第82話 寝待流

 ――だらり。深夜子の両腕が再び力なく垂れ下がる。つられるように上半身も軽く沈み、振り乱された黒髪のカーテンはうつむく顔の大部分を覆い隠している。


 血だまりにうめき悶える者たち。あまりに対象的に、不気味に、静かに、異様な姿でたたずむ深夜子に組員たちは戦慄する。


 「フヒッ!」

 「「「うひいっ!?」」」


 突如として深夜子の首から上がぐるりと動いた。その顔が、数名でかたまっている組員たちの方向へと向けられる。髪の隙間から、猛禽類を思わす瞳の片方がのぞく。真っ赤に染まったそれは、獲物を見つけたとばかりに妖しくくれないの光を放った。


 ――それから、影嶋一家にとっては正に悪夢の光景。


 「ぎゃああああああっ!」

 「くっ、くそおっ!? か、囲め! 取り囲め! な、なんで、あっ、ひぎいいいいいっ!?」

 「ち、ちくしょうがぁ!? はやく、捕まえて動きを、うげぇっ!」


 深夜子に近づく者、近づかれた者たちが一瞬にして倒されていく。しかも、ただ倒されるだけでは済まない。

 目潰しから顔を掴まれ、そのまま後頭部を床に打ちつけられた上、喉へと膝蹴りを食らったもの。

 腕を極められ、へし折られたと同時に投げ技で脳天から床に叩きつけられたもの。


 ことごとくが”必殺”と呼べる攻撃を、疾風迅雷しっぷうじんらいの速度で決めていく。次から次へと、十数名の武闘派暴力団員ともあろう者たちが、すでに烏合の衆である。


 ――さらに、悪夢は簡単には終わらない。


 周りのものが蹴散らされ、残ったある一人の組員に深夜子が馬乗りになった。


 「フヒヒッ! お前。朝日君ヲ、優しイ朝日君を売ル・・って言っタ奴だヨネ?」

 「ひっ!? あがっ、はなっ、離せっ! うがぁ、ち、ちくしょ、いだっ、やめっ、顔がぎゃぶっ!?」

 ゆっくりと振り上げられた深夜子の拳が、無造作に顔めがけて振り下ろされる。

 「あのネ。朝日君ハね。あたシのこと、怖くナイって、かっコいいって言ってクレるんだヨ? そんナ朝日君を、優シい朝日君を、売ルって、お前、売るっテ言っタよネ?」

 何度も、何度も、ただ乱暴に、左右の拳が叩きつけられる。

 「ち、ちがっ、ぎゃう! あ、あああああああれは、がぶっ! 高値が付きそうだって、うがあっ! べ、別に売るとか、そんな大それた、つもっ、つもあぎぃ!? やっ、やややややめ、あぶうっ! あが、ゆ、ゆる、ゆるしひぎゃぶっ!」

