62.懐く





 娘のひまりは、たまにしか会わない知り合いにとても懐いていた。



 遊んでもらったり、何かを買ってもらったりしているわけでもない。

 それなのに彼が家に来ると、私や夫には目もくれずべったりくっついている。


 くっつける事がうれしいのか、笑うひまりは可愛いけど相手が相手なので嬉しくない。



 実はたまに家に来る彼と私達夫婦は、昔は長い間争っていた。

 お互い大人になってからは、一応仲直りをしたが今でもぎくしゃくとしている。

 ひまりに対してもそんなに優しいわけでもない。


 何故、ひまりがそんな彼に懐いているのか私達は不思議に思っているのだ。



「明後日、来るらしいわ。」


「またか。今回は何の用だ?」


「渡したいものがあるって。ひまりがもうすぐ誕生日だから。」



 彼は来る前に律儀に連絡をしてくるので、来る日を憂鬱な気持ちで待つことになってしまう。


 しかし今回はひまりへのプレゼントを持ってくるとは。

 一体どうしたのだろうか。


 今までひまりに懐かれていても、そんなに興味が無さそうだったのに。



 彼も大人になったのか。

 私は態度をもう少し柔らかくしようと思った。





 そして彼が来る日。

 私はいつもより腕をふるって、もてなす準備をしていた。


 ひまりも分かっているのか、どことなくそわそわしている。



 ピーンポーン



「はーい。」


 チャイムの音が鳴ると、ひまりは走って玄関へと向かった。

 私はその姿に苦笑しながら、その後へと続く。



「今、開けまーす。……久しぶりね。」


「どうも。」



 扉を開けると、仏頂面の男が立っていた。

 その手には大きな包みを持っていて。


「どうぞ。上がって上がって。」


「……いや。実は用事が出来て、これを渡したら帰る。」


 中へと招き入れようとしたら、包みだけを渡されてそのまま本当に帰っていこうとする。


「え。でも、少しぐらいは……。」


「まま。」


 さすがにそれはと思ったが、引き留める前にひまりが私の服の裾を握った。

 それに気を取られていると、彼は帰ってしまう。


 少しだけ呆然と閉まった扉を見て、すぐにしゃがみ込んでひまりと目線を合わせた。



「どうしたの。ひまり。おじさん帰っちゃったけど、良いの?」


「うん……おじちゃんはいいの。」


「まあ、用事があるって言っていたし。しょうがないね。……プレゼントなんだろう?」



 もじもじとしているひまりを責める理由も無いので、私は手に持った包みを開けた。



「わ。可愛い。ひまりの好きな羊じゃない!」


「かわいいね。」



 中にはひまりと同じぐらいの大きさの羊のぬいぐるみが入っていて、彼がこんなに良いものをプレゼントするなんてと驚いてしまう。

 そのままぬいぐるみを渡せば、ひまりはあまり嬉しくなさそうな顔をしていた。



「どうしたの?ひまり?」


「ううん。」


 どうしてだか分らず、首を傾げる。

 ひまりはぬいぐるみが好きなのに、珍しい。



「おーい。どうしたんだ?」



 更に聞こうと思ったが部屋の方から夫の声が聞こえてきて、私はひまりの手をひいて戻る。






 その日から彼と連絡が取れなくなった。

 電話をしても番号が使われていなく、メールもエラーで返ってくる。


 共通の知り合いに尋ねてみても、消息が分からない。



 最初は心配していたが、元々あまり苦手だったので私達はいつしか忘れてしまった。




 それを何故急に思い出したのか。

 引っ越しの為に荷物をまとめている最中、羊のぬいぐるみが押入れの奥の奥から出てきたからだ。


「うわ。懐かしい。」


 埃や汚れで少し黒ずんでいるそれを持ち上げて、私は懐かしむ。


「ひまりが気に入ってなかったから、すぐに片づけちゃったのよね。」


 あの日、ひまりはこのぬいぐるみを放置すると一切触れようとしなかった。

 しかし高そうなものだから捨てるわけにもいかず、とっておいたのだった。



「おかあさーん。何騒いでるの?……それ。」



 あまりにも懐かしくて、少しうるさくしてしまったのか。

 あの頃よりすっかり大きくなったひまりが、私の様子をうかがいに部屋に入ってくる。


 そして私が持っているぬいぐるみを見て固まった。



「懐かしいでしょ。ひまりが懐いていたあの人からプレゼントしてもらったこれ。」


「な、何でとっておいたの?捨てて!」



 ひまりに渡そうとすると、彼女は怯えて後ずさった。

 異様な態度に私はおかしいと思う。



「どうしたの?ひまり。」


 私は傍らにぬいぐるみを置いて、ひまりに近づく。


「お母さんに話して。」


 ひまりはぬいぐるみから目をそらして、自身を抱きしめる。

 その体はカタカタと震えていた。



「あ、あの人。ずっと怖かった。家に来るたびに小さな声で話していて。何かされたら嫌だって。私、ずっと見張ってたの。そのぬいぐるみだって気持ち悪い。」



 すぐにはひまりの話が信じられなかった。

 随分と長い間、会っていないが悪い人だとは思えない。


 思い違いではないのか。

 そう考えてぬいぐるみを手に取ると、先ほどは感じられなかった感触があった。



 私は近くにあったハサミでぬいぐるみのつなぎ目を切る。

 可哀想だとは思ったが、何だか嫌な感じがした。


 開いた中には綿が詰まっていて、私はその中に手を突っ込む。



「いたっ‼」



 しばらく中を探っていたら、手のひらに鋭い痛みが走った。

 何に当たったのか、痛みに耐えながら私はそれを慎重に中から引き出す。



「……何よこれ。」



 それは小ぶりではあったが、まぎれもなくナイフだった。

 少し触れただけでも手のひらが切れていたので、切れ味は鋭い。



 もしこれを、ひまりが抱きしめていたら。



 想像すると血の気が引いた。

 そして気が付く。



 彼は定期的に家に遊びに来ていた。

 ほんのささいな用事でも。

 それなのに彼の目には、今思うと全く温度が無かった。



 もしかしたら、ずっと彼は私達の事を。







 ぬいぐるみはすぐに捨てた。





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