軟禁生活にて

第2話 立場を持つ女

―庁舎の塔、応接室


「待遇は悪くない」


 応接間と客間が奇妙に融合している空間で、独り呟いてみる。声がよく通る部屋、小さな雨音もそれに続く。


「むしろ、野蛮なる国には不釣り合い。過剰な程だ」


 この国境の町に捕虜として連行されてから、無体な扱いは受けていない。過酷な取り調べも、残虐な拷問も。それどころか、暖かな部屋に温かな食事、そして雨風をしのげる屋内を充てがわれている。捕虜とは思えないほどだ。


「私以外の人間が生活する事が想定されていない個室」


 だが、哀れなることに外出の自由は無い。当然、自らの意思で他者と接触を持つ自由も。紛うことなき捕虜の身である事違いなく、何を希望するにせよ、あの隊長に伺いを立てなければならず、なによりも、


「相手の気分次第で命を狙われる危険すらあり得る」


 無論、蛮斧人如き私の敵では無い。それでも面倒は避けたいところ。


「それを防ぐため、敵国の人間でも関係者とは良好な関係を心掛けねば」


 いま一度、部屋を視回す。


 海を越えた国から取り寄せたらしい調度品や、我が国風の内装で設えた、一流の客間を狙った空間。ところどころちぐはぐで怪しい感性が、逆に緊張を解す。我が国の観葉植物が活けられている。あの隊長の配慮あるいは趣味だろうか。


「もし、私の機嫌を取り結ぶためだとしたら、中々の念の入れよう。何の為のご機嫌取りか……」


 幾何学模様のタペストリーが掛けられた石壁は、重厚堅牢に見える。触れると、石から伝わってくる独特の冷涼さが、我が身に起こった出来事を呼び起こす。そして、安心と安全は異なる概念、と念頭に置き、神経を集中し、壁の厚みを探索する。


 厚み、強度、外の状況が情報と風景として、瞬く間に頭に流れ込んでくる。


 高くそびえ立つ塔は、威容を持って周囲を見下ろしている。ここは外と隔絶された孤独な世界。塔を取り巻くのは、時折塔の壁を舞い上がる鳥たちの羽ばたきの音。彼らは自由に空を飛び交いながら、時には窓辺に止まり休息を取る。


 室内は出入り口を除いて四方全て移動可能。全箇所を調べていく。その結果、罠や仕掛けは無い。壁から手を放す。


「私が全力で大暴れすれば、脱出は容易」


という結論に至った。だが、単純に脱出すれば良い、ということではない。


「ここを脱出したのち、目的を達成できるか……」


 現時点では未確定要素ばかり。それに、私が捕虜となるに至った事情、目的を忘れるようなことがあってはならない。



 捕虜となった日の朝からまだ雨が降り続いている。さしたる時間が経過したわけではないが、しばらく湿った空のまま。この部屋には一か所、麻栗樹の木材で塞がれた小さな天窓がある。頭が入る程度の大きさだが、私にはそれで充分。


 呼び寄せていたカワラバトが来た。天窓に近づき言葉を発さずに口を動かして伝言を託し、解き放つ。祖国に向けてのメッセージ。陛下に内閣と、宮廷では私の不帰還を心配する者も多い……はず。せいせいする者も数多いるだろうが、現時点での情報は伝えておかねばならない。陛下なら家族にも伝えてくれるはず。


 そう、家族。だが家族のことよりも同僚らの動きを第一に考えてしまうのは職業病だろうか。


「私が捕虜となったこと、内閣の面々は既に知っているはず。この身の解放のため彼らがどう動くか。


 とは言えそれすらも


「然程の事はなく……」



 夜明けとともに、少女が布巾や櫛、簡単な食事などを手に入室する。この施設の者と言って、何かを話すでもない。礼は保ちつつも、物を置くやさっさと出て行ってしまう。先の庁舎隊長曰く、確かな家柄の童とのこと。少なくともあの隊長とは繋がっているはず。


 食事に不審はない。それはこの野蛮国のレベルを大いに示すところだったが、ここを拠点と模するなら慣れねばならず、灰色のスープを口に運ぶ。


「鹿肉、根菜、キノコ、灰汁……」


 全く旨味が無いわけではない。



 この部屋の客となってから二日目の夕刻。まだ雨が降っている。ようやく訪問者があった。その人物に見覚えがあり、幾人かの警護を引き連れてやってきた蛮斧男は、捕虜の身の私を認めると気の毒そうに喋りはじめた。


「お久しぶりですね、光曜たる王国の宰相閣下。このような場所で再会するとは思ってもみないこと。本当に驚いていますし、また、心も痛めています」


 この言葉に偽りは無い。彼の心の形は意外の動きに満ち、驚きの露呈を理性で抑えてもいた。この率直な人物からは、心の調子が良く見える。では、と私は相手に合わせた善良な会話を心掛ける。


「二年前、王都は和平条約調印の場でお会いして以来、でしたね。今はこの境界の町の軍司令官職をお務めでいらっしゃると伺っております。立身栄達を極められましたね」


 軍司令官は照れながら額を掻く。


「そうでもありません。私は平時向きの言わば役人的軍人で、我が蛮斧では少数派です。よって、貴国と我が国が交戦状態に入った以上、すぐに他へ回されるでしょう。より戦いに向いた人物が赴任されてくるはず、ということです……つまり和平の命脈はそれまで、ということ」

