47.スイッチ





 目の前に赤いボタンが置かれている。

 これが夢だと分かっている俺は、それを押すかどうか迷う。


 押したらどうなるか分からない。

 ボタンの周りを見るが、何も書かれていないし、ヒントになるようなものもない。



 それならば別に押さなくてもいいんじゃないか。

 どこかでそう思うのだが、ボタンから目を離せない。


 押したい。押したらどうなるんだろう。


 見ている内に、段々と押したい欲求が出てきてしまう。

 ゆっくりと俺はスイッチに手を伸ばす。


 押したい。押したい。


 スイッチまであと数cm。

 もう少しで押せる。





 しかし、そこで目が覚めた。

 ベッドで俺は腕を前に出して、今まさにスイッチを押そうとしている体勢になっていた。


「……うわ。ちょうどいいところで起きちまった。」


 腕を下ろして目を覆う。

 未だ夢の余韻が醒めていない。


 どうせ夢だったのだから、押してから何が起こるか確認してから起きたかった。

 俺は手を握ったり開いたりしてみる。

 いわゆる明晰夢というものを見るのは初めてだった。


 あんなにも分かりやすく夢だと分かるものだとは。

 面白かったから、もう少し見ていたかった。


「あー。起きるかー。」


 しかしそうは言ってもどうしようもないので、俺はのろのろと起きだして学校へ行く準備を始めた。





「はよー。」


「はよ。」


 教室に入ると、先に来ていた友達がだるそうに声をかけてくる。

 俺もそれに短く返した。


「なんか元気ないぞ。どうした?」


「あー。何か変な夢見てさ。」


 俺は先生が来るまでの時間を使って、簡単に夢の話をする。

 話を終えると、友達は興味深そうな顔をした。


「本当、変な夢だな。スイッチしかないって。それで結局押さなかったんだ。つまんないの。」


「それを言うな。俺だって押しとけば良かったって後悔しているんだから。」


 笑いながら彼は紙を取り出して、絵を描きだす。

 手元を覗き込むと、どうやらスイッチの絵を描いてくれているみたいで。


「もう少しボタンは大きかった。それで色は赤。」


「えーっと、こんな感じ?本当、普通のありふれたスイッチにしか見えないな。」


 美術部の彼の描いた絵は、夢で見たものそっくりだった。

 俺は感動しつつ、それをもらう。


 ボタンだけなのだが本当に上手に描けている。


「ま。今度その夢を見たら、ちゃんと押せよ。」


「分かった分かった。」


 チャイムが鳴ったので俺は席に戻った。

 友達にはそう言ったが、きっともう見ないはずだ。


 似たような夢を見た事は、今まで一度も無かったのだから。






「そう思っていたんだけどな。」


 俺はスイッチを目の前にして、苦笑した。

 昨日の今日で、また同じ夢を見るとは。


「これは押せってことだよな。」


 1人で勝手に納得して、スイッチに近づく。

 はっきりとは言えないが、昨日と同じものだろう。


「よし。押すぞ。」


 俺は夢から覚める前に決心してボタンに手を伸ばした。




 カチッ




 軽い音を立ててスイッチの赤い部分が沈む。

 さてないが起こるのか。

 俺はドキドキしながら、辺りを見回す。



 しかしいくら待っていても何も起こらない。


「……嘘だろ。何も起こらないとか。」


 俺はガッカリする。

 そして手に持っていたスイッチを床に置いた。


 早く目が覚めないかな。

 夢だと分かっているから、途端につまらなくなって俺はあくびをした。



 しばらくして段々と意識が遠のいていく。

 昨日とはまた違うが、これは夢から覚めようとしているのかな。


 俺は床に倒れこみながら、そう思った。





「何だったんだあの夢。」


 俺は目をこすりつつ、ぼやいた。

 寝ていたはずなのに頭がぼんやりとしている。


 それにしても変な夢だった。

 意味が分からないし、後味がすっきりしない。



 もう絶対に見たくないな。

 そう思いながらゆっくりと準備を始めた。





 教室に行くと、何だかいつもより騒がしい。

 俺はまだぼんやりとしている頭を抱えながら、中へと入った。


「はよ。どうしたの?」


 いつもならすでに来ているはずの友達の姿が見つからず、別のクラスメイトに話しかける。

 何故か顔色の悪いそいつは、俺を見て顔をゆがめた。


「お前、聞いてないのか。昨日あいつが死んだんだぞ。」


「……は?あいつ?」


「真治だよ真治。昨日の夜、心臓発作で。」


 真治は友達の名前だ。

 俺は驚きからしばらく固まってしまう。


「嘘だろ。何で……。」


 昨日はあんなに元気だったのに。

 どうして急に死んでしまうなんて、意味が分からない。


 俺は力が抜けて、持っていたバッグを落とした。

 重い音を立てて落ちたバッグは、チャックが開いていたようで中に入っていたものが床に散乱する。


 大きな音に覚醒した俺は、慌てて床にしゃがみ込む。そして落ちたものを拾い始めた。




 その中に、昨日友達に描いてもらった紙を見つける。

 四つ折りに畳んで、しまっていたそれを手に取った。


「……あいつ。本当に……。」


 何だか急に泣き出しそうになる。

 悲しみから思考回路がおかしくなって、スイッチを押したせいであいつが死んでしまったのではないかと考えてしまう。


「そんな事ないのにな。」


 俺は自嘲気味に笑って、紙を開いた。

 昨日見たままの変わらないスイッチの絵。




「……あれ?」


 紙が汚れている。

 こんな汚れはあっただろうか。俺は紙をまじまじと見た。


 いや、それは汚れではなく紙の裏に何かが書いてあるんだ。

 俺は紙をひっくり返す。



 何か小さな文字が書かれていた。

 ぱっと見て何が書いてあるかわからず、俺は顔を近づける。




 そして分かった。

 そこには友達の字でこう書かれていた。















『押してくれてありがとう。』






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