第93話 真昼の朝の夢

 朝日が無言でうなずき視線を送ると、弥生が口を開いた。


 「うむ。今回は過去例にない”見合い”に対する男事不介入案件。立会人はこの六宝堂弥生が務めさせて貰うよ。それと本件の依頼主は神崎朝日殿だが、未成年のため後見人として五月雨新月が申し出た。これに異議はないな?」

 「ありませぬ。こちらは見合い相手の代理人として寝待流当主、寝待朝焼子がしかと承りましょうぞ」

 「ワシも問題なしじゃ。神崎朝日に対して賠償請求、他、発生した場合は全て五月雨が責任をとる」

 「はい。僕もそれで異議はありません」

 「ならばよし。それでは話し合いじゃが……今回、依頼主の神崎朝日殿からの要望が出ておる。神崎朝日殿、寝待朝焼子殿の二人のみで協議して貰おう」


 麻昼の願い『自分の”想い”が残る場所で、朝焼子と二人きりで話をさせて欲しい』への対応である。無論、二人きりとは朝日を介してと言う意味だ。


 「神崎さんとわたしが二人で? それはどういう――」

 その不自然な流れに朝焼子が疑問を口に出そうとするが、すぐに朝日が割って入る。

 「深夜子さんのお母さん。少し離れた場所で、僕と二人でお話をさせてください。これは協議の条件として希望してます」

 「む……? 一体何を――」

 企んでいる。朝焼子が聞こえないほど小さく呟く。


 だが、朝焼子が思案する間もなく、朝日はスタスタとロビー奥の階段へと進んでいった。二人以外はこの地下一階のロビーで待機となる。朝焼子も流れには逆らえず、朝日を追って階下へと降りた。


 地下二階のロビー中央に行くと、朝日がキョロキョロと周りを見渡していた。着いてこいと言ったわりには、まるで行き先を探しているかの雰囲気。朝焼子はなんとも言えない違和感を覚える。


 「あ、こっちか……」


 ぼそりと独り言のように呟き、朝日はロビーの奥へ進む。そして、とある廊下に入ったところで、朝焼子の表情は凍りついた。


 そこは施設職員たちが、宿泊などに使う個人用の部屋がずらりとならぶ場所。そして――。


 「男性のされることゆえ、黙って従っておりましたがなんたる姑息な……」

 朝焼子がついに耐え切れないといった体で声をふるわせた。

 「神崎さん! これはあね様の指示ですか? このような場所でわたしと協議などと、どういうおつもりでしょうや」

 怒気を含む朝焼子の口調。ところが朝日は気にする気配もなく、ある部屋の前まで来てその足を止める。


 「着きました。この部屋の中で話し合いを――」

 朝日がそう言ったと同時、通路に轟音が響く!!


 見ると、朝焼子の右手が通路の壁を打ち据えていた。まさに憤怒と言うべき表情。コンクリートの壁は、その拳を中心に大きな円を描いて凹み。天井から床まで無数の亀裂が走る。さらには地震でも起こったのかと思える凄まじい衝撃と振動も通路を襲った。


 「おのれえっ、わたしを愚弄するかあっ! そこはっ、そこはっ、麻昼さんが監禁されていた部屋があった場所。もはや我慢がならぬ――」

 そう吐き捨て、朝焼子はその場を去ろうとする。


 普通の男性ならば論外。朝日であっても、本来は恐怖に動けなくなってしかるべき迫力だった。だが、朝日は全く動じていない。まるで何も起きていないと言わんばかりに、その部屋の扉を開け一歩踏み込むと、振り返って朝焼子へと声をかけた。


 『いやいや、建物が壊れちゃうかと思ったよ。相変わらず凄い力だね、朝焼子さん』

 「っ!? ――――――なっ、あ……」


 その声に・・・・ピタリと歩みを止めて振り返る。朝焼子の表情はみるみる怒りから困惑へと変わっていく。朝日家を訪問したときの態度からは、想像もつかない狼狽うろたえぶりだ。