「そう、なのですね」

「はい。もう避けられないでしょう。戦争になってしまうとは、本当に残念なことです。和平を斡旋した貴女様も、同じお気持ちと思います」

「はい、極めて遺憾なことです。しかしなぜ今回戦端が開かれたのか、軍司令官殿はご存知ですか?」

「まだ正確には何も。貴国の兵団が国境を侵した、つまりこちら側へ渡河したため出動した、としか報告を受けておりません……これは、閣下も同じことなのかもしれませんが」


 冷笑を滲ませた蛮斧紳士。一面では事実だろう。そしてここは沈黙が良い。


「……」

「あー。恐らく、我が国の兵団が国境を侵した、とでもいうような……」

「さて」

「……」

「……」


 この人物はこれ以上追求しないからこれで良い。きっと話を変えてくる。


「ところで、宰相閣下ともあろうお方がなぜ国境地帯においでになっていたか……」


 予測の通り。難しい相手ではない。


「……伺っても?」

「話すほどの事でもなく、記されるほどの事も無い、平和な国の平時な事務のためです。故に、運命の変転とはワカらぬものと痛感しています」

「左様ですか。先ほども申し上げた通り、私は近いうちに必ず前線から外されます。残ったここの者達も、新しい責任者の指示に従わざるを得なくなる。ですが和平の時はいずれ必ず訪れます。行動が起こせるように、できるだけの事はしておきます。だからどうぞ、希望をお捨てにならぬよう」


 人の好い軍司令官が去った後、私は一人言葉を反芻していた。


「和平の時は訪れる……必ず?」


 果たしてそうか。和平を望む者がいる一方で、戦争を望む者もいる。であれば、平和を欲する者とて、そのために戦うしかない。平和が続くか、戦いの時代の幕開けか、それを決するためにも戦いは避け難い。



 思考を巡らせていると、施設の少女がまた身の回りの世話にやってきた。無言でベッドのシーツを代えている。あるいは、会話をしないように言いつけられているのか。手際良くやる事を済ませると、またそそくさと出て行った。



 翌朝、苦々しい顔の軍司令官が一人来た。曰く、早速異動の命令が下り、自身は本日中に新任地へ移動しなければならないとのこと。


「かつて無い速さ。こうも果断な人事異動があるということは、後任の人物が私の影響力を少しでも減らしたいと考えているためでしょう。事務処理のための猶予すら与えられませんでした」


 うんざりした様子であった。ここ二年の間、国境において衝突が起こらなかったのは、この好人物の手腕の賜物であるが、ひっくり返されたのだから同情したくはなる。


「一時的にせよ、軍司令官職が空白となれば、将兵の統率が心配ですね」

「すでに最前線……もとい貴国領内にで活動している部隊があるため、この都市は最前線の後背地といった状況でして。まずは和平派の人間がいなくなる利が優先されたらしい、というわけです」


 予測の通り。こちら側にも戦争を望んでいる者がいる。


「後任が着任するまでの代理は置かれませんが、軍事拠点統括責任者心得、という役職を、ここの庁舎隊長がしばらく務めます」

「ああ……あの方」


 私を捕らえ、この部屋まで連行した蛮斧男の顔を改めて思い出す。若く、少し間の抜けたような表情が特徴と言える。


「あれは私の直属ではありましたが、庁舎専属の守備隊のくせにあれこれやって前線に出張ったくらいですから、野心の持ち主であると考えられます。和平など薬にもしないでしょう」


 この人物のお人好しさも予測の通り。


「そもそも閣下を捕らえた者、お力になるかどうかは……」


 今、部屋には私と彼の二人のみ。よほど善良にも、偽りを言っていない。ならば、


「軍司令官殿から見たその……庁舎隊長殿の人物評を伺いたいわ」


 躊躇せずに口を開いて曰く、


「そうですな……まず戦闘巧者です。これは間違いない。平和の中でも、ここ前線都市でコツコツ昇進を続けているくらいですからね。小競り合いでもしっかり戦果をモノにするためか、部下たちの信望は比較的に厚い。一方で、生意気なため先達衆には煙たがられている。といって統率の実績はそこそこあっても部隊長級まで。やはり出世欲が強いからか、部族長たちと連絡を取り合っていたり工作活動も盛んという風評があります……私が確認したことはありませんが。しかしまだ二十代半ばと若い。同僚との諍いは多いですな。私が彼の年齢ならば、ぼちぼち慎重になるものですがね」

「そう……」


 部下の評判が良い、というのは裏を返せば放縦を許しがち、という見方にもなるが、庁舎隊長について得た情報で満足得ることはできなかった。やはり直接、膝を折って話をしてみなければ。



 そして知己の軍司令官は、寂しく、早々に国境の町を去っていった。異国の地で話の通じる知り合いが去る。私は、自身の目的のための幸運をとり逃した気分となるが、それは極めて小さいもののはず。全ては私次第なのだから。雨はまだ降り続いていた。



 その日の午後、軍事拠点統括責任者心得となった件の庁舎隊長が面会にやってきた。私は余裕を持って、牢獄の主として客を迎え入れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る