1-13.琴弾きは笑む
カインは
「ふむう、これは
「中衣も見てちょうだいよ。ここ、藍染め部分は
「剣も見事だの、良い
戦闘商業士というのは大抵がそうで、相手の装備が何ができているか、素材の元は何か、そんなことに興味を持つ。自分たちの装備にも利用できる使い方がないか、と目をぎらつかせるのは性分だ。<
「どうしてあなたがここにいるのよ」
「ノーラに会いたかったから」
「見え見えの嘘吐くのはやめてくれない? さっさと琴弾き組合に戻るか外で唄ってなさいよ」
「ひどいなあ。ねえ、君の探してたものって、彼のこと?」
ノーラは答えなかった。ハンブレの笑みが深まり、それだけで腹の底で溶岩が沸き立つみたいな感覚を抱く。だが、ひどい有り様を見せたのは他でもなく自分の失敗で、苛ついた気持ちをハンブレに向けるのは違うと思った。語調が砕けるのは仕方なくとも、怒りや癇癪を表すのは筋違いだろう。
それにしても、とすぐ横の窓から通りをながめながら、ぼんやりと考える。カインの
「ねえねえ、そこの君。名前はなんて言うの?」
「……カイン」
気付けば、ハンブレがカインに話しかけていた。我に返り思わずふり返ってしまう。相変わらずカインは全身をもみくちゃにされていて、顔はいつもの木訥としたものであったが、多少あきらめの境地を知ったみたいにも見えた。
「カインかあ。君の殊魂凄かったね。本当、昔のノーラを思い出しちゃった」
「ちょっと……」
「本当のことじゃあないか。昔ね、ノーラも
「ノーラも、なのか?」
「だけどそれだけ強いと、簡単に使えないね。考えて使わないとへたばっちゃうし。もしかしたら人に危害を加えたりして」
「ハンブレ」
ノーラは焦りではなく、確固たる怒気を塊にして言葉へ乗せた。ハンブレはおっと、とわざとらしく言いながら肩をすくめ、続きを止める。一瞬珍妙な雰囲気が漂い、三人の同業者も何事かとこちらを見ている。
空気と話題を変えるため、ノーラは軽く呼気を吐いた。
「そんなことより、さっきの話は本当なの?」
「さっきの話とはなんぞや?」
「話してたじゃないの、皆で。騎士団が<妖種>討伐に出陣したってこと」
「ああ、あれか……」
違う空気の帳が降り、意識がそちらへ向けられたことをノーラは手応えで感じた。ハンブレだけは含みのある笑みを浮かべ、自分を見ているけれど。
乱れた服をさりげなく直しながら、カインが素直な疑問を口にする。
「どういうことだ? 騎士団が討伐に行くのは、悪いことなのか?」
「調査に出る、ってことならわかるんだけどねぇ。やり方がねぇ」
「通常であるならば数人、専門家である我々を連れて行く。今回はそれがなかったのだ」
「え、もしかして傭兵も連れて行ってなかったりするの?」
「抗議に行って、ソズムの
「だから総長様はあんなに怒っていたわけね、道理がわかったわ」
「そうか、そういう決まりがあるのか……」
カインの言葉を皮切りに、だから傭兵組合は、騎士団は、と三人の話は組合の文句からキュトスス
いや、もしかしたら自分だけが違うのかもしれない。『
ここに滞在している戦闘商業士たちは、ほとんどが若い。一方、傭兵たちは熟達した壮年たちがほとんどだ。すなわち、彼らに歓迎されないということは、わかっているからだろうと考えられる。六年前に自分が起こしてしまった最大の失態を。
「ノーラ。顔、暗いよ」
笑いを含んだハンブレの小声に、口を開きかけようとした刹那であった。
「おおい、カイン! いるかぁ!」
日光が近付く雲を避けて、なお光を放ち続けるような明朗たる声が大きく響いた。その声音には聞き覚えがあって、思わずカインと顔を見合わせた。
「……この声って」
「デュー?」
立ち上がって下を覗くと、入り口付近でこちらへ向かって手を振っているデューの姿がある。顔は不敵な笑みで彩られていて、それはノーラを見たときにも陰ることがなかった。
「よう、さっきぶり。やっぱりな、こっちにいるって思ったぜ」
『
「何か俺に用だろうか」
「
「俺に、傭兵として出ろと」
「それ以外に何があるんだよ」
緊張のためだろう、カインの顔はいじられていたときよりも遥かに強ばり、デューへ返答をすることもなく腕を組んで黙ってしまった。
水妖馬は戦闘商業士が定めた四つある階級のうち、第三位に身を置く馬科の<妖種>だ。出会いのきっかけとなった、ノーラの狩猟対象だった
「そんなに固くなってちゃ、いざというときに動けなくなるわよ」
「む……わかってはいるのだが」
「あなたなら大丈夫な相手だから、安心して稼いできてちょうだい」
「そっちの心配か」
「当然でしょう」
自分の物言いにだろうか、ふ、とカインの口と目元が緩められる。秀でて美形でも感情を表すわけでもないが、カインの顔は嫌いではない。木訥としていて素直なところも好印象だ。相手をしていて、口調が崩れるくらいには気軽に接することができる。ハンブレとは違って。
「ああ、それと
「そうだろうて。もう少し素直になればいいさね、ソズムの小童も」
「馬系、狩ってない人いるかしらぁ?」
