第92話 女、いたるところ青山ありだぜ!

 ――三月二日、午後二十三時過ぎ。その、ついほんの十分程度前。朝日ら三人は就寝のため、リビングからそれぞれ自室へ戻っていた。


 Maps側居住区。こちらで使われている個人の部屋は三つ。一つはモノトーン調で家具や飾りは最低限ながら、充実したAV機器とゲーム機フル装備な深夜子の部屋。一つはブランド物のインテリアを中心に、まるで超高級マンションの一室かと見紛うゴージャスな五月の部屋。


 そしてもう一つ。今日は黒のイヌさんぬいぐるみ風パジャマを着ている大和梅さん(二十二歳・自称硬派)のお部屋。ハート柄のカーテン、家具はパステルカラーで花柄などの可愛いものばかり。タンスやベッドには、ところ狭しとぬいぐるみたちが飾られている。


 そんなファンシーかつ、なんとも(朝日基準で)乙女チックな空間に、ノックの音が響く。


 「ん、五月か? 開いてんぜ」

 大切な明日を控え、まだ何か相談があるのかと思った梅はさらりと扉に向けて声をかけた。

 『ごめん……梅ちゃん。ちょっと……いいかな?』

 「はあっ、朝日?」

 ところが、声の主はその予想とは違った。これは何事かと驚きつつも、梅は急ぎ部屋の中へ朝日を招き入れたのであった。


 

 ――二人でベッドに腰掛け、しばし会話をする。しかし、どうも歯切れの悪い朝日から、たわいもない話題ばかりが出てくる。悩んだ結果、梅は自分から確認をすることにした。


 「……で、朝日。何か心配事でもあんのか? その、よ。顔に出てんぜ」

 「あ……あはは。ごめん、そうだよね。わかっちゃうよね。うん……あのさ、前に男性保護省に泊まった時。梅ちゃん、自分の妹が僕みたいになったら悲しいって言ってたよね?」


 梅の言葉は的中だった。最初は愛想笑いを浮かべる朝日だったが、途中からは真剣な声に変わる。


 「ん? ああ、そりゃあ可愛い妹が突然いなくなっちまったら普通悲しいぜ」

 「だよね。でさ、例えば……例えばだよ? そのいなくなった妹さんは、実は別の国で暮らしててさ。そしたら、男の子と仲良くなって、好きになって……。だけど、突然自分だけ、自分の国に帰れることになったら、男の子とは離ればなれになっちゃうけど。梅ちゃんはそれでも、妹さんに帰って来て欲しいって思う?」


 そんな朝日の問いかけであったが、そこは緊急時以外は鈍感女王の梅。その意図は伝わらない。直感的に受け取ったまま回答を返す。

 

 「そりゃあ帰って来て欲しいさ」

 良くも悪くも物事を深く考えないのが梅である。

 「……そっか、そう……だよね。やっぱ――」

 ばっさりと断じられ、わずかに朝日の表情が暗くなる。だが、梅がお構い無しに続ける。

 「だけどよ」

 「え?」


 梅が朝日の顔をまっすぐ見つめる。そして、笑みを見せると同時にふんっと鼻を鳴らし、控えめな胸を張りつつ自信満々な態度でこう言った。


 「決めるのは自分自身だぜ。仮にも女が裸一貫。どこにいようが、進むも戻るもその時の自分・・・・・・がどうしたいかさ。例え人様に何言われようが、自分の正しいって思う道を進むんだ。退かねえ、媚びねえ、省みねえ、それが女ってもんだぜ!!」


 突拍子もない言葉に朝日は目を丸くして固まる。シンプルにして、梅らしい回答。わずかな沈黙の後、朝日はくすくすと笑い声を漏らした。


 「あん? なんだよ朝日。俺、そんなにおかしいこと言ったか?」

 「あはは、いや、違う、違うよ。ふふ、すごい……やっぱ梅ちゃんはすごいね! かっこいいね。女の中の女だもんね」

 イヌさんぬいぐるみ風パジャマですけどね。

 「そ、そうか? ま、まあな、へへ、うへへへへへへ……へ……」

 

 実にチョロかった梅なのだが、だんだんとご機嫌な照れ笑いはすぼんで行く。なんとなく、このタイミングならという感じなのか、今度は梅が朝日へ質問を切り出した。


 「あー、あのよ……朝日。俺からもちょっと聞いていいか?」

 「うん。どしたの」

 「昨日、ババアと二人で話があるって結構長い間やってたじゃねえかよ。その……なんかあったのか?」


 昨日、男性総合医療センターに弥生がやって来てから、朝日は麻昼の願いについて話をした。その後、五月と梅に席を外して弥生と二人で話がしたいと願い出たのだ。最初はさして気にしていなかった梅と五月だが、結果一時間以上に及んだ話が気になっていた。


 「あー、うん。ちょっと明日の準備・・・・・で、弥生おばあちゃんにお願いごとを色々ね。ごめんね梅ちゃん。まだみんなには話せない、かな。深夜子さんも揃ってからで、そのごめん――」

