2-3.試したい疼き

「単刀直入に申し上げますと、あなたがたでは鶏冠竜コクトルス討伐は無理なのではないか、というのがこちらの勝手な見解です」


 酒場の裏、木の樽だけが無言で転がっている路地裏で放たれた言葉は、秋風よりも冷たい。淡々とした口調に、しかしノーラには驚いた様子は欠片もなく、カインは逆にそんなことを言われる義理はあるのだろうかと首を傾げそうになった。少しの間が空いて、イグローと名乗った男はそれでも似合わぬ顎ひげを撫でていて、こちらからの言葉を辛抱強く待っているようだった。


「それは、どのような理屈でだろう」

「このものたちは探査と死体の回収を主に担当しているのですが、同時に傭兵でもあります。まあ、エペーサの専属傭兵とでも申しましょうか」


 イグローの背後に控える男たちは、不躾なほど侮蔑と自負を含んだ瞳を隠そうとはしない。なるほど手練れなのだろう、背筋もぴんとしており隙がなく、自信に満ちあふれている。片方の獲物は腰にある細剣で、もう片方は何も付けていないところからすると、デューと同じく拳闘士だろうとカインは推測した。拳闘士の方が強いなとも。無駄のない筋肉、鋭く暗みのある赤い眼光、どれもが隣にいる細剣の男より芯がある。


「後ろの彼らも相当な戦士なのですがね。でも討伐は無理でした。ここに訪れた戦闘商業士の方も既に何人か向かいましたが、死体で帰ってきた有り様です」

「これ以上、下手を売って手間を増やすな。そう言いたいと」

「ご明察です。頭の良い方で助かる」


 片唇だけをつり上げる笑みは嫌みったらしくて、カインはどうにもこの男が好きになれそうにない。好きになってくれ、なんて言われてはいないけれど、側にいるだけで居心地の悪さだけを感じる。落ち着かなくなりそうなカインを余所に、ノーラとイグローの会話は続く。


「最低でも『閃風せんぷうのデュー』以上の方を連れてきて頂きたい、そう思っているのは町長も同じです」

「難しいことを言う。二つ名持ちはそういない」


 小さく笑ったノーラが軽くこちらの方を向いたものだから、一瞬浮き足だった内心を注意されるのかと思いきや、すぐに彼女はイグローの方へ向き直ると落ちついた少年の声音で不敵に言い放ってみせた。


「だが、『閃風のデュー』に劣らない力と技術を、こちらの傭兵は持っている」

「そう言われましても、こちらとしては確認の仕様がありませんので」

「あなたは戦闘商業士の過去の実績を確認しているはずだ。そうでなければ、僕へ勧告しに来るはずもない。戦闘商業士にだけ目を付ける、それがこの町のやり方か?」

「いえいえ、お名前がわかっているのがあなただけでしたからね、ベリ=ノーラ殿。確か『猟剣りょうけんのグナイオス』と一緒に石目蛇バジリスクを討伐なさったとか」

「石目蛇と鶏冠竜では体系は一緒だが位も力も違う。そのくらいは理解しているつもりだ」

「理解だけで挑まれては、こちらが困るのですよ」


 聞き分けのない幼子を諭すような甘ったるい言い方に、聞いているカインの胃がむかむかしてきた。それと同時に、何か頭をもたげてきた感情がある。怒りとも哀しみとも全く別のもので、誇りを傷つけられたときに生ずるそれに似ているがなんと呼べばいいのかカインにはわからず、押し黙ったノーラをただ見つめることしかできない。多分彼女は悩んでいる。『蒼全そうぜんのプラセオ』だと名乗り出るべきかどうか。彼女が二つ名持ちだと知れば、イグローは、この町の住人はどう思うだろう。

