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「今朝は冷えるな」
友康はトレンチコートのポケットに手を突っ込んだ。
始発列車が発車したばかりの未だ名残惜しそうな静寂に包まれている駅裏の広場。
地元出身のアーティストが製作したというモニュメントの前でひとりの二十代前半の青年が顔を上げた。
青年は小刻みに震え、暖を取るようにしてギターケースを抱えている。
午前六時を少し過ぎたばかりのクリスマスの早朝である。イルミネーションを着飾った街路樹が闇を彩り、イブの賑わいが街のあちらこちらに見受けられた。
しかし、青年の表情にはイブやクリスマスと懸け離れた憔悴しきった色が浮かんでいた。
「ずいぶん朝の早い路上ライブだな。一曲、リクエストしてもいいか?」
「そういうのやってないんで」
警戒心を抱いた目が友康を見た。
「そう言わずに。な、一曲だけ。頼むよ」
「誰かに聴いてもらうための曲ではないので」
取りつく島もない様子だったが、青年の上着のポケットでアラームがなったようだった。神妙な面持ちで携帯電話を操作したあと、どういう風の吹き回しなのか、「弾いてもいいですよ」と引き受ける姿勢を見せた。
「俺、オリジナル曲しか歌えませんけど」
「構わないよ」
青年はおずおずと手袋を外し、ギターケースからアコースティックギターを取り出した。
震えがやまない細い指は頼りなく透き通るようだった。ペグを回し、軽くチューニングをすると、ギターのボディーを叩いてリズムを取った。
まるで、仮想のメンバーに演奏に入るタイミングを知らせるような調子だった。曲が始まると先ほどまでの震えが嘘のように止まり、アコースティックギターの堂々たる音圧がまだ静まり返っている駅裏広場に拡散してゆく。
青年の全身全霊が込められたストローク。アクセントのついたキレのあるギターサウンドに彼の絶妙なテナーがかぶせられた。
ただひたすら。
そんな言葉がぴたりと当てはまるような、眩しすぎるほどの若さと希望に満ちた明日に向かって進もうとする「僕ら」と「明るい未来」の姿が何度も何度も歌詞になる。
魔法のようなときが過ぎ去り、青年の弾き語りが余韻を残して消えた。
友康は広場に乾いた拍手を響かせると開口一番に訊ねた。
「なんて曲なの?」
「『
「希望に満ち溢れた曲なのに、どうして悲しそうに歌うんだい?」
「そんなのあなたに関係ないじゃないですか」
突っぱねるように言い、押し黙ってしまった青年に構わず、友康は続けた。
「俺さ、ちょうど君くらい頃、友達を殺してんだよ」
友康の突然の告白に青年は目を見張った。
「君みたいにストリートミュージシャンをやっててさ、親思いのいいやつだったよ。メジャーデビューが決まっていた。十年前の十二月、『死のうと思う』と電話をかけてきてね、冗談だって決めつけた俺は『死ね死ね』って返したよ。そうしたら、あいつ、電車にひかれて本当に死んじまった。相棒のギターと一緒に」
友康は気を抜いてしまったらすぐに波立ってしまいそうな感情を押し殺して、わざと肩を揺らして笑った。
当時の電車の運転手によると、ギターケースを抱いた秀彦が線路に寝転がっていて、慌ててブレーキをかけたが、間に合わず、惨劇が起こってしまったということだった。
検死の結果、秀彦の体内から大量のアルコールが検出され、自宅からは「死にたい」との走り書きが見つかった。結果、自殺と断定された。
秀彦は詐欺に遭っていた。
ミュージシャンにならないかと、架空のプロダクションにスカウトされ、大金を騙し取られていた。応援してくれた友人たちの手前、真実をおくびにも出せずにいたのだろう、友康が電話で「メジャーデビュー」の話題に触れた折に、別段、変わった素振りを見せなかった。
「あいつはメジャーデビューと騙されて大金を注ぎ込んだ。デビューの話は嘘だった。夢を失い、残されたのは借金だけ。自殺のきっかけは詐欺だったかもしれない。でも結局は俺が背中を押していたんだ。クリスマスの朝、今日があいつの命日だよ」
何度、クリスマスがやって来なければいいと思ったことだろう。何度、良心の呵責に耐えきれず、死を選んだ方が楽だと思ったことだろう。
だが、死ねない。死ぬわけにはいかない。なぜなら――。
「『贖罪』とは犯した罪を償うことだ。俺の贖罪は毎年クリスマスを迎えることだよ。己を責めながら、今日までこの日を生きてきた。君の曲のタイトルは贖罪だった。だけど、君の歌には、贖罪に関する文句は一言も触れていなかった。希望に向かう少年たちの姿をまっすぐ歌っていたね。君の贖罪は何だい? この曲を歌うことかい?」
青年の青白い顔に恐怖の色が混ざった。挙措を失い、全身は大きくわななき、アスファルトにピックが転げ落ちた。ギターにも震えが伝わった。
「……すみません……俺っ」
青年が全てを理解したとき、モニュメントの陰から、刑事然とした男二人が現れた。
ここから先は地域課である友康の仕事ではない。友康は人手不足のため、捜査応援として刑事課に借り出された猫の手にすぎないのだ。
「林田
泣き崩れた青年、林田大知に刑事の一人が逮捕状を突きつけた。
「十二月二十五日、午前六時十七分、逮捕する」
友康は固く瞼を閉じた。
丁度、一週間前、プロのミュージシャンとしてデビューを控えていた中村武広、二十三歳が、アパートの階段から転落し、後頭部を強打。病院へ運ばれたが、翌朝死亡した。被害者中村は同アパートの階段付近で男と言い争っている現場を目撃されており、その直後に事件が起こったと見られていた。捜査が進行するにつれ、被害者が、ある人物とトラブルを抱えていたことが判明した。それが林田だった。
林田と中村は以前ストリートミュージシャンとしてユニットを組んでいた仲間だったが、中村はプロとしてメジャーデビューするに至って、林田を切り捨てた。
目撃情報や現場に残されていた指紋の照合などにより、行方をくらませていた林田の容疑が固まった。
そして、昨日、毎朝中村の死亡時刻に林田らしき男が駅裏のモニュメント前に現れ、ギターを演奏しているとの情報提供があった。このモニュメントは二人が路上ライブを重ねていた思い出の場所だと聞いた。
良心の呵責や一週間に及ぶ逃亡に疲労困憊したのだろうか、昨晩、潜伏先の漫画喫茶をあとにした林田はこの場所でずっとギターを抱え震えていた。亡き友との記憶の糸を手繰り寄せるように。
「あの、これを預かってもらえませんか」
友康の思考が止められた。
安堵、怯え、懇願の涙を瞼に溜めた林田達也が、ギター一式を手に、目前に立っていた。
林田は友康にギターを差し出し、嗚咽混じりに深々と頭を下げた。
「俺も歌うことをやめません、死ねません、贖罪ですから。だから、しばらくギターを預かってもらえませんか。お願いです……」
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