第90話 誰がために手紙は在る?
――その日の午後、曙区男性保護省本庁。朝日ら三人はMapsの所属する特務部ではなく、総務部の男性相談課へ来ていた。
横長のソファーに、五月と梅が朝日を挟むように座っている。豪華な応接室と言うべき内装のここは男性特別相談室。応接テーブルを挟んで対峙するのは、四十代とおぼしき女性が二名。男性保護省総務部男性相談課の責任者たちである。
ここに来た。否、呼ばれたのは、深夜子奪還作戦のため『男事不介入案件』を申請したからだ。
「その……大変恐縮なのですが……考え直していただくことは……」
責任者である男性相談課の課長が、申し訳なさそうに切り出す。応接テーブルに置かれた大量の書類を挟み、朝日たちに懇願するような視線を送る。
「あり得ませんわ。
出だしはバッサリ。その後は演劇調に。泣き真似も駆使しながら、朝日のお気の毒アピール全開だ。ちなみに血色のよろしい神崎朝日さんは、朝ごはんは白飯三杯おかわり、お昼の出前はカツ丼大盛でした。
「そ、それは……大変お気の毒でございます。ですが……その、お見合いに対しての男事不介入案件などは、我々も過去の事例が無く。対応のすべが……。それに男性権利保護委員会の見解も必要かと」
男事不介入案件は男性保護省のみでなく、『男権』こと男性権利保護委員会も関わる。今回、よりにもよって身内であるMapsが持ち込んで来た悪夢のごとき事案。なんとか撤回して貰いたいのが内心の責任者と担当者だ。
「ですので、一旦は先方に今回の案件を――」
ここでお役所定番のたらい回し発動。課長が時間稼ぎを試みるが、目の前にいるのは五月雨五月である。
「課長。男権にはすでに
「へっ?」
「こちらの神崎朝日様は
にっこり微笑む五月に対して、完全に表情が強ばり固まる課長と担当者の二名。もちろん存じ上げているに決まっている。裏社会に名を馳せるその恐ろしさも含めてだ。
最初から逃げ道など用意していないのだが、ここで時間短縮のダメ押し予定。相手に気づかれ無いように、五月と梅が朝日のわき腹をツンツンしている。
「え? あっ! ああ……え、えと……う、ウエ、エーンエーン」
壮絶な棒泣き! そこは間髪入れず五月が畳み掛ける。
「あああああっ、朝日様! なんてお痛わしい! 最後の、唯一のご希望に対して、差し戻しをしようなどと冷たい仕打ちをされて!!」
「「えええっ!?」」
焦りまくる二人を横目に、五月はハンカチを取り出して、朝日のでているとは思えない涙をぬぐう。ついでに自分はきっちりと演技の涙を流しつつ、そっと目元にハンカチを添える。
「ああ……大……丈夫ですわ。お気を……落とされないで……くださいませ……朝日様。ぐすっ……五月はこの方々の部署役職氏名容姿の特徴まで全て記憶いたしましたわ。ううっ……帰って……から、お母様に……ご相談を……」
「「うえええええっ!?」」
たまらず課長と担当者は応接テーブルに身を乗り出し「す、少しお時間を」と最後の時間稼ぎに走る。だが、それも五月の想定内だ。
ここから仕上げは梅の出番。二人の間を通して、テーブルの中央にその拳を叩きつける。可愛らしい小さな拳からはあり得ない衝撃音が放たれ、テーブルごと部屋が揺れた。
「「ひいいいいいいいっ!?」」
「おいこら! 黙って聞いてりゃあ好き勝手なこと抜かしやがってよぉ。身内だと思って調子こいてんじゃねえぞぉ?