 『ああ、ごめんよ。ここで・・・無いと俺が神崎君の身体を借りて話すことができないからね』

 「あっ……なっ……いや、そんな、そんなことが……でも、その声は……ま、麻昼さん?」

 『そう、俺だよ。嬉しい、ずっと君にもう一度会いたいと、話がしたいと思っていたんだ。さあ、こっちに来て――』

 麻昼が手を差し出すも、朝焼子の絶叫がそれを打ち払うように響く。

 「嘘だ! ありえませぬっ、麻昼さんは、もう、二十五年も前に……。くっ、きっと、わたしを――ああ、そうだあね様たちが、わたしを謀ろうと――そんな、いや、許して……麻昼さん……」


 ヒビの入った壁を背に、頭を抱えて血の気を失った唇を動かし、ぶつぶつと独り言を繰り返す朝焼子。そこに、部屋から麻昼――朝日が近づき、そっと手を取る。瞬間、朝焼子の表情は怯えに変わる。


 「驚かせてごめんなさい、深夜子のお母さん。信じれないかも知れないけど、この部屋で麻昼さんは待っています・・・・・・。さ、時間も無いですから、こっちに」


 そう言って部屋へ向け手を引くと、朝焼子はされるがままに着いてくる。いや、抵抗すらできないほどに弱々しくなっていた。到底、武術の達人とは思えない状態だ。


 「ああ、許して……許してください。麻昼さん……」

 

 その虚空のような瞳から涙を流し、ガクガクと身体が震えている。麻昼の声を聞いたことで、過去の悪夢が、後悔が、慚愧ざんきの念が、朝焼子の中に押し寄せていたのだった。


 部屋に入ると同時に、床にひざまづいて朝焼子が号泣を始めた。


 「麻昼さん。許してっ、許してください。わたしは間に合わなかった、貴方を助け出せなかった。……いや違う。それ以前にわたしは、貴方を、ただ自分のものにしたかっただけの浅ましい女です。どうか……どうか」


 二十五年間。ため続けていた負の想いが朝焼子からあふれだす。床に這いつくばって、ただ号泣しながら後悔と謝罪を繰り返すのであった。


 『朝焼子さん。やっぱり君は自分を責めていたんだね。それは違うよ――と、口で言っても難しいか……(神崎君ごめん)』

 (えっ?)


 麻昼が心の中で朝日に一言謝ると、朝焼子の腰に手を回して抱き起こす。


 「ひっ? ま、麻昼さ――ふっ!?」

 そのまま二人は口づけを交わす。最初は驚きジタバタとしていた朝焼子だが、一秒、二秒と唇が重なり合う時間が経過すると共に、おとなしくなって行った。


 『思い出してくれたかい? 朝焼子さん』

 「ま……ひる、さん」


 それは幾度となく重ね合わせた唇の感触だった。朝焼子の脳裏に二人の日々が思い浮かぶ。


 『君には随分と哀しい思いをさせてしまったね。でも、覚えているよね? 俺たちは間違いなく愛し合っていた。確かに俺たちの最後は哀しい別れだったかも知れない。でも、君に幸せな思い出もたくさん貰った……ああ、そうだ。少し二人で昔話をしよう」



 ――麻昼と朝焼子。二人は出会った時からの思い出を語り合う。その時は伝わることのなかったお互いの”想い”も交換しながら。


 一つ一つの出来事を、お互いの愛を確かめ合うように、わずか数ヶ月の出来事を宝物のように語る。少しずつ、朝焼子の虚空の瞳に光が戻っていく。


 そして、最後の、二人の別れについても語り合う。麻昼は自分が悪かったと、不甲斐なかったと、その時の詳細を、朝焼子は何も悪くないと伝えた。


 ひとしきり話が終わったところで、麻昼が朝焼子を優しく抱きしめる。


 『もうそろそろだね……』

 「麻昼さん……逝かれて、しまうのですか?」

 『それは違うよ。言っただろ、俺はあくまで”君への想い”さ。それが消える前に……朝焼子さん、君が会いに来てくれた。それだけだよ』

 「そう……ですか」

 涙は流れているが、朝焼子の表情にはうっすらと笑みが浮かんでいた。


 『おっと、最後に神崎君との約束も守らなきゃね。と言っても俺の想いを伝えたから問題も無いかな?』

 「はい……ただ、どうしても娘が、わたしは深夜子さんが心配なのです」

 『朝焼子さん。誰であれ未来は自分で選択するものだよ。彼らにはまだまだ未来がある。選択をさせてあげて欲しい。俺からのお願いだ。強制せずに、見守ってやって欲しい。神崎君を、それに深夜子を、可愛いあの子・・・・・・が幸せになるように――』

