“騎士役”少女は底の都に足掻く

敗者T

ダンシング・アルター

1.劇団〈ハタオリドリ〉

 姉として、ボクは妹の夜を買ってやらねばならない。

 さもなくば、ふざけた筋書きもいよいよ大詰めだ。野盗に攫われ、娼館へ売られ、行き着く先は慰み者。あいつの意志はどこにもない。

 だからボクが買う――買い続ける。そうすればあいつは無事でいられる。差し当たっては。


「……し、知ってることはこれで全部だ。誓ってウソは言ってねえ。金も積み荷も好きにしていい。だから頼む、俺だけは助」


 ガン、と鉄と火薬が吼えて、男を永遠に黙らせる。

 これでひとまずのけじめは付いた。掃除は森の獣がしてくれるだろう。


「……それなら、お言葉に甘えるよ」


 煙を吐く銃をホルスターに戻し、ボクは馬車へと向き直る。

 今は連中の食糧や、金貨の詰まった袋が載っている。もっと早くに追い付いていれば、村人たちの財産や、運ばれる最中の妹がいただろう。

 他に生け捕る相手もいない、年寄りばかりの村だった。


「待ってろ。ユナ」


 これから、遅れを取り戻す。妹を取り戻す。

 使えるものは使わせてもらう。村からの略奪品を売り捌いた金であっても。

 たった一人の家族のためなら、ボクは何だってやってやる。




 ……やるんだけどもさ?







【草原を渡る清風が、淀む血臭を吹き流した。

 月下である。しろがねの真円は冴え冴えたる光を降らせ、罪深き者どもの骸が夜闇に隠れることを許さずにいる。


 然り。今宵、勝利は正義の下に捧げられた。

 夜天を埋める数多の輝きよ、今は汝らの眼差しを、讃えられるべき二者に注ぐがいい。


 一人は、麗しき姫君である。

 豊かに波打つ銀の御髪は、星々の光をあえかに帯びるかのごとく。物憂げに伏せたその瞳には、高貴の石たる紫水晶を宿す。

 濃青のドレスは典雅にして、金の額冠の細工は精緻。なれどこの美姫に纏われては、ただ相応しいだけのものに過ぎぬ。


 一人は、矮躯の騎士である。

 姫よりもなお若いと見える、少年――否、それは娘であった。切り揃えられた栗色の髪、傍目にも柔らかさを示す肌。革と鉄とで覆っていようと、体の華奢もまた自明。

 だが、おお、違えるなかれ。

 その武勇を。裁きの剣はしなやかに舞い、姫を攫った賊どもを討った。

 その忠義を。己の功に酔うをせず、黙して主君に跪く様、あらゆる騎士の模範なり。


「ありがとう。貴方は確と役目を果たしてくれました」


 姫の囁きが夜気に染み入る。

 その音の楚々として甘やかなること、いかに枯れた心とて慰めよう。


「は。この身命、御身に捧げたるものなれば」


 答えて、騎士は瞼を上げた。

 声には必然の幼さがある。露わになった瞳には、不吉な星のごとき深紅が燃える。

 しかし、上回る敬愛の念よ。主の繊手を掌中に招き、娘は静かに口づけを――】







「だあああ、やっぱ無理だって! 無理!」


 断言させてもらうけれど、ボクはここまで大いに耐えた。

 柄じゃない騎士様の真似事なんぞをして、歯の浮くようなセリフを言った。

 でもこれは、ちょっと恥ずかしすぎる。お姫様の手を放り出してしまっても、仕方のないことと認められるはずだ。


「チオチェ。二回目よ」


 なのに、舞台の下からは、そういう人の心ってものをまるで解さない言葉。

 舞台、そう、舞台だ。現実にはここは草原じゃないし、周りに死体が転がっていたりもしない。

 大きな倉庫を改装した、埃っぽくて薄暗い劇場。それが女性劇団〈ハタオリドリ〉の本拠地であり――


「あなたは男役なんだから。照れずにそれらしく振る舞えば何もおかしくないわ」


 ――気難しそうな顔で気安く言ってくれるのが、主宰を務めるワルレーテ嬢。脚本と演出を一手に引き受け、必要なシーンでは楽器の演奏もする。

 黒い髪を結い上げて、琥珀色の目に眼鏡をかけた、いかにも芸術家肌でございみたいな格好。そして実際その印象通り、妥協はしないし他人にも許さない。厄介な性格だ。


「そんな簡単に割り切れないんだよ。あんたらはそりゃ、好きでやってるんだからいいかもしれないけど」

「好きでも嫌いでも、役をやる上では関係ないの。仮にもうちに入った以上、あたしに従う覚悟を決めなさい」

「うええ」


 偽りのない気持ちが喉から漏れる。

 じゃあ、何か。もう絶対変えないってことか。ボクはどうあってもお姫様とのロマンスを演じなければならないと?

