姫神様と御神刀使い、しかし

彼野あらた

第1話「姫神様と御神刀使い」

 駆ける。駆ける。駆ける。

 鈴村尊すずむら・たけるは、幼い足の小さい歩幅で必死になって走っていた。

 何かから逃げるために。

 それが何なのか、尊自身にもわからなかった。

 ただ、一目見て、何か恐ろしい存在だということを感じ取ったのである。




 尊がそれを見たのは、自宅から少し離れた場所にある山の中だった。

 小学校の夏休み中、友達がみんな旅行に出かけて暇だったので、一人で虫捕りに来たのである。

 虫を追いかけて山道を山の中腹まで入り込んでいたら、ふとそれが視界の端に映った。

 尊よりもずっと大きい、牛ぐらいの大きさの黒々とした物体。

 中央の球形の部分から、足らしいものが何本も生えている。

 おそらくは生き物だと思われるが、目や口や耳がどこにあるのかはわからなかった。

 そして、木の根元でうごめいていたそれは、不意に尊の方に動き出したのである。


「…………!」


 本能的に恐怖を感じた尊は迷うことなくその場を逃げ出した。

 どこをどう走ったかはわからない。

 気がつけば、山のふもとにある神社の前にたどり着いていた。

 そろそろ逃げ切れただろうか。

 そんなことを考えながら、振り返ってみると……。


「!」


 いた。

 ずっと追いかけていたのだろうか。尊から十メートルほど離れたところでうごめいていた。


「…………」


 尊が恐怖に体を震わせながら後ずさりすると、背中が何かにぶつかった。


「おいおい。子供をあんまりいじめるなや」


 聞こえてきた声に振り返ると、そこには一人の中年男性が立っていた。

 年の頃は四十ぐらいだろうか。神主の格好をして、手には一本の刀を持っている。


「~~~~」


 怪物は一瞬、うろたえるように後ずさったが、すぐに思い直したように尊たちの方に向かって突進してきた。

 男性は素早く尊の前に出て、


「まあ、そう来るわな。でも、お帰りください……よっと」


 怪物が到達する前に刀を一閃。

 その瞬間、光の渦がほとばしり、怪物を消し去ってしまった。


「大丈夫か、坊主?」


 男性は振り返ると、尊に向かって微笑みかけた。


「は、はい……ありがとうございました」


 眼前で起こったことに驚きを隠せないまま、尊は答える。


「おう。そいつは何よりだ。家はどこだ? 送っていこうか?」

「だ、だいじょうぶです。ひとりでかえれます。それよりも……いまのはなんだったんですか?」

「あいつは、異なる世界から来た災い……“異災”だ」

「いさい……?」


 尊も名前だけは聞いたことがあったが、見たのは初めてだった。


「要するに、別の世界から来た怪物だ。こっちの世界の人間に悪さをするからな。俺みたいな人間がこうやって追い払ってるわけだ」

「なるほど……おじさんはせいぎのみかたなんですね」

「ははっ。そんな大層なもんじゃないさ」


 男性は照れくさそうに笑うが、そこへ第三者の声が割って入った。


雄志郎ゆうしろう、照れることはあるまい。似たようなものじゃろう」


 声の主は一人の少女だった。年の頃は十五、六だろうか。おかっぱ頭で巫女の格好をしており、いつのまにか男性のかたわらにたたずんでいた。

 尊が少女の突然の出現に目を白黒させていると、


「わしはアメツチコトホギヒメという。長いから姫神様で良いぞ」

「この方はこの神社にまつられている神様だよ。そして、俺は大塚雄志郎おおつか・ゆうしろう。姫神様からこの御神刀を預かって、さっきみたいに異災を追い払う役目を務めている」

「よろしくな、少年」


 そう言って二人は尊に向かって微笑みかけた。




 そして、時は流れた。




「師匠ー! 姫神様ー! 入学式終わりましたよー!」

「うむ。尊ももう高校生か。早いものじゃの」


 高校の入学式を終えてまっすぐ界境かいきょう神社にやってきた尊を、姫神様が境内で迎えてくれた。

 新しいブレザーの制服に身を包んだ尊に対して、彼女は相変わらずの巫女装束である。

 尊がこの神社で初めて姫神様と雄志郎と出会ってから九年。

 あれ以来、尊は神社に日参するようになり、ここは彼にとって自宅のようになじみ深い場所になっていた。


「師匠は?」

「雄志郎は異災退治に出かけておる。じきに帰ってくるはずじゃ」


 雄志郎に救われた尊は、いつの頃からか雄志郎を師匠と呼び、慕うようになった。

 雄志郎の方も、尊には素質があると見込み、異災との戦い方などを教えている。

 尊が初めて異災と遭遇した時、異災が尊をなかなか襲おうとしなかったのは、尊が異災に対抗する力を潜在的に秘めていたかららしいのだ。


「えーっ。それならオレも連れて行ってくれれば良かったのに。高校生になったら実戦に付き合わせてくれるっていう約束だったんだから」

「タイミングが悪かったの」

「仕方ない。自主練して待ってます」


 尊は社務所に荷物を置き、ジャージに着替えると、日課の基礎練習を始めた。




「それにしても、出会ったばかりの頃はあんなに小さかった尊が、立派になったものじゃの」


 今日のメニューを一通りこなした尊に向かって、姫神様が感慨深げに話しかける。


「身長もいつの間にか姫神様を追い越しちゃいましたね」


 育ち盛りの尊は今日まで順調に成長してきたが、人ならざる身の姫神様はあの頃から変わらず、十五、六の少女の姿のままだった。

「図体は大きくなったが、中身はちゃんと成長してるかの?」

「してますよ!」

「ほほう、それはそれは……むっ。帰ってきたようじゃの」


 神社の入り口に向いた姫神様の視線を追いかけると、確かに雄志郎が帰ってきたところだった。


「師匠、おかえりなさ……怪我してる!?」


 尊は驚きの声を上げた。

 雄志郎の装束の袖の部分が破れ、血の痕がついていたのだ。


「ああ。ちょっと不覚を取っちまったが、かすり傷だ。たいしたことない。傷口もふさがってる」

「でも、今までこんなことなかったのに……」

「俺も寄る年波には勝てないってことかな」


 表情を曇らせる尊に向かって、雄志郎は安心させるように笑みを浮かべた。


「だが、これからはお前がいる。頼りにしてるぞ」

「え……あっ……はいっ!」


 尊は真剣なまなざしで応えた。




「尊。これを受け取れ」


 雄志郎が差し出したのは、一振りの刀だった。


「これは……?」

「この神社の御神刀はいくつかあってな。そのうちの一本だ。修行では今まで通り木刀を使うが、実戦ではこれを使え」

「わしの有り難い神力がこもっておる。大事にするんじゃぞ」

「はい! ありがとうございます!」

「それから、いつ異災が現れるかわからない。この神社の外にいる時もこれを常に持っていろ」

「えっ。家や学校でもですか。大丈夫ですか。オレがそんなことしたら、警察に捕まったりしませんか」

「異災退治の任を与えられた人間が神器を所持・携帯することは、国に認められている。お前も既にその一員だ」

「オレも師匠と同じに……」

「ただし、異災退治以外に使ったら駄目だぞ」

「わかりました」


 尊は、新しく自分が預かることとなった御神刀の感触をその手の中で確かめた。

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