実際、お役所対応が頭に来ていた梅。演技ついでにヒートアップ。顔のあちこちに血管を浮き立たせ、殺気混じりで凄んでいた。ついにはスチール製高級応接テーブルの真ん中に置かれた、梅の拳付近から異様な金属音が響き始める。
「てめえら、この机と同じにすっぞおおおおおお!!」
怒鳴り声に合わせて轟音が部屋に響く。梅の馬鹿げた腕力の前に、テーブルは中心から二つに折れ、四つ足は半分近くまで床にめり込んだ。
「「はひいいいいいいっ!? す、すぐにっ、今すぐに承認してきますうううううう!!」」
――さて、これだけの為に男性保護省に来ているわけではない朝日たち。最短での男事不介入案件承認記録を叩き出し、現在はエレベーターで
「ふう、これで明後日までに深夜子さんのお母様へ不介入案件の通達が入るはずですわ」
「五月さん……こんな強引に、大丈夫なの?」
「時間がありませんので仕方なしですわ。理想は深夜子さんがお相手に面会する前。そこまでに交渉へ持って行くのがベストですから」
「ところで五月。おばさんの
移動先の男性保護省二十階。最上階であるそこは一定の権限を持つもの以外は入れない特別な場所だ。五月の依頼で、午前中に朝日が男性保護大臣
「すみません朝日様、大和さん。事情があって
「ううん。大切なことなら仕方ないよ。弥生おばあちゃんも会ってからって言ってたし」
「ま、別にいいんじゃねえか? ババアんとこに行きゃわかんだろ」
五月から朝日と梅に説明できない。つまりは特殊保護事例X案件に深く関わる依頼こそが、五月の考える朝焼子の説得材料なのである。
――午後四時二十分、男性保護省最上階。弥生の執務室に朝日たちは通される。
そこには立派な記章付き制服がはち切れんばかりの大柄で筋肉質な体格の老婆が待っていた。白髪のドレッドヘアに特徴的な鷲鼻、
「おうおう、よく来たね坊や。それに梅っ
「こんにちは、弥生おばあちゃん。今回は急に無理を言ってすみませんでした」
「おうババア、相変わらず元気そうだな」
「閣下、本当にご無沙汰をしておりました。直接お会いするのは二年ぶりかと」
それぞれが挨拶を済ませ、執務室から応援室へと場所を移す。本革の高級ソファーに座って、大理石の円卓を四人が囲む。弥生は空気清浄機を横に据えると、葉巻を取り出して火を付ける。
そして、ゆっくりと話し始めた。
「朝焼子……寝待の件については済まなかったね坊や。辛い思いをさせてしもうた。それと、まずは坊やと梅っ
一旦話を止め、弥生は葉巻の煙を口に含む。空気清浄機へ吹き掛けると、五月にちらりと目を向けて呟いた。
「確かに、坊やなら読めるかも知れないね。
――ヒノワ国の男性保護をめぐる黒歴史が、弥生の口から語られた。
二十五年前。朝日と同じ日本から転移してきた男性、麻昼の身に起きた悲劇。深夜子の母、朝焼子との関係、曙遺伝子研究学会と特殊保護事例X案件が成立した理由。そして、その時に残された唯一の手がかりたる手紙。
すでに新月から内容を聞いていた五月も、改めて聞く詳細な話に神妙な面持ちだ。朝日は何よりも同じ日本人男性が、という衝撃の事実に困惑する。
残る梅は……。
「う゛え゛え゛え゛え゛、ぐずっ、ひぐっ、なんだよそで? かばいぞうずぎんだろ、ふぐううううう――――ずびゅっしゅううう!」
「えっ!? ちょっ!? 大和さ――いやああああああっ、は、鼻水が、ヨダレがああああああっ」
号泣ついでに、横にいた五月のジャケットを引き寄せて鼻をかむ。こういった話には弱いのだ。
対して五月は、ジャケットを脱ぎ捨て「このっ、このっ」と梅をゲシゲシと足蹴にしている。そんな仲良し二人組はスルーして、弥生は真剣な表情を朝日に向ける。
「――と、いう訳でな。そこでじゃよ坊や」
「はい。その手紙はきっと日本語で書いてあるのだと思います。僕も最初から言葉や読むのは大丈夫だったけど、書くのだけはダメでしたから」
これこそが、五月による深夜子奪還作戦のポイント。麻昼の残した手紙は、朝日ならば読めるのでは? また、その内容は高確率で朝焼子に向けたものだろうと推測。ならば、説得する為の切り札になるのでは? と考えたのだ。
もちろん。それでもダメな場合は、五月雨家の財力に物を言わせて強硬策を取る覚悟の五月である。
――話が終わり、次は弥生の案内で手紙が保管されている場所へ移動をすることになった。
「さて、五時少し前か……ふむ」
時計を確認した弥生が、そう呟きながらスマホを取り出す。
「――ああ亮子、わしじゃ。今から坊やたちをつれて『
「宝殿院?」
初めて耳にする単語に、朝日がぽかんとした顔を五月に向ける。
「朝日様、宝殿院は由緒ある男性墓所を管理する寺院ですの」
「男性……墓所?」
「ええ、そうですわ。男性墓所は――」
続けざまの聞きなれない単語。首をかしげる朝日に五月が説明を続ける。この世界において貴重な男性たち、詳細は割愛するが、死してなお特別に扱われるものなのだ。
「ところで閣下。男性の遺品ではありますが、事件に関わる重要な資料。どうしてまた寺院などに……?
