第3章 魔除けのおまじない④

 陽が落ちると外での作業が難しい。明日も作業する予定なので、18時で今日は解散予定だ。

 あと少しで終わり。

 そんな時、彼は突然現れた。


「ちょりーっす。おーやってる、やってる」


 テニスラケットの入る大きなバッグを持った、色黒で金髪の男が外で作業している私たちに近づいてきた。


「というか演歌なんか流して辛気臭いんですけど。俺、演歌嫌いなの知っているっしょ?」


 辛気臭いというのは同意するが、軽薄な口調に、初対面ながら嫌悪感を覚える。

 小さな声で、白崎先輩に「この人誰ですか?」と尋ねる。


「委員長よ、うちの」


 委員長?委員長は仲谷さんだったはずと思ったが、そういえばあれは代理だったか。

 文化祭の手伝いをしてもうだいぶ日が経つが、初めての遭遇であった。

 これが、彼らにとっての魔物。


「まだこれしかできてないの?間に合うのお前ら」


 作業に集中しているふりをし、誰も返答しない。


「まじ、お前ら元気ないじゃん。つまらない奴ら」


 私の知る限りはこの人は何も動いていない。それなのに、口から出るのは文句、人を見下す言葉。


「おい、白崎」


 白崎先輩が名前を呼ばれ、嫌そうな顔で反応する。


「何ですか、古瀬さん」

「古瀬委員長な」

「はい、古瀬さん」


 男の顔が歪む。


「お前がそんな生意気だから、準備こんな遅れているんだぞ。わかってる、そこわかってんの?」


 白崎先輩は何も言い返さず、ただ睨み返す。


「仲谷はいねーの?」

「道具の貸し出しの交渉で外に行っています」

「あっそ」


 淡白な返し。


「何で学校にいるんですか?」

「ラウンジワンの練習」


 ラウンジワン。

 壮太がサークルの話をしていた時に聞いた気がする。確かテニスサークルで、あの壮太も嫌だといっていたところ。


「そうですか、お忙しいですね」

「そうそう、忙しいの。忙しいのに皆を励ましに来ちゃう俺って偉くね?」


 彼女の嫌味も通じない。

 緊張した空気が続く。

 ふと三澄さんの様子を見ると、ハンマーで釘をバシバシ叩いている。この空気の中でも彼女は変わらない。いや、聞こえていないのかな?

 安堵の気持ちを覚えるも、その気持ちはすぐ裏切られる。

 古瀬の足が三澄さんへと近づいていた。


「お前、何それ。パーカー被りながら作業とか舐めてんの?」


 まずい。体の中の非常ベルが押される。

 どうする、どうすればいい。

 男が目の前に来たことで、さすがに三澄さんも気づく。手を止め、顔を上げる。


「何だ、女じゃねーか。しょうがない、優しい委員長は怒るのはやめてあげよう。後輩君、真面目に作業しなさいな」


 そう言い、彼女のパーカーのフードへと男の手が伸びる。


 パシン。


 乾いた音が響いた。

 思わず息をするのを忘れる。

 三澄さんが、男の手を振り払ったのだ。

 最初は呆気にとられていた男であったが、すぐに拒絶された事実を理解し、沸く。


「てめーふざけんじゃーよ」


 先ほどまでの軽薄な口調は怒りに変わる。

 周りの理解より、私の足は先に動いていた。

 怒りの形相をした男の手が振りあがる。

 三澄さんの身体が竦む。

 白崎先輩が「おい、古瀬やめろ」と怒鳴るが、怒りに支配された男の心は止まらない。


 男の手は振り下ろされ、

 周りから悲鳴が聞こえ、

 三澄さんは動けずにいて、

 私はそんな彼女の前に出て、

 男の前に両手を広げ、立ちはだかり、

 突然の登場に男の目は大きく見開くが、

 振り下ろされた拳は止まらず、

 私の顔に当たる。


 ゴツン。

 

 衝撃に頭がぐらぐら揺れた。

 電気が流れたように身体がびっくりしている。

 痛い、痛い。頬がじんじんする。

 気丈に立っていることもできなく、その場に屈み、頬をおさえる。

 でも、涙は出ていなかった。

 ちらりと男を見ると、さすがにまずいと思ったのか、動揺している。


「て、てめーが勝手に割り込んでくるから、入ってくるからいけねーんだよ」


 三澄さんが私の横をすっと通った。


「壊す、こいつ…壊す」


 右手でハンマーをぎゅっと握りしめている。

 これはまずい。今度は別の意味で不味い。

 暴力、事件、停学、退学の文字がちらつく。

 止めないと、止めないといけないけど、痛さで体が動かない。


「やめろ」


 短い一言がこの緊張状態を打ち破った。

 声の方向に注目すると、仲谷さんがいた。


「何これ、どういうことなの、どういう状況なの」


 仲谷さんが蹲る私に駆け足で近づく。


「榎田さん、何があったの、何で血流しているの」


 血?と思い、手で口を拭うと、手に少量だが血がついた。唇が切れているようだ。


「俺は悪くねー、その女が、そいつがいけないんだ」


 男が三澄さんを指さし、責任転嫁する。


「古瀬先輩、榎田さんを殴ったんですね」

「ちげーよ、たまたまぶつかっただけだ」


 即座に白崎先輩が否定する。


「違わない。この男が、こいつが暴力をふるった」

「はぁ、ふざけんじゃねーし」

「ふざけてんのはどっちよ!」


 仲谷さんが睨み、静かながら、怒りを含んだ声を発す。


「先輩、退学しますか」


 退学の2文字に男は怯む。


「しねーし、辞めないし」

「消えてください」

「は?」

「この文化祭実行委員会から消えてください」

「はあ?」

「私の視界から消えてください」

「何言ってんの、俺が委員長なんだけど」

「なら大学に報告しますよ。皆、見ていますよ」


 周りの人たちがうんうんと頷く。


「もう関わらないでください。文化祭にあなたの居場所はありません」


 仲谷さんの凄味に恐れを感じたのか、男は舌打ちをし、背を向ける。


「ざけんなよ。まじふざけんなよ」


 この期に及んでも悪態をつきながら、男は去っていった。

 ボトッとハンマーが地面に落ちる。三澄さんが屈み、私の頬を擦る。


「ごめん、ごめんなさい」


 そう謝罪し、フードの中の彼女の眼からぼろぼろと涙が零れだすのが見えた。

 泣き顔も綺麗だな、と不謹慎ながら、そう思った。

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