須賀涼太(警察官)【8】

「止まりなさい!」

 後退りながら須賀は拳銃を両手でかまえ、マニュアルどおりに警告した。だがほとんど本能的に、これが無意味な行為であることはわかっていた。相手は老人を生きながら貪っていたやつらだ。何が原因であろうと――本当にゾンビであろうと(いや、この事態をまえに、こんなことを考えるのはさすがに不謹慎だ)――この子たちは完全に理性を失っている。須賀は二人から目を離さないように注意しながら、また一歩しりぞき、肩の無線に口を寄せた。

「こ、こちら、須賀涼太巡査。アミュプラザ一階廊下にて暴力事件。至急応援を――」

 最後まで言い終わらないうちに、少年少女が相次いで襲いかかってきた。

 ほとんど反射的に、須賀は銃口を天井に向けると、二発続けて銃爪を引いた。威嚇射撃のつもりだった。銃口から迸った轟音と、銃弾を受けて天井が罅走るさまは、ふつうの相手なら怯ませるのに充分だったろう。だが血走った目のふたりはまるで聞こえた様子もなく、ずんずんとこちらに向かって突進してくる。

「止まれ!」

 恐怖と戦慄が喉元までせりあがり、須賀の声を上ずらせた。一歩後ずさり、また一歩下がる。踵が柔らかいものに触れてこれ以上進めなくなり、須賀は視線を足元に落とした。警備員の死体。顔の半分が喰い破られているのがこの距離だとよくわかった。荒々しく引き千切られた皮膚や肉の端が別の端にかぶさり、あふれ出す血や脂肪の粒やなにやらどろりとした液体が、裂け目をうっすらと盛り上げていた。失われていないほうの眼球は微動だにせず天井を見つめ、もう片方はどこに行ったものかわからなかった――食べられてしまったのだろうか。

 須賀は素早く顔をあげ、迫りくる異常者を見た。真っ赤に充血した眼がまっすぐにこちらを見据え、須賀はそこに、絶対に自分を逃がさない強烈な意志――いや、もっと本源的な欲望を読み取った。

「止まらないと撃つぞ!」

 言い終えるまえに、須賀はぶっ放していた。

 一発目は床のタイルを砕き、二発目が少女の右脚に命中した。ぱっと赤い血が弾け、銃弾に射抜かれた勢いで、少女は足払いをかけられたようにバランスを崩し、うつ伏せに倒れた。あとを追う少年が少女の身体につんのめり、覆いかぶさるように転がった。だがそれだけだった。少女は痛みに悲鳴をあげるでもない。その場で動けなくなるでもなかった。返り血で汚れた顔をあげ、赤くぬらつく歯を剝き出して、ゆっくりと立ちあがった。太腿に開いた穴からは血が筋となって白い肌を伝っているが、少女がそれを意に介した様子はなかった。

 赤い眼球に小さな黒点がひとつだけ穿たれたような目を向けられて、須賀はほとんどパニックの泡に溺れそうになりながら、拳銃を構えなおし、肩の無線に呼びかけた。

「誰か、はやく――はやく来てください!」

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