 悩みあぐねているのかとらえたのか、イグローは飢えた人間に手を差し伸べる救い主の面持ちで微笑んだ。


「ですがせっかく来て頂いたのですから、機会を差し上げましょう」

「……闘技場か」

「そこまでわかってらっしゃるとは。お見それしました」


 慇懃極まりない言葉はしかし、イグローの心象を良くはしない。まるで初めから話をそこへ持っていきたかったようにカインは感じる。


「我がエペーサが誇る闘技場でどちらかが優勝して頂ければ、正規の通行証を出しましょう」

「怪我を負ったら討伐に行くのが危ぶまれる」

「それこそ逆なのではありませんか? 闘技会で怪我をする程度の実力なら、鶏冠竜には到底太刀打ちできないでしょう」


 正論だろう、とカインでも思うほどイグローの言葉には説得力がある。ただ、人間と<妖種ようしゅ>では戦い方も対応も違うことを理解しているとは、あまり感じられない。


「大半の方が五日、それくらいの時間をかけて入念な準備をしても、鶏冠竜は未だ健在だ。これ以上死体が増えれば、疫病が流行る危険性もありますしね。そうなれば本末転倒です」

「闘技場は、人を殺す場所なのだろう?」


 つい、訊いてしまった。カインの問いに目を細め、哀れみにも似た光をたたえてイグローは笑う。


「おやおや、ずいぶんお優しい。でもご安心を。我が町の闘技場では、人を殺せば失格ということになっておりますのでね」


 鼻を鳴らし肩をすくめたイグローの言葉に、カインは少し思案した。


 人を傷つけることにはやはり、どこかいたたまれなさにも似た抵抗がある。でも、殺さずに闘志を失わせるだけの損傷を与えることができるようになれば、それはきっと己にとって役に立つ。刺客が来るとは限らないが、全力ぎりぎりまでの加減した技を身につけることは、傭兵として生きる路を選んだカインのこれからのためになるだろう。そしてもう一つ、さっきからうずいてたまらない衝動がカインを突き動かした。


「それなら、俺が出る」


 ノーラが思わずといったように振り返り、それでもカインは小さく頷いてみせた。別にやけっぱちで言ったわけではない、心に従うまでだ。


「それはありがたい。四日後に闘技会は開かれます。参加なさるのでしたら、こちらから連絡を入れておきますよ……お名前は?」

「カインだ」

「そうですか、カイン殿。あなたがどれほどの腕前なのか、楽しみです。願わくば彼らに負けない程度の技術を見せてもらいたいものですね」


 細剣を携えた男は敵意をむき出しにカインを睨んできたが、拳闘士であろう男はまるで、己の隙を見定めるかのように目をすがめる。やはり拳闘士の方がやりにくい、とカインは内心で思う。感情をひた隠しにすることは、気配を読ませぬことにも通ずる。厄介な相手になりそうだと思いながら、それでもなぜか高揚した気持ちがカインの中にわいて止まない。イグローが己と男たちを交互に見、それこそしめたと言わんばかりの喜色に満ちた笑みを浮かべた。


「こちらからの用件は以上となります。ああ、傭兵組合に連絡を入れておいて下さいね、そこから開催時間の通知が来ますから」

「わかった」

「では、これにて……夕飯中失礼致しました」


 全くそう思っていないであろう台詞を吐いて、イグローと男たちが立ち去った後に残るのは沈黙だ。もう陽も沈み、空は藍色と薄い紅を残して少しずつ濃い紺色を見せ始めている。


「その、勝手に決めてしまって、すまない」


 うつむいたまま動かぬノーラに、カインはとり繕うような声を投げかけ、それは己が思った以上の虚しさをはらんでいた。心にもない言葉をたやすく口に出せるようになったのはいつからだろう。軽く頭巾を上げ、顔を出したノーラの瞳にあるのは、しかし懸念だ。


「……本当にいいの? だしに使われたわよ」

「だし、とは」

「多分今のエペーサを活気づけるのは、闘技会だけだと思っているんでしょうね。事実そうだろうけど。客寄せの駒になったってこと」

「ふむ。だが出場する以外に方法はなかっただろう? 不用意に君が名を出せばどうなるかわからない」

「それはそうなんだけど」

「ベリ、しゃべり方が戻っている」


 いけない、と小さく囁いてノーラが軽く咳き込む。つい素に戻る程度には信頼されているのだな、とカインはなんとなく嬉しく感じた。だが肝心なことをイグローから聞き忘れていたことに気付いて少し、慌てた。己はここの闘技会のことを全くもって知らない。


