1-12.初めての殊魂術
青磁色をした道にはいつの間にか人が増え、遠くから微かに匂っていた潮風も、今や群衆がたまったときの独特な湿り気でとらえることができない。剣や棒きれのようなものを腰などに携え武装したものたちが、老人や女性、性も年齢も問わずに道のあちこちにおり、カインの目はめまぐるしく回った。それでも特徴的な青紫の髪と白い甲冑は厚い雲に見え隠れする日光にまぶしくて、道を行く人の波を掻き分けてそちらへ向かう。
「ノーラ」
心持ち大きな声音になるのも仕方ない、なんせ人の多さといったら朝の市場通り並みだ。己の声が届けと願わんばかりにもう一度声を張り上げようとしたときだった。
「あら」
振り返ったノーラのおもてには最早、氷の凍てつさなど微塵もなかった。彼女の足が止まり、それを幸いにカインはノーラへ辿り着くことができる。追いかけてきた己を怪訝な様子で見つめながら、ノーラは目をまたたかせた。
「ずいぶん速かったのね。挨拶は終わった?」
「……夜に、また」
「仕事は請け負ってきたの? 小さいのが何個かあったみたいだけど、どうかしら」
「そうじゃない」
聞きたいことがあったけれど、疑問を形にしてしまうことをカインは無意識にとどめ、それから困る。衝動で追ってきたのはいいまでも、ノーラはいたく平然としていて動揺の欠片などこれっぽっちも見せてこない。口ごもる己を、ノーラは目をすがめてねめつけてくる。
「まさか、仕事とってこなかったんじゃないでしょうね。そんなことで私への借金、返せると思ってるの?」
「いや、その」
「ちょっと、なんのために傭兵になったのよ」
「金を稼いだとして、どうやってノーラに届けたらいいのかが」
あ、とノーラはつぶやき、目をそらした。コツコツと軍靴の先で道を叩き、少し唸ったあと唇を軽く尖らせる。
「……戦闘商業士の組合に届けてくれればいいじゃないの」
「場所がわからないし、組合に金を預けて信用できるのか?」
「それは、その、見てるから……」
「見ている、とさっきも言っていたが、意味がわからない」
「
「まだだ。それより金の件についての方が先だと思った」
「へえ、意外と律儀なのね」
感心したような声にカインの心がうずいた。正直、傭兵組合に戻りたくなかった気持ちもあって飛び出していったのだから、ノーラに嘘をついてしまったことになる。どのような思いでそんな衝動が起きたかのなんて、己自身でもわからないのだけれど。
「まあ<
「なら、そちらの組合に行った方が確実に金を稼げはしないか?」
は、と小さくノーラがため息をついた。意地をほどいたような、諦めのまじった吐息だ。
「そうね、あなたの言い分は正しい。いいわ、一緒に行きましょう。そのときにでもさっきの巻物を見ればいいと思うわ。役立つだろうから」
「そうしよう。戦闘商業士の組合は近いのか?」
「数年前に組合区から少し離れたところに移ったの。大通りを挟んだ向かい側」
人混みの先、微かに見え隠れする円型の広場をノーラが指差したとほぼ同時であった。
高らかな喇叭の音が鳴り響く。群衆がざわめき始め、人々は慌てたように道の端へと移動していく。雑踏の談笑や生活音すら引き裂くほどの馬蹄と軍靴の騒々しさがカインの耳に入り、つい小首を傾げた。
「なんだ?」
「騎士団の出立だわ」
ノーラの小さな声に、カインの目は自然と凝らされる。
中央の通りを行くのは、飾りをつけた馬に乗った数人の騎士――とおぼしき者たちを筆頭に、ゆったりと道を闊歩する男たちの集団である。誰もが
けれど、カインが目視したものはそれだけではない。
「……フィージィがいる」
「え?」
重苦しい騎士団の中にひっそりと、木陰に咲いた花のような姿があると思えば、それはまぎれもなく殊魂学者たるフィージィであった。
彼女は騎士団の群れの中にあって唯一の女性であり、だがよく見なければわからぬ程度に姿を隠していた。彼女の存在にノーラも気付いたのであろう、唇に指を当て眉をしかめる。
「……そうか、フィージィ……フィージィね、やっぱりそうなの……」
