クリスマスに一番遠い男
北大路 夜明
1
「なあ、榎本。俺、死のうと思うんだ」
クリスマス・イブの前夜、大学時代の友人間宮秀彦が、榎本友康の携帯電話を鳴らした。
学生時代、一緒に馬鹿をやっていた頃と何ら変わらないの屈託ない口調で、「久しぶり、元気だったか?」の社交辞令から始まり、他愛もない会話がたけなわになった頃、前触れなく突然、切り出された告白。
「馬鹿野郎、何縁起でもないことを言ってんだよ。どうせ、イブに一緒に過ごす彼女がいないからって卑屈になってんだろ。ついこの間まで、ギターが恋人だなんて嘯いてやがったのに寂しいって?」
友康は一笑に付した。
「死ね死ね。死ねるもんなら死んでみろってえの。どうせ、お前の音楽馬鹿は死んでも治らねえよ。噂で聞いたぞ、とうとうメジャーデビューするんだってな。おめでとう」
秀彦の乾いた笑い声が返ってきた。
「榎本は明日あいてるか?」
「仕事、仕事。この仕事にイブもクリスマスもあったもんじゃねえよ」
「大変そうだな」
「まあな。でもやり甲斐はあると思うぜ。まだ、見習いみたいなもんだけど誰かのためっていうか」
「俺も世話になるよ、お巡りさん――」
通話を終えてを、気恥ずかしさに一人笑いしたのも束の間、首筋にひやりとした冷気が走った。秀彦との会話を反芻するうちに、最後の言葉に妙な物悲しさが含まれていたような気がしてならなくなったのだ。
友康は弾かれたように通話ボタンを押した。無機質な呼び出し音に切迫した感情が重なった後、秀彦の声が受話口に吹き込まれることはなかった。
あいつに限ってあり得ない、杞憂に終わる――。
友康は乱雑した六畳一間の警察独身寮で、すっかり伸びきったカップラーメンをすすりながら、込み上げる不安を一緒に飲み下した。
軽い冗談のはずだった。ジョークのはずだった。
交番勤務だった友康は、イブは当番で交番に泊まり込み、日付がクリスマスに変わって数時間後、仮眠室へ入った。
叩き起こされたのは、体の芯まで寒さが染み渡る早朝のことで、まだ、闇が明けるより早く、子供たちが枕元のプレゼントに歓喜の声を上げるより早く、雪が羽毛のように降り積もったアスファルトの道路にパトカーが
現場に駆けつけ愕然とした。
始発電車による人身事故。停車した電車の窓から漏れる明かりが、現場を照らし出していた。
地獄絵だった。
現場となった踏切は、思わず目を覆いたくなるほど酸鼻の極みで、電車の車体には鮮血が飛び散り、至る所に指や体の一部と思われる肉塊が転がっていた。
恐怖の一言に尽きた。
友康は這い上がってくる胃液と足の震えを何とか静めようとしながら、車体の下をライトで探った。
目眩がした。
発見したのは、遺体ではなく、バラバラになった肉片だった。衣服をまとった肉片だった。かつては人間であった面影など、いささかも見当たらないような物体だった。外見から身元はすぐに判明しないだろうと思われた。
友康は胃の反乱を押さえられず何度も何度も嘔吐した。
一緒に駆けつけた先輩警察官が背中をさすってくれたが、何かを見つけたのか、あぜ道へと消えていった。
友康は警察官としての使命感を喚起させ、覚束ない足を進め、先輩警官の背中を追った。
被害者の所持品らしき、がらくたのように壊れたギター――。
息が詰まり、時間そのものが止まってしまったようにも思えた。足が全身を支える機能を果たさなかった。
進めない。
歩けない。
尻が地面に吸い付けられた。
緊縛した空気に胴が震えた。戦慄さえ覚えた。
わずかに離れた場所に弾き飛ばされている空っぽのギターケースには「ヒデヒコ」と見覚えのある角張った文字。
ヒデヒコ、ひでひこ、秀彦。
秀彦――。
『なあ、榎本。俺、死のうと思うんだ』
秀彦とのやりとりが耳の奥に甦った。
オレはあいつに何と返した?
『死ね死ね。死ねるもんなら死んでみろってえの』
友康は電車を振り返った。自分の中の理性が崩れた。何気なく吐き出したたった一言に、慟哭するだけでは取り返しのつかない悔恨の念が押し寄せた。
『オレも世話になるよ、お巡りさん――』
こういうことだったのか。
唸るような悲鳴だけが声になった。
東の空から太陽が昇り始め、クリスマスの朝が明けようとしていた。子供たちは満面の笑みでサンタクロースからのプレゼントを手に取ろうとしていた。親たちは子供の笑みを受けて、二倍の微笑みを返していた。
巷には幸せが溢れかえっていた。
友康にはクリスマスなどやって来なかった。
やって来たのは秀彦との再会。
しかも、再び会えた友人は、面影など見る影もない遺体となっていた。
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