「闘技場の規定はどうなっているんだ?」

「補助の殊魂アシュムのみ使用ができる。あとは刃を潰した剣や拳用の武具を使うはず」

「そうか」

「大体六人くらいの勝ち抜き戦、そこはわかりやすい。合閒に休憩がはさまれて、そこで傷の手当てを軽くする。武器の変更もできる。介添人は僕が勤めるけれど」

「けれど?」

「……戦うのはいやだと言っていたのに」


 どこか拗ねたような口調に、カインは薄く微笑む。でもそれも一瞬で真顔を作り、己の心情をそっと、二人だけの秘密を漏らすように吐露する。


「技術を磨くのは、悪いことではないと考えたんだ」

「技術か……確かに戦闘商業士と組むなら、それは必要になってくる要素だけれど」

「それに正直、試したかったように思う」

「試す?」


 うながされて、カインは唇を舐めた。どこから話していいのか己でもわからなかったけれど、少し頭の中でまとめて、それからためらいを込めて言葉を紡いだ。


「デューがここで優勝したと言っていただろう? それを聞いたら、なんとなくこう……」

「ああ、そうか」


 ノーラが納得した、心を読んだように唇をほころばせる。


「闘争心というやつかも。デューと同じ高みへ挑みたくなった、違う?」

「多分それだ」


 ノーラと話していて、そしてイグローの話を聞いて、カインの心の中に小さく芽生えたものはデューに対する対抗にも似た自尊心だ。無論、彼と仕合いができればそれに超したことはない。だけどそれが叶わない今、手っ取り早く彼に近付けるとしたら、イグローの誘いは丁度いい機会だろう。多分、とまとまらない思考を必死で整理しながら、頭の片隅で思う。デューが聞いたら回りくどい、そんなことを言われそうだけれど。


「少し安心した」

「安心? なぜだ?」

「あなたには欲らしいものがなかった。知識欲は人一倍だったけれど。まるで隠者か聖人みたいだった」

「そんなものではないぞ、俺は」

「うん、だから、良かった」


 何が良いことなのか、カインにはわからない。小首を傾げるカインの肩を軽く叩いて、答えることをせずノーラはゆっくり歩き出す。


「さあ、戻ろう。夕飯を食べたらこれからの予定を考えなくちゃあならない。やることはたくさんある」

「そうだな」


 ノーラの後に続こうとして、ふと足を止めた。空を見ると煙より黒い、灰色のぶ厚い雲が天を覆って衛星つきを隠していた。雨が降ってくるかもしれないな、とぼんやり思う。デューも領都でこの空を見ているのだろうか。


  ◆ ◆ ◆


 キュトスス領都の道はいつものように騒がしく、でも活気があってデューの耳に明るい調べとなって滑りこむ。デューは軽やかな足取りで混み合う人々の合閒を巧みにくぐり抜けながら、鼻歌を奏でていることに今、気付いた。ずいぶんと気分が良い。娼館でなじみの女を買ってきた帰りだ、調子よくならないはずがない。夜を知らせる鐘楼の鐘が遠くより響いて、同時に辺りから腹をつくいい香りが漂ってくる。


 酒場に行こうかデューは悩み、それなら仲間と一緒の方がいいと思ってさ迷わせていた足を傭兵組合の方に向ける。中央通りに繋がる組合通りには未だ人がたくさんおり、中には見知った顔がちらほらある。だがそこに、普段はここで、絶対に見かけることのない人間の姿を認めて思わず足が止まった。強張った体にぶつかる男の舌打ちにも反応ができないくらいに、一瞬にしてデューの晴れやかな気持ちは秋風にさらわれていく。


 傭兵組合に入るまいか、どうするか、周りの奇異の視線にも気にせずうろうろしている女の姿は滑稽ですらある。冷ややかに客観視できる自分がいたことに苦笑しながら、デューはやむを得ず彼女の元へと近付いた。


