第4話 長宗我部盛親
さて、関ヶ原の戦いで、多くの大名は所領没収や改易の処分を受け、多くの浪人を出すこととなった。有能な人物は、所領が加増された東軍の諸将に仕官できたが、それは限られていた。特に大名は逃亡するのも疲れ、自刃する者や、剃髪して出家する者、町人や農民として生計の道を図る者もいた。
そんな中で何人かの大名は蟄居の身で細々と暮らしながら、事あらば再び大名として取り立てられることを思案しながら日々を送っていた。それは、まだ豊臣秀頼がまだ大坂城に存命であり、世継ぎの人の可能性がある限り、徳川家康との一戦が必ず生起すると信じていたからだった。
特に真田昌幸・幸村父子や、長宗我部盛親、毛利勝永などは、再び戦乱の起きることを願い、その時にこそと密かに思っていた。当然、危険人物と監視されているので、表立っては行動せず、密かにわからぬように行動していたのである。盛親が京の地に入ったのがまだ26歳であり、まだ将来の望みは捨てられない年代だった。
京都柳辻の一軒家にて、近くの子供たちを相手に読み書きを教えている武家あがりらしい幽夢という人物がいた。
ちょうど、五、六人の幼い男子を前にして論語を教えていた。
「皆、書を覚えておくと、必ず将来役に立つ。心して覚えよ。まずは某が読みあげる上、そのあとについて、読みあげよ」
「はい、幽夢様」
そこへ一人の白髪混じりの浪人程の人物が現れた。
「との!」
幽夢は鋭い目でその浪人を見て言った。
「との、ではない。言葉に気をつけよ」
「はっ、幽夢殿、ちとお耳に入れたきことがありまするゆえしばし刻を下され」
「今は教授の最中ゆえ、あと一刻ほどしたら終わるであろう、しばし奥で待つが良い。それから聞こう」
「はっ、ではしばしお待ちいたします」
一刻ほどして習いを終えた幽夢は、奥の部屋へと入った。それは、江村孫左衛門親俊で、幽夢と同じ屋敷に住んでおり、世話役筆頭であった。
「急用のようだが、何かあったか」
「はい、旧家臣のうち、大方の召抱え先が決まったようで、それぞれ報せが入っております」
「それは、めでたい。浪々の身になるのは某だけで十分。家臣がそれぞれ仕官の道が開けたことことは嬉しきことよ」
この人物、元は土佐二二万五千石の大名長宗我部盛親であった。関ヶ原合戦の折には、東軍に参与する予定が、石田方に止められて西軍に属することとなり、不戦していたゆえ、なんとか所領没収だけは免れたと思ったが、土佐国内で一揆騒動により、結局領地を召し上げられ、大岩幽夢と名を改めて、京都の烏丸上立柳が辻に暮らすこととなった。妻女も一緒にと思っていたが、浦戸城に戻った後、病をえて亡くなってしまった。残されたのは嫡孫と女子の二人であった。
盛親自身も元親の四男であり、幼名は千熊丸、長じて右衛門太郎と称していた。長男が戦死し、兄たちも他家に養子にいっていたため、四男ながら元親死後家督を継承することとなり、宮内少輔として土佐国の国主となったのである。しかし、戦の後は一転して浪々の身となってしまった。
生活は楽ではない。一緒に面倒を見てくれる家臣が何かとやりくりしているようで、食うことはなんとかできていた。寺子屋の真似ぐらいではさほどの稼ぎもなく、暇つぶしの一貫のようであり、世から潜んでいる間の真似事とも言えた。
「殿、いや幽夢殿、立石助兵衛らがやっと、細川肥後守に仕官がかない、これにて大方のものは他家に奉公がかないましてござる」
幽夢は天井の方を見ながら、感慨深げに語り始めた。
「そうか、決まったか。よかったのう。藤堂大学頭には桑名弥次兵衛、又右衛門、源兵衛、七郎右衛門、宿毛甚左衛門、吉田式部、浅木三郎左衛門、兵太夫、斎藤茂左衛門、安並忠兵衛、押川玄蕃、吉田三郎兵衛、戸波又兵衛、入交宗右衛門、助兵衛、山内又左衛門、中尾安左衛門と覚えておる。堀田上野守には、香宗我部左近、豊永藤兵衛、町源右衛門、國吉五左衛門、十太夫、堀部五郎太夫、北代助兵衛、三宮十助、奥宮太左衛門、吉田弥右衛門、福原茂左衛門、本山新右衛門、五郎太夫、黒岩安太夫、石川弥兵衛だったな」
「さようでござる。さすがは幽夢殿、よく覚えておられます」
「あたりまえだ。元家臣だった者。誰一人として忘れるものか。細川肥後守には、立石助兵衛父子、久武権助」
「そして、町熊之助、市之亟、大助、山内三太夫です」
「うむ」
「他家にも仕官が叶ておりますし、本多様のお口添えにて旗本にとり立てていただいた者もおります」
「斎藤摂津守、與惣右衛門、蜷川杢左衛門だったな」
「御意に」
「土佐山内対馬守に多くの者が救われましてござるが、この者どもは殿が再起かなえば、長宗我部家に再仕官したいと願うものばかりにて、苦渋の末、土佐に残る道を決した者と覚えまする」
「うん、皆忠臣ばかりじゃ。苦労をかける」
江村孫左衛門の後ろで控えていた明神源八郎が進み出てきて言った。
「幽夢殿、その御家復活の道でござれば」
「これ源八郎、その儀は声を潜めて言うが良い。このところ周りに所司代の手の者がなにやらかぎ回っておる。気をつけよ」
「はっ」
源八郎は幽夢のそばに更に近寄り言った。
「真田安房守父子のことでございますが、命は助けられたようですが、高野山に送られたようです」
「安房守といえば、上田にて秀忠の軍勢を足止めにしたばかりか、寡兵にも拘らず大軍を寄せ付けなかったと聞いておる。過ぎたるには徳川の上田攻めの折も、打ち破っており、内府としては、生かせておくわけにはいかなかったであろうに」
「東軍に加わった信之が、本多平八郎共々嘆願し、信之の忠節に対して、死罪を免じたと聞き及んでおります」
「うん、某もその話は耳にしておる」
「現在は麓の九度山なる所に居宅を構え、監視の中苦渋の生活を強いられておるようですが、信之を通じて、赦免の上、真田郷への帰郷も嘆願している模様でございます」
「だが、戦さ上手の家康に二度までも苦渋を与えた昌幸に赦免はなかろう」
「しかし、その所業のことあれど、死罪を免れたことは、これ嘆願の程度により、幽夢殿にも、再度大名にお取り立ての沙汰があるかも知れませぬ。柳河の立花宗茂も浪々の身ながら、最近京都に入ったと聞いており、再起を図ってのことと聞いております」
「宗茂殿が京に参ったか。久しぶりに逢うて見たいものよ。だが、逢えば監視の目が厳しき折に、逢えば厳しく罰せられよう」
「いずれ機会があらば、こちらで幽夢殿の意は伝えておきます」
「うむ、よしなに頼む。ただし、充分に注意いたせ」
「はっ」
孫左衛門は黙って源八郎の話を聞いていたが、終わるのを待って言った。
「幽夢殿、所司代と懇意にしておくことが大事でござる。くれぐれも油断めされぬように」
「わかっておる」
しかし、退屈な平凡な日々を過ごしてあっという間に刻だけが経っていく。そのうち、宗茂とも逢う機会もないまま京をたち江戸へと旅立ったことを聞いた。虚しい刻だけが過ぎていった。
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