「ノーラ?」
「なんでもないわ。列が終わったら行くわよ」
何かに気付いたようだけれど、それを言うつもりはノーラにはなかったようだ。カインはなんとなくしょげこむ。味方殺しの件についてもそうだけれど、ノーラは己のことについて話すことが極端に少ない。表情も雰囲気も滅多に揺らぐことがなくて、思考や感情を読み取ることを許させはしない。まるで本物の氷の彫刻みたいに。
だがそれは仕方のないことなのだろう、とカインは思い直す。出会ってまだ半日の相手に、しゃあしゃあと己のことばかりを話す相手だったなら、それはそれで疎ましく感じていたかもしれない。
喇叭と軍靴と蹄の音、そしてフィージィの姿が少しずつ遠ざかっていく。騎士団の様子を見てあれこれ騒いでいた者たちも落ち着き始め、彼らはまるで一瞬光った閃光に憧れて、それでも手が届き得ない存在だと知った時のような眼差しをしている。またいつも通り、思い思いの日常を送るためにだろう、変わりない平凡の中で動き出す。
ノーラが歩き始めるのを追うのと共に、ふと、カインの記憶がざわめいた。
「確か……騎士組合と騎士団では、違いがあった気がするんだが。組合は理由があって退団したものがほとんどで、騎士団は領主や国直下の管轄で動く」
「あ、また少し思い出せたのね。そうよ、騎士組合はほとんど自主退職者が多いの。上官とそりが合わないとか、怪我を負ったから、とかが原因でね。やることはまあ、両方変わらないかしら。人の護衛が主よ」
「騎士団が出立する際に神官を連れて行くのは、神の加護を得るためだったからか」
「ええ」
「だからフィージィがいたんだな」
「でしょうね、きっと」
ノーラの言葉はとても平淡で、だからこそ気がそぞろになる。それでもどう聞けば答えてくれるのかわからなくて、カインはまた沈黙を選んだ。
円形の広場に綺麗に敷かれている花模様の陶磁を踏んで、二人並びながら斜め境の路地を行く。こちらは組合区とは違い、一般人とおぼしきものの姿があった。ペンと紙の看板は小物屋、瓶の看板は道具屋だとまでは分かったが、目を模した看板はなんだろうか、カインの記憶にはない。
「ここよ、戦闘商業士の組合は」
辺りを探っていたカインの気を惹くように、ノーラが声をかけてくる。立ち止まって建物を見上げてみれば、珍しく木でできた二階建ての小屋のようなものがあった。看板には紙幣たるペクの絵を下に、一本の剣が斜めに描かれている。
「木でできているのか」
「まだ完全に移動が終わってないのよ。とりあえず場所をとるために木製なの。さ、入るわよ」
「ああ」
扉だけは他の箇所と同じく引き戸であり、ノーラの後ろに回って組合の中に入る。一瞬、傭兵である己はここで歓迎されるのかという不安がよぎった。傭兵組合の総長――確かソズムという男はノーラを歓迎する傭兵は多くはないと言っていたから、もしかしたらこちらでは逆に、己への風当たりが強くなるかもしれない。だけど、やはり傭兵組合に戻りたくないという気持ちの方が勝る。
中に入ってカインが目にしたのは、無骨の生粋とも呼べる傭兵組合とは違い、素朴ながらも整頓が成された空間であった。棚にある本から机、『
「まぁまぁ、ノーラさん。お帰りなさい」
「こんにちは」
若干小太りした女が、掃除の手を止めてこちらを見た。年の頃はソズムたちと同じく三十代中頃だろうか、長い前掛けと裾が拾い臙脂の服がよく似合っているとカインは思う。
「あらぁ、そちら、お知りあい?」
「ちょっとした付き合いなの」
「そうなのねぇ、ゆっくりしてってちょうだいね」
笑顔を浮かべてはいるが、その眼光の片鱗に隠れた鋭さをカインは見逃さなかった。警戒ではなく、純粋な値踏みがある視線にはもう慣れた。悪意がないならそれでいい。なんとなく開き直っている己に気付き、カインはつい小さく笑ってしまう。
「どうかした?」
「いや」
「ちょっとそこに座っててくれるかしら。あ、巻物見るなら見ててもいいわよ」
「そうだな……すまない、少し席を借りる」