「これはフィージィ殿。組合に何か用がありますかな?」


 昔叩きこまれ、しかし匙を投げられた中途半端な礼儀を込めた言葉をかけると、女――フィージィはびくりと小動物のように肩を跳ね上げる。こちらを向いた戸惑いの顔はすぐに勝ち気ないつもの表情に戻り、大きく淡い瞳は揺らいでいたけれど、瞬時に人を挑発するみたいな光をたたえる。


「……あなたに用はありません」

「知ってるよそんなこと。組合に用があるのかって聞いてんだ」


 フィージィの固い返答は予想通りのもので、デューの心に何も残さない。期待もしていない。期待は、希望という名を残す毒だ。希望は絶望を呼び、それは死に繋がる。


「その、人を」

「人? ソズムか?」


 フィージィは唇を噛みしめて首を振る。だだっ子のような印象は昔から変わることはないけれど、立場は大分様変わりした。そして二人の距離も。今更思っても仕方のないことで、デューは黙ってフィージィの腕を乱雑につかむと端の方に引き寄せた。小さい悲鳴を上げるフィージィはそれでもまだ口を開こうとはせず、頑固なところはおぼろげな記憶しかない母親を彷彿とさせた。


「香水の匂いがします」

「あ? そりゃそうだろ。娼館の帰りだからな」

「そ、そのようなところに立ち入って、あなたは……」


 説教なら聞き飽きた、言い捨てる代わりにデューは頭を掻く。蔑みのある瞳でフィージィが睨んでくるが、デューは気にも止めない。あきらめたみたいなため息をついて、フィージィは意を決したように一人頷く。


「あの、カインさんを呼んできて下さい」

「カイン?」


 片眉を吊り上げて、デューはフィージィの言葉をオウムのように繰り返す。両者が知り合いで、家にも招待していることは知っていたが、カインの動向を知らぬ程度には浅い関係のようだ。


「アイツなら今はいないぜ」

「いない? なぜです」

「仕事が入ったんだよ。もう数日前にここからいなくなってる。知らなかったのかよ」

「……まさかノーラさんと一緒では」

「はいはい、そのまさか。ノーラの姉ちゃんと一緒に<妖種>退治。帰ってくるのはいつになるっけな」


 あの女狐、とフィージィが怒りをこめた囁きを口にしたものだから、デューは思わずぎょっとした。少なくとも、思い出の中の姉はそんなことを言う人間ではなかった。でももう、互いに知らないことがありすぎるくらいにはデューは家に寄りつかなくなっていたし、フィージィとも交流していない。街中で会ったとしても知らぬ素振りを決めていた二人だ、変化があっても、まるで季節がめぐるかのように自然にまぎれて消えていく程度には。


「まあ、そんなわけでカインは留守。無駄足だったってこった」

「帰ってきたら神殿に連絡を入れるよう、総長に話を付けて下さい」

「アイツに何の用だ?」

「それこその知ったことではありません、シェデュ。いいですか、ソズム総長に必ず伝えなさい」


 吐き捨てるように断固としてデューを拒絶し、なのに命令だけはする。傲慢とも呼べるやりように多分、自分では気付いていないだろうフィージィは、神官用の服をひるがえし、慣れぬ道をおぼつかない足取りで歩いていく。その後ろ姿を見ながらこっそり嘆息した。ああなっては、姉は自分に理由を決して話さないだろう。苗色の髪が松明の明かりに消えていくのをぼうっと見やりながら、大きく息を吐き出して、せっかくの香水がとれてしまったことに気付く。フィージィが付けている香水は、陰のように染みついた幼い思い出の中にいる母親と同じもので、体にうつった優しい香りに気持ちが一気に急降下していくのを感じた。


 デューとフィージィの間にはすでに距離など開きすぎていて、ただ見えないだけのものだ。きっと、と大きくため息をつきながら天をあおいだ。今の自分たちには地と天ほどの差があって、でもどうすれば間を埋める雲をつかむことができるのか、デューは知らない。

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