崎山優城(高校生)【3】

 五人が様子を気にしながらもその場を通り過ぎようとしたとき、驚きの叫びがあがったと思うと、弾かれたように野次馬の一部がばらけた。反射的に立ち止まって振り向いた崎山の目に、男が一人、人波を割ってまろび出てきたのが映った。顔はうつむけているので見えなかったが、着ているシャツが朱に染まっている。血だろうか。近くにいた男女が悲鳴をあげて後ずさりしている。

「な、なん、な……」

 これほど血まみれの人間を現実にまのあたりにしたのは初めてだった。言葉にならないつぶやきが勝手にこぼれ落ちる。それを聞きつけたわけでもないのだろう――そう思いたい――が、男が顔をあげ、崎山をまっすぐに見据えた。顔は灰色で生気が感じられず、その白眼がほとんど真っ赤に充血しているのが遠目にもわかった。赤い暗闇のような口腔から、何かがだらだら垂れている。あれは血?……そして、口からアスファルトにべしゃりと落ちた何かの塊……あれは……。

 男の背後に別の人影がある。地面に倒れ込んで首元を押さえているが、そこからひどく出血しているようだ。苦痛に呻くその男は警察の制服を着ていた。

 ――嚙まれたんだ!

 崎山はほとんど魅入られたように動けなかった。

 返り血に濡れたよろめく男、薄汚い灰色の肌、吐き出された肉片、襲われた警官。目の前の情報がすべて、崎山が映画で得た知識にすかさず結びつく。彼が好んで観るジャンルの名前が即座にひらめいた。――が。

「……いやしかし、さすがにゾンビは」

 いま、思わず口から洩れた言葉に、あわてて唇を引き締めて他の四人を窺う。冗談とするにはいささか真剣に過ぎた声音は、幸いなことに誰にも聞こえなかったようだ。

 生者を啖う食屍鬼、そりゃフィクションとしては好きだが現実にいるとは信じたことはもちろんないし、いてほしいと考えたこともない。ゾンビの存在する世界は(映画のなかでは)、なべて悲惨なことになる。硬直した官僚機構が後手後手の対応しかできないでいるあいだに、感染は爆発的に広がり、各地の行政機構は完全に崩壊する(軍隊もいつのまにか壊滅してる)。住民は各自バラバラに、もしくは小規模なコミュニティをつくってゾンビ禍に立ち向かうけれど、小さなミスや驕りたかぶり、捨て去れない人情などの綻びからそれも貪り喰われてゆく。やがて地上は生きた死者こそが支配する地獄になり、生者のほうが暗い影や地の底での生活を余儀なくされる――。

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