第一章:ジャンヌにより変わる人生
第2話 ジャンヌダルクと善良なる民
百年戦争――それはイングランドとフランス間の百年続いた戦争である。
そんな戦乱の時代に東条はタイムスリップした。しかも比較的治安の良かった十四世紀の後半ではなく、十五世紀初期にだ。イングランド兵が暴れ周り、道行く道には盗賊が現れる。フランスの長い歴史の中でも髄一の治安の悪さであった。
その治安の悪さは東条が訪れたドンレミ村も例外ではなかった。村の周囲には戦闘の痕跡が残っていたり、人の死体が転がっていたりする。しかしジャンヌはこんな状況でも、ドンレミ村の治安は比較的マシなのだと云う。村人たちが善良な者ばかりだったおかげで、盗賊なども外からやってくる者だけで済んでいるのだそうだ。
「あなたはどこの村から来たのですか?」
「……日本のカマクラだ」
「ニホン? カマクラ? この辺りの村ではありませんね」
「随分と遠い村だと思う」
「たった一人でこんな遠い村まで来たんですね……」
戦災から逃れた亡命者。そのように認識したのか、ジャンヌは憐憫を含んだ表情を浮かべる。そんな悲しみが浮かんだ表情を打ち消すように、東条は腹の音を鳴らす。
「そう云えば、朝から何も食べていないんだったな」
「でしたら、私の家で食事でもどうですか?」
「いや、そこまでしてもらうのは申し訳ない」
「遠慮しないでください。ここには盗賊だけでなく、野生の狼も出ます。野宿するのも危険ですから、ぜひとも我が家にいらっしゃってください」
「野生の狼?」
「東条さんの国に狼はいないのですか?」
「昔はニホンオオカミという種類がいたが、絶滅したよ」
「狼の脅威に悩まされないなんて羨ましいですね」
東条は改めて自分が十五世紀初期のフランスを訪れたのだと再認識させられる。
それから東条たちは数分程歩き、ドンレミ村の集落に辿り着く。柿色のフランス瓦を屋根に敷いた木造建築が並ぶ集落は、昔はさぞ美しい光景が広がっていただろう。しかし今は戦災の影響を受けてか、建物が傷だらけになり、ボロボロの廃村一歩手前と化していた。
「お父様」
「おおっ、帰ったか、ジャンヌ!」
ドンレミ村の中でも一際大きな家がジャンヌの家だった。扉を開けると、優しそうな表情を浮かべた男が、娘の帰りを歓迎する。男はジャンヌの父、ジャック・ダルクだ。
ジャンヌの父ジャックはドンレミ村の村長のような存在だった。そのため他の村人よりも裕福な生活をしており、それはジャンヌの服装からも見て取れる。
ジャンヌは赤いコット(チュニック型衣服)をシュミーズの上から着ている。学生時代、とあるロールプレイングゲームに嵌っていたが、作中に出てくる魔法使いが着ていたローブによく似ていた。
この時代の一般市民は、色染めの毛織物を着ることなどまずない。ボロ雑巾のような布から作った地味な服装であることが多い。そこからダルク家の生活レベルを測り知ることができた。
「そちらは……」
「近くで倒れていたのです。どうやら遠くから来たみたいで……」
「なるほど……さぞかし辛い目にあったのでしょうね」
「東条さんはお腹が空いているみたいなんです。食料を分けてあげてもいいですか?」
「神は善良なる民を愛する。私が断るはずがあるまい」
ジャックは手に一枚の皿を持って部屋の奥から現れる。皿の上には肉厚のステーキが乗せられていた。ステーキの上にはバターがトッピングされ、端にはブロッコリーに似た野菜と、ニンジンに似た野菜がポツンと置かれている。
「本当にこんな豪華なモノを頂いていいのか? これ、本当はジャンヌたちの食事だったんだろ」
あまりに食事が出てくるのが早すぎる。であるならば、最初から用意しておいたと考えるのが自然だった。
「この村は食料が充実しているわけではなさそうだし、俺がこれを食べると、ジャンヌたちの食事は……」
「いいんですよ。我々は等しく神の子なのです。困った善良な者を見捨てるのは教義に反します。それに娘の誕生日のお願いなんです。親として聞いてあげないわけにはいきません」
いつもこんな豪華な料理を食べているわけではなく、今日だけは特別なようだ。貴重なお祝いの食べ物を見ず知らずの人間に差し出すことができる。東条は二人が如何に素晴らしい人間なのかを理解した。
「では頂くぞ。本当にいいんだな?」
「どうぞ、どうぞ、遠慮せずに食べてください」
ナイフとフォークを受け取り、ステーキを細かく切り分けていくと、肉汁が溢れ出し、旨そうな肉の匂いが部屋の中を満たした。
東条はフォークに肉を突き刺し、口の中に放り込む。すると今まで食べたことのない味が口の中に広がっていく。鶏肉に近い淡白な味だが、溢れる霜降り牛のような肉汁がそんな淡白さを打ち消し、幸せを口の中一杯に広げていく。肉汁はいくら噛んでもなくならず、噛めば噛むほど溢れる肉汁が増えていき、舌を喜ばせた。
「こんな美味しいお肉は初めてだ。何の肉なんだ?」
「狼の肉です」
「いぃっ!」
東条は驚きで、口に運ぼうとしていたフォークを宙で止める。
「狼の肉に抵抗があるのですか?」
「いや、初めて食べたから驚いて」
東条は昔食べた食用カエルやワニ肉のことを思い出し、そういったゲテモノ肉の一種だと思い込むことに決めた。少なくとも彼にとってこのステーキは、肉の正体が狼だからと食べるのを止める理由にはならないほどに、お気に入りの味だった。
「狼の肉はどれもこんなに美味しいのか?」
「普通はこんなに肉汁は出ません。パサパサした鳥に近い味です」
「ならなぜこんな味に?」
「明確な答えは出せませんが、心当たりならあります。この狼は山の主として、数万の狼たちを束ねてきました。遥か昔は神として称えられていたこともあり神狼と呼ぶものもいたほどです。答えにはなっていませんが、特別な狼は肉もまた特別に美味なのかもしれません」
「そういうこともあるのか……」
食事に夢中になっていたからか、東条は皿の上に乗ったステーキをすべて平らげていた。
「美味かった。この礼は必ずする」
「気にしないでください。私も人生の終わりに人を喜ばすことができて良かった」
「人生の終わり?」
「ええ。最近体調が悪く、風邪も酷くなっていく一方で。医者でも原因が分からず、このままでは私は死ぬでしょう」
「そうか……」
何か助けになることがあればとも思ったが、医者でもない自分が治療することもできない。せめて現代に帰ることができれば。そう願った時だ。
「東条さん、その光?」
「え?」
ジャンヌから指摘され、東条は自分の身体が蛍のように光を放っていることに気がついた。視界が真っ白に染まっていく。白い景色が色彩を持ち始め、視界が元に戻ると、鎌倉の倉庫前に東条はポツンと立っていたのだった。
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