 反撃の糸口を探る間もあればこそ、横から新たな敵が加わる。


「娼館通いの癖に」


 “お姫様”だ。

 エルザ。〈ハタオリドリ〉の娘役。さすがに冠は鍍金とは言え、衣装を着た姿はまさしく役通りの、思わずはっとするような美人。

 ただし、ひとたび役から抜ければ、冷たい眼差しに抑揚のない声。とても厄介な性格だ。


「今さら何を初心ぶっているのかしら。同性の相手は慣れたものなのでしょう?」

「だからさあ」


 ボクは大袈裟に溜息をついた。現状に対する不満の程が、こいつらにもちゃんと伝わるように。


「そういうんじゃないんだって。言ったろ。妹が働かされてるんだ」

「あらそう。それなら、仕事の手を抜いてしまうのも仕方のないことだというのね」

「なんだそれ、挑発のつもり? 生憎だけど、そもそもボクが受けた仕事はお芝居なんかじゃないんで」


 つまらなそうな視線を受け止め、ボクは真っ向からエルザを見上げた。長身の彼女と背の低いボクとでは、どうしてもそういう格好になる。

 けど、絵面がどうあれ引く気はなかった。不本意な役柄だけじゃない。何もかもが気に食わなかった。

 場末の劇団で舞台に立ち、夜は決まって娼館に通い、遊女の身請けのためにせこせこ稼ぐ女。

 ボク自身はなんら下手を打っちゃいないのに、なんだってこんな爛れた立場に置かれにゃならんのか。


「おーい、練習は終わりでいいんですかね? 俺ぁもう腰が凝って……おっと」


 ――煮え上がりかけた苛立ちに、呑気な声で水を差される。

 ボクは反射的に邪魔者を睨んだ。舞台袖から出てきたそいつは、いかにもまずい場面に出くわしたと言わんばかりに、片手で口を塞いでいる。

 焦げ茶色をした髪と顎鬚の伸び方が少しだらしない、落ちぶれたかつての伊達男。そんな形容がよく似合う、この劇団で唯一の男性。


「カズニト」


 エルザがその名を呟く。

 彼はいわゆる用心棒というやつで、女所帯に付きまといがちな問題に対処する役割をしている。いるのだが、普段は暇なので、あれこれと雑用を押し付けられる。

 特に公演や稽古の間は、舞台の天井近くに渡された窮屈な足場で、照明の類を操作する係だ。


 ……お嬢さん方に振り回されているというよしみから、ちょっと親近感を覚える相手ではある。


「ああ、いえいえ、何でも。俺は気にせずどうぞ続きを」

「――待って。いいわ。今日はここまでにしましょう」


 結局、それが鶴の一声になった。

 ワルレーテは両手を鳴らし、乱れた場の意識を自分に集める。癪だけど、こういうところはリーダーらしい。


「まず、チオチェ。殺陣の動きは流石だった」

「……どーも」

「その上で、少し考えてよね。芝居は好かないらしいけど、結局はあなたの目的のためにも、目立つ役をした方が合理的なはずよ」


 正論だ。

 一同の視線が、今度はこちらに向いた。


 ボクは頭を掻いた。他にできることがなかったとも言う。

 反論は、しようと思えばできる。だけど結局天秤にかかるのは、個人的な小っ恥ずかしさと、妹を助けるための仕事の成否だ。

 その二択でどちらを取るのかとなれば。


 まあ。

 そりゃあ。


「……分かったよ。善処する。します」


 そうして、ボクは白旗を上げた。

 三人は三様の反応を見せた。満足げに頷くワルレーテ。腕を組み無表情のままのエルザ。揉め事の気配が消えたおかげで、隠しもせずほっと息を吐くカズニト。

 〈ハタオリドリ〉には他にも劇団員――と言うかなんと言うか――がいるけど、主要なメンバーはここに揃っていることになる。

 ……遺憾ながら、ボクも晴れてその仲間入りか。はあ。


「よろしい。次、エルザ」

「私にも何かあって?」

「ええ。あなた、気が散っていたでしょ」


 そうなのか?

 思わずエルザの顔を窺う。彼女はかすかに目を伏せて、ふ、と短く呼気を漏らした。かそけき溜息。そこに込められている感情が何なのか、やっぱりボクには分からない。


「……少し気分が優れなかっただけよ。本番でこれに遅れを取ることはしないわ」

「ちょっと。これ、って誰のことさ」

「はいはい。よろしくね。最後に、カズニト」

「おぅぇっ?」

「……別に叱りたいわけじゃないの。器械の調子に問題はなかった?」

「あ、あぁハイハイ、器械ね。なるほど」


 彼はまた露骨に安堵して、何度も頷きながら額の汗を拭った。

 まあ、あの流れで名前を呼ばれれば焦るのは分かる。しかしこいつ、用心棒としてはちゃんと頼りになるんだろうか。


「あーっと、投光筒の中の梅燈が、何個か切れかかってるっぽいですね。まだそんなに暗くなった感じはねえですが、一応」

「分かった。手配しておく」


 梅燈。熱と赤い光の石。

 それは本来この規模の劇団なんかにまで行き渡るものではないんだけれど、二人の会話はいかにも気安い。

 ありがたみを意識しなくていいほど供給量がある辺りは、さすが一大産地といったところか。


「じゃあ、今日はこれで解散。また明日、遅れないで来てちょうだい。以上」


 そう言って、我らが主宰は再び両手を叩いた。

 となれば、長居する理由も義理もない。


「了解。お先に失礼するよ」


 肩を竦め、そのまま踵を返す。

 作り物の鎧と剣を外して、置く場所は適当にその辺りへ。公演前の劇場はがらんと広く、どうせ誰かの邪魔になることもない。


「したら俺も、今日のところは戻って――」


 背後で交わされる言葉を尻目に、無駄に大きな扉を開く。

 暮れかけた日の色が目に刺さった。顔を顰めて眺めれば、夕焼けにも染まらない純白の王城、天を衝く尖塔の束が視界に入る。


 ニラロ。地の果てにして底の都。

 大陸の西端、大地の巨大な亀裂の下に築かれたここは、二つの側面から各地に知られている。

 一つは港と燈鉱の鉱脈を有し、交易で莫大な富を得る商業国家として。

 そしてもう一つは、西を海に、それ以外の三方を断崖絶壁に囲まれた、行き場のない者たちの吹き溜まりとして。


「……遊女の連続失踪、ね」


 そんな場所で、ボクは一つの事件を解決しなければならない。

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