「どうぞぉ。今お茶出すわね。お酒の方がいいかしら?」
「茶で構わない」
カインは軽く会釈をし、近くにあった木の椅子に腰かけた。『蜃気楼の酒場』のものとは違ってしっかりとした作りの椅子はカインの体重にも軋みを上げない。ノーラは掃除をしていた女の後を追い、奥の扉に姿を消した。
少しぶりの一人の時間だけれど、今回のそれは不快なものではなかった。二階からはごく小さい話し声が聞こえてくるし、木の作りのせいなのか、近くの道具屋で売っているであろう薬草の匂いも鼻に届く。こういう穏やかで静かな一人なら悪いものではないと感じながら、懐に入れていた巻物を取り出した。蝋印がしっかりと押されている部分に力を入れて割ると、中には間違いなくフィージィのものだとわかる文字が羅列して記載されてあった。
※ ※ ※
・波動を操る(例:炎を灯す、水を出す、光を発する、風を起こす など)くらいであれば
強さの程度はさておき、対応している
・
という順番になっており、等級が上がるごとに制御が難しくなっていく。精神力と殊魂との均衡が必要。
・『
三つ以上を掛けあわせた場合『神々の嫉妬』によって命の危機・術の暴走を起こすだけでなく、殊魂の強さすら下がるため、術として成り立たない。
・術師の弱点は「術の発動直後」。
『宣言』→波動が防護壁となり体を包む→波動の具現化(術の発動/ここで波動がなくなる) ため。
※ ※ ※
簡易だが的確なまとめに、カインは一人唸った。フィージィはもしかしたら教師に向いているのかもしれない、などと勝手なことを思ったりする。
しかし、己が今知りたいのは実際の使い方だ。どんな術が三等や二等、一等に当てはまるかわからない。例えばそう、デューが己の体を束縛した術はどのようなものだったか。細い糸をたぐるように必死で記憶を思い起こしながら続きに目を通していく。
※ ※ ※
・《宣言》
簡単に言うと『神の波動を使わせて頂きます』という意味。
等級によって宣言の内容が異なり、殊魂の強さによっては等級別に省略発動させることができる。
追記:今回は強の場合の省略宣言だけを記しておきます
・
「揃えて生誕、(属性の名前)~」
・
「宴と供物在りて、(属性の名前)~」
・
「坐にいまし(神の名)の御手にて巡らすは(属性の名前)。創造、形成、生誕、宴、供物、五大によりて顕現せよ~」
(これに対する省略宣言はなし/『弱』では使えず『中』では象徴媒体が二つ以上必要となる)
注意:属性の名前以降には、属性に関する単語や言葉を入れて下さい。短い方が実戦向きではあります。
※ ※ ※
まずい、とカインは軽く頬を掻いた。少しずつ頭が追いつかなくなってきている。続きもまだあったけれど、慌ただしく熱を帯びてきた脳を落ちつかせるために深呼吸を繰り返し、一度目を閉じる。
デューは確か、諍いの際に「神に捧げるは宴への供物、姿成せ風」と唱えていた……はずだ。だとするとデューの殊魂は緑、風に関連があり、それを行使したこととなる。宣言から推測するに使ったのは二等殊魂術――であるのか。宴と供物という言葉から考えるに、そうであってほしいのだが。
腕を組み、気を晴らすために回りを見てみる。机の上には花が一輪入っている花瓶があった。白い花弁をじっくりと見つめて、なんとはなしに思いつく。花は大地に属するものだと考えてみたらどうだろう。己の殊魂は緑と黄色で、強さは強。風と樹と地、そして光を行使できるなら。そう考え、おずおずと花の上に手を乗せてみる。
「……揃えて生誕・地。花増えろ」
変化はない。カインの吐息に花弁が軽く揺らいだだけだった。では、地ではなく樹だとするならば? そして一等殊魂術を使ってみればどうだろうか。黄色の殊魂を司るのは、確か『
「坐にいまし『
たどたどしくも宣言を終えた瞬間であった。
花と手のひらが凄まじい翠の輝きを放ち、まるで木の蔦が伸びるかのように勢いよく茎から房、そして真盛りの花が飛び出してきた。
「おお……む?」