「我はまだ一体も狩っておらんぞえ」
「自分もまだ狩猟してない」
エナオンとその連れが声を上げた。ノーラも馬ならまだ一体余裕がある。水妖馬が出す分泌液は風邪薬の素になるため、どこの領地でもいい具合で売れるのだ。正直を言えば欲しい、とノーラの商売心がうずいたけれど、ここは諸先輩に譲るのがいいと理性が止めた。
戦闘商業士には、最初に所属した国によって狩猟できる<妖種>の種類に制限がかかる。それらは国教と結びつけられて決まり、例えば
むやみやたらに<妖種>をもてあそぶべからず。そんな決まりを聞いたときには鼻でせせら笑ったものだけれど、なるほど実際、乱獲されそうな<妖種>も水妖馬以上にいるのだから、定めを決めた誰かの先見にノーラは感心している。
「姉ちゃん、じゃなくて、ノーラは? もう一人くらいならなんとかねじこむけどさ」
座り直し、残った水を舐めるように飲んでいたノーラへデューの言葉が飛んできて、思わず苦笑しそうになった。まったく、屈託のなさにも程がある。ソズムと自分の確執を目の当たりにしただろうに。
「止めておくわ。少し休んでおきたいし。それに、馬はもう半年打ち止め」
「なんだ、そいつは残念」
半分事実で、半分は嘘だった。
ハンブレのことを言えないではないか。ノーラは内心自嘲した。自分だって嘘をつく。カインにだって言わないことがもちろんある。ハンブレと違うのは人を翻弄する、揶揄を含んだ嘘を言わないということだけで、それでも結局根っこは似たようなものだろう。理由のある嘘なら良いというわけではないけれど、それを駆使して生きていく必要がある程度には自分の人生は入り組んだ迷路みたいなものだ。
ノーラの返答にうなずいて、エナオンと連れの男が一階に下がっていく。
「それでは我らが行かせてもらうかの。何人で組むつもりか?」
「十人だったかな。統率一人に三人組が三つ。相手は多くても三匹だってよ」
「ふむ、理想の攻防展開だの。
「いいんじゃねえかな、それで頼む。おい、カイン、早くしねえと馬車が行っちまうぞ」
「わかった。今行く」
階段を静かに降りていくカインと再び目が合う。どこか不安げな光をたたえる黄色の瞳を見て、ノーラはせいぜいの微笑を浮かべ手を振ってやった。
「じゃあ、頑張って活躍してきてね」
「む。とりあえず、できることはする」
初陣は誰でも緊張するものだ。それが一対一ではなく、連携をとり、協力し合うという形ならなおさらに。人との触れ合いに慣れていないカインが上手くやれるか、ノーラはほんの少し気がかりだった。とはいえ、カインは既に<妖種>二匹を倒しているのだから、奇妙な思考や衝動に囚われることさえなければ、きっと成果を上げてくれることだろう。
係の女も含め、四人はそれぞれ一階に赴き、二階には自分とハンブレだけになった。
「……それで、結局は何?」
二人きりになって、ようやくノーラはハンブレへ問うことができる。ハンブレは気まぐれで、吐き出す言葉にも嘘が多い。ころころと天候を変える秋みたいな性格のハンブレが、ただカインを見に来ただけだとは到底思えず訊ねれば、あの狐に似た笑みがぐっと濃くなった。
「うふふ、急かさないでよ」
そうして上着の懐からハンブレが取り出したのは、一冊の分厚い本だった。机に置かれた緑の本の表紙には『
「どうやって手に入れたんだか」
「ひとえに人格かなあ」
「本当白々しい嘘が似合うわね……いい加減、私のお守りから離れてみたらどう?」
本の表紙を指で叩きながら、ノーラは多少の腹立たしさを表に出した。自分が戸惑うくらいに距離感の掴めぬこの男には、あまりに謎が多い。その謎を解くつもりはなんて爪先ほどにもないけれど、あまりに世話を焼かれっぱなしではこちらの沽券にも関わる。矜持にも。無遠慮な手で大切なものを触り、こちらが反応するより早く勝手に離れていくハンブレの様に嫌味を言ってはみたものの、彼はどこ吹く風のまま笑みを絶やさない。
「僕は好きでやってるんだよ。その意志を無視しないでほしいな」
「無視してるのはどっちよ。私の意志はどうなるのかしらね」
「意志と意志がぶつかれば、感情が産まれる」
ハンブレが真顔を作り、ノーラは内心驚いた。滅多にないことだ、この男が笑み以外の感情をおもてにするなんて。
「友情、愛憎、恋心、怨嗟……名前はいくつもあれど、行き着くところは相手に対する関心という名の
まるで唄うように囁いて、それからやはりいつもの、感情が読めない微笑みを浮かべるハンブレの言葉はなぜだろう、奇妙にノーラの耳へ残った。
「さて、君は僕に、誰にどんな思いを抱くのかな」
少なくとも、とノーラはデューと共に出て行くカインの背中を見ながら思う。知人であれど、ハンブレよりかは出会ったばかりのカインの方が遥かに印象強い。それも良い方に。もちろん、好感がそのまま変わらない保証などどこにもないのだけれど。
外から届く喧噪も遠くに、ノーラは無意識に、カインに傷つけられた頬をただなぞっていた。
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