落穂拾い
めぞうなぎ
拾う
一週間のうちに、平日の5日間は必ず通る道が家の近所にある。なぜかそこだけ密集してビラの貼られる電柱があって、俺の住んでいる区域の中でとりわけ目立っていた。
なんせ、人の背を超えた高さまで、5メートルくらいのところまで色とりどりの広告がびっしりなんだもんな。知らない方がおかしい。
なんでも、その電柱が立っている正面の家の主、井樫さんと言うのだけれど、その人が印刷関係の仕事をしていて、趣味で実験的に作ったビラを捨てるのも勿体ないからという理由で電柱を装飾しているとの噂だったが、今までのところ誰もその現場を見たことがないのであくまで都市伝説(町内だけどな)に留まっていた。以前は定期的に剥がす対策を講じていたそうだが、イタチごっこというか、回を重ねるごとにビラの到達する高みがさらに上へ上へとエスカレートしていくものだからそのうち取りやめになった。今では、日に日に電柱がビラに侵食されていっている。そのうち、町の真ん中にでっかいクラッカーの筒みたいな棒がおっ立つ日が来るんだろうな。
楽しみなような、末恐ろしいような。末は見えてんだけどさ。
水曜日。週半ば。やっとここまで、ないしはまだここまで。あと2日も残っているのか、あと2日しか残っていないのか。大した趣味のない俺には、週末2日間の休暇なんて手持ち無沙汰の極みだったけれど、働かなくて済むならそっちの方が断然いいに決まっている。ただ、張りがあるから弛みもあるんだよな。その辺の線引きが、俺にはまだ上手くできない。
休日は自分のしたいことのために時間を使える日ではなくて、仕事がない日。やるべきタスクが空っぽのまま土日を迎えてしまうから、毎度毎度どうしたものか頭を抱えている。仕方がないから、まだまだ余裕のある仕事を前倒しで片付けてしまったりして、俺の周囲からの評価は高いけれど、俺自身の自己評価はいたって低い。平身低頭だ。凹凸が、起承転結がない。飛び抜けたところがない。将来のビジョンなんかないまんま、ずるずるとその日暮らしを続けていた。
その日が、本日は水曜日。晴天だった。水って入ってるから、毎週水曜日に雨が降っても誰も怒らないだろう。ただ、その場合毎週月曜日に月が落ち、火曜日に火事が起き、木曜日に樹木が倒れ、金曜日に金物屋が儲かり、土曜日に土砂崩れが起き、日曜日に太陽が落ちることになる。とんでもなく忙しい一週間になってしまう。現実世界が字面に対応していなくて本当に良かった。
その電柱の根元。
段ボールが捨てられていた。
************
「――」
「――」
段ボールの中には、まだ年端もいかない少女が捨てられて、遺棄されて、投棄されて、放棄されていた。状況の割にはしっかと焦点の定まった目を俺の方に向けてくる。真一文字に引き結んだ唇は、冬の空気に当てられてわずかにひび割れている。
こういう場合、どうすんだ。
時刻は夜9時。都会なら人通りが絶えるなんて想像を絶する時間帯だが、あいにくこの町は都市周辺のしがないベッドタウンもどき。このあたりにはホワイトな企業が多いから、ほとんどの家庭持ちは定時で帰る。
つまり、もうこの時間になってしまえば往来はまばら、俺が放っておけばこの子は夜気の中明日の朝まで待ち続けることになる。
俺は、猫の手を貸した方がいいのだろうか。それとも、これは猿の手か。手を差し伸べるのは、悪手なんじゃないのか。
良心以前のものがはらはらする。何かの罠なんじゃないかと疑ってしまう。悪だくみと踏んで、たたらを踏んでしまう。
「――ぁ」
「え?」
今、こいつ何か言ったか? 言葉の断片みたいなものが聞こえてきた。
「――ぃ」
だめだ、聞き取れない。あるいは、俺の知らない言葉か。
耳を傾けた時点で、コップの水はこぼれるものだ。俺は腹をくくり、意を決して言葉を投げた。
「お前、こんなところで何してんだ。そのままぼーっとしてたら風邪引くぞ」
「象牙の印鑑密売組織のアジト」
「とーちゃんかーちゃんはいねーのか」
「踵が壊疽」
「それか、他に親戚は?」
「はにかんだ憎悪」
「おい、マジで何か教えてくれって。なんか手掛かり足掛かりがないと、俺も何にもしてやれないだろ」
「老人と海という名の回転寿司屋」
「それとも、言いたくないのか?」
「カーテンレールがお買い得です」
「好きでこんなことしてるってわけじゃあないよな」
「南極で見える入道雲」
「もしそうなら俺の助けも不要ってことになっちまうもんな」
「ナーバスな看護師さん」
「ん……」
「……」
分かんねえ。こいつが何言ってんのかさっぱり分かんねえ。文脈が一切合切枯れてやがる。一体全体どうしたら意味を読み取れるんだ。淵の方からも俺を覗くのが難しいほど深遠じゃねえか。意思疎通が工事中だ。どうすりゃいいんだ。
「なあ、俺、立ち去っていい?」
「一生幸せにしますか?」
「関係各所に電話だけしておくからさ、後はその人たちに世話んなれよ」
「妖怪だらけのサウダージ」
「じゃあな、元気でやれよ。今度会う時には、俺ももうちっと勉強しとくからさ、楽しくおしゃべりできればいいな」
「なめこのヘッドバンキング」
「グッドラック」
「空前絶後のコラーゲン」
俺はハンドサインをびしっと決めてから、歩きがてら然るべきところに電話をしようと端末を取り出した。
その矢先。
「クソ野郎」
よく通る声が俺を背後から射抜いた。
「――」
恐る恐る踵を返し、視線を向ける。
腰に手を当てた矮躯が、そのなりに不釣り合いな、錐を突き込んでくるような目つきで俺を睨み据えていた。
「拾え」
咢を高く上げて、睥睨するように俺に言う。
着ていた白っぽい襤褸切れは実はTシャツで、『拾え』と印刷してあることにこの時初めて気が付いた。
色んなものがナンセンスだった。
「お前、喋れるのか」
「さっきから流暢に日本語の単語をお前に投げ返していたじゃろうに、そんなことも分からんかったんか」
「え、嘘、だって全然意味が分からなかった――」
「あれは暇だったからお前としりとりしてたんじゃい」
――。
ここまで数十行のやりとりを思い返して、納得した。返ってくる言葉がイレギュラーだったから気が付かなかった。それに乗っているのに気が付かない俺も相当抜けている。
ちゃんと会話の連が「ん」で終わってるのも凝ってるなあ。
「分かったか」
「おう」
「分かったら拾え」
「お前には縁も所縁もないだろうが」
「袖振り合うも他生の縁と言うじゃろうが。ボケを振り合ったんじゃ、大人しく拾って持って帰れ」
「無茶振り言うな」
「お前、羽振りはそこそこ悪くないんじゃろ?」
「なんでそんなこと知ってるんだ」
「それはおいおい、お前の家で話そう。とにかく今は、寒いんじゃ。さっさとお前の家に案内しろ誤字脱字作」
「それヌケサクってこと?」
「正解、賞品として私の身代をやる」
「しまった!」
とんだ拾い物をした。
水曜日の水は、寝耳に水の水なのかもしれない。
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