第15話女子の神器なのだろうか、俺はカルチャーショックという名のジャブを見舞われた気でいた。

 シャンプー棚に用意されていたのは、ピンク色の楕円形の容器と、同じ形状のグレーの容器、白っぽいチューブが二つに、半透明の長細い瓶にその他諸々……ざっと10種類の謎のボトルであった。


 おそらくシャンプーやコンディショナーそれにまつわるエトセトラなのであろう、思い返してみれば洗面台にもこのような難問が用意されていたが、なにから手をつけてどのように使用するのが正解なのかを感覚で理解するのは、難しそうだ。


 俺はシャワーがかけられた鏡の前にしゃがみ込み、一つ一つを手にとって表記を確かめる。


「これは、シャンプーか……これはコンディショナー……これはボディーウォッシャーだから石鹸みたいなもんか……」


しかし、読むに従い次第に難易度は上がっていく。


「こっちはオイルメイク落とし、こっちは洗顔料、こっちはフルーツピーリング?で、これはバスソルト? ボ、ボディースクラブ?」


 学生時代、世界史の授業で習ったような謎横文字が頭を駆け抜けていく。ガイウス・ユリウス・カエサル? ルキウス・コルネリウス・スッラ? ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア……? いやそれは違った。

 まぁなんにせよ、全然覚えられない馴染みのない無機質な暗号である。


 俺はとりあえず、少しずつ手にとってみて容器中身を確かめてみることにした。とりあえず、このフルーツピーリングというやつを出してみるか、なんとなく名前的に柑橘系のいい香りがしそうな気がするし。


 ボトルの上部をプッシュし、手の平に液体を出してみる。フルーツピーリングボトルからどろっと、とろみと適度な硬さのある液体が出てきた。柑橘系ではないが、りんごを思わせる甘酸っぱい香りがする。


 とりあえず、手の平をこすり合わせみたのだが、なんということだろうか! 俺はそこまで汚れた人間ではない、という尊厳を思わず叫びたくなるような、灰色の手垢、手垢、ただひたすらに手垢がもろもろと手のひらに浮かび上がった。


「なんだこれ……」


 この時の俺は完全におっさんの、慣れ親しんだ日常の自分でありさっきまでの「かわいい」という自負がいとも簡単に消滅した自我で埋め尽くされる。

どういう理屈かはわからないのだが、この液体は泡立つことなく、こすれば擦るほど、ただもろもろと手垢を生成するのだ。


 怖くなって洗い流してみると、手のひらは生まれ変わったように凸凹のないすべすべした肌質に変わっている。

これは女子の神器なのだろうか、俺はカルチャーショックという名のジャブを見舞われた気でいた。

 女子の肌がやたらとすべすべなのはこういった男性には馴染みないアイテムによって保持されているということか。

 そう思うといままで目を向けることはなかった世界の秘密に触れた気にもなった俺は、もてあました好奇心から全身このフルーツピーリングとやらを塗りたくり、両手であますことなく全身を擦ってみるという暴挙にでた。


 何ボトルをプッシュしただろうか。中身の残量など気にすることなく胸、腕、腰、足、目に付いたあらゆる場所にとろみのついた液体を塗りまくり、ひたすら両手の平で擦ってみる。すると容赦ない灰色のもろもろした垢が全身から浮き上がる。すかさず手元にあったシャワーで流しさると生まれ変わったピカピカの肌が俺の両手を喜ばせるのだった。


 あまりの可愛さに、俺は俺を抱きしめる。

 一説によると自分で自分を抱きしめるという行為はリラックス効果を得られるらしく、交互に左右の肩を叩くというのは「バタフライハグ」といって心理学的に効果が立証されているらしい。

 俺はハリウッド映画のラストシーンのように熱烈なハグで自分を可愛がっていたその瞬間、足元を滑らせ思いっきり床にしりもちをついてしまった。


「ギャ!!!!!」


黄色い声と、ガンっという鈍い音が風呂場に響き渡る。ゆうゆが入浴した際のボーディーソープかなにかがまだ床に残っていたようだ。


「イッタ…………」


 俺は浴槽の床にしゃがみ込んだまま、鈍痛に耐えていた。ひんやりした床の温度が、さっきまで意気揚々と盛り上がっていた自分をやたらと冷静にさせる。すると、その時「大丈夫?」という声と共にガチャっとドアが開き冷気が舞い込んできた。

 顔を上げると、ゆうゆが心配そうにこちらを見ているではないか。


「なんか、すごい音したけど……大丈夫……?」

「!!!!!!」


 俺は反射的に両手でバッと股下を隠す。


「あ、ええ……いや……」


 冷静な返し、というのは精神の余裕をもって繰り出される。

 俺の頭にこの時に浮かんだ文字は「h※bcあいぎやhfばけじぇs」といった赤ちゃんのブラインドタッチで打ち込まれたような支離滅裂な字列であった。


 そしてとっさに股下をギュッっと隠したものの、よく考えれば胸元も露わにしているのは恥ずかしいのではないか!?という思いがこみ上げてくる。


 俺は女の子にいま裸を見られている、しかし、当該の女子は俺の裸に驚くことも、恥ずかしがることもなくいたって冷淡な目つきでただ俺を見下している。

 そう考えると俺の心臓は恥ずかしさとはまた違った感情でドキドキ躍動してきた。この感覚はなんなのか……そして俺はいま胸も隠すべきなのか……。

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