、僕が生きている世界。
………そうか、夢、だったのか。夢にしてはかなり鮮明だったような。
どんな夢だったかは覚えていない。ただなんとなく、誰かに会った気がした。
まだ霞みがかった頭を横に振り、冷たい空気を大きく吸う。
目を覚ませ。こんなことをしている暇などない。
僕にとっては、夢を覚えているかどうかなんて、どうでも良いのだ。
僕は、現実の、今この瞬間を、いつまで覚えていられるか、記憶を保てるのかで精一杯なのだから。
横たえていた体をゆっくり起こす。どれくらい意識を失っていたのかはわからないが、かなりの長時間だったことは確かだ。体のいたるところがガタガタする。
んん、と一つ伸びをして、空を見上げた。
雲ひとつない。今日は「晴天」、と。
僕が思い出せる一番古い記憶からずっと持っていた愛用の手記を、バックパックから取り出す。こうやって「記憶の痕」を残す癖は、だいぶ前からしていたらしい。いくつかの記憶を失ってもなお、この習慣だけは身についている。
そのおかげで、大抵のことはこの手記を見れば「事象」として認識できるのだ。
さて、僕は何をしていたのか。
手記のページを繰る。「晴天」、と今記した前の紙には、「曇天」「限りなく白く広い陸」と書かれてある。
天候は違うが、「限りなく白く広い陸」はここにいる場所そのものだ。
もしや、前にこれを書いた時と全く同じ場所にいるのではないだろうか。
ふと、目の前を見る。
きらきらと薄く凍りついた濃灰の石が、地面に突き刺さっている。
その石の側には鈍く輝く金属の大型スコップ。
半透明の鉱石のような地面を見ると、かすかに人体の輪郭が見える。
手を組んで、仰向けに横たわって。
墓?
そうか、僕は墓を掘っていたんだった。
疑問に思い、持っていた手記の頁をさらに繰る。
ちらほらと見える「墓」「掘る」「埋める」の文字。
どうやら、ひとの墓を作ったのは、これが初めてではないらしい。
「僕の仕事は、<天災>前の生存者の遺体を埋め、墓を作ること」。
そうだ、思い出した。仕事だ。墓を作るのが、僕の仕事。
と言うことは、仕事をしている最中に、なんらかの原因で長時間眠りこけてしまった……といったところか。
自分の仕事なのに、その記憶を失くしてしまうなんて。
最近記憶の欠落が激しい気がする。前はこんなに重要なことは忘れなかったはずなのに。
なんだかなあ。
軽く自分を笑ってから、作業の続きに取り掛かる。
傾きかけた石をしっかりと固定するため、結晶体と化した近くの地面を少し掘り、石の足元へ補填する。
それを何度か繰り返し、即席とはいえ、より頑丈な墓へと仕上げていった。
これでもう、大丈夫だろう。<破片>が降っても、すぐには壊れないはずだ。
一仕事終えたが、まだやるべきことは残っている。
また忘れることがないように、今日の墓について、手記に書いておかねばならない。
「晴天 墓。黒髪白肌の少女。安らかに海に還らんことを」
見れば見るほど、まだ生きているかのような少女だ。幸い、<天災>による損傷は首から下の一部だったし、まるでその美しい顔を避けて凍りついたかのようだった。
こんな奇跡もあるものなのか。
「顔を避けて凍結。それは意志を持っているのか」
手記をバックパックにしまい、側にあるスコップを手に取って背中に吊るす。
ふと空を見ると、陽はだいぶ傾いていた。
ここの「昼」はとてつもなく短い。
いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。
僕は僕の旅を続けなければならない。
かつて生きていたひとたちを、海に還すために。
そして、僕の存在意義をしるために。
『目の潰れそうなほど半透明な白の世界の隅で』
#01 ハロー、ハロー the end
to be continued
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