撒き散らす
世の中は今年が始まって早くも1ヶ月経ったと騒いでいるけど、1ヶ月でもうこんな鬼のように仕事が溜まるなんて――と疲れきって帰る男の足取りは重かった。男は全ての書類を外に撒き散らして無かったことにしたいなどと考えている――海にでもバーっとばら撒いたら気持ち良いだろうな……。
節分か……俺なんて血便が出そうなくらいだけど。今日もうちのやつは外だな……あの頃みたいに待っててくれたらな……玄関先で顔赤くしちゃったりなんかして――男は人気のない暗い通りを甘い思い出に浸りながら歩いていた。
「おにはそとー!」
男が声のした方を向くと、煌々とした赤い行燈が見えた。――占い屋? 男は吸い寄せられるように声の主の方へと近づいて行った。
行燈の置かれた簡素なテーブルの向こうには、セーラー服を着た若い女の子がピンクの髪に黄色と黒の縞模様の角を付けて座っていた――アーニ……いや、鬼?
「あ、このコスチューム気に入っちゃいました? ちなみに占い屋じゃないですよ!」
女の子は活発な声で男に言った。
「おにーさんは外ーで突っ立ってないで、座って座って!」
男は促され、置いてあったパイプ椅子に座った。
「占いじゃなくてぇ……まめまき屋? ばらまき屋? まぁなんでもいいや! お客さん、書類なんてばら撒いて全部無かったことにしたい! そんでもって、あの頃のように長くて甘い口づけを交わしたい! オリジナルなラブしたい! なんて思ってたでしょ? キャーそんなこと言ってると折檻しちゃいますよ!?」
男は、そんなことは言っていないしこの歳になって折檻なんてされたくはないと思ったが、書類をばら撒いたり、甘い思い出に浸っていた自分のことが分かったのは不思議に感じた――
「そ・こ・で! じゃーん! 鬼退治! オニオニターイジ♪」
男はいつの間にかテーブルの上に現れた小さな鬼を見た――プラモデル? 青い鬼が……3体? と……赤い鬼は1体か。
「どっちかの鬼を選んで、この升いっぱいに入った豆をぶつけて下さい。この豆は……だだちゃ豆だっちゃ!」
女の子の薄っすらと赤くなっている頬を見て、男は夜風の寒さを感じた。
「ちょっと! 雷与えますよ! 反応してください! これは戦争ですからね。反応速度で上まらないと豆なんて当たりませんよ! ともかく、この鬼達は逃げるだけですけど、自分の歳の数だけ豆をぶつけることができたら鬼退治成功です。青鬼は3体だから赤鬼1体の方が楽じゃん! なんて思ってます? ところがどっこい赤鬼は青鬼の3倍速く動くから注意するっちゃ! でも、この升も結構がんばる升だから大丈夫ます! あ、噛んじゃった……」
女の子は説明を続ける。
「コホンっ……升の横をこうやって人差し指で掻くように、トリガーを引くような感じで。それで一発、升から発射されます。連射したかったらその分連続で升を掻いて下さいね。中指も使ってこうやって交互に素早くやると良いかも」
男は赤鬼を相手に選んだ。動き出した赤鬼が彗星のような速さに見えて戸惑う男。
「速すぎる! これが戦い……でも、こっち
だってただの豆じゃない! 連射でいくぞ!」
男は人差し指と中指で交互に素早く升を掻きだした。
「ちゃんともっと狙って升掻いてー!」
女の子の声援虚しく、升の中の豆粒は尽き果てた。男は赤鬼に歳の数全ての豆を当てることができなかった。
「ブッブー! へたくそー、ダメじゃん! はい、鬼退治ならずー。お仕置きだっちゃだべ~! えーと、ちょっとそこ立ってて下さい。うーん、もうちょっと後ろかな? あ、ちょっと前。うん、そこそこ。いきますよー! ふくはそとー!」
セーラー服が男の足下に投げ飛ばされ、角と同じ模様のビキニ姿になった女の子が男に近づき両手を握る。
「痛っ!」
男は両手に強い痛みを感じた――静電気!? しかも何かフラッシュみたいに光ったな……。
そそくさとセーラー服を着る女の子を見て、男はまだ両手に残るピリピリとした痛みに心地良さを感じていた――お仕置きは痛かったけど、ちょっとご褒美でもあったような……。
男は自分のスマートフォンに今転送された画像が全ての連絡先へ送信されたと共に、広大なネットの海へばら撒かれたことに気づかぬまま家路についた。
「浮気はダメますだっちゃ♪ なーんて」
ほくそ笑む女の子の鼻先から抜ける乾いた音が闇夜に吹く風に溶けていった。
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