感嘆の声を上げるカインを余所に、花の変化は止まることを知らない。伸びた花々はたちまち机を覆い、落ちた花弁や葉が塵一つない床に散乱しては増殖を繰り返していく。ついにはカインが座る椅子にまで花は浸食を始め、慌てて席を立った。手を離したのに翠の光が止まず、すでに距離のある祭壇の方にまで伸びてしまっている。
「ちょっと何よ、今のひか……」
ノーラが奥の扉からこちらを見て、絶句した。女も顔を覗かせ、唖然とした表情を作ったその後、けたたましい悲鳴を上げる。
「ゆ、床が! 掃除したばかりなのにい!」
「ちょっ、ちょっとカイン、それ止めてっ! すぐにやめなさい!」
「ど、どうすれば、止まる?」
「宣言を切るの、頭の中で波動の流れを想像して止めて!」
「あ、頭の中……」
「ああもうっ」
確実に苛立った様子でノーラが手をかざした。
「坐にいまし『
ノーラの体が著しく蒼く灯った。手から放たれた青の光は暗闇と姿を変え、まるで円柱を模したかのようなそれらは瞬時に花だけを食らっていく。だが花の嵐は勢いを衰えることを許さず、ノーラの顔が激しく歪んだ。
「今の、うちに、波動の流れを断ち切って……早く!」
「は、波動だな……」
ともかくこの状況をどうにかするべくカインは目を閉じた。すると、確かに力の奔流が心や頭の中から流れてきているのがわかる。暖かみのあるそれを剣で思いきり断ち切るような想像をした瞬間、ぷつりと流れが途切れるのが分かった。目を開けると花の無造作な成長は止み、代わりにノーラが出した陰の円柱が、伸びすぎていた花々を闇の中へ吸収していく光景だけがあった。闇は深く、暗く、死地へ続く道のように花を迎え入れてその数を凄まじい速さで消していく。
ノーラの手が震え、歪んだ顔が一層青白くなり、さしものカインもぞっとした刹那、術の核になっている花が破裂した。翠の光が淡く周囲に散らばる様は幻想的とも呼べる代物だろうが、今のカインにはそれどころではない。
は、と大きな呼気と共に、ノーラが床に両膝をついた。その息は荒く、肩が上下している。顔は棘に苛まれているかのような苦痛にまみれており、飾りのついた額には微かに汗が滲んですらいた。
「ノ、ノーラ……」
初めて見たノーラの隙に、どくりと心臓がはねる。剣を頬に刺してしまったとき以上の衝撃だった。だが、ノーラは何かに耐えるかのようにきつく、強く唇を噛みしめて呼気を整え、すぐに己を鋭く睨みつけてきた。
「……今日で何回術使わせるのよ、このばか」
「す、すまない」
「ノーラさん、大丈夫?」
「ごめんなさい……お水かお茶、持ってきてもらえる?」
「ええ、ええ、待っててね」
女が早速元の扉をくぐれば、この場所にはノーラと己しかいなくなる。すっかり花の山が消えた空間に、重たく、息苦しい空気が流れた。どうして、とカインは思う。なぜ己は彼女を困らせることしかできないのだろう。
「あのね。普通、一等殊魂術なんて使わないから、町中で」
「すまない……」
「波動との切り方も書いてあったはずだけど?」
「よ、読んで、いない……」
思わず小さくなってしまった返答に、ノーラが確実な怒気を顔に表したそのときであった。
「うふふ……面白いものを見ちゃった」
いつの間にか、二階へ続く階段――そこに一つの人影があり、カインは声の主であろうそれを見上げた。
「凄いなあ、今の殊魂。ひどく濃くて、強い」
階段の中段辺りに、とても中性的で曖昧な顔立ちをした存在が立っていて、神秘的とも言える不可思議な笑みと顔が合う。暗めの橙を中心として青や紫、黄土などといった色の配分が奇抜な衣をまとった人物の顔はこの場面にひどく不作法なほど喜色めいており、場違いな雰囲気を漂わせていた。
縁から身を半分乗り出してちょうど真下、ノーラを覗き見やりながら、それは笑う。
「昔を思い出すね。ねえ、ノーラ」
「……ハンブレ」
まるで獣そのものみたいな顔と声音で、ノーラが忌々しげにつぶやいた。
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