37.養子



 子供が出来ない私達夫婦は、施設から可愛らしい一人の女の子を引き取った。

 名前は加奈ちゃん、4歳。

 本当に可愛らしい子なのだが、引き取る際に職員の人に言われた言葉が少し気になっている。


「加奈ちゃんは、お母さんが事件に巻き込まれて。もしかしたらその現場を、直接見たかもしれないんです。」


 まだ5歳にも満たない子供が、母親の死ぬ場面を見たかもしれないなんて。

 その話を聞いて大きなショックを受けてしまい、私は加奈ちゃんを今は幼稚園には行かせず、家でいつも一緒にいてあげる事にした。


 愛情を沢山与えたいのと、私達にはやく慣れてもらうためだ。


 その作戦は上手くいき、加奈ちゃんはすぐに可愛らしい笑顔で接してくれるようになった。

 おかあさん、おとうさんとたどたどしくだが、今では呼んでくれる。



 幸せな家庭をこれから加奈ちゃんと作っていける。そう思っていた。





 少しおかしいと思い始めたのは、加奈ちゃんを引き取って1ヶ月が経った頃だった。


「加奈ちゃん?何見ているの?」


「んー。あれ!」


 私がお昼ご飯の用意をしていて少し目を離していた時、用意が終わり加奈ちゃんの元へ行くと、斜め上を見上げて嬉しそうに笑う姿があった。

 彼女の視線の先を見るが、特に何も無い。

 だから聞いてみたのだが、指し示した先にも何も無い。


 私は首を傾げる。

 しかしすぐに、話でよく聞く子供の妄想というものだろうと考えた。

 今までいなかったから、こういう子供らしい行動が微笑ましい。


「そうなの。ご飯が出来たから、あっちに行きましょう。」


「うん!」


 私は加奈ちゃんの頭を撫でて、テーブルへと促した。

 彼女は見ていた方向に手を振ると、何も言わずに手を握ってくれる。


 加奈ちゃんが家に来てくれて良かった。片方の手に感じる、小さくても強い力にその時は嬉しさがこみ上げていた。





 最近の私は、寝不足で体調が悪い。

 忙しくて家に帰ってくる事の少ない夫でさえも、心配するぐらいだから相当だ。


「おかあさん。だいじょうぶ?」


「あ、ええ。」


 加奈ちゃんもソファで休む私に近寄って、心配そうに覗き込んでくる。しかし私はちゃんとした返事が出来ない。

 それ以上に、近寄って欲しくないと思ってしまう。


 本当はそう思いたくないのに、疲れているせいでいつも以上に些細な事でイライラする。

 私の疲れが彼女のせいなのも、原因の一つだ。



 加奈ちゃんは、言いたくはないけど変な子だった。

 最初は子供の言う事だと微笑ましく見守っていたのだが、あまりにも度が過ぎている。



 例えば、何があるのか部屋の上の方を見ていたり。

 1人でいるはずなのに楽しそうに笑っていたり。


 私じゃなくて、私の後ろをじーっと見つめていたり。



 こんなのが何度も続いたら、私は精神がおかしくなってしまいそうになる。

 加奈ちゃんに悪気はなく、ただ純粋に行動しているのが分かるから、余計に怖い。


 まだ夫には何も言っていない。

 言った所で、疲れているのだと呆れられるだけなのは目に見えている。


 私が悪いのか。

 そんな事ばかり考えてしまう。

 ただの子供の変な行動だと、気にしない様にすればいいんじゃないかと。

 それが出来たら、加奈ちゃんと幸せに過ごせる。

 何度も何度もそう思おうとしても、やっぱり無理だった。



 私は考え過ぎて痛む頭を抱えながら、まだ覗き込んでいる加奈ちゃんに何とか微笑みかける。


「加奈ちゃん、今日は何して遊んでいたの?」


 意識しないと疲れた顔をしてしまいそうだ。

 加奈ちゃんの前でそんな不安にさせるようなことは出来ない。


 せっかくここまで心を開いてくれたのに、それは無駄にはしたくない。



 加奈ちゃんはきょとんと、大きくて真ん丸な目で私を見つめていた。

 何も言わずに、ただ首を傾げている。


「どうしたの加奈ちゃん?お腹空いた?それとも何かあった?」


 私は体の向きを変えて加奈ちゃんに目線を合わせた。

 それでも加奈ちゃんは、ただじっと見つめてくる。


「か、加奈ちゃん?」


 段々と私は不安になってきた。

 加奈ちゃんのこの様子は、いつもの嫌な感じと同じだ。


 それを気のせいだと思いたくて、私はさらに笑顔を作って加奈ちゃんに話しかける。少し声が裏返ってしまったが、彼女は気にしていないようだ。


「おかあさん。」


「何?」


 加奈ちゃんはようやく口を開いた。


「おかあさん。」


「どうしたの?」


「……ママ。」


 私は急に背中に寒気を感じる。

 加奈ちゃんがママといった瞬間、何かが後ろに張り付かれたような気分になった。


「か、加奈ちゃん?」


 私はすがるように、目の前の加奈ちゃんの肩に手を置く。

 彼女は怖い顔をしているであろう私を、無感情な目で見つめている。




「ママ。おかあさん、ママみたい。あはは。」


 そうかと思ったら、突然明るく笑いだした。


「おかあさん。ママとおなじ!かなしってる!!バイバイってするの!ままのときもしたの!!」


 そうして私に、ではなく私の後ろにいるナニカに加奈ちゃんは手を振り始めた。


「あ。ああ、助けて。誰か、いや、いやあっ!」


 私はどんどん背中から絡みついてくるナニカから逃げたくて、加奈ちゃんに必死に縋り付こうとする。

 しかし加奈ちゃんは、その小さい体のどこから出したのか、私の手を外して満面の笑みを浮かべた。




「バイバーイ!」



 それを見つめながら、私の意識は途絶える。



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