大里浩一(高校生)【10】
プラザの廊下まで苦労して出た。すでにそこは、何事かと集まってきた野次馬でごった返している。腕のなかの宇都さんの様子をうかがった。血は流れつづけていたが、すでに痙攣はおさまっている。しかしその目も閉じられていた。浩一の頭を荒れ狂っていた熱い血流が、すっと一気に冷えたのを感じる。彼女の身体を揺さぶった。首が力なく後ろに垂れる。半開きの目に光はなかった。だめだ。だめだ。こんなことあっちゃいけない。こんなふうに人が、彼女が死ぬなんてあっちゃいけない。
史織が腕をつかみながら何事か言ったが、彼の耳には届かない。
「宇都さん!」
腕のなかの子の名を叫び、何度も身体を揺さぶる。できるのはそれだけで、いま何をしたらいいのか見当がつかない。救急車を呼ばなければ。いや救急車ならそこでぶっ壊れてる。別の救急車。通報しなきゃ。119番。誰かもう連絡してるだろうか。AEDは。どこにあるんだろうか。こんな状況でAEDが役に立つんだろうか。雑多な考えが現われては消えてゆく。完全にパニックに陥って、浩一は周囲を見渡した。一様に蒼ざめた顔で、こちらを取り巻く野次馬の群れ。
そのなかに一人、スマホをこちらに向けている男がいることに気づいた。惑乱した怒りにこめかみが熱くなった。こんな惨状で、人が死にかけていて、何人も怪我をしていて、一秒でも早く助けが必要なときに!
恐怖と混乱と絶望と激情とで頭が真っ白に、視界が真っ赤に染まる。彼は宇都さんを抱く腕に力を込めて、ほとんど天を仰ぐように叫んだ。
「誰か助けてください! だ――」
――言葉は途中で噛み千切られた。いきなり喰らいついた宇都紗耶香の顎によって、その喉笛ごと。
大きく見開かれた彼の目に、噴水のようにほとばしる血と、彼の肉を獰猛に咀嚼する彼女の顔が映る。彼女の眼球は白眼が真っ赤に染まるほど充血し、瞳孔はほとんど点になるまでに収縮していた。さきほど彼女を襲った男のように。
反射的に彼女を突き飛ばそうとするが、ぼどぼどと流れる血と一緒に力が抜けてゆく。彼の手は弱々しく宇都さんの肩を抱いただけだった。
《えー、それじゃアレじゃん――》
意識の片隅で一瞬だけ、火花のようにちらついた記憶があった。これは史織の――…
《――ゾンビ》
嚙み破られた咽喉からは呼吸が逃げ出し、血泡が傷で弾けるばかり。頭が揺れる。視界が霞む。音が失せ、耳鳴りばかりが高くなる。苦しい。痛い。苦しい。痛い、痛い、痛い、なんで、苦しい、痛い、なんで……。
ぼやける景色のなか、音もなく、史織が絶叫しているのが見えたけれど、何を思う力もなかった。逃げろとも、助けてくれとも考えられず、ただひたすら理解できない痛みと苦しさだけを感じていた。――それも、血まみれで並ぶ歯に視界を覆い尽くされ、意識が絶たれるまでのことだったけれど。
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大里浩一(17)
Z化後の感染拡大 塩屋雅弘(23)、小瀬亮二(29)、野元ゆか(14)の3名
364日後、北朝鮮による九州各都市を対象とした核攻撃により死亡
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