エノクの空 ~古代の地球で天使と戯れる話~

NewCeteras17

第1話 果てに在る世界

 冷たい石壁に背を預け、灰色の空を見上げる。街の外壁の外、原野と山に囲まれて、雲はどこまでも広がっていた。


「なあ、あの上には、何があるんだろうか」


 俺は、隣に立つ仲間に言った。すると仲間は振り返り、いぶかしげな顔をして答えた。


「決まっているだろう。しゅ御使みつかい達の世界だ」


 最もな答えだ。天におわすのは、全てのあるじである神と、そのしもべたる偉大な霊、天使達。


「ああ……そうだな。しかしなぜ主と御使みつかい達は、上天に居を構えたのだろうか」


 頷いてそう続けると、仲間はさらに不思議そうな顔をして言った。


「そこが最も尊い場所だからだろう?」


 尊い場所。それはそうだろう。しかし何故、そこは尊いのだろうか。主がそう定められたのか。それとも何かが、そこにはあるのか。

 しかし相手がその答えを知らないのはわかっている。わかっていながらいつも、疑問を口にしてしまう。悪い癖だ。


「……そう、その通りだな」


 煮え切らない顔でそう答えると、仲間は苦笑いをして、去っていった。冗談にしても変なことを言うやつだ、と、そんな表情だった。



 世界が創られてから、今で1600年と少しになる。

 天使が地上に降りてきたのは、1400年ほど前のことだ。

 我々の祖先が地上に増え始め、それと同時に、夜の一族が子を増やし始めた頃。神は人間を護るために、天使の一団グ リ ゴ リを地上に使わした。


 今、目の前に見えているのは、ヘルモン山の白い峰。その山頂に、彼らは降り立ったらしい。

 そのとき、創世からずっと分厚い雲におおわれていた空が割れ、上天から溢れる金色の光と共に、ことさら明るい純白の光の一団が、降りて来たのだと言う。

 割れた空は、青く透き通った色をしていたらしい。それがきっと、天の色なのだろう。

 今はもう、それを見ることはかなわない。あるのは生まれた時から変わらない、灰色の空だけである。



「まーた変な議論ふっかけてんの?」


 物思いに耽っていると、横からそんな声がした。


「ああ、エラか」


 この声はそうだ。俺は、そちらを向かずに、なるべくそっけなく答える。


「あんなことばっか言ってると、変人と思われちゃうよー」


 ぐい、と、彼女は無理矢理こちらの視界に入ってきた。後ろでまとめた、淡い金色の髪が揺れる。


「うるさいな、俺の勝手だろう」


 そう答えるも、俺は口元が緩んでしまうのを感じた。彼女の声は、清んだ高い音色で響き、心地いい。


「て言うか、聞いてたのかよ」


 せいぜい虚勢を張り、眉を上げてそう聞くと、エラは大げさなしかめっ面をして答えた。


「違うよ、遠くから見てたってわかりますよぉ、レナクが何を話してるかくらい」


 んべっ、と舌を出すエラ。切れ目で、鼻筋の通った顔立ちの彼女は、そんな顔をしていても綺麗に見える。その感情を誤魔化すために、鼻をつまんでやった。


「ふがっ!」


「悪かったなぁいつも同じ話ばっかりしててよぉ」


 そのままぐりぐり上下に動かす。エラはふがふがと首を上下させた。

 そうしながら、俺はふと思った。エラには、やはり天使の血が流れているに違いない。彼女の祖先のどこかに、人と天使グリゴリの子である、勇者ネフィルがいたはずである。

 そうでなければ、俺がこんなに引き付けられることはあるまい。俺は、神の戦士なのだから。


「ちょっと!レナクしつこい!」


「おっと、すまん」


 考えていてうっかり、エラの鼻を真っ赤にしてしまった。慌てて離す。


「もー」


 涙目になって、エラは鼻をさすっている。悪いことをした。


「すまんな、エラ、やりすぎた」


 そう謝ると、エラは後ろ手にそっぽを向いて拗ねた。


「今日は喧嘩しに来た訳じゃないのに」


 そう呟いてしばらく黙ると、今度は急に笑顔になって、こちらを向いた。エラはそのまま、俺に顔を近付けてくる。手も出して、俺の首の後ろにまわしてくる。一体、何をする気だ!

 突然のことに何も出来ずにいると、エラが物を持っていることに気付いた。細い鎖が、俺の首の後ろで噛み合わさる音がした。


「おめでとう。今日、誕生日だよね?」


 そのまま、満面の笑みでエラは俺に言う。ああ、確かに誕生日だ。首にかけられた物を見ると、金属と青い宝石のペンダントだった。鎖は宝石部分に繋がり、そこから下に向けて、金属の真っ直ぐな装飾が、何本か伸びている。装飾はそれぞれ角度をつけて金と白に光っており、まるでこれは……


「青空から御使みつかい達が降りてくる所……か?」


 そう言うとエラは目を丸くさせて驚いた。


「すごーい!よくわかったね!」


 わかるさ!俺の憧れの風景だ。会ったばかりの頃は、エラに毎日言っていた。


「これ、エラが作ってくれたのか?ありがとう……嬉しいよ!」


 今度ばかりは、俺も溢れる笑顔を隠さずに言う。本当に嬉しい。こんなものをもらえるとは、思っていなかった。

 するとエラは両手を広げ、満面の笑みで、こう言ってくれた。


「だって、大事な誕生日だもの。100歳おめでとう、レナク!」

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