ショートショート集
海辺悠宇
親の資格
赤子の産声が分娩室に響きわたった。
「元気な男の子ですよ」
助産師にそう言われて、翔太は息子を見る。彼は、生まれたことに戸惑っているかのように泣いていた。
翔太は前から子供が欲しかった。前妻との間には子供がいなかったので、念願の子供だった。
「沙織、俺たちの子供だぞ」
沙織は汗だくで疲れきった顔をしていたが、翔太の言葉に微笑んだ。
沙織の出産を目の当たりにして、出産は男では耐えられない、という話は本当なのだろうなと思った。そして、沙織に対して感謝の気持ちでいっぱいになる。
「産んでくれてありがとう。これから二人で立派な子に育てような」
「うん」
翔太はひとりっ子だったから、あと二人は欲しいなと思った。欲を言えば、娘も欲しかった。
分娩室の外が騒がしくなり、何事かと振り向いたとき、ちょうど男二人、女一人が入ってきた。
「なんですか?」
助産師が、三人に声をかける。すると、男の一人が、一枚の書類を彼女に手渡す。数秒して、驚きの表情をみせ、顔を沙織に向けた。
助産師はわかりましたというと、その三人から意識を逸らす。
三人は翔太の方に近づいてくる。三人からは、一切の感情を読み取ることが出来なかった。
「私達は国家保育委員会の者です」
嫌な汗が体をつたう感覚を遮断するように、翔太は冷たく言い放つ。
「それが何か? ぼくたちに何か問題でも?」
「お子様を引き取りに参りました」
その言葉は冷たく、事務的だった。手に光る高級時計が怪しく光っているように見える。
「意味がわからない。ぼくたちは正規の病院で正規の手続きをしているんですよ。ちゃんと育児免許も取得し提出しているんです」
「山下翔太様は問題ありませんが、山下沙織様には、子育て免許を持っていません」
「ちょっと待ってください! ちゃんと提出しましたよ?」
第三次ベビーブームによって、少子化に歯止めがかかった現代では、度重なる虐待やネグレクトによって命を落とす者が多くいた。親としての資格がない人間が増えたのだ。世論に突き動かされる形で、日本では育児資格の取得を義務化した。
翔太ももちろん育児資格は取得した。沙織の入院時、子育て免許証のコピーを病院に提出したはずだった。
「偽造ですよ。先日、偽造をしていた犯罪グループが捕まりまして、その顧客名簿の人物の元へ、こうして私達はやってきたのです」
「沙織‥‥どういうことだよ」
「ごめんなさい」
「なんで偽造なんかしたんだよ!」
「それは‥‥」
沙織が言いにくそうにしていると、男が口を挟んだ。その男は笑みを浮かべていたが、侮蔑の笑みだった。
「自分の子を殺したんですよ」
「は? 沙織が?」
沙織が虐待して子供を死なせたという事実を、翔太は理解できなかった。体が、頭が、拒絶していた。
沙織は子供を欲しがっていたし、子供が好きだと言っていて、自分の子を殺すタイプには見えない。
「19歳の時に、彼女は免許取得資格がないにも関わらず妊娠し、自宅で出産し、その新生児を駅の公衆トイレに置き去りにして死なせたんです」
「沙織、本当なのか?」
沙織は泣いてうなずいた。
「でも、理由があったの‥‥」
「その件があって彼女には、生涯子育て免許取得が出来ない、厳しい判断がなされたはずなのです」
それで偽造。あまりのショックに、翔太は胃がねじりあげられるような痛みを感じた。
「よって、お子様は当局が引き取らせていただきます。山下翔太様の子育て免許はダブルのみで、シングルの講習は受けていらっしゃらないみたいですので」
子育て免許には、シングルマザー、シングルファーザー用の講習も受講できるプランがあったが、翔太はダブルのみを受けた。子育て免許でシングルも受講していると、離婚の可能性を考えていると思われ、あまりいい印象を与えないのだ。
男たちは、助産師を促して子供を連れて出ていこうとする。
「ちょっと待ってください! わたしがお腹を痛めて産んだ子なんです! 私が親なんです! せめて抱かせてください! まだ、抱いてない!」
沙織はそう懇願した。その顔は、紛れもなく母親の顔だった。翔太もうなずいた。
「おれはまだいいです。でも、沙織にだけは抱かせてあげてください!」
しかし、彼らの表情は永久凍土のように冷たく、凍ったままだった。
「子を殺しておいて、なにをふざけたことを言ってるんですか? 子を産んだだけで、親になれるわけではないんです。産まれた子供を抱けるのは親の特権ですが、あなたにその、親の資格なんて無いんですよ」
男たちは、そう言って出ていった。分娩室には、母親の沙織の泣き声だけが、響きわたった。
〜了〜
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