 「ああっ、いやっ、すまねえっ、だから俺らが席はずしてたんだもんな。わりぃ、変なこと聞いちまった。気にしないでくれ」


 朝日の態度に、梅はあたふた両手を振って問題ないアピールをする。一人、ベッドからすとんと床に降り、話題を切り替えた。


 「ま、明日もあるからよ。そろそろお前も部屋に戻っ――――てよおおおおおおお!?」

 先に部屋の扉まで、と歩を進めようとした梅の背後から、朝日が両手を首に巻きつけ、ぎゅっと抱きしめた。

 「ちょおおおお、朝日。だから、いきなり抱きついてくるなっていつも言って、うひいっ!」

 いつものセリフを口にする梅の耳に、朝日の吐息がかかる。ぞくりと背筋に寒気かいかんが走って、梅の歩みは緊急停止した。


 「ごめんね……心配させて……でも、僕。梅ちゃんも、深夜子さんも、五月さんも、みんな大好きだから、……ね」

 「朝日……」

 背中から感じるぬくもり、耳元でささやかれるその言葉。梅は目を閉じ、微笑んで、そっと首に巻かれた朝日の手を握りしめた。

 「まあ、先がわかんねぇと不安なのは誰でもいっしょさ。朝日、お前の――」

 「あ、ところで梅ちゃんの耳たぶって、形いいよね。それにすっごいぷにぷにして触り心地良さそう」

 「うおおおおおいっ、なんで突然そっちいいいいいいいっ? ってか、摘まむなあっ、おいっ、らめええええええ!!」


 朝日、唐突な耳フェチ(※第31話参照)発動。もちろん不意討ちを食らった梅の叫び声を聞きつけ、五月がすぐに飛んでくる。結局、なんやかんやと賑やかに朝日家の夜はふけて行くのであった。



 ――そして、運命の日を迎える。


 三月三日、午前九時四十五分。閉鎖された曙区総合医学研究所前に、大型ハイヤーと数台の黒塗り高級車が次々と到着する。

 

 すでに施設のスライド式門扉もんぴは解放されており、そのまま車は敷地へと入る。建物の玄関前では、所施設関係者に加え男性保護省職員ら十数名が待機していた。


 「「「「「閣下。お疲れ様です」」」」」


 ハイヤーから制服姿の弥生が姿を現すと、職員たちが一斉に挨拶をする。


 「ああ、今日は頼んだよ。が終わるまで敷地内には誰も入れてはならぬぞ」

 「はい。関係者の方々がお入りになられた後、門扉は再度封鎖致します。また、こちらの者たちで施設近隣の警戒も行いますので、ご安心を!」

 「うむ、ありがとよ。よし、それじゃあ坊やたち。中へ入ろうかね」


 弥生に呼ばれ、朝日、五月、梅もハイヤーから降りる。他、黒塗りの高級車からは、着物姿の新月が護衛の黒服たちに見送られやってくる。



 ――施設内は半年前に閉鎖されただけあって少しホコリっぽい。待ち合わせ場所へと進む全員の緊張感も反映してか、静けさの中に少々重苦しい空気が混じる。


 建物には、矢地のデスマーチと引き換えに電気も通ってはいる。だが、閉鎖施設ゆえに一部の蛍光灯などは外されており、埋め込みのライトや非常灯程度しか光源がなく、少しもの寂しい。そんな通路を進み、一行は階段を降りる。


 「うわー、ものすっごく久しぶりに見たなあ。このロビー」


 朝日が声を上げた。朝焼子、深夜子に指定した待ち合わせ場所である地下一階のロビー。朝日にとっては、この世界への転移当時を思い出す場所だ。まわりを見渡し、一人感想を口にしている。


 「確か……朝日様は不思議なトンネルを抜けて、こちらの場所へたどり着かれたのですわね」

 「うん。ほら、この廊下の突き当たりにある大きな部屋。中に機械がたくさん置いてあったところだったと思う」

 「うへっ、なんか薄暗くて気味悪りぃな」

 「はーい。朝日ちゃんたちー、朝焼子ちゃんたちが着いたみたいよー」

 通路の奥をのぞきに行っていた朝日たちに、ロビーから新月の呼ぶ声がかかる。三人はいそぎきびすを返した。


 「朝日君!!」


 ロビーに戻るや、朝日たちの耳に聞き覚えのある声が響く。


 「深夜子さん!!」「深夜子さん……」「深夜子!」 


 階段からスーツ姿の深夜子が姿を現した。朝日の顔を見た瞬間に泣きそうな表情で駆け出そうとする――が、その後ろから朝焼子の手が伸び、襟首を掴まれ止められる。


 「ふげっ。ちょっと母さん、何?」

 襟首を掴まれた深夜子が不満気にジタバタとする。

 「深夜子さん、話し合いはこれからです。終わるまではおとなしくしていなさい」

 「むうう……」


 不服そうな深夜子を後ろ側へ追いやり、道着袴どうぎばかま姿の朝焼子がロビー中央へと向かう。朝日たちの前まで立ち止まると、軽く一礼をして挨拶をする。


 「……それにしても、男事不介入案件の申し入れとは少々驚きました。これはあね様――いや、新月殿の入れ知恵でしょうや?」

 無表情ながら、朝焼子は鋭い視線を新月へ送る。

 「さあて、ワシは知らんがのぅ。そりゃあボンも男じゃけえ、勝手に自分の警護担当を外されちゃあ納得いかんのと違うか?」

 対して新月はニヤリ、とわざとらしい口調で答えを返す。


 「ふぅ……まあ、それはよろしいでしょう。しかし、このような場所を選ばれるとは。小細工をろうしたところで、わたしが簡単に説き伏せられると努々ゆめゆめ思われぬことです」


 丁寧な口調ではあるが、その言葉のふしぶしに不快感が含まれているのを朝日たちは感じる。それも当然。何せここは朝焼子にとって、悪夢の元凶と言える場所なのだ。


 しかし、朝日は朝焼子を説得して深夜子を取り戻す前に、麻昼との大切な約束がある。事前の打ち合わせ通り、弥生に視線を送って軽くうなずいた。

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