朝日に説明を終えた五月が弥生に疑問をぶつける。事の経緯からすれば、五月の言葉は正しい。
「ん? ああ、そうよの。”
「いや待てババア、完全に曰く付きじゃねえか?」
梅はこう言った話にも弱いのだ。顔を青くしてたじろいでいる。
余談ではあるが、男性にまつわる怪談話には事欠かないのがこの世界。なんせ貴重な男性の死に対して、周りの女性たちは大なり小なり精神的ダメージを受ける。
老衰ならともかく、それが若くしての病死や事故死なら、なおさらだ。だからと言って簡単に結びつけられるものでもないが、世間では
直接的な話でなくとも、例えば――若くして病気で亡くなった男性が過ごした病室。ある晩、担当だった看護師がその男性の霊を目撃、病室で一夜を共に過ごした。はたまた、昔から”出る”と言われる旅館の部屋に泊まったOLたち、噂通り深夜に男性の霊が出没。そのまま一夜を共に過ごした。
他にも――とある雨の晩。霊園の前を通りかかったタクシーが男性を拾う。告げられた行き先を不審に思い、せっかくなのでホテルの前に移動してから、座席にいるはずの男性に声をかけようとした。なんと、そこに男性の姿は無くシートだけが濡れており、運転手の女性は大変残念に思った。など、察してあまりある逸話だらけなのである。
「――よくある話ですわよ。大和さん」
よって、五月の反応は梅と正反対。
「ぐうう。そりゃ……そうだけどよ」
「あはは、そう言えば梅ちゃん。お化け屋敷とかも苦手だったもんね」
ニヤニヤしながら朝日が梅をつついている。
「んなっ? う、うるせぇっ、それは言うなっての」
そんな会話を繰り広げながら、ハイヤーへ乗り込み移動すること約三十分。高層ビルが建ち並ぶ曙区の中心部を抜け、しばし閑静な住宅街を進むと物静かな霊園が現れた。
その霊園の中心部には一際立派な寺院が建っている。目的地『宝殿院』だ。寺院は非常に広い敷地に建っており、道路も通っているのでハイヤーがそのまま本殿前へ到着する。
迎えの僧侶たちに案内され、立派な石灯籠が多数立ち並ぶ石畳の道を進む。寝殿造りの建物に入って、長い木造回廊の奥にある和室へと通される。そこに住職とおぼしき、立派な
「お待ちしておりました。六宝堂閣下」
「うむ、すまんな住職。あまり時間もないでのお、早速見せて貰おうか」
木彫りの高級座卓を挟んで、住職が御札の貼られた木箱を丁重に開けて中身を弥生へ差し出す。
「これがその手紙じゃ。坊や、読めそうかね?」
厚手の油紙、和紙に包まれた手紙が朝日に手渡された。
朝日がその包み紙をめくると、大学ノートを切り取ったであろう古い紙が三つ折にされて入っていた。見ると枚数は三枚、外側となる一枚目には何も書いていない。
丁寧に手紙を開き、外側の一枚目を座卓の上に置く。それから残りの二枚目、三枚目へと朝日は目を通す。その両隣で五月は息を殺して緊張中、梅はおっかなびっくりの表情で、朝日の手元をのぞきこんでいる。
「あ、やっぱり日本語です。読めます」
「さすがは朝日様。素晴らしいですわ!」
「ふむ、そりゃあ良かった。坊や、それじゃあ声に出して読んでおくれ」
「はい。それじゃあ――」
すっと息を吸い込む朝日。その所作を弥生、五月、梅、住職、四人が
「え、と……きっと、誰も読むことはできないだろう。わかっているけど、書き残すしか、俺にできることはない――」
部屋に朝日の手紙を読む声が響き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます