芹ケ野りさ(銀行員)【4】
そんな彼女に気づくよしもなく、川内は「そうだ」と顔を向けた。
「観ましたよ、勧めてくれたEXILEのドラマ。まだシーズン1の途中ですけど。すごくおもしろいですね」
「あ、そうですか」
「ぼくは窪田正孝が演じてるのが好きですねー」
「あぁー」
川内さんちょっと似てますよ、とは口に出せなかったし、そんなことを意識したら余計にどぎまぎしてしまった。
「芹ケ野さんは達磨が好きなんでしたっけ。格好いいですよねえ」
「ですよね」
「というか、脇役まで、登場人物みんなキャラが立ってて」
「立ってますね」
「音楽がまた話に合ってて、気持ちいいタイミングで流れてくれますねえ」
「流れてくれますね」
「敵のヤクザもほんと怖いですし」
「ですしね」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ?」
もちろん、大丈夫ではなかった。緊張のあまりよそよそしくなっているのは自覚しているのだ。
どうやって誘えばいいのだろう? 食事なりお茶なり映画なり、理由はなんだってよかった。りさはただ、スポーツクラブの中ですこし言葉を交わすだけの関係から一歩脱け出したかったのだ。けれどやり方がわからなかった。これまでの人生でデートに誘われることはあったものの、こちらから行動したことは数えるほどしかない。しかもそれは中学生のとき、バスケ部の先輩に告白したときが最後だ――あのときは撃沈したのだし。
カジュアルに、軽い感じで、決して重い雰囲気を見せることなく、気安く誘うことができれば……。そう思えば思うほど緊張し、全身の筋肉が固くなってゆくのがわかる。時間は刻々と過ぎてゆき、両脚はぐるぐると回り、パネルが示す走行距離もどんどん増えてゆく。三十分で十五キロ、自己ベストだ。
しばらくすると、川内はりさに挨拶して、ウェイトトレーニングのマシンのほうへ歩いていった。りさも一度脚を止め、呼吸を落ち着かせる。酷使した太腿が張りつめて痛い。休むとむしろ汗がどっと噴き出してきた。いい大人が何をしているのだろう、初恋の人をまえにした中高生のような緊張のしようで……。これが少女なら初々しくもあろうが、こちらは三十の誕生日を一週間後に控えたアラサーだ。りさの自己嫌悪が深くなる。
「大丈夫ですか?」
そう声をかけてきたのは、インストラクターの青年だった。
「ああ、大丈夫です、すみません」と言いながらそちらを向いたりさの目の前に、スポーツドリンクが差し出された。驚いて彼の顔を見ると、さわやかな笑顔を浮かべて首をかしげている。
「どうぞ。水分補給は大事ですよ」
「あ、いや、そんな……」
クラブのサービスにドリンクの提供なんかなかったはずだ。慌てて首を振るりさの手に、ぐいと、けれど押しつけがましくない程度にペットボトルを渡すと、彼は「これお店には内緒ですよ」といたずらっぽい表情でささやいた。
「あまり無理されないでくださいね」
そう言って他の客のところに歩いていく青年の後ろ姿を、りさはぼんやりと見送った。彼のことは知っている。アルバイトの大学生で、りさも何度か挨拶を交わしたことはあった。名前はたしか、羽島――羽島尊臣くん。
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