百の物語

瀬川

1.あのね



 私の娘の加奈はおかしな子だった。


 頭は悪くない。一般的な子供と同じぐらいの知恵はある。

 しかし、どこかがおかしい。





「ママ、あのね。」


 夕食を準備している最中、エプロンの裾を引っ張られながらそう言われた時、私は内心でため息をついた。


「どうしたの?」


 明るい声を出そうとしたが、声はどこか疲れてしまう。

 しかし、私の疲れを感じ取らない加奈は気にせず続けた。


「あのね。 今日もパパ、後ろにいるよ。」


 ……またか。


 加奈は物心がつくとすぐに変な事を言うようになった。

 言っている事の異常さを、一切自覚せず私に伝えてくる。





 言われ始めた当初は、子供の妄想だと思っていた。

 私に構って欲しくて話を作っているのだと。


 しかしそう思っていたある日、


「あのね。 どうしてママの後ろにパパがずっといるの? 」


 いつもの様に話しかけられ、私もいつもの様に話を流そうとしていた。

 しかし加奈の言葉に私は血の気が引くのを感じた。



 どうして父親の事を加奈が分かるの?



 加奈の父親は最低な男だった。

 普段は真面目だが酒を飲むと私を殴る。


 しかし加奈が生まれる前に事故で死んだ。

 だから彼女は顔が分からないはずで、父親だと判断できるわけがないのに。


「パパ? 私の後ろにパパがいるの?」


 私は声が震えないように気を付けながら加奈に聞く。

 今までこういう風に返事をしたことが無かったので、加奈は嬉しそうに話してきた。


「あのね。まえからうしろにいてね。 だれ?ってきいたら、ぱぱだよーってあたまなでてくれた。 」


 その時のことを思い出したのか加奈は頭を触る。

 一方の私は寒気を感じていた。


 まさか 。

 そんなまさか。


 もし加奈の話が事実だとすれば、今もそいつは私の後ろにいる。

 私は震えそうになるのをおさえて加奈に言った。


「そう。これからもパパのこと教えてね。 」

「はーい!」


 手を挙げて元気よく返事をする加奈が私は怖かった。





 それからもたびたび加奈の口から父親の話が出た。


「あのね。 パパ、ママのごはんおいしそうって!」


「あのね。 パパ、ママのことわらってみてる。」



「あのね。 」




「あのね。」





「あのね。 パパ、ママのことだいすきって!」


 加奈がそう言った時、ついに私は耐えられなくなった。


 いつか殺される。

 加奈に触る事が出来たのだ。



 その内、私の事も。


 考えたら今にも首を絞められそうで、急いで私はとある所に連絡した。





「やあやあ。 久しぶりだねえ。」


「……どうも。 」


 私が連絡したのは学生時代の知り合いだった。


 霊能マニアとして有名な男。名を山田という。

 学生の頃はその行動の奇妙さから遠巻きにされていた。かくいう私もあまり良い感情を抱く事が出来ず、今となっては恥ずかしいが友人と一緒になっていじめに近い事をしてしまった。


 だから出来れば二度と会いたくなかったのだが、背に腹は代えられない。こういった事に詳しそうな人を彼以外に知らないからだ。



 私には親も親戚もいない。友達も随分前に疎遠になってしまった。

 もし、まだみんなが周りにいたら、山田ではなく真っ先に父に相談するのに。

 一人娘の私に優しかった父。

 加奈が産まれる前に、交通事故で母とともに亡くなってしまった。

 父なら何とかしてくれる。

 あいつと結婚した時も、一番心配してくれたのも父だった。


 しかしそれは叶いそうもない願い。

 だから渋々だが、山田に頼るしかない。


 いきなり連絡した私を、意外にも彼は歓迎した。その事に私はほっとする。ここで嫌だと言われたら、私には打つ手がなくなってしまう。




 私が呼ばれた部屋は変な模様が壁に書かれていたり、香なのか甘い香りがした。


 出来れば早く帰りたい。

 しかしそんな事を言っている場合じゃないと笑みを浮かべる。


「相談があるの。」


 そう言って私は今までの事を話した。


 加奈、後ろにいるという夫、昔の話、そして。


「後ろの夫を消してほしいの……。」


 私は最後にそう締めくくる。

 話を聞いた山田はにやにやと笑った。


「出来るけど……本当に良いの?後ろの人を消した後の事は、責任とれないよ?」


 私の後ろを見ながら言う。


 当たり前だろう。 そう掴みかかりたい。

 しかし抑える。


「お願い。もう嫌なの……。消して。」


「そこまで言われたら断れないなあ。 じゃあ早速始めようか。」


 そこから何があって、何をされたのかは他言無用だと口止めをされた。

 一つだけ確かなのは、もう二度と山田とは関わりたくないという事だ。



 とにかく私は終わると、礼の言葉もろくに言わないまま家へと帰った。





 家に帰り、玄関の扉を前にして私は止まる。



 本当に大丈夫だろうか?山田はちゃんとやってくれたのだろうか?

 あんな胡散臭い男を信用してしまった事に、少し後悔し始めている。しかし信じるしかない。


 深呼吸を何度もして、私は気持ちを入れ替えた。



 ガチャッ



「ただいまー! 」


 私は努めて明るく言う。


「ママおかえりー!」


 すぐにとたとたと音を立てながら加奈が来た。



 さあ、どうだ。

 手を広げて私を出迎えようとしていた加奈は止まる。


「あれ?パパ?」


 私の後ろを見た加奈は首を傾げて言った。

 その言葉に私は肩の力が抜けるのを感じた。


 良かった。ちゃんと消してもらえたんだ。



 私はしゃがみ込み加奈に目線を合わせた。


「パパはおうちに帰ったのよ。」


「そっかあ……。」


 つまらなそうに言う加奈に少しだけ罪悪感が湧く。

 しかし自分の身の安全が大事なので見ないふりをした。


「今日はご馳走にしようか。」


「うん!!」


 そう言えば加奈も嬉しそうに笑った。


「じゃあ用意しなきゃ。」


 立ち上がり私は中へと入る。

 その後ろを加奈が数歩離れてついてくる。


「加奈は何が食べたい?」


「……。」


「ハンバーグ?オムライス?」


「…………。」


 私の言葉に返事がない。

 どうしたのかな?と後ろを振り返ろうとした時、私の服の裾が引っ張られた。



「!……ど、どうしたの?加奈?」



 その感覚に嫌な思い出しかなかったので、私は顔を引きつらせる。

 しかし、もう終わった事だと言い聞かせて加奈の方を見た。


 加奈は私の顔をじっと見上げていた。




 違う。

 その視線は顔から少しだけそれていた。





 私の後ろを見ていた。


「か、加奈?何を見ているの?」


 加奈に声をかける。

 怖いが、聞く以外になかった。

 しかし何も言わず後ろをただ見ている。



 じーっと



 じーっと



 そしてようやく口を開く。




「ママ、あのね。」










「ママのうしろにいるおじさんだあれ?」


 加奈が言った瞬間、私の首を誰かが絞めた。




 苦しい!


 苦しい !



 絞められた首を何とかしようともがくが、手は空振りして何も掴めない。

 そして酸素がいきわたらなくなって、段々と視界が暗くなっていく。



 ついに意識が途切れるその時、私の耳元で誰かがささやいた。



「あのクソジジイのせいで時間がかかちまったけど、やっと捕まえた。」




 その声は聞き覚えのあるものだった。

 消したはずの……





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