 泣いて許しを請おうが関係ない。深夜子の拳はより強く、より速く、より乱雑に、組員の顔のかたちを歪めていった。

 「フヒッ、フヒヒッ、壊レろ、壊れロ、壊レロ――――」


 恐怖は人から冷静な判断力を奪う。もはや連携も何も取れていない組員たち。不知火、土山も繰り広げられる光景に唖然あぜんとなっている。


 「ちっ、ちくしょおおおおおっ! このくそ女があああああ! しっ、死ねえええええ!」

 一人の組員が拳銃を取りだし、深夜子へ向け乱射する。

 数発の銃声。ゆらぐ硝煙しょうえん。だがすでに、深夜子の姿はそこに無い。

 「なっ!? えっ? うがっ!?」

 突然、その組員の首に何か・・が絡みつき、両腕の間接は逆方向へと極められる。

 ――彼女がそれが何かを認識した刹那。

 「うげえっ!?」

 数ヶ所の骨が折れる鈍い音を耳にしながら意識を失った。


 「ひいいいいいいっ!? な、ななななななんだよ……あれ」

 遠巻きに、一部始終を見ていた者たちが顔を真っ青にしながら呟く。


 ――銃弾が放たれた瞬間。深夜子がまるでワイヤーアクション並の不自然な跳躍を見せた。それは、発砲した組員からワイヤーが伸びているのかと思える程の異常な軌道。

 組員の背後に飛び乗ると同時に、両足で首を、両手で両腕を、絡めとり、極める。


 「寝待流格闘術――『頸輪断くびわだちヒエン』」


 骨が折れ、砕けたであろう鈍い音と共に、その場に崩れ落ちた組員の上で、ゆっくりと深夜子が身体を起こす。そして、キョロキョロと次の獲物を探し始める。


 「バッ、バケモンだぁーーーっ!!」

 「「「いやあああああっ!!」」」

 「「「ひいいいいいいっ!!」」」


 ついに瓦解がかい。恐怖に屈した組員たちが我先にと逃走を開始した。


 「フヒヒッ! 見つケタ!」


 そんな中、妖しいくれないの光をにじませる深夜子の瞳が、不知火と土山へ向けられた。


 「ハッ……キャハハッ! なんなんだよぉ~? イカれてんのかよぉ~? キャハッ! まぁいいや、土山ぁ~。このおバカちゃんの動きを止めちゃいなよぉ~、今度こそぉ、不知火ちゃんがぶっ殺しちゃうからさぁ~」

 「へい、わかりやした姐御。あっしが捕まえたら、そこにぶちこんでやってくだせえ」

 「はいはぁ~い。それからぁ~、今逃げてるヘタレちゃんたちはぁ、後で死刑ねぇ~。キャハッ!」


 ここで不知火の横から土山が駆け出した。サングラスを投げ捨て、その巨体で深夜子に覆い被さるように体当たりを仕掛ける。


 「うおらああああっ!」

 背後から眺ながめる不知火には、土山が深夜子の身体をしっかりと捕らえる姿が見える。いや、違う。避けようともせずにわざと・・・捕まった?

 「はあああああああっ!? 舐めてんのかぁ~おバカちゃんはぁ~! 土山ぁ、そのまま逃がす――なあっ!?」

 不知火が後を追って駆け出すが、その目に入るのは深夜子の身体にすがるように力を失い。崩れ落ちていく土山。


 角度が変わって見え始める。土山の目から、耳から、鼻から、口から、大量の鮮血がしたたり落ちる。首元と腹部、それぞれに深夜子の掌打ちが決まっていた。


 「フヒッ!」


 倒れこんでくる土山の巨体を、ゴミのように深夜子は投げ捨てる。ゆらりと不知火へ身体を向けようとしたところで、三節棍が唸りを上げて飛来した。


 「てめぇ~、いい加減調子こいてんじゃねえぞぉ!」

 怒り心頭。顔のあちこちに血管を浮き立たせ。ピクピクと片方の目元が痙攣している不知火が、嵐のように三節棍を振り乱して深夜子へと襲いかかった。



 ――しばしの攻防。それでも闘いにおいて、不知火は冷静であった。三節棍と鉄棍の形態を駆使して、恐ろしく素早い深夜子を一切間合いに入れていない。


 何度目かのやり取りで、不知火はふと気づく。深夜子の動きが所々で鈍っている。これは、ダメージの蓄積・・・・・・だ。何よりガードがおろそかになっているのがわかる。目に入るのは一度目の『龍のひと咬みドラゲナイッ』で破れ、あらわになっている腹部。


 次のチャンスに、今度こそ深夜子の腹を貫き仕留める。不知火は淡々と攻撃を、回避を、繰り返しながら注意深く深夜子の様子をうかがう。そして、思ったよりも早くその好機を見つけた。


 足が止まっている。左右への激しい回避の後は、動きが極端に鈍くなる。ここだ! 不知火は一気呵成いっきかせいに深夜子へと間合いを詰めた。


 「やっぱぁ~足にキてる感じぃ~? 残念さぁ~ん。これでぇ、もう簡単にはかわせ無いよねぇ~。キャハハッ!」

 鞭のように三節棍をしならせ、連続で打ちつけ攻撃をガードさせる。じわじわと間合いを調整。

 深夜子の足が動いてないの確認して、腹部が空くように腕を狙って弾き上げる。

 「キャハハッ! もうこれでぇ、かわせない感じぃ~?」

 そこから最終の一撃、必殺の高速中段突き『龍のひと咬みドラゲナイッ』が深夜子の左下腹部を貫通した!!