 「麻昼さん? ……今、深夜子さんを?」

 『ごめん、もう時間だ。想いを伝えた以上、俺はもうここには居られない。そのこと・・・・は神崎君を通じて弥生さんにお願いしてあるから、安心して――じゃ――朝焼子――――君に会えて良かっ――――」


 現実か錯覚かはわからない。ただ朝焼子の目に映っていた麻昼の姿が、だんだんと光が霧散するように、朝日の姿へと戻っていった。


 「麻昼さん! ま、ひ……るさ……神崎さん……ですか?」

 「はい、ごめんなさい。もう……行ってしまいました」

 「神崎さん……感謝を……するべきでしょうね。いや、今もこの身に起きたことは信じられぬのですが……それでも」

 「あの、深夜子さんのお母さん。もしかしたら、僕たちが見たのは現実じゃなくて、夢みたいなものだったかも知れません。でも、麻昼さんの”想い”がここにあった。それだけは間違いないと思います。僕も……聞いてましたから」

 「そう……ですね。ありがとう神崎さん。そして、わたしも麻昼さんの願いを守りましょうや。貴方と深夜子さんに未来の選択を……」



 ――三月三日午前十一時四十二分。深夜子たちが心配している最中、朝日と朝焼子が地下一階のロビーへと戻ってきた。


 「母さん! 朝日君!」


 それを見て階段からロビーに向かう通路に、深夜子が駆け込んでいく。その後ろを五月たちも追っている。


 「ちょっと? どしたの母さん……何が……大丈夫?」


 さすがの朝焼子も精神的疲労が隠せていない。初めて見る憔悴して、消耗しきった母親に驚き、深夜子が心配そうに声をかけている。そこに弥生がやって来て、朝日の頭を優しく撫で声をかけた。


 「坊や、どうやらまずはうまくいったようじゃの」

 「はい、ちゃんと麻昼さんのお願いは叶いました」


 それを聞いた朝焼子が、すっと姿勢を正して深夜子の肩に手をかけた。


 「ふえっ、母さん?」

 「深夜子さん……もう、母は何も申しません。貴女の自由にしてかまいません」

 「えっ、自由!? それじゃあ……」

 「ええ、貴女がどうしたいか……自分で選びなさい」


 突然のことに理解は追い付いていないが、自由と言う意味はわかる。深夜子は戸惑いながらも笑顔で五月たちへ振り向く。


 「深夜子さん良かったですわ!」「やったな深夜子!」


 その言葉に五月と梅も喜びを爆発させる。深夜子の側へと駆け寄って手と手を取って喜び合う。それから三人揃って朝日へ笑顔を向ける。これで元通り、また朝日との日常が戻ってくるのだ。


 それぞれの同じ思いを確信して、深夜子たちが朝日へ声をかけようとしたその時。


 「ごめん。深夜子さん、五月さん、梅ちゃん。まだ、僕と麻昼さんとの約束が一つだけ残っているんだ。みんな……こっちへ着いてきてくれるかな」

 「朝日君?」「え……朝日様?」「朝日?」

 真剣な表情の朝日がロビーの奥へと向かっていった。その唐突な言葉と行動に三人は困惑する。


 弥生と新月はすでに察しているらしく、深夜子らにそれとなく移動を促す。その行き先は地下一階の通路奥の部屋。朝日がこの世界に転移してきた場所である。その部屋の扉が開けられた瞬間。その場にいた全員が息を飲んだ。


 話に聞いていた光景。にわかには信じれない光景。そこには、淡い光が渦巻くトンネルのようなものが発生していた。

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