 「キャハッ! おっしまぁ~い。それじゃ――――あ゛っ!?」


 しかし、尖端が抜けない。微動だにしない。それどころか三節棍を握る手が引き戻される。気がつけば中間の鉄棍を深夜子が握っていた。

 「フヒヒッ! こレで……もう、逃げらレナい!」

 「なああぁっ!? ば、か、な、そ、そん……な、っ!? まさかぁ!? まさかあああああぁっ!?」

 不知火の表情が凍りつく。そのまさか、深夜子は確実に不知火を捉えるため、確実に仕留めるため、あえて『龍のひと咬みドラゲナイッ』をその身に受けたのだ。


 ひたすら距離を取られた場合。じり貧になることを見越して、こうなるように・・・・・・・隙をつくって誘導したのであった。


 「あたシの目ヲ見ろ!!」

 「ひいっ!?」

 深夜子の深紅に染まった目と視線があった瞬間に、不知火の心臓がドクンと打ち跳ねた。


 武闘派暴力団として、常に前線に立って培ったその危機察知能力が最大の警鐘を打ち鳴らす。それでも、相手は瀕死。何より必殺の一撃は決まっている。


 ならば、深夜子に突き刺さっている鉄棍の接合をはずす。三節棍としての能力は落ちるが、もうこれで充分。

 頭を叩き割ってやる。ニヤリと口元を歪め、長めのヌンチャクとなった鉄棍を不知火は振り上げた。

 「このぉ死にぞこないがああああああ――――あぐぅ!?」

 振り下ろす間もなく。左側頭部に衝撃が走り、不知火の視界が揺れる。

 何も見えなかった。今、何をされた? 見れば満身創痍まんしんそういであろう深夜子が、蹴りを放った後の体勢になっている。


 蹴り? あの状態で? いや、それよりもこんな状態の相手の蹴りが見えな――――「へぶうっ!?」

 視界に火花が散る。まただ。今度は下から顎を打ち抜かれた!?

 「なぁっ、はっ、そ、そんなぁ。い、いつ蹴りを――ぎゃふっ!?」

 みぞおち、こめかみ、人中、威力はそこまで高くないが、的確に急所を鋭く突いてくる。

 「はぁ、なんでぇ、なんで見えないぃいいい?」

 「無理。『無幻脚むげんきゃく』はカわせナイ・・・・・


 蹴り? わからない。しかし、このままではマズい。不知火は決定的なダメージを受ける前に覚悟を決める。見えない攻撃なら、あえて受ける・・・・・・。もう相討ちでいい。強引に鉄棍を振りかかげる。

 「くそっ、くそおっ、くそがああああああ!! このっ、この不知火ちゃんが、影嶋不知火がっ、お前みたいな――――ひいいっ!?」

 見えた! 今度は深夜子の放った蹴りが、不知火の目にはっきりと映った。


 それは襲いくる八匹の大蛇。これは先ほどまでとは別物。速度も、威力も、何もかも桁が違う。そう不知火が理解した時には全てが遅かった。

 「朝日君の腕時計の敵! お前も、壊れろおおおおっ!!」 

 「あぐっ、がぎゃっ! ははばあわああぐばああああああ!!」

 深夜子から、しなるように放たれる左右交互の神速八連蹴り。それは八匹の大蛇が獲物に殺到して食いちぎるが如し。

 ――衝撃で不知火の身体が宙を舞う。


 「寝待流格闘術――『無幻脚むげんきゃくオロチ』」


 唸りを上げる八匹の大蛇によるさらなる八連撃・・・・・・・。宴会場をところ狭しと深夜子が蹴り進み、合計六十四の痛烈な衝撃が不知火を襲った。


 「ひぃぎゃぶばああああああああげぶはああああああああああっ!!!」


 最後に出口である扉をぶち抜く。ボロ雑巾のようになって、完全に意識を刈り取られた不知火は、廊下の壁へと吹き飛び、